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竜王の歯医者ですが、虫歯一本がダンジョンになっています  作者: sakumaaa
第六章 鉱王の消える坑道

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第45話 王様が捨てる一本

 閉じる坑道に、赤い線を引く。

 それだけの作業なのに、筆はなかなか進まなかった。


「これは、俺が開けた道だ」


 ドルガの指が、図の一番奥に置かれている。ミラはその指を避け、残る二本の道をなぞった。


「ここを残すと、交代所までの支えが足りない」

「石はまだ出る」

「出せる人が帰れなくなる」


 ドルガは黙り込んだ。


 私は作業台で細い金具を曲げていた。話を聞かないためではない。聞いていると何か言いたくなってしまうので、手を動かしていたのだ。


 閉じればいい。休めばいい。

 そんな簡単な言葉を口にする役なら、私でなくても足りている。


 診察場へ、白い髭の坑夫が入ってきた。帽子を胸に抱え、足元の粉を払う。ミラが呼んだ、第三坑の現場をまとめている人だった。


「奥を捨てる話だと聞きました」


 ドルガの指が動いた。


「まだ決めてはいない」

「では、先に飯の数を。今日明日の分なら倉にあります。ですが、一冬越す分はありません」


 坑夫は脅すような口調ではなく、人数を淡々と確かめるような声で続ける。


「入口の二本を残せれば、荷は減っても運び出せます。奥を支えている木材を、帰り道へ使いたい」

「……奥の石は、価値が高い」

「ええ。ですから、皆そっちへ向かいます」


 王はその答えを聞いて、ようやく図面から手を引いた。


 ミラが地図へ指を置く。帰り道の途中に、細い首のように狭まった場所があった。


「奥の重みは、ここに返ってくる。歯の留め具を緩めると、ここが先に下がる」

「閉じたらどうなる」

「人も荷も運び出して、下がる場所をあらかじめ空けておく。手前の二本は、別の柱で支える」


 すべてを持ち上げるのではなく、落ちてもいい場所を作る。

 私は曲げかけていた金具を置いた。


「歯も同じようにできるかもしれません。傷んだ場所へすべての力を集めず、残す道の分だけ受け止めるようにするんです」

「奥を捨てたとして、治るのか」


 ドルガの目が私へ向く。


「それだけでは治りません。黒い筋と留め具を調べて、傷んだところも支え直す必要があります。奥の道を失っても、失敗する可能性はあります」


 坑夫の抱えた帽子が、胸の前でわずかに潰れた。

 言わないほうが話は早く進む。一瞬でもそう思ってしまった自分が、嫌だった。


「……それは、書類には書いてなかったな」


 ドルガが依頼書の束を見る。


「書く欄が足りませんでした」

「二十八枚だぞ」

「枚数の問題じゃなかったみたいです」


 王の口元がかすかに動いた。笑ったのか、痛みを堪えたのかは分からなかった。


 ヴァルドは壁際で黙り込んでいた。彼なら、今ここで鉱山の石を買い上げると約束できるのかもしれない。けれど、何も言わなかった。

 私も頼まなかった。治すための判断を、よその王が全部買ってしまっていいとは思えなかった。


 ドルガが赤い筆を取った。

 一番奥の道へ、短い線を引く。

 途中で手が止まり、筆先から赤い色が丸く滲んだ。


「この先に、まだ道具がある」

「取りに戻るのは、今の支えで行ける場所までです」

 ミラが言った。

「その先は、残します」


 私は工具鞄の取っ手を握りしめた。

 もし自分の道具だったら、同じことをすぐ言えただろうか。


 ドルガは筆を進めた。道具の印も、鉱脈の印も、赤い線の向こう側へと取り残される。


「閉鎖する。俺の判断だ」

「私の測量でも必要です」

「現場も、その案で動きます」


 王だけの声で終わらなかった。


 白い髭の坑夫が帽子を被り直す。ミラと並んで外へ向かう背中を見送り、私は手元の留め金へ意識を戻した。


 新しい支えは、長い穴をただ真似ただけでは足りない。

 滑り始めたところで一段止まり、それ以上は勝手に進まない。患者が力を緩めたとき、次の一段へ下ろせるような形にしたい。

 荷車の歯止めを、小さく作るようなものだった。


 ドルガが腕を差し出してきた。


「材料は、これでいいか」


 作業着をまくった肘のあたりに、薄く浮いた石皮がある。古い補修に使われていたものと同じ色合いだった。


「剥がしても痛くないところだけにしてください」

「ここは、もう剥がれる」


 彼は自分で縁を摘まみ、薄片を外した。下の皮膚は傷ついていない。私は布で受け取り、指先で反りを確かめた。


 患者の材料を、患者の前で削る。

 ドルガはじっと手元を見ていたが、急かすようなことは言わなかった。


 夕方になる前に、ミラが戻ってきた。

 最奥の区画から、人と運べる荷物を出し終えたという。王の支えを緩めるのはまだ先で、入口に近い二本へ柱を入れる作業が続いているとのことだった。


 その間に、私は段のついた小さな留め具を三度作り直した。

 一つ目は滑らない。二つ目は滑りすぎる。三つ目は、止まるたびに嫌な音がした。


「いい音ではないな」


 ヴァルドが言う。


「耳は正常です」

「道具の話をしておる」


 最後の一枚を薄く削ろうとすると、ミラがやすりの上へ指を置いた。


「薄くするより、受ける面を広げたら」


 私は手を止めた。

 細く作ろうとして力を受ける面を減らしてしまう。最初の鏡で、同じ失敗をしたことがあった。


「……それでいきます」


 試作品の横へ、新しい幅の線を引き直した。

 今度は、一段ずつ止まった。


 夜に入るころ、坑口から低い合図が届いた。残す二本の支えが揃った知らせだった。


 ドルガは赤い線のある図を畳まず、椅子の隣へ置いた。


「始めてくれ」

「途中で止めるかもしれません」

「俺もだ」


 白い停止石を持つ指が、さっきより少し開いていた。

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