第11話 焦げた森にも、治療がいる
治療が終われば、患者は口を閉じられる。
王様を患者にすると、そのあと国土の修理が残るらしい。
「その幹は、根元から抜かないでください」
白枝塔の前で、私は黒焦げの倒木を指した。
人の姿のヴァルドが、片腕で持ち上げている。私なら三人いても動かせない太さだが、竜王には薪より軽いのだろう。
「炭になっておる」
「下の根は生きてます。枝を目印のところで切って、横へ寝かせる」
「余へ木の運び方を教えるな」
「では、燃やし方を間違えた人へ教えます」
ヴァルドは黙って、私が枝へ巻いた白い布の下へ手を掛け直した。
昨日まで春と冬が隣り合っていた森には、朝らしい朝が来ていた。若葉の向こうに夏の濃い緑、その先に紅葉、遠い山だけに雪が残っている。
ただし、塔の東側だけは黒い。
ヴァルドが必要な範囲の三倍ほど焼いた場所である。
本人は二倍だと主張している。
被害を値切る王は、あまり尊敬できない。
焦げ跡の境には、白い根が細く伸びていた。
塔の高い窓から垂れた蔓とつながり、アステルが息をするたび、若草色、深緑、赤、銀の順に淡く光る。光が一巡すると、土から新しい芽が一本だけ顔を出した。
王の力を使えば、森など一晩で戻せるのかと思っていた。
ノエによれば、急げば四つの季節がまた同じ場所でぶつかるらしい。
芽がそろうまででも数週間。焼けた土と大木が戻るには、何年もかかるという。
歯も、森も、一本ずつ。
患者本人が休みながら守っている手順を、治療した側が急かすわけにはいかなかった。
「竜のお姿なら、一度に運べるのでは?」
焦げた枝を選り分けていたノエが言った。
「駄目です」
私とヴァルドの声が重なった。
彼がこちらを見る。
正確には、私の肩口までだった。頬の当て布には、目を向けない。
傷には、薄い当て布が貼られている。浅い傷だ。口を大きく開けると少し引きつる程度で、作業には困らない。
困っているのは、傷の持ち主より竜王だった。
「大きな爪では、生きた根まで踏みます」
私が答えると、ヴァルドは倒木を静かに地面へ置いた。
静かすぎた。
倒木の下から、白い芽が一本のぞいている。
ヴァルドは幹を持ち直し、芽の上を避けて半歩ずらした。地面へ下ろすまでに、竜一頭で塔を壊すより長い時間をかけている。
昨日、あれだけの森をためらわず焼いた手だった。
今は、指一本で芽を折らないよう、必要以上に慎重になっている。
焦げた木を運ぶだけでは、たぶん足りない。
この人が次も自分の力を使えるようにするところまでが、後始末なのだと思う。
昨夜から一度も、私の顔をまともに見ていない。
「全部、覚えてるんですね」
ノエの手が止まる。
ヴァルドは背を向けたまま答えた。
「余は我を失っていたわけではない」
「私の血を見たことも、森が退いてから焼いたことも?」
「すべてだ」
忘れていたなら、次は思い出させればいい。
覚えていて止まれないほうが、ずっと扱いに困る。
「次に戦いとなれば、貴様は余から離れろ」
「嫌です」
ヴァルドが振り返った。
やっと、目が合った。
「聞き分けろ。余の近くにいれば、また貴様を理由に――」
「今度は私を遠ざけると、一人で決めるんですか」
「危険から退けと言っておる」
「患者の話を聞かずに決めるのは、私が最初に失敗したやり方です」
ヴァルドの眉間へ、深いしわが寄った。
嫌な言い方をした自覚はある。
効く言い方を選んだ自覚もあった。
「三回引けば、昨日は止まれました」
「止まるまでに森を焼いた」
「だから、次は一回目でこちらを見てください。二回目で周りを見る。三回目でも危険が残っているか、見てから決めてください」
「余を綱でしつける気か」
「口で止まるなら、綱は要りません」
「二人だけで決めるのですか」
ノエが、焦げた枝を地面へ置いた。
「昨日は、お二人ともリタ殿の傷しか見えなくなりました」
痛いところを突く人である。
「三回の綱は、二人しかいないときの応急です」
私は短い綱を持ち上げた。
「次は、その土地を見られる人にも持ってもらいます。私があなたを見る。もう一人が周りを見る。その人が止めたら、まず止まる」
「余の戦いへ、立会人を置く気か」
「必要なら三人でも四人でも」
ヴァルドは何も言わなかった。
代わりに、私の腰へ結んだ短い鉤綱へ手を伸ばす。
一度、軽く引いた。
私は彼を見る。
ヴァルドも今度は、頬の当て布から目をそらさなかった。
「一回目だ」
「覚えがよくて助かります」
「二度目はない」
「それは、覚えが悪い人の台詞です」
ノエが、小さく息を吐いた。
笑ったのかもしれない。
確かめる前に、彼女は抱えていた葉の束を私へ差し出した。
「事故記録と、押収された器具の目録の写しです。原本は渡せません」
「十分です」
「まだ、あなたを全面的に信用したわけではありません」
「知ってます」
「ですが、歯医者が現物と記録を比べることまで妨げれば、私たちも同じ誤りを繰り返します」
「確認できたのは、記録と現物が食い違うことまでです。誰が、何のために変えたかは、まだ推測として扱ってください」
「分けます」
ノエはそこで初めて、葉の束から手を離した。
歯医者。
今度は、アステルの命令を伝える声ではなかった。
私は葉の束を工具鞄へ入れようとして、やめた。
焦げた森の中で、壊れた道具と同じ場所へ押し込む気にはなれない。
切り株へ作業布を広げる。
左に事故記録の写し。右に押収目録。中央へ、母の古い器具を置いた。
丸い鏡は割れ、爪は片方しか残っていない。
それでも、十年間ひびを支えた道具だった。
記録には、持ち込まれた器具はすべて破壊され、回収できなかったとある。
同じ原記録には、鏡二本、留め具一組、手回し器具三本を調査官へ引き渡したと書かれていた。
壊れた道具は、ここにある。
回収できなかったはずの道具は、種類と数までそろえて「引き渡し済み」になっている。
嘘は、一つではなかった。
脇袋から、耐熱布の包みを出す。
昨日抜いた黒い異物は、こちら側では小指ほどの釘に縮んでいた。
竜王の歯から取り出した欠片と並べ、小瓶へ移す。
材質も、光を返さない表面も同じだった。
違うのは、四本の根を持っていたこと。
もう一つ。
釘の端には、黒い本体とは別の細い留め金がはまっていた。
その留め金に、同じ幅の刻みが二本ある。
二本目だけが、少し短い。
割れた鏡の柄の継ぎ目にも、私の可動鏡の留め金にも残っている印だった。
動く部品の噛み合わせを仕上げるときだけ、父が残した二本。
父ローデンの、加工の癖。
母の器具にある二本は、父があの道具を仕上げた証拠になる。
けれど、黒い物についているのは別部品だ。父の古い留め金を流用した者がいるのかもしれない。
同じ作り方を知る誰かなら、印だけ真似ることもできる。
父自身が作ったとは、まだ言えない。
それでも、偶然だと片づけるには、私はこの二本を見すぎていた。
三か月、工具商への手紙と王都の記録を当たっても見つからなかった父への手掛かりは、母が死んだ歯の中に残っていた。




