第52話 帰りを知らせる紙
輸送所の戸を押すと、荷札の角が一斉に揺れた。
製粉所を出たときにはまだ明るかったのに、山の向こうへ日が落ちるのは早い。窓のそばの机では、ネッサが荷の数を指で追っていた。
「帰着、二人。怪我は?」
「ありません」
「手に木屑が刺さった」
ヴァルドが私の手を見ずに言う。
「刺さってません。さっき抜きました」
「なら、抜いたと記す」
ネッサの筆先が紙の上で止まった。
「それは医療欄じゃなくて、余白でいいですか」
私は署名を済ませ、出発時に書いた夕刻の連絡約束の横へ、製粉所から戻った時刻を入れた。父に会えたこと、明日もう一度行くことも書く。会話の内容までは書かなかった。帰る道を知らせる紙に、父への怒りを預ける場所はない。
ネッサは記入を読み、保管係を呼んだ。
「預かり品の封は、この二人が不在の間も開いていません。確認しますか」
「はい。中身は開けなくていいです」
獣王の薄片から外れた小金具と、鉱王から回収した物は別々の箱にある。運び手会と輸送所がそれぞれ封を管理し、先日、私が見たときにも二人で開けた。
保管係が箱を棚から下ろす。ネッサと二人で封の印、紐の結び目、棚へ戻した時刻を読み上げた。私は自分の控えに照らす。どちらも変わっていない。
「明日、父に見せるのは写しだけです」
「向こうで新しい物を見たら?」
「その場で原本の持ち主と所在を書きます。持ち帰れるかどうかは、持ち主に聞いてから」
ネッサが頷いた。
「写すなら、写した箇所と、写せなかった箇所も残してください。証人がいても、父親の家に十年置かれた紙が、今日の封箱と同じ履歴にはなりません」
「分かってます」
言い切ってから、少しだけ嫌になった。分かっているつもりで、父が母の手回し柄を出した瞬間、ほかの質問を忘れかけた。
私は鞄の中の布包みを確かめた。今日の受領控えと一緒にしまった柄だ。証拠として見れば、父から私へ渡るまでの十年が空白だった。母のものだと思う気持ちだけで、その空白へ橋は架けられない。
「それから、今夜の連絡はもう一件あります」
ネッサは壁の路線表へ向き直った。
「白枝塔から北の穀物便。明朝ここを通る予定でしたが、袋数を減らす知らせが来ました。道は通れます。向こうも季節は戻っています。ただ、戻った季節に、去年採れなかった麦まで生えてくるわけではないので」
保管係が隣の棚から荷札を抜いた。
「製粉所へ回す分、半分か」
「ほかの粉挽き場も同じです。空の車を走らせる余裕がないから、明日は積み合わせを変えます」
父の水車が頭に浮かんだ。仮の支えが持っても、挽く麦が届かなければ車輪はただ回る。
「製粉所には、減便を誰が伝えるんですか」
「私が朝の便に入れます。あなたたちが説明役を引き受けなくていい」
ネッサはそう言って、荷札の裏へ短い通知を書き始めた。
私は礼を言った。母の事故の紙を追うために来たのに、目の前の穀物の数も気になる。片方を気にしたら、もう片方が薄くなるわけではなかった。
「宿を頼めますか。二部屋、別々で」
「空いています。食堂はそろそろ鍋を下ろしますよ」
ヴァルドが即座に顔を上げた。
「先にそちらだ」
「私が聞いたのは宿です」
「余は食堂も聞いた」
ネッサはどちらの味方もせず、宿の札と食堂の札を一枚ずつ渡してくれた。仕事の速い人は、ときどき議論の終わらせ方まで速い。
輸送所の裏の食堂には、遅い便の運び手が三人いた。大鍋から麦と豆の煮込みがよそわれる。焼いた薄いパンは一人一枚。もっと食べたければ頼めるが、今夜は届いた粉の分だけ、と女主人は先に言った。
ヴァルドは私の皿へパンを移そうとした。
「やめてください」
「腹が鳴ったのはそなたのほうだ」
「さっきです。今は同じだけ食べます」
彼はしばらくパンを持ったままだった。昔なら有無を言わせず皿へ置いたと思う。結局、自分のパンを煮込みへ浸した。
私は一口食べ、豆が熱くて黙った。
「製粉所で、そなたの父は何を言った」
ヴァルドは食べる手を止めずに尋ねた。
「明日、母の道具を受け取ったところから記録を見せると。それ以上は、まだ」
「余が同席するか」
「入口までは一緒に。紙を見るときもいてください。でも、父への質問は私がします」
「承知した」
その短さに助けられた。
「もし父があなたに先に答えたら?」
「そなたへ向き直らせる」
「私が答えられなくなったら?」
「飯の時間を告げる」
笑ってしまった。ひどい中断の口実だが、歯を食いしばったまま続けるよりいい。
食堂を出たあと、宿へ入る前に輸送所へ戻った。私は借りた紙へ明日の質問を三つ書いた。いつ母から黒い物の話を聞いたか。押収された道具を、誰から、どの日に受け取ったか。母が死んだとき、父は何を知り、何をしたか。
三つ目だけ、筆が止まった。
ヴァルドは覗き込まなかった。私の鞄からはみ出ていた布包みの端を、中へ押し戻してくれただけだ。
「明日、遅くなったらここへ知らせます」
「余も署名しよう」
明日の行き先と、夕刻の帰着確認欄に二人の名を書いた。明日も、帰るつもりで父の工房へ行く。
部屋の扉を閉めると、紙に残した三つ目の質問が、まだ鞄の上に見えていた。




