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竜王の歯医者ですが、虫歯一本がダンジョンになっています  作者: sakumaaa
第五章 守るための決裂

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第33話 口を開けない患者を、外から測る

 空を飛ぶ患者を測るには、三つ要る。


 長い綱。


 落ちない足場。


 それから、自分は空へ落ちたことがあるという事実を忘れる能力だ。


 三つ目だけ、用意できなかった。


「顔色が悪い」


 試験塔の縁で、ネッサが言った。


「高いところは平気です」


「手すりを両手で握っている」


「逃げないようにしてるだけです」


「何から」


「主に地面から」


 塔の外では、ヴェラが荷台を空にして待っていた。右の顎帯には紙の目盛りを貼ってある。前脚の付け根、翼の骨、顎帯。その三か所から細い糸を塔へ引き、動けば縁の木針が振れるようにした。


 歯へは触れない。


 口も開けない。


 記録は輸送所に置き、共有先は後で決める。


 始める前に、三つともヴェラへ読み上げた。


「違ったら、今止めてください」


「合っている。北へ二周、空荷、六分」


「痛んだら?」


「戻る」


「すぐに?」


「遅れが七分になる前に」


「それはすぐですか」


 ヴェラは答えず、翼を開いた。ネッサが壁の木札を一枚、裏返す。試験中。発着停止。


「飛べ」


 赤褐色の身体が塔を離れた。


 私は縁から手を離さなかった。眼下に空荷のヴェラ。頭上ではない。横へ広がる空だ。三本の糸は、彼女の前脚、翼、右顎から、私の足元の木針まで一直線に伸びている。糸が緩む位置、張る位置、針が傾く向き。測るものはそれだけにした。


 一周目。


 前脚の針と翼の針は、同じ幅で往復した。顎の針だけが、右へ曲がる瞬間に遅れた。紙目盛りはまだ読めない。読めるのは針の遅れだけだった。


 二周目。


 向かい風へ入る。ヴェラが右の翼を強く打った。


 三本の糸がいっせいに張り、顎の針が二節ぶん跳ねる。右帯が顎を上へ引く。その反動で、ヴェラは口を閉じたまま強く噛んでいた。翼拍のたびに、右奥へ偏った荷重が乗っている。外から見える連鎖は、そこまでだった。


「ヴェラ、戻って!」


 翼がもう一度動く。


「戻ってください!」


 彼女は塔を半周し、着地した。六分の予定に対して、三分十二息。止まるには十分早い。


 私がそう数えていること自体、少し嫌だった。


「右へ曲がるたび、噛みしめています」


「そうしないと翼が下がる」


「歯で飛んでるんですか」


「顎を固めれば首がぶれない」


 ヴェラにとっては、運行の一部らしい。


 私は木針の記録を並べた。右前脚が出る。翼が打つ。顎帯が上がる。口を強く閉じる。順番は一つにつながっている。


「帯を短くしたのは、首のぶれを止めるためですね」


「北峠の七分が三分になった」


「その代わり、歯へ毎回力を入れた」


「荷は届いた」


「歯が壊れたら、次は届きません」


 ヴェラの舌が、内側から金具へ触れた。音はしなかった。


「最初に右奥が痛んだのは、いつですか」


「北峠で七分遅れた日」


「その日の、飛ぶ前ですか。途中ですか。着いた後ですか」


「……覚えていない」


 五村の受取人も、風の変わる場所も、荷の重さも覚えている竜が、自分の痛みの始まりだけを覚えていなかった。違う。忘れたのではない。運行単位に、入れていなかった。


「口を見せてください」と言いかけ、止めた。


 同じ言葉でも、今は理由が違う。だから、頼み方も変えなければいけない。


「私が確認したいのは右奥歯一本です。鏡だけ。削りません。触りません。見えた内容は、まずあなたに話します」


「記録は」


「作ります。でも輸送所から出すかは、別に決める」


「飛行停止は」


「私は決めない。あなたとネッサが、代わりの便を作れるか先に確かめる」


 ネッサが口を挟んだ。


「代わりはない」


「今は、でしょう」


「一頭で五路線。空きはない」


「一頭の代わりを、一頭で探すからです」


 壁には、荷運び人、山羊車、小型竜、滑車便の木札が並んでいる。どれもヴェラと同じ仕事はできない。同じ仕事を、全部させようとすれば、空きは出ない。


「五本を分けます。崖を越える区間と、村まで運ぶ区間。薬と塩も同じ速さでなくていい」


 ネッサの指が木札の上で止まった。


 ヴェラは時計を見た。


「あと十一分」


「何がです」


「南棚便。遅らせれば包帯が午後になる」


 私は道具鞄を見た。可動鏡は封印された箱の中だ。普通の手鏡なら店にある。竜の奥歯を見るには短すぎる。私一人では、十一分で鏡も代替便も作れない。以前なら、作れると言ったかもしれない。


「ネッサ。運行を分けてください」


「あなたは?」


「鏡を作る。工具店へ助けを頼みます」


「誰に」


 店主の顔が浮かんだ。次に、獣王領で革を生き物の呼吸へ合わせた装具師の手が浮かぶ。


「二人です」


 自分の口から出た数に、少し驚いた。


 ヴェラが顎を下げる。


「代わりができたら、右奥一本。鏡だけ」


「はい」


「削らない」


「はい」


「先に私へ話す」


「約束します」


 診察の許可は、口を開けることではなかった。どこまで開けるかを、患者自身が決めることだった。


 残り十一分。


 私は初めて、自分の工具を作る前に、他人へ助けを求めに走った。

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