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竜王の歯医者ですが、虫歯一本がダンジョンになっています  作者: sakumaaa
第四章 獣王の折れた牙

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第22話 王の牙には、五十七本の道がある

 王牙の中へ入る前に、ラシャは五十七頭の名を呼んだ。


 北の列に二十七。南に十九。崖上に十一。


 足せば五十七だ。でもラシャは総数を言わず、最後尾から一頭ずつ名前を呼んだ。


 返事は鳴き声だけではない。鼻先を隣へ当てる。翼を一度たたむ。前脚で土を二回かく。


「ミオ」


 最後に呼ばれた幼獣が、浅い息の合間に顔を上げた。


「全頭いる。入れ」


「一頭でも返事がなかったら?」


「先に捜す」


 折れた牙より先に。自分の痛みより先に。


 この人は本当に、群れを数ではなく名前で見ている。


 ラシャの左奥歯には、さっき作った仮設の噛み止めが入っている。二本へ力を分けた金属板は曲がっていない。革紐も緩んでいなかった。


 右の王牙は口を開けたままでも、ときどき細く震える。


 原因は、割れた面の接触だけではない。


「入口を支える材料が要ります。あなた自身のものを」


 ラシャは迷わず、淡褐色の前腕から短い毛をひとつまみ抜いた。


「これで足りるか」


「牙を抜いて渡されるよりは扱いやすいです」


「必要なら抜く」


「必要でも、今は抜きません」


 ヴァルドが横から低く唸った。


「患者へ先に言わせるな、歯医者」


 私は毛を入口の輪の内側へ薄く編み込んだ。輪を王牙の空洞へ当てると、金属がラシャの力になじみ、割れ目の奥に白い縁が立った。


 弱くなったアステルの若葉は、道を見るため可動鏡の柄へ結ぶ。


 命綱はヴァルドへ渡した。


「ラシャが右手を上げたら一回。止めるなら強く引き続けて」


「群れも見ろとは言わぬのか」


「見てください。患者だけ見て、外で何が起きたか分からないのは困ります」


「注文が増えたな」


「海で増やしました」


 ヴァルドは文句を言いながら、綱を一度だけ正確に引いた。


 私は白い縁を越えた。


 王牙の中は、洞窟というより谷だった。


 白い床に細い道が何本も刻まれ、根元から奥へ枝分かれしている。道の表面には爪、蹄、翼の先に似た光が走った。遠くで魔獣が身じろぎするたび、一つの道から小さな震えが戻ってくる。


 命令を一方的に送るだけの場所ではない。


 王から群れへ向かう力と、群れから王へ戻る返事が、同じ道を行き来していた。


 私は若葉を一つずつ道へかざした。


 五十五。五十六。


 最後の一本だけ、戻る震えが細く、間隔も乱れている。


 ミオの浅い呼吸と同じだった。


五十七本。


今この谷でラシャへつながっている、全頭分だった。


ラシャが呼んだ名前と、王牙の道の数は一致した。


 そのとき、谷の奥で大きな音が鳴った。


 口を開けたまま出た、群れを遠ざける合図だ。


 いちばん強く震えた道へ、私は小さな留め具を掛けた。


 音を止める。


 そう考えたのが間違いだった。


 命綱が短く一回引かれる。


 白い床が大きく傾いた。留めた道の奥で、細い光が何度もぶつかる。外から戻ってきた震えの逃げ場を、私が塞いでいた。


 ミオの道だ。


 私は留め具を外した。


 床の傾きが戻る。浅い震えも、また根元へ届き始めた。


 強く鳴ったから、原因だと決めた。


 患者の声が小さいときほど、周りの音は大きく聞こえる。それを、私はもう知っていたはずなのに。


「ごめん。今のは私です」


 外へ届くはずもない謝罪を言い、膝をついた。


 音の大きさではなく、向きを見る。


 自然な五十七本は、根元から群れへ向かい、同じ道を返事が戻る。


 さっきの合図だけは違った。


 王牙の割れ目から内側へ入り、道を横切っている。


 私は可動鏡を床すれすれへ差し入れた。


 白い道の下に、歯と同じ色の薄片があった。


 表面だけを見れば、割れた王牙の一部に見える。けれど鏡の光を斜めに当てると、歯にある細かな層がない。薄片の端には、櫛のような細い爪が並んでいた。


 爪は三本の太い道の下へ入り、その間にある細い返事の道まで引っかけている。


 私は測り針で、一番端を軽く押した。


 薄片がしなった。


 群れから戻る震えを受け、反対側の爪が「離れろ」の道を一度たたく。


 足元の石が、細く鳴った。


 ラシャが噛まなくても命令が出た理由は、これだった。


 割れた面が触れれば、王へ集める道と遠ざける道が二度鳴る。口を開けていても、この薄片は群れから戻る小さな合図で揺れ、遠ざける道だけをたたく。


 外から混ぜられた物だった。


 ただし、黒くはない。


 黒い糸とも、二本刻みの留め金とも違う。表面に印もなかった。納品票の名を、そのまま犯人の名へはできない。


 私は細い鉤を薄片の端へ掛けた。


 持ち上げる前に、三本の太い道が一緒に沈む。


 その下では、五十七本の返事が絡んでいた。


 引けば異物だけでなく、ラシャが一頭ずつの状態を受け取る道まで裂ける。


 私は鉤を戻した。


 抜ける物を、抜かずに帰る。


 悔しい。でも、今度はそれが正しい。


境界を越えると、ラシャは右手を下ろした。ヴァルドは私の腰が床へ着くまで命綱を緩めなかった。


「何も抜いておらぬな」


「抜ける形でした。でも、抜けば返事の道も裂けます」


「ならば、手を出さず戻ったことも仕事だ」


「中に、道が五十七本ありました」


「全頭分か」


「一本ずつ、あなたへ返事を返しています。群れは命令を受けるだけじゃない」


 ラシャはミオを見た。


 幼獣が隣の一頭へ鼻先を当てる。その小さな動きは、王牙の中まで届いていた。


「口を開けたまま鳴るものは」


「外から入れられた薄片です。でも、誰が入れたかはまだ分かりません。今抜けば、五十七本の道も傷つけます」


「王牙を失っても、群れが残るなら構わない」


「王牙だけでは済みません」


 私は可動鏡の柄から若葉を外した。


 葉先には、五十七本の震えが細かな折れ目として残っている。


「異物へ届く道を作るには、どの合図が誰のものか、外から一つずつ確かめる必要があります」


 ラシャは初めて、自分の牙ではなく、散っていく三つの群れへ口を開いた。


「なら、五十七頭に聞け」


 次の治療器具は、王の命令だけでは作れない。


 一頭ずつの返事が必要だった。

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