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竜王の歯医者ですが、虫歯一本がダンジョンになっています  作者: sakumaaa
第七章 父の工房

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第50話 父の正しい修理

 父は、金具の写しを上下逆さまにした。


 それから、私の前へ戻した。


「この向きで付いていたのか」

「私が見たときは」

「なら、帯金の力を受ける側だ」


 質問に答えるより先に、仕事が始まる。


 昔もそうだった。玩具の車輪が取れたと泣いていると、父は私より先に、転がった車輪を拾った。


「父さん」


 呼んだ途端、二人とも止まった。


「直し方を聞いてるんじゃないです」


 父は紙から指を離した。


「この金具は、事故よりあとの私の仕事だ」

「黒いものと一緒に使うと、知っていて?」

「知っていた」


 工房の外から、穀物を袋へ落とす音が聞こえた。


 私は紙の端を揃えた。揃えなくても読めるのに、何度も。


「それで歯が傷むことも?」

「起こりうる」

「起きました」


 父は頷いた。


「鉱王は」

「生きてます。坑道を一本閉鎖しました。道具は、もう取りに戻れません」

「他の二本は残したのか」

「はい」


 父の視線が私の顔へ戻った。


「どうやって」


 少しだけ、声が変わった。


 私は答えそうになった。段をつけた留め具、石皮を重ねた脚、ミラが広げてくれた受け面。説明すれば、たぶんすぐに分かってもらえる。


 だから、答える前に聞いた。


「同じものを、また誰かの歯に使いますか」


 父は黙った。


 その沈黙で、私の背中が冷えた。


「聞いただけだ」

「私も聞いてます」


 ヴァルドが入口の脇で足を動かした。床板が一度鳴ったが、近づいてはこなかった。


 父は椅子を引き、奥の棚から小さな箱を出した。


 中には形の違う留め金が並んでいた。どれも新しい。私の鞄にあるような、寸法の合わない試作品ではない。


「一人の王が、一晩休めば山が落ちる。海が逆流する。そういう土地を、ずっと王一人の歯で支えるつもりか」


「歯を壊せば、休めるんですか」

「王が支えなくて済む形へ変える」

「変わるまでの間に、落ちる山は?」


 父が箱を閉じた。


 私は蓋へ手を置いた。中を見たいのではない。話まで閉じられたくなかった。


「私たちは、その下にいたんです」


 父は私の指を見た。

 今は何も言わなかった。


「エルナを失ってから、私は同じ仕組みを残せなくなった」

「だから、私を置いていった?」

「連れていけなかった」


「残った私に、何が起きるかは考えなかったんですか」


 父の手が箱の上で止まった。


 答えを待った。


 説明ではなく、答えを。


「考えた。……足りなかった」


 謝罪より腹が立った。


 考えていたなら、なおさらだと思った。けれど何も考えていなかったと言われても、きっと同じくらい腹が立った。


 私は背もたれから身体を起こした。


「お母さんの道具を見せてください」

「全部はない」

「ある分でいいです」


 父は立ち、別の棚から布包みを持ってきた。


 開く前に、受け取った品の控えを出した。細い棒、輪、軸。軸の欄には、海王の治療で見つけた母の手回し軸と同じ記載があった。


「この軸、海へ行った物です」

「知っている」

「歯の中で使われていました」

「そうだ」


 声が平らだった。


 私は、削ってしまった母の軸を思い出した。あれは証拠の形を残すより、港を救うために使った。今も海王の歯の中で働いている。


 父も、使える物を使ったと言うのだろうか。


 布が開く。


 海へ行った軸とは別の、短い手回し柄があった。木の握りに、細い焦げ跡が残っている。私の記憶の中では母の手に隠れていた場所だった。


 すぐには触れなかった。


「いつ、受け取ったんですか」

「事故のあとだ」

「誰から」

「調査の側から、工房へ回った。私が最初に持ち出したわけじゃない」


「最初でなければ、使っていいんですか」


 父は返事をしなかった。


 私は持参した記録の写しを出した。全器具回収不能。そのあとに続く、引き渡したという欄。


 矛盾した紙が、実物と同じ机へ来た。


 これだけで、母の事故のすべてが分かるわけではない。父が事故当時どこまで関わっていたかも、最初の黒いものを誰が作ったかも、まだ分からない。記録を書き足した調査官の名も、聞けていなかった。


 けれど、誰も回収できなかったから戻らなかった、という説明には、もう戻れなかった。


 外で秤の女の人が誰かを呼んだ。袋を運ぶ足音が止まり、やがて引き返す。


「水車は、まだ動かせないのかい」


 父が顔を上げた。


「軸受けを替えるまでだ。今日は手で挽く」

「その手が足りないから聞いてるんだよ」


 女の人はため息をついて去った。


 父が私を見る。


「リタ。ここで仕事をしないか」

「今、その話をするんですか」

「お前なら、私の先を作れる」


 欲しかった言葉に似ていた。


 似ているだけだった。


 私は母の手回し柄を、布の上で少しだけこちらへ向けた。


「先に、借りていた物を返すところからじゃないですか」


 父は長い間、柄を見ていた。


 そして、握っていた布の端を離した。


 母の柄は、布ごと私の手元へ残った。

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