第32話 痛みは、七分の遅れで答えられた
顎帯の裂け目へ、細い紙を当てた。
右は穴が七つ。左は四つ。右側だけ、元の穴と穴のあいだへ新しい穴が開けられている。革を短く締めるための穴だ。紙は裂け目の縁に吸い付き、風のない輸送所の朝に、ごく薄い音を立てた。
痛みを数字で聞くと、患者はだいたい困る。小さい、普通、大きい。夜も眠れないものを、その三つの箱へ押し込めろと言われても無理がある。だから私は、箱をやめた。
「いつ痛みますか」
「北峠で七分」
「時刻ではなく」
「東谷なら五分。南棚は向かい風で九分」
ヴェラは真面目に答えていた。困った。
「噛んだとき、飛んだとき、休んでいるとき。どれです」
「飛べば遅れる」
「痛むから?」
「右へ傾くからだ」
「痛むから右へ傾く?」
「右へ傾くから痛む」
一周した。
私は紙を外し、裂け目の幅だけを記録板へ写した。言葉が通らないなら、測り方を変えるしかない。いま測れているのは革の傷だけだった。
「右を短くしたのは誰ですか」
「私」
「最初はいつ」
「北峠で七分遅れた日」
「何日前」
ヴェラが黙った。
壁際で、木札が小さく鳴る。ネッサは返事の代わりに、薄い帳面を一冊、差し出した。到着時刻の記録だった。
三か月前までは、五本の線が予定の線へ重なっている。その次の週、北峠が七分遅れた。翌週は東谷が五分。次に南棚が九分。遅れは日ごとに積み上がったわけではない。向かい風と、荷の重さと、右へ曲がる回数に合わせて、増えたり戻ったりしていた。
「これ、最初から見せてもらえませんでした?」
「顎帯修理に到着帳は要らない」
「要りました」
ネッサは帳面の余白へ、一本線を引いた。
「今から要る物になった」
謝る気はないらしい。代わりに、必要だと分かれば出す。職人としては信用できる。話し相手としては、少し腹が立つ。
帳面の線は運行の穴を示していた。ヴェラの身体は、そのどの欄にも書いていない。痛みの始点を本人が数えていないのではなく、数え方そのものが、到着の遅れになっていただけだった。
私は質問の尺度を変えた。
「ヴェラ。少し歩けますか」
「飛ぶほうが速い」
「歩いてください」
「何分」
「決めません。痛みが出たら止まります」
彼女は気に入らなそうに、鼻から息を吐いた。輸送所の床には、荷車用の白い線がある。私はその上をまっすぐ歩いてもらった。
一歩。二歩。三歩。
右前脚が出ると、顎帯の留め金が上へ動く。左前脚では戻る。七歩目で、右の翼がわずかに開いた。
「今、痛みました?」
「北峠なら七分遅れる」
「はい、でいいです」
「はい」
ようやく一つ通じた。口の中は見ていない。それでも、右前脚と右翼と右顎が、同じ瞬間に引かれることは分かった。
私は節付き測り針を取り出しかけ、止めた。これは歯を測る道具だ。外側へ当てることはできる。けれどヴェラが許したのは、顎帯の修理だけだった。
「顎の動きを測ってもいいですか。口は開けません。記録はここだけに置きます」
「王都へ出さない?」
「あなたが同意しない限りは」
「飛行停止を命じない?」
「私は王様ではありません」
言ってから、胸の奥が少し痛んだ。王様なら命じられる。命じられるのに、ここにはいない。そのことに安心したのか、腹が立ったのか、自分でも分からなかった。
ヴェラは顎帯の金具を、舌で一度だけ鳴らした。
「外だけ。記録はここ。十五分」
「二十分ください」
「十八分」
「患者さんが値切るところではありません」
「十八分で北棚の積み替えが終わる」
時間が三人のあいだで引き合った。ネッサが壁の木札を一枚、下へ移す。札の縁が、先ほどの帳面と同じ音を立てた。
「二十分。北棚は私が二分持つ」
ヴェラが初めて、時計以外のものを見た。ネッサを見る。それから、私へ顎を下げた。
「二十分」
限定の合意だった。外だけ。記録は輸送所。二十分。
私は節付き測り針の先へ柔らかい布を巻いた。金属が皮膚を傷つけないよう、結び目を外へ向ける。右の顎帯の下へ差し入れ、歩行に合わせて一節ずつ動きを測る。
一歩目。二節。
三歩目。三節。
七歩目。
針は四節を越え、右の奥だけ急に沈んだ。その瞬間、ヴェラの翼が開く。顎帯の裂け目が、また紙一枚ぶん伸びた。
「止まって」
彼女は止まった。今度は、七分もかからなかった。
「右帯を短くしたせいで、歩くたび奥へ力が集まっています」
「短くする前から遅れた」
「はい。だから帯だけが原因ではない。でも帯が、原因を大きくしています」
「直せる?」
「帯は」
「歯は?」
私は答えなかった。見ていないものを、直せるとは言えない。
ネッサが到着帳を閉じる。
「三か月。五路線で、合計十一刻と七分」
ヴェラの首がわずかに動いた。
「荷は全部届いた」
「届いた。遅れも全部残った」
痛みは言葉にならなかった。代わりに、帳面の中で十一刻と七分に育っていた。顎帯だけを新品にすれば、その時間は一度隠れる。そして次は、革ではなく、まだ見ていない右奥が裂けるかもしれない。
「ヴェラ。もう一つだけ、許可が要ります」
「口は開けない」
「分かっています。飛ぶところを見せてください」
ヴェラとネッサが同時に、屋根の外を見た。空には、北峠へ向かう強い横風が吹き始めていた。




