第43話 帰り道から、先に作る
竜王を柱の代わりに使うと、材料費より先に文句が増える。
「そろそろ別の柱を寄越せ」
坑口まで出た私へ、ヴァルドが言った。
人の姿のまま、突き出た岩の張り出しに両手を当てている。その下では坑夫たちが長い木材を組み、外から槌で打ち込んでいた。私は入口の柵の手前で足を止める。
「疲れました?」
「靴に石が入った」
「大事ですね」
「そうだ」
足を動かせば、支えている角度まで変わってしまうらしい。世界最強にも、靴を脱げない事情がある。
ミラが木材の根元に印をつけた。坑夫が槌を置くと、彼女が頷く。ヴァルドは一度に手を離さず、片手ずつ慎重に力を抜いた。
木材が短く軋んだ。
誰も動かない。
音が止まり、ミラがもう一度根元を測る。
「沈みなし。今、確認」
ヴァルドはようやく片足を上げた。靴の中から転がり出たのは、小指の爪より小さな小石だった。
「踏み潰さなかったんですね」
「靴まで潰れる」
拾っておこうとしたら、睨まれた。記念品には向かない石だったらしい。
診察場へ戻ると、ドルガはコップを両手で持っていた。水はまだ半分残っている。
「当面は保つ。ただし採掘を再開すれば別だ」
ミラの報告に、ドルガは頷いた。
私は古い留め金と納品票を、作業台の明るい場所へ移す。ヴァルドも背後から覗き込んできた。
「また、あの工房か」
「印は同じ名前です。でも、中で何が起きているかはまだ分かりません」
折れていたという報告と、曲がったまま残っていた部品。その食い違いの理由まで、印ひとつで片づけるわけにはいかない。
私は廃材の箱から薄い板を二枚選んだ。重ねた板に丸い穴を開け、一本の鋲で留める。もう一組には、細長い穴を開けた。
「壊すのか」
「見せるだけです」
ドルガが机の端を空けてくれた。
私は丸穴の板を曲げた。二枚はずれることなく、一緒にしなる。さらに力を強めると、鋲の脇で木の繊維が白く裂けた。
次に、長穴の板を曲げる。
こちらは上の板が少し滑った。木は裂けない。その代わり、最初に置いた位置から板の端がはみ出してしまう。
「強く留めれば、位置はずれません。でも、そのぶん力を逃がす場所がなくなります」
「緩めれば、天井が下がるな」
「はい。ただ勝手に滑るだけでも困るんです」
古い形に戻す。それだけで済むなら楽だった。
私は滑り出た板の下に端材を差し込み、もう一度押してみた。今度は端材ごと倒れてしまう。机から落ちる寸前、ドルガの大きな手が板を受け止めてくれた。
「下がる先も支えねばならん、ということか」
「その仕事は、皆さんに頼みたいんです」
ミラが机の空いたところへ、実際の坑道の断面図を引いた。歯の中の図ではない。今のところ、線は動かなかった。
古い坑道をすべて支えるには、木材も人手も足りないという。
「まず、診察中の退路を確保します。それを作ってから、治療の場所を決めましょう」
私は木の板を脇へ寄せ、布の上に入口の輪を置いた。
前回の命綱は、鉄杭ごと内側へ引き込まれてしまった。どれほど強固に結んでも、結んだ足場ごと移動してしまえば意味がない。
輪の縁には、白い石の粉が噛み込んでいた。歪み自体は小さい。留め具を回すと、途中でわずかに重くなる。
母の道具であっても、働かせれば汚れる。
針で粉を掻き出し、縁の状態を確かめる。その間に、ミラが細い鉄棒を二本持ってきた。
「これで口を開けたまま固定するのか」
「歯ごとこじ開けるのは、やめておきます」
私は古い留め金の長穴を測り、同じ長さの穴を薄い鉄の端材へ開けた。古い留め金は納品票と一緒に布へ戻す。新しい留め具へ二本の棒を通し、片方は輪の外側へ固定した。もう片方だけが長穴に沿って動く。
入口を無理に広げる道具ではなく、狭くなったことを外へ知らせる道具なら作れる。
「動くほうの棒は、丸めた先だけを境界の内側へ入れます。内側の壁が押してきたら、外の印が動くように」
荷車用の余っていた細綱を、動く棒の端へ結んだ。輪の外側を通して、端に白い布切れを吊るす。
ミラが動く棒を押すと、吊るした布が持ち上がった。
「見えますか?」
「余に聞いておるのか」
「外に残る人ですから」
「……見えている」
ヴァルドは不満そうに、私が仕立てた小さな布を見つめた。国旗ほど大きくする予定はない。
命綱の外側の端は、次に入るとき、診察場の床へ固定されている椅子の台座へ結ぶ。境界に近い石には打ち込まない。その綱の途中を、ヴァルドに握ってもらう。
それでも、壁が閉じること自体を止められるわけではなかった。
「布が動いたら、すぐ戻る」
「内側へ合図も出す。これが動かぬ場合は、綱の手応えとドルガの様子を見る」
ヴァルドが言った。私は頷き、白い布の端へ小さな結び目をひとつ足した。薄暗い場所でも、指先で触れれば分かるように。
完成、とはまだ書かない。
工具鞄の口に輪を立て、閉じる壁に見立てた板をミラへ渡す。私が鞄へ手を入れ、彼女が板を押した。
布が持ち上がる。
手を引き抜こうとした瞬間、袖が引っ掛かった。
「止めて」
ミラの動きが止まる。輪に取りつけた綱の端が、袖の折り返しを拾っていた。
私は黙って袖を外す。
「本番前でよかったな」
ヴァルドが言った。
「今、心からそう思ってます」
綱の結び目を外側へ移し、余った部分を短く巻き込む。同じ試験を繰り返した。今度は引っ掛からない。動く棒を斜めから押すと布が上がらない向きがあることも分かったため、ミラが固定側の棒の位置を微調整した。
彼女が手を加えた構造のほうが、私の最初の案より無駄がなく細い。
「それ、採用します」
「では、ここは削る」
私の返事を待っていたやすりが、迷いなく動いた。
以前の私なら、差し出された手を見る前に、自分の道具を引き寄せていた気がする。けれど今日は、その手が空くのを待って、隣へ替えのやすりを置いた。
ドルガがコップを机へ戻す。
「今度は、どこまで入る気だ」
「新しい留め具を見つけて、状態を確認するところまでです。外したりはしません」
「停止石は持っておく」
ドルガは白い石を自分で手に取った。
「戻れと言う前にも、落とすかもしれん」
「そのための石ですから」
ドルガはしばらく自分の掌を見つめていたが、今度は握り潰すような持ち方はしなかった。
私は持っていく工具を数え、切削刃と接合材は机へ残した。
小さな布に、長穴の留め具、二本の棒。できあがった新しい道具は、一見すると洗濯物干しに似ている。
「名前は」
ヴァルドが尋ねてきた。
「帰る目印です」
「もう少し何とかならぬのか」
「呼んでいる間に帰れなくなるような名前は嫌です」
ミラが輪を持ち上げた。留め具を動かしてみても、今度は途中で引っ掛かることはない。
ドルガが静かに口を開く。
私はすぐには踏み込まず、外の白い布へ、一度だけそっと指を触れた。
治す道具を作るより前に、まず、無事に帰るための道具ができた。




