第48話 小さな箱を、二人で開ける
父へ会いに行く前に、私たちは箱を開けるため引き返した。
山岳輸送所へ帰り着いたのは、鉱王領を立ってから同日の午後のことだった。
ネッサは私たちの姿を認めるなり、壁に掛けられた木札を一枚動かした。
「到着、午後。荷、二つ。怪我は」
「ありません」
「疲労はある」
ヴァルドが余計な項目を付け足した。
「ずいぶん報告が細かくなりましたね」
「そなたが省くからだ」
修理場の作業机は、出発したときと同じ場所にあった。天板の焦げ跡も、片脚の下に挟まれた木片も。
私は工具箱を下ろし、鉱王の元にあった控えの写しを取り出して差し出した。
ネッサは視線を落とし、最後まで読み終えるまで何も訊いてこなかった。
「預かり品の閲覧ですね」
「はい。ヴァルドが預けた小金具と、私が取った炭写しを突き合わせたいんです」
輸送所の保管係が呼ばれた。
運び手会のネッサと輸送所の保管係が、それぞれ封の印を確かめ、預かっていた品を机の上へ揃える。私たちだけの都合では閲覧できない。二人が揃う手間が、今日はありがたかった。
蓋が持ち上げられる。
中にあるものは、思っていたより小さかった。
獣王の歯から出た薄片。その欠けた場所に収まっていた、四角い可動金具。ヴァルドが拾って、私にはただの罫書きだと言った物。
私は敷かれていた布ごと、手元へ引き寄せた。
二本の刻みがあった。
二本目だけが、少し短い。
見覚えのない印ではない。精霊王の歯から回収した留め金にも、似たような加工があった。かつての家に残されていた、父の手仕事にも。
それでも、ここにあることを知らされていなかった。
「見たんですね。あのとき」
「見た」
「似ているだけ、じゃなくて?」
「似ていると分かった。誰が作ったかまでは、分からぬ」
私は金具を作業台へ置いた。
「そこまでなら、そう言ってほしかったです」
ヴァルドからの返答はなかった。
私は炭写しの紙を広げ、欠けた輪郭へ金具を重ねた。合う。捨てた部品ではなく、あの薄片の一部だと、ようやく自分の目で確かめられた。
父が作ったのか。父の古い部品を誰かが使ったのか。
金具は、どちらとも言わない。
私は鉱王の控えを隣へ置いた。こちらには名前がある。日付も、修理の窓口もある。けれど、作業した人をドルガが直接見たわけではない。
足りないところを、頭の中の父で埋めるのは簡単だった。
怖いほど簡単だった。
「その場所へ行けば、本人に会えるとは限らない」
ネッサが言った。
「分かってます」
「なら、帰りの連絡先を」
彼女は白い紙を一枚置いた。行くなでも、行けでもない。戻る道の話だった。
私は製粉所の場所を書き込み、明日の夕暮れまでに一度連絡を入れる旨を書き留めた。もしそこまで辿り着けなかったとしても、途中の輸送所から状況を知らせる。
ヴァルドが私の隣へ腰を下ろした。
「余は工房へ近づくだけで、相手を逃がすかもしれぬ」
「大きいから?」
「竜王だからだ」
私はほんの少しだけ笑ってしまった。
笑ったあと、急に喉が詰まった。
父が生きているかもしれない。
今まで何度も考えたはずのことが、行き先を書いた途端、急に明日のことになった。
「会ったら、何を言えばいいと思いますか」
聞いてから、取り消したくなった。ヴァルドは父の代わりではないし、私の返事を決める人でもない。
彼はしばらくの間、作業台の小さな金具を見つめていた。
「最初の言葉を間違えても、帰ってきてよい」
「答えになってません」
「余にも分からぬ」
それだけだった。
分からないと言われて、少しだけ息ができた。
ネッサが紙を受け取り、保管係と閲覧した品を照合する。小金具はここに残す。私は輪郭と刻みを写し、閲覧した日付を入れた。鉱王から回収した膜と金具も、別の容器で預けた。
父に見せるために全部持っていけば、なくしたときに確かめる物が何も残らない。
箱の蓋が閉じる。
今度は、中に何があるかを知っていた。
修理場を出ると、ヴァルドが私へ布包みを渡した。
「何ですか」
「食え」
「中身を聞いてます」
「パンだ」
包みを解くと、柔らかなパンが二つ入っていた。
鉱王に合わせて食べた昨日の粥だけでは、足りなかったらしい。私の腹が返事をした。
「立派な報告だな」
「今のは記録しないでください」
ヴァルドは自分の包みも開けた。
並んで食べていると、ネッサが扉から顔を出した。北へ戻る便で、穀物の荷が一つ減ったという。精霊王領の畑は季節が戻っても、収穫まで待たなければならない。港へ届く荷も足りていないらしい。
「道は直っているんですよね」
「通れます。運ぶ中身が揃わないだけです」
私はパンを見た。
鉱王が赤い線を引いた道にも、その先の食事がつながっていた。
「今夜は休んでください。出発は朝です」
ネッサはそう言って戻っていった。
私は残りのパンを包み直そうとして、やめた。明日のために取っておくより、今食べたほうがいい。
ヴァルドが、最後のひとかけを口へ入れる私を見ていた。
「明日、入口までは一緒に来てください」
「中へは」
「まず相手を見てから決めます。でも、黙って置いていかないで」
彼は頷いた。
帰りの紙には、二人の名前が並んでいる。
私は父の名前がある写しを折り、その紙とは別の場所へしまった。




