第55話 返らなかった道具の行き先
翌朝、もう一度製粉所へ行った。
母の絵は鞄の中の写しになっても、黒いものは消えなかった。
事故より前に、母はあれを見ていた。では、事故のあと、母の道具はどこへ行ったのか。
私はノエから預かった写しを、父の机へ広げた。何度も読んだ事故記録だ。端が柔らかくなっている。
「ここ、読んでください」
父は椅子を引いた。私が指したのは、母の責任を決めつける三行ではない。その少し前、調査官への引き渡し欄だった。
「鏡二本、留め具一組、手回し器具三本」
「ああ」
「塔に残された要約には、全器具回収不能とあります」
「それは、前にも聞いた」
「今日は、その先です」
父の控えには、受け取った道具の名前があった。先日見せられた短い手回し柄も、その一つだ。ただ、どの紙から誰の手へ渡ったかが、まだ抜けている。
「受け取りの前の紙を見せてください」
父はすぐには棚へ向かわなかった。
「それを写して、誰に渡す」
「まだ決めてません。まず私が読みます」
「読み終えたら、隠せなくなる」
「隠しておきたいんですか」
父は答えず、鍵を出した。引き出しの底から薄い綴りを取り、私の前で開く。持ち去っていないと分かる距離に、ヴァルドが椅子を一つ引いた。
「余も見る」
「王の判を押すためではありません」
ヴァルドが私を見た。眉は寄ったが、頷いて座る。
綴りの最初は、工房の材料帳だった。鉄帯、木軸、古い刃。穀物を挽くための修理も混じっている。数枚めくったところで、父の字とは違う細い筆跡に変わった。
封を切られた器具を、調査の保管庫から外へ渡したという控え。日付は事故のあと。品目は「鏡の爪一、手回し器具の短柄一、留め具の片側」。受け先には、王なき工房の印がある。受取人の署名はかすれて読めなかった。
全部ではない。
けれど、同じ欄に小さく記された別紙番号が、昨日写した第十七号の末尾と一致した。
「これを、父さんが書いたんですか」
「受け番号は向こうのものだ。私が書いたのは、受け取ったあとからだ」
父は自分の字になった行を指した。短柄の握りを交換し、爪の曲がりを測った日。私の鞄にある母の柄の焦げ跡も、ここに描かれている。
父の家にあった紙同士なら、同じ嘘を並べることもできる。けれど実物の焦げ跡と、調査側の引き渡し欄まで含めて「回収不能」とは片づけられない。
「誰が運んだんですか」
「引き渡しの係は、名を名乗らなかった」
「調査官ですか」
「調査の封を持っていた。本人が調査官だったかは知らない」
父は、そこだけは紙を指さなかった。
知らない、と言ったのは父だ。誰が封を出したか、この紙は教えてくれない。
「母さんの道具だと、分かって受け取った」
「分かっていた」
「何に使ったんですか」
父が綴りを一枚めくる。留め具の片側は「試験用」とだけ書かれていた。次の頁では、先端の形が変わっている。
「噛み合わせを直した。手回し器具は、別の受けに合わせて削った」
「どこへ送ったかは?」
「私が触れた分については、後ろにある」
私は頁を追った。出荷先の一つに、王なき工房の印。海王領へ行った品とは同じとは書いていない。ここにある記録だけで、海で見た母の軸の経路まで一本につなげるのは無理だった。
父が事故より前の黒いものに関わったかどうか、この控えは証明しない。事故のあと母の道具が調査側から工房へ移り、父がその一部を受け取って手を入れたことは、紙と実物が支えている。調査側の引渡人も、最初の黒いものを作った者も、まだ分からなかった。
同じ父を見ているのに、分けなければならないことが増えていく。
「この頁、写します」
「原本はここから出さない」
「それでいいです。写した行と、見ていない行を分けて書きます」
父は机の端から炭紙を押し出した。私の筆先が止まると、字のつぶれた番号を読み上げてくれる。助かったので、余計に腹が立った。
写し終えた紙の下へ、ヴァルドが自分の名を書く。
「王としての断定ではない。ここで同じ行を見た」
「私もそう書きます」
父は署名を求められる前に、綴りを閉じた。
「次の頁は、今の工房の仕事だ」
父の指が表紙の角を押さえている。さっきまで、母の道具の行き先が知りたかった。今は、その道具の先で何を作っているのかが怖かった。
「だから、見ます」
父は私を見たまま、指を離さなかった。




