↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
竜王の歯医者ですが、虫歯一本がダンジョンになっています  作者: sakumaaa
第三章 海王の逆流

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

15/27

第14話 歯の中では、海が上に流れる

 海へ入る準備をした。


 泳ぐ準備ではない。


 海王の歯へ入る準備である。


「違いは?」


 マレナが、私の腰へ太い縄を結びながら聞いた。


「工具を持っていくかどうか」


「海を甘く見てる人の答えだね」


「泳げません」


「今さら言う?」


 マレナの手が止まった。


 寝台へ横たわったセイルまで目を開ける。


 ヴァルドだけは驚かなかった。


「この娘は空からも落ちる」


「落ちたのは一度です」


「余が知るだけで一度だ」


「話を増やさないでください」


 海へ入るといっても、歯の内部がすべて水で満ちているとは限らない。


 竜王の歯は火山洞窟だった。精霊王の歯は森だった。王の歯の内部は身体そのものではなく、国土を巡る力が景色になった場所だ。


 だから息はできる。


 たぶん。


 工具屋の試し方としては不確かだが、王の歯へ入るための説明書は残っていない。母の記録にも「息ができなければ戻れ」としか書かれていなかった。


 実用的ではある。


 親切ではない。


 せめて今回は、確かめる人が外にいる。私一人の判断ではない。


「その顔で入るつもり?」


「息ができなければ、すぐ引いてください」


「合図は」


「綱を強く二回」


「潮の合図と混ざる。強く一回は戻れ。細かく叩くのは痛み。引き続けたら入口が崩れてる」


 マレナが勝手に決め、私の腰の結び目をもう一度締めた。


 正面、横、斜め上。三方向へ順に引いても、結び目の位置は動かない。


「苦しいです」


「生きて帰れば緩める」


 頼もしい人を選びすぎたかもしれない。


 入口の輪は、セイルの奥歯へそのまま掛けられなかった。


 真珠のような表面に凹凸がなく、金属の爪が滑る。ヴァルドの鱗を組み込んだ縁材も、海王の力へ触れるたび熱を持った。


 別の王の素材は境界を越えられても、長くはなじまない。


「患者の素材が必要です」


 セイルは首に掛けていた白い小片を外した。


「即位のとき、王の歯から自然に剥がれたものだ」


 歯片ではなく、薄い真珠の膜に見えた。触れると、内部で波が往復している。


「切っても?」


「必要なだけ使え」


「返せません」


「口を開けぬ王に、飾りは要らぬ」


 軽く言ったつもりらしい。


 銀盆の粥は、今朝も減っていなかった。


 私は白い膜を細く裂き、入口の輪へ巻いた。


 金属の熱が消える。


 セイルが口を開ける。


「右、安定。左、少し上がる」


 マレナの声を聞きながら、輪を奥歯へ掛けた。


 白い膜が歯の表面へ張りつく。


 輪の内側に、青い穴が開いた。


「行きます」


「待て」


 ヴァルドが命綱をつかんだ。


「綱はマレナへ預けます」


「余も持つ」


「一人が二人になると、逆へ引かれたとき困ります」


「余が外すとでも?」


「私だけを見て、周りを見なくなる可能性があります」


 ヴァルドの金色の目が細くなる。


 三日前なら、ここで言い返しただろう。


 彼は綱から手を離した。


 そのまま寝台の側へ移り、セイルの顎と二つの水鏡を一度ずつ見た。


「余は患者を見る」


「お願いします」


「私が潮と入口を見る」


 マレナが綱を自分の腰へ回す。


 役割は三つに分かれた。


 私は青い穴へ足を入れた。


 冷たい。


 次の瞬間、上へ落ちた。


「うわっ」


 白い崖が足元から遠ざかる。


 海は頭上にあった。


 青い水面が天井のように広がり、そこから何本もの滝が上向きに流れている。私の身体も滝の一本へ引かれ、空へ向かって落ちていた。


 息はできる。


 安心したのは一瞬だった。


 命綱が張り、腰から身体が二つ折りになる。


「ぐえっ」


 最近、空中でこの声を出すことが増えた。


 綱をたどって白い崖へ戻る。崖の側面には細い足場があり、その先で道が二つに分かれていた。


 右へ青い潮。


 左へ白い潮。


 二つを分ける中央の岩へ、黒い糸が網のように巻きついている。


 鏡で見た白い突起だ。


 近くで見ると、自然な岩ではない。


 何枚もの白い板が可動するように組まれ、潮の強さに合わせて左右へ傾いている。


 歯の一部を利用した、巨大な仕切りだった。


 黒い糸は仕切りを補強しているのではない。


 可動部へ食い込み、右へ傾いた板を戻らなくしていた。


「測ります」


 命綱を細かく三回叩く。


 外から一回、返ってきた。


 可動鏡の先へ測り針をつけ、黒い網へ近づけた。


 触れる直前、上向きの滝が横へ曲がる。


 工具ごと腕を持っていかれた。


「っ!」


 針を離す。


 可動鏡は黒い網へ絡まり、柄が手から抜けた。


 命綱を強く一回引く。


 戻れ。


 けれど、腰の綱は上向きの潮へ巻かれた。引き上げる力が横へ逃げる。


 入口の輪が白い崖の上で滑った。


 真珠の膜が一枚、剥がれる。


 青い穴が細くなる。


「マレナ!」


 外から縄が飛んできた。


 一本ではない。


 細い縄を格子に編んだ網が境界を越え、内部の尺度へ広がった。上向きの滝を横切り、私の身体を受け止める。


 網の端が白い崖の突起へ巻きつく。


 引く方向が変わった。


 私は網をつかみ、入口まで這った。


 青い穴を抜けた途端、マレナと一緒に床へ転がる。


 セイルが口を閉じた。


 外れかけた輪をヴァルドが押さえ、入口が消える。


「三呼吸の診察で、よく工具を一本なくせるね」


 マレナが息を切らしながら言った。


「三呼吸以上ありました」


「そこ?」


「鏡は中に残りました」


「見えてたよ」


 彼女は床へ広がった網を指でたどった。


 網の一本に、可動鏡の切れた留め紐が絡んでいる。


「あの白い仕切りも見えた」


「知っているんですか」


「歯の道具は知らない」


 マレナの顔から、さっきまでの呆れが消えた。


「でも、あれは潮門だ。二つの港へ水を分ける、あたしたち潮路師の道具だよ」


 海王の歯の中に、王都の職人だけでは作れない道具がある。


 マレナは黒い糸が残した跡を、濡れた指でつまんだ。


「しかも、古い。あたしの師匠の作り方だ」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。