第4話 痛いのは歯だけではない
壊れた道具には、壊れたときの力が残る。
溶けた三脚器具を作業台へ並べると、失敗は三つに分かれた。
三つに分ければ、失敗は少しだけ怖くなくなる。少なくとも、直す順番ができる。
一つ目。左脚は熱で溶けた。
二つ目。中心の刃は、白い岩壁まで削った。
三つ目。右脚は、熱を受ける前に真横へ折れた。
私は右脚を万力へ挟み、測定板と重ねた。
ヴァルドの顎が動く幅は、目盛り二つ分。
器具が曲げられた幅は、その五倍以上。
「勝手に動いたから失敗した」
口に出すと、正しいように聞こえた。
では、なぜ動いたのか。
作業台は答えなかった。
店の外を、荷車が何台も通っていく。町の人々が、山から遠い街道へ避難していた。
灰は昼の空を曇らせ、屋根を薄く白くしている。
店主が、壊れた扉から顔を出した。
「リタ、まだいたのか。西門へ行け」
「器具を直したら」
「山が噴いてるんだぞ」
「だから直すんです」
店主は、私の焦げた前掛けと赤くなった手を見た。
「何に手を出した」
「大きな虫歯です」
「熱で頭をやられたな」
否定しにくい。
「避難していてください。店の炉は私が落とします」
「一緒に来いと言ってる」
「この町が焼けたら、どこへ逃げても同じです」
店主は長く息を吐き、棚から火傷用の軟膏を取って、作業台へ置いた。
「扉の修理代は、あとで払え」
「請求先は王様です」
「熱が下がったら聞く」
彼はそれ以上止めず、西門へ走った。
私は軟膏を手へ塗り、器具を作り直した。
溶けた脚を太くする。炉で焼く。横から力を掛ける。
折れた。
材質を替える。二種類の鉄を重ねる。焼く。曲げる。
今度は根元が裂けた。
もっと太くすれば耐えるだろう。
ただし、虫歯の入口を通らない。
私は金槌を置いた。
母の革箱が、作業台の端にある。
蓋の裏の文字を見ないようにしていたのに、灰がひと筋、最初の一文へ落ちた。
『歯だけを見ないで』
「見た。ちゃんと見た」
穴の幅も、熱も、顎の動きも測った。
火山洞窟の周期も数えた。
四つ数えるたび、炎が膨らんだ。
ヴァルドの呼吸と同じ間隔だった。
刃を当てた瞬間だけ、その間隔が崩れた。
私は母の文に積もった灰を、指で拭った。
歯は見た。
道具も見た。
ヴァルドが何を感じたのかは、一度も聞いていない。
店を飛び出した。
町の中に竜王はいなかった。あの身体で人混みにいれば、隠す気があっても目立つ。
灰の上に残った大きな足跡を追い、町外れの石切り場へ向かった。
ヴァルドは、切り出された岩の上へ一人で座っていた。
人の姿のまま、右手で頬を押さえている。周囲の石は熱で赤くなり、彼の周りだけ、雪のように積もった灰が熱風に吹き払われていた。
「見つけました」
「帰れ」
「一つだけ聞きます」
「治療は許さぬ」
「どんなふうに痛みました」
ヴァルドが顔を上げた。
今までで一番、間の抜けた顔だった。
「何だと」
「刃を当てたときです。熱かった、冷たかった、響いた、引っ張られた。どれですか」
「今さら聞くのか」
「今まで聞かなかったから失敗しました」
認めると、腹の奥が痛んだ。
両手の火傷より、ずっと嫌な痛みだった。
「道具の熱だけが原因なら、右脚は横へ折れません。あなたが反射で顎を引いた。炎の周期も変わった」
「竜へ痛みを語れと言うか」
「患者なら」
「余は王だ」
「だから国が燃えています」
遠くで、山がもう一度鳴った。
ヴァルドの金色の目が、赤い稜線へ向く。
「弱みを隠して国を焼くのと、工具店員一人に話すの、どちらが王様らしいですか」
「貴様は、命が惜しくないのか」
「惜しいです。次は落ちない器具を作ります」
「そうではない」
ヴァルドの声が低くなった。
「余は一度、貴様の母を、余には追えぬ場所へ行かせた」
胸の内側が冷えた。
「母は、あなたの治療で死んだんですか」
「違う。余の歯ではない」
「では、何があったんです」
「今の貴様が知る必要はない」
「またそれですか」
腹は立った。
けれど、ヴァルドが治療を拒んだ理由は少し見えた。
私の腕を信用していないだけではない。
母の死が、ヴァルドを止めている。
「死なないために聞いています」
私は彼の前へしゃがんだ。
「教えてください。どう痛かったんですか」
長い沈黙のあと、ヴァルドは頬から手を離した。
「刃が触れた瞬間、牙の根から右目の奥へ熱が走った。息を止めた。次に吐こうとした炎が、行き場を失って内へ戻った」
「だから、四つの周期が崩れた」
「顎は勝手に引けた。余にも止められぬ」
測った数字が、ようやくヴァルドの痛みとつながった。
必要なのは、絶対に動かない器具ではない。
動いたときに、刃先が逃げる器具だ。
炎へ耐えるだけでは足りない。横へしなり、もとの形へ戻る材料がいる。
「竜の鱗は、炎で曲がりますか」
「曲がらぬ」
「横から押したら」
「受け流す」
「一枚ください」
「断る」
「国ごと買える額を払うんでしょう」
「余の鱗は売り物ではない」
「患者さんの提供品です」
ヴァルドは私をにらみつけた。
やがて、人の姿の腕を覆う黒鉄色の鱗を一枚浮かせ、指で引き抜いた。
鋭い縁が火傷した指へ当たらない向きに返してから、掌ほどの鱗を私の前へ落とす。
「二度はない」
「大切に使います」
気づかなかったことにして拾い上げ、指でたわませる。
鱗は熱を持っていたが、思ったよりもしなやかだった。手を離せば、すぐにもとの形へ戻る。
道具は嘘をつかない。
けれど、この材料は、ヴァルドが痛みを話さなければ手に入らなかった。
ヴァルドを連れて工具店へ戻り、炉の前へ立ってもらった。
私は鱗を、三枚の細い板と、入口の輪へ沿わせる縁材、補修用の薄片へ切り分ける。
「炎を弱く。四つ数えて吐いて、二つ休んでください」
「余をふいご扱いするな」
「患者兼、熱源です」
文句を言いながらも、ヴァルドは指示どおり炎を吐いた。
一度目は強すぎた。二度目は長すぎた。三度目で近づき、四度目で炎の幅も間隔もぴたりと揃った。
「今の炎、幅が一度もずれませんでした」
「褒めているつもりか」
「測定結果です」
「ならば正確に記録しておけ」
私は鱗を曲げ、失敗した三脚の根元へ組み込む。溶け残った脚は捨てず、刃が深く入りすぎないための案内へ作り替えた。
救出のときに歪んだ入口の輪へも、細く削った縁材を沿わせた。輪の内側を一周させ、もう一度、境目を固定できる形へ戻す。
夜になるころ、新しい器具は、横から押せばしなり、手を離せば中心へ戻るようになった。
母の革箱に残っていた接合材と、補修用の鱗の薄片も工具鞄へ入れた。黒いものを抜けても、穴を開けたままにはできない。
「二回は確認。三回引かれたら、すぐ止めます」
私は命綱の反対側を、ヴァルドへ渡した。
「痛みが走ったら、綱を三回。息を止める前に知らせてください」
「余へ痛いと合図させる気か」
「そうです」
「断れば」
「口を開けてもらえない人に、歯は治せません」
母の言葉を借りたつもりはなかった。
ヴァルドは気づいたらしい。
しばらく私を見たあと、椅子へ座った。
命令はしなかった。
ただ自分の手で命綱を握り、口を開けた。




