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竜王の歯医者ですが、虫歯一本がダンジョンになっています  作者: sakumaaa
第五章 守るための決裂

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第32話 痛みは、七分の遅れで答えられた

 顎帯の裂け目へ、細い紙を当てた。


 右は穴が七つ。左は四つ。右側だけ、元の穴と穴のあいだへ新しい穴が開けられている。革を短く締めるための穴だ。紙は裂け目の縁に吸い付き、風のない輸送所の朝に、ごく薄い音を立てた。


 痛みを数字で聞くと、患者はだいたい困る。小さい、普通、大きい。夜も眠れないものを、その三つの箱へ押し込めろと言われても無理がある。だから私は、箱をやめた。


「いつ痛みますか」


「北峠で七分」


「時刻ではなく」


「東谷なら五分。南棚は向かい風で九分」


 ヴェラは真面目に答えていた。困った。


「噛んだとき、飛んだとき、休んでいるとき。どれです」


「飛べば遅れる」


「痛むから?」


「右へ傾くからだ」


「痛むから右へ傾く?」


「右へ傾くから痛む」


 一周した。


 私は紙を外し、裂け目の幅だけを記録板へ写した。言葉が通らないなら、測り方を変えるしかない。いま測れているのは革の傷だけだった。


「右を短くしたのは誰ですか」


「私」


「最初はいつ」


「北峠で七分遅れた日」


「何日前」


 ヴェラが黙った。


 壁際で、木札が小さく鳴る。ネッサは返事の代わりに、薄い帳面を一冊、差し出した。到着時刻の記録だった。


 三か月前までは、五本の線が予定の線へ重なっている。その次の週、北峠が七分遅れた。翌週は東谷が五分。次に南棚が九分。遅れは日ごとに積み上がったわけではない。向かい風と、荷の重さと、右へ曲がる回数に合わせて、増えたり戻ったりしていた。


「これ、最初から見せてもらえませんでした?」


「顎帯修理に到着帳は要らない」


「要りました」


 ネッサは帳面の余白へ、一本線を引いた。


「今から要る物になった」


 謝る気はないらしい。代わりに、必要だと分かれば出す。職人としては信用できる。話し相手としては、少し腹が立つ。


 帳面の線は運行の穴を示していた。ヴェラの身体は、そのどの欄にも書いていない。痛みの始点を本人が数えていないのではなく、数え方そのものが、到着の遅れになっていただけだった。


 私は質問の尺度を変えた。


「ヴェラ。少し歩けますか」


「飛ぶほうが速い」


「歩いてください」


「何分」


「決めません。痛みが出たら止まります」


 彼女は気に入らなそうに、鼻から息を吐いた。輸送所の床には、荷車用の白い線がある。私はその上をまっすぐ歩いてもらった。


 一歩。二歩。三歩。


 右前脚が出ると、顎帯の留め金が上へ動く。左前脚では戻る。七歩目で、右の翼がわずかに開いた。


「今、痛みました?」


「北峠なら七分遅れる」


「はい、でいいです」


「はい」


 ようやく一つ通じた。口の中は見ていない。それでも、右前脚と右翼と右顎が、同じ瞬間に引かれることは分かった。


 私は節付き測り針を取り出しかけ、止めた。これは歯を測る道具だ。外側へ当てることはできる。けれどヴェラが許したのは、顎帯の修理だけだった。


「顎の動きを測ってもいいですか。口は開けません。記録はここだけに置きます」


「王都へ出さない?」


「あなたが同意しない限りは」


「飛行停止を命じない?」


「私は王様ではありません」


 言ってから、胸の奥が少し痛んだ。王様なら命じられる。命じられるのに、ここにはいない。そのことに安心したのか、腹が立ったのか、自分でも分からなかった。


 ヴェラは顎帯の金具を、舌で一度だけ鳴らした。


「外だけ。記録はここ。十五分」


「二十分ください」


「十八分」


「患者さんが値切るところではありません」


「十八分で北棚の積み替えが終わる」


 時間が三人のあいだで引き合った。ネッサが壁の木札を一枚、下へ移す。札の縁が、先ほどの帳面と同じ音を立てた。


「二十分。北棚は私が二分持つ」


 ヴェラが初めて、時計以外のものを見た。ネッサを見る。それから、私へ顎を下げた。


「二十分」


 限定の合意だった。外だけ。記録は輸送所。二十分。


 私は節付き測り針の先へ柔らかい布を巻いた。金属が皮膚を傷つけないよう、結び目を外へ向ける。右の顎帯の下へ差し入れ、歩行に合わせて一節ずつ動きを測る。


 一歩目。二節。


 三歩目。三節。


 七歩目。


 針は四節を越え、右の奥だけ急に沈んだ。その瞬間、ヴェラの翼が開く。顎帯の裂け目が、また紙一枚ぶん伸びた。


「止まって」


 彼女は止まった。今度は、七分もかからなかった。


「右帯を短くしたせいで、歩くたび奥へ力が集まっています」


「短くする前から遅れた」


「はい。だから帯だけが原因ではない。でも帯が、原因を大きくしています」


「直せる?」


「帯は」


「歯は?」


 私は答えなかった。見ていないものを、直せるとは言えない。


 ネッサが到着帳を閉じる。


「三か月。五路線で、合計十一刻と七分」


 ヴェラの首がわずかに動いた。


「荷は全部届いた」


「届いた。遅れも全部残った」


 痛みは言葉にならなかった。代わりに、帳面の中で十一刻と七分に育っていた。顎帯だけを新品にすれば、その時間は一度隠れる。そして次は、革ではなく、まだ見ていない右奥が裂けるかもしれない。


「ヴェラ。もう一つだけ、許可が要ります」


「口は開けない」


「分かっています。飛ぶところを見せてください」


 ヴェラとネッサが同時に、屋根の外を見た。空には、北峠へ向かう強い横風が吹き始めていた。

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