第50話 父の正しい修理
父は、金具の写しを上下逆さまにした。
それから、私の前へ戻した。
「この向きで付いていたのか」
「私が見たときは」
「なら、帯金の力を受ける側だ」
質問に答えるより先に、仕事が始まる。
昔もそうだった。玩具の車輪が取れたと泣いていると、父は私より先に、転がった車輪を拾った。
「父さん」
呼んだ途端、二人とも止まった。
「直し方を聞いてるんじゃないです」
父は紙から指を離した。
「この金具は、事故よりあとの私の仕事だ」
「黒いものと一緒に使うと、知っていて?」
「知っていた」
工房の外から、穀物を袋へ落とす音が聞こえた。
私は紙の端を揃えた。揃えなくても読めるのに、何度も。
「それで歯が傷むことも?」
「起こりうる」
「起きました」
父は頷いた。
「鉱王は」
「生きてます。坑道を一本閉鎖しました。道具は、もう取りに戻れません」
「他の二本は残したのか」
「はい」
父の視線が私の顔へ戻った。
「どうやって」
少しだけ、声が変わった。
私は答えそうになった。段をつけた留め具、石皮を重ねた脚、ミラが広げてくれた受け面。説明すれば、たぶんすぐに分かってもらえる。
だから、答える前に聞いた。
「同じものを、また誰かの歯に使いますか」
父は黙った。
その沈黙で、私の背中が冷えた。
「聞いただけだ」
「私も聞いてます」
ヴァルドが入口の脇で足を動かした。床板が一度鳴ったが、近づいてはこなかった。
父は椅子を引き、奥の棚から小さな箱を出した。
中には形の違う留め金が並んでいた。どれも新しい。私の鞄にあるような、寸法の合わない試作品ではない。
「一人の王が、一晩休めば山が落ちる。海が逆流する。そういう土地を、ずっと王一人の歯で支えるつもりか」
「歯を壊せば、休めるんですか」
「王が支えなくて済む形へ変える」
「変わるまでの間に、落ちる山は?」
父が箱を閉じた。
私は蓋へ手を置いた。中を見たいのではない。話まで閉じられたくなかった。
「私たちは、その下にいたんです」
父は私の指を見た。
今は何も言わなかった。
「エルナを失ってから、私は同じ仕組みを残せなくなった」
「だから、私を置いていった?」
「連れていけなかった」
「残った私に、何が起きるかは考えなかったんですか」
父の手が箱の上で止まった。
答えを待った。
説明ではなく、答えを。
「考えた。……足りなかった」
謝罪より腹が立った。
考えていたなら、なおさらだと思った。けれど何も考えていなかったと言われても、きっと同じくらい腹が立った。
私は背もたれから身体を起こした。
「お母さんの道具を見せてください」
「全部はない」
「ある分でいいです」
父は立ち、別の棚から布包みを持ってきた。
開く前に、受け取った品の控えを出した。細い棒、輪、軸。軸の欄には、海王の治療で見つけた母の手回し軸と同じ記載があった。
「この軸、海へ行った物です」
「知っている」
「歯の中で使われていました」
「そうだ」
声が平らだった。
私は、削ってしまった母の軸を思い出した。あれは証拠の形を残すより、港を救うために使った。今も海王の歯の中で働いている。
父も、使える物を使ったと言うのだろうか。
布が開く。
海へ行った軸とは別の、短い手回し柄があった。木の握りに、細い焦げ跡が残っている。私の記憶の中では母の手に隠れていた場所だった。
すぐには触れなかった。
「いつ、受け取ったんですか」
「事故のあとだ」
「誰から」
「調査の側から、工房へ回った。私が最初に持ち出したわけじゃない」
「最初でなければ、使っていいんですか」
父は返事をしなかった。
私は持参した記録の写しを出した。全器具回収不能。そのあとに続く、引き渡したという欄。
矛盾した紙が、実物と同じ机へ来た。
これだけで、母の事故のすべてが分かるわけではない。父が事故当時どこまで関わっていたかも、最初の黒いものを誰が作ったかも、まだ分からない。記録を書き足した調査官の名も、聞けていなかった。
けれど、誰も回収できなかったから戻らなかった、という説明には、もう戻れなかった。
外で秤の女の人が誰かを呼んだ。袋を運ぶ足音が止まり、やがて引き返す。
「水車は、まだ動かせないのかい」
父が顔を上げた。
「軸受けを替えるまでだ。今日は手で挽く」
「その手が足りないから聞いてるんだよ」
女の人はため息をついて去った。
父が私を見る。
「リタ。ここで仕事をしないか」
「今、その話をするんですか」
「お前なら、私の先を作れる」
欲しかった言葉に似ていた。
似ているだけだった。
私は母の手回し柄を、布の上で少しだけこちらへ向けた。
「先に、借りていた物を返すところからじゃないですか」
父は長い間、柄を見ていた。
そして、握っていた布の端を離した。
母の柄は、布ごと私の手元へ残った。




