第29話 隠した物も、記録に残す
護送対象という四文字は、工具名より始末が悪かった。
工具なら用途を確かめられる。間違っていれば、作り直せる。
けれど宛札は、私へ何も聞かずに私の用途を決めていた。
私は荷車の縄を切らず、結び目へ細い測り針を差し込んだ。輪を一つ浮かせ、引き、戻す。私がいつも使う結び方なら、どこへ力を掛ければほどけるかも知っている。
「何をしておる」
「荷の確認です。私の工具なので」
ヴァルドが一歩近づいた。荷造り場の端では、護送役らしい二人が王家の封蝋を温めている。箱の口が閉じれば、私でも勝手には開けられない。
「確認は済んでおる。鏡、若葉、替え刃、接合材、細綱。目録とも合う」
「入口の輪と節付き測り針が抜けています」
「余が持つ」
「患者が工具を持って、歯医者だけ帰るんですか」
「次の患者は決まっておらぬ」
次の患者がいないことと、診られない状態へすることは違う。
私は縄をもう一つ緩めた。中央箱の下へさっきつけた逃げ留めが見える。横から強い力が来たとき、革が裂け、箱だけを荷台の下へ逃がす仕組みだ。
試しに留めを引く。
箱は落ちた。
ただし、半分だけだった。
ヴァルドが追加した太い革が、箱の取っ手を屋根柱へ縛っている。私の逃げ道を、彼の安全策が止めていた。
「横転したら、箱が柱に引かれて割れます」
「落ちた箱がそなたの足を打つよりよい」
「足を避ける場所まで決めて作りました」
「そなたは作業を始めると、己を数から外す」
正しい。
正しいから、余計に腹が立つ。
私は太い革を外さず、屋根柱の根元へ炭棒を一本立てた。荷車を横へ揺らす。箱は逃げず、取っ手が柱を引いた。炭棒が倒れる。
「一回で失敗です。私の足を守るなら、逃げ留めを長くして、箱が荷台の下へ落ちてから止めます」
失敗した革を一本足した。もう一度引く。箱は地面へ落ちず、荷台の下でぶら下がった。炭棒は立ったままだった。
「これなら足も工具も守れます」
ヴァルドは反論しなかった。護送役へ顎を引き、封蝋を待たせる。
私の仕事が正しければ、彼は止めない。
私がどこへ行くかだけは、止める。
中央箱を開け、入口の輪と節付き測り針を取り出した。腰の革へ差す。その下に、歯色の薄片を収めた証拠受けがあった。
四角い空白は、朝と同じ形で残っている。
「これも王都へ持っていくんですね」
「余が調べる」
「何と比べるんですか」
「そなたが知る必要はない」
答えが変わった。
罫書きの跡だったはずのものが、知らなくていい何かになった。
私は証拠受けを抱え、休み囲いの裏へ回った。
デルクは監視役の前で、昨日折れた柵の留めを直していた。浅い傷のある腕で板を押さえ、片手で鋲を回している。私を見ると、視線だけを証拠受けへ落とした。
「薄片の裏から落ちた物を見ましたか」
「見た」
「形は」
「爪ほどの四角い金具だ。薄片の爪と一緒に動くよう付いていた」
「誰が拾いました」
デルクは荷造り場を指した。
「竜王だ」
ヴァルドは、すぐ後ろにいた。
隠れて聞くような人ではない。隠すと決めたまま、正面から立っていた。
「見せてください」
「ならぬ」
「治療で回収した証拠です」
「ゆえに危険を判断できる者が持つ」
「私は判断できないと?」
「そなたは危険だと知れば、測りに行く」
否定できなかった。
未知の壊れ方を見れば、なぜかを知りたくなる。患者がいるなら、なおさらだ。
でも、それは見せなくていい理由にはならない。
私は記録板を出した。歯色の薄片。三本の爪。四角い欠落。外れた可動金具、一個。
薄片へ薄紙を当て、柔らかな炭を横へ寝かせてこすった。三本の爪は濃く、四角い空白の縁は細く写る。紙をずらして二度目を取ると、片側だけ半円の擦れが出た。
外れた金具は、飾りではない。爪と一緒に動いていた。
私は二枚の写しへ時刻を入れ、一枚を証拠受けの下へ、一枚を記録板へ挟んだ。小金具を隠されても、無かった場所と動きまで消させない。
最後に、保管者――ヴァルド、と書いた。
「消せ」
「無い物を、無かったことにはしません」
「その記録がそなたを危険へ導く」
「記録が危険なんじゃありません。何を見て危険だと決めたか、私に知らせないことが危険なんです」
ヴァルドの顎が固くなる。
「王都へ持ち帰り、余が確かめる。安全なら伝える」
「いつ安全になるんですか」
返事はなかった。
「誰が決めますか」
「余だ」
「私の仕事を止める期限も、私が危険を知っていい時期も?」
「必要ならば」
工具箱が閉じられる音がした。
ヴァルドが封蝋を受け取り、私の可動鏡が入った箱の紐へ押す。赤い蝋に竜の印が残った。
「これで道中、誰にも開けられぬ」
「私にもです」
「店へ着けば開く」
旅から外すだけではなかった。
次の患者が現れても、私は自分の工具へ触れられない。危険の有無だけでなく、仕事を始めるかどうかまで、先に決められている。
私は入口の輪と測り針を腰に残し、証拠受けを中央箱へ戻さなかった。
「これは私が持ちます」
「薄片も置け」
「小金具を戻してください。そろえば封をします」
「戻さぬ」
「では、欠けた証拠へ封はできません」
私たちは、同じ箱を挟んで立っていた。
さっきまでは、道具を落とさないためなら同じ失敗を見て、同じところで止まれた。
今は、止まる場所そのものが違う。
「リタ」
名前で呼ばれた。
命令の前に名前を置けば、私を見たことになると思っているみたいだった。
「余は、そなたを死なせぬ」
「私は、死なないための情報まで取り上げてくれとは頼んでいません」
「頼まれずとも守る」
「それは、守るんじゃなくて決めることです」
護送役の二人が、目を伏せた。
ヴァルドは伏せなかった。
「王命だ。正午、荷車へ乗れ」
患者が口を閉じたときより、嫌な音だった。
私は記録板を閉じた。
「なら次は、歯医者としてではなく、リタとして返事をします」




