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竜王の歯医者ですが、虫歯一本がダンジョンになっています  作者: sakumaaa
第一章 竜王の虫歯

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第1話 伝説の歯医者は工具店にいる

道具は嘘をつかない。


 だから、直した枝切り鋏が私の顔を見て壊れることもない。


「切れ味は戻っています。太い枝を噛ませても、刃が逃げないよう留め金も替えました」


 店先で試し切りをすると、親指ほどある乾いた枝が軽い音を立てて落ちた。


 刃こぼれなし。握りのずれなし。


 昨日まで錆びついて開きもしなかった道具としては、かなり機嫌がいい。


 持ち主の男も、そこまでは満足そうだった。


 私が鋏を差し出すまでは。


「……これ、お前が直したのか」


「はい」


 男の手が止まった。


 刃ではなく、私の顔を見ている。


 面倒な場所を点検する目だった。私なら留め金から見る。


 人間は、直せないところばかり先に見る。


「奥にいた娘だよな。あの、王を殺しかけた歯医者の」


「王を殺しかけたのではありません。治療中に事故が起きて、亡くなったのは母です」


「同じようなもんだろ」


 だいぶ違う。


 枝切り鋏を作業台へ戻した。


「修理代は結構です。未修理の同型品が一本ありますから、そちらをお持ちください」


「いや、そっちは錆びてるじゃねえか」


「ええ。私が触っていませんので、安心してお使いいただけます」


 男は何か言い返そうとして、結局、錆びた鋏を持って帰った。


 今夜は、開かない鋏と話し合ってほしい。


 扉が乱暴に閉まる。


 帳場にいた店主は、片手で額を押さえた。


「リタ。客へ喧嘩を売るな」


「売っていません。修理代まで負けました」


「そういうところだ」


 店主はため息をついたが、直した鋏に値札をつけ、店の隅へ置いた。


 変わった人だった。


「今日はもう閉める。裏口の鍵だけ頼む」


「わかりました」


 店主が帰り、私は表の鎧戸を下ろした。


 これでようやく、話の通じるものと向き合える。


 店の奥には、歪んだ釘、欠けた刃、短すぎる鎖が木箱に積まれていた。売れない廃材だが、客より話が早い。


 作業台の下から、細長い器具を取り出す。


 先端には小さな鏡。持ち手の輪を回せば、継ぎ手が鏡の向きを変える。


 母の道具箱に残った部品から用途を想像し、大きな患者用として作り直した、七つ目の試作品だった。


 木で作った顎の模型へ差し込み、奥歯の裏を映す。正面から見えない場所が、曇った鏡の端に収まった。


「もう少し」


 継ぎ手を半回転。


 鏡が外れ、木の顎の中へ落ちた。


 拾い上げ、外れた軸を確かめる。


 溝が浅い。


 細く作ることばかり考えて、力を受ける面を減らしすぎた。


 原因がわかれば、失敗ではない。


 私は古い革箱を開けた。


 母の道具箱だった。


 中身の大半は十年前、事故調査で王都へ持ち去られ、戻らなかった。残るのは、曲がった棒と用途不明の留め具だけだ。


 蓋の裏には、母の字で短い文が残っていた。


『歯だけを見ないで。痛いのは、その人なんだから』


「歯が見えなきゃ、そもそも治せないでしょ」


 死んだ人は言い返さない。


 道具と違って、ずるい。


 私は文から目をそらし、箱の隅にあった細い金具を試作品へ合わせた。大きさは合う。金属の色合いからして、父がよく使っていた合金らしい。


 父は母が死んだあと、道具も娘も置いて消えた。


 あの人の作り方だけが、手元に残った。


 金具の端には、同じ幅の刻みが二本ある。父は部品の表裏を間違えないよう、必ず二本目だけ少し短くした。


 私も気づけば、同じ印をつけている。


 腹立たしいので、役に立つ。


 金具を削り始めたところで、閉めたはずの扉が開いた。


 冷たい夜気が床を走る。


「閉店です」


「伝説の歯医者を出せ」


 入ってきたのは、白髪の老人だった。


 いや、老人と呼ぶには背筋が伸びすぎている。私より頭二つは高く、旅の外套越しにも肩幅がわかった。金色の目が、暗い店内を昼間のように見渡している。


 何より、客のくせに謝る気配がない。


「閉店です。あと、伝説は商品棚に置いてません」


「エルナという女がいたはずだ」


 やすりが、金具の上で止まった。


「誰から聞きました」


「本人からだ」


「母は十年前に死にました」


 老人の目が、ほんの少しだけ細くなった。


 驚いたのではない。知っていた顔だった。


 私の指に力が入る。


「あなた、母を知ってるんですか」


「ローデンは」


「父まで?」


「どこにいる」


「私が聞きたい」


 老人は黙った。


 店の奥で、消えかけた炭が赤く崩れる。火を足していないのに、空気が少しずつ熱くなっていた。


 彼の視線が、作業台の試作品へ落ちる。


「それは何だ」


「見ればわかるでしょう。口の奥を見る鏡です」


「人間の口には長すぎる」


「大きい患者用です」


「診たことがあるのか」


「ありません」


「治療は」


「一度も」


 正直に答えるたび、老人の眉間の溝が深くなった。


 勝手に期待して、勝手に失望している。


「血筋だけか」


「ご期待に沿えず何よりです」


「だが、その継ぎ手はエルナの形だ。刻みはローデンのものに似ている」


 今度は、私が黙る番だった。


 老人は二人を名前で呼んだ。


 昔話を聞いただけの人間ではない。


「何を治したいんです」


 尋ねながら、私は老人ではなく、彼の顎を見ていた。


 右の顎だけ、筋肉がこわばっている。話すたび、奥歯をかばうように顎がわずかにずれた。


 外套の襟には細かな灰が付いている。


 熱は炭炉ではなく、彼の呼吸から広がっていた。


 普通の虫歯ではない。


 普通の患者でもない。


 胸の奥で、十年間動かなかった何かが鳴った。


 もし治せたら。


 母は偽物ではなかったと証明できる。


 私の工具も、この町の奥で錆びて終わらない。


 老人が口を開いた。


 右の犬歯が、内側から赤く光っている。


 その表面には、人の歯にはあり得ないほど大きな黒い穴が開いていた。穴の奥では炎が揺れ、遠い地鳴りのような音が響いている。


 鏡を持つ手が、勝手に伸びた。


 老人は一歩退いた。


「触れるな」


「見せに来たんでしょう」


「治せる者を探しに来た。未経験の小娘へ口を預けに来たのではない」


 さっきまで胸にあった熱が、きれいに冷えた。


「では、お帰りください」


「何だと」


「伝説の歯医者は死にました。父もいません。ここにいるのは、未経験の工具店員だけです」


「余の命令を拒むか」


 床下で、何かが唸った。


 壁の工具が一斉に震える。鎧戸の隙間から赤い光が差し込み、町じゅうの炉へ火が走った。消したはずの炭が白く燃え上がる。


 老人の金色の瞳が、縦に細くなった。


「余は竜王ヴァルド。三つの火山と竜の国を預かる者だ」


 なるほど。


 態度の大きさだけは、最初から王様だった。


「その余が命じる。この歯を治せ」


 怖くないと言えば嘘になる。


 膝は逃げる相談を始めていたし、喉も仕事を放棄しかけている。


 それでも、差し出されたものが命令だけなら、受け取る理由はなかった。


「お断りします」


 ヴァルドの顔から、初めて王の表情が消えた。


「王様なら、なおさら順番を守ってください。私はまだ、あなたを治すとは言ってません」


「国が焼けてもか」


 遠くで、低い破裂音がした。


 鎧戸を開けると、夜の山際が赤い。いつもなら黒いはずの稜線の向こうで、火の粉が空へ昇っていた。


「余の力が、三つの火山の熱を鎮めている。この牙が痛めば流れが乱れ、山が目を覚ます」


 ヴァルドは苦痛を顔に出さなかった。


 私は山を一度見て、すぐに彼の犬歯へ視線を戻した。


 穴の幅。熱の流れ。入口に使えそうな継ぎ目。


 手元の鏡では長さが足りない。


 治せるかもしれない。


 そう思った瞬間、患者の顔はまた見えなくなった。


「夜明けまでに、器具を作ります」


「断ったのではなかったか」


「命令は断りました。仕事を受けるかは、私が決めます」


 母の道具箱を引き寄せる。


 ヴァルドはしばらく私を見下ろし、やがて顎を固くしたまま椅子へ座った。


「よかろう、工具屋。余の歯を見せてやる」


 その呼び方が気に入らなかった。


 けれど私は、言い返さなかった。


 目の前にある巨大な虫歯を治せば、伝説を笑った全員を黙らせられる。


 そのときの私は、竜王ヴァルドをまだ患者だとは思っていなかった。


 失った家名を取り戻すための、世界で一番大きな証拠だと思っていた。

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