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008『1984』

 敵軍それも本営が真隣にあって、敵意ゼロとはいえ敵騎士に連れられる若いシガン伝令が平静なわけがなく、すっかり青ざめて歯と兜をガチガチ鳴らす。

 そんな彼に、「あまり緊張するな」とキシリルがよくなだめる。ハーブティーなり用意して、出発まで一刻ほど休ませるよう騎士の一人に命じる。

「君の反応こそが常識なんだ。今回は犬に噛まれただけだから気に病むな」

 帝国騎士らは哀れなシガン兵に、申し訳なく釈明しながら、優しく連れて行く。


 キシリルが受け取った書筒の中身が、本営とは離れた位置に偽装される、『影の本営』の中で広げられる。

 片眼鏡を頼りに老若の参謀と非招集扱いの将軍達が手分けして、ラングバルクの黒とシガンの白と、それぞれの対応駒を正確に置いていく。

「オモテは4500。偃月陣を執って、駆け足で衝突してから一人でも決死で抜けてオーラット帝を一気に叩くと見せかけ、本命は300の近衛をもって右翼横から斬りつけるつもりだ」

「それなら陽動の威力確保が必要だ。投石兵はいるのか」

「定石ゆえ中軍背後に配置されている」

「弓兵は? 魔導師の控えは? 右翼から突撃する騎兵とてこれでは足らんだろう」

「そんな用意、あんなしみったれ連中に、ハナからないわ」

 カイゼル髭の辺境伯が、口汚くシガンのケチを罵る。

 その横で老参謀が、事前の情報と全く変わらない絶望的な戦力差に、苦慮している。

「さて、これでどうやって我々が負けるか、だが」

 天幕内の全員が、外でタバコを一服しているキシリルの背に白い目線を斉射する。

 しかし当のキシリルは肋骨服の肩パットをよく払うばかりだ。

「いつもとわけが違う。こちらは10万むこうは5000。どうやって負けろと??」

「アルカドラクはまだ5万出してたから拮抗を演出できましたけど、これシガンが勇者を雇ったとかじゃないと無理ですって」

「メテオ魔法を行使したとか、毒霧魔法を焚かれたとか??」

「だいたいうちにもそんな器用なイカサマをできる勇者なり魔導師が」

「それに、当の陛下がそれらを行使できる高位の魔導師ですぞ。安いトリックは簡単に見破られまする」

「ふむむ……やはりここは、実直に竹光で殴り合うしかないのか」

「幸いシガン側は真っ当に武装していますし、アルカドラクの協力で8万人分のエリクサーと蘇生術が確保されています」

「今回はかろうじて乗り切れるだろう。しかし、一方的に斬られる状況を現場の将兵が受け入れてくれるか……?」

「次の士気にかなりの影響が出そうだな……。危険手当を払うばかりで済む話じゃないぞ」

「だいたいシガン兵一人あたまで、一体何騎を相手する羽目になるんだ。体力や精神もそうだが得物が保つのか??」

「うううむ……」

 ……天幕内の全員が、外でタバコを一服しているキシリルの背に、白い目線を再び斉射する。

 しかし当のキシリルは、肋骨服の肩パットを頻繁に払うばかりだった。


 こうして、閉じ込められた際のみつばをして「オーウェル??」と言わしめる異世界合戦は、果てしなきサンフラワーに染まっていく。

 差し出された茶とシュークリームを今生の別れとばかりに味わっていたシガン伝令へ書筒を渡し、新たな早馬に蒼華の鞍をつけて出発させる。

「ミネル殿下」

 もはや疲れ果てた女大将――カインの従姉ミネル・アーネスタ・ラングバルクも、『影の本営』から伝令を受ける。

――敵は厚い中軍を陽動に使って、手薄を狙って近衛による精鋭とわずかな騎兵を両横から電撃的に突っ込ませ、オーラット帝カインの首を直接もぎ取る腹積もりだ。

 これ以外に手の打ちようが、あのシガンにはないのもそうだ。

「大マジメに作戦練りやがって」

 ミネルは感涙とも辱涙とも区別できない何かを流す。

――戦は元来こうあるべきなのだ。……しかし今、成すべきは対等の痛み分けだ。

「中央の重装歩兵をすべて配置転換、右側7割、左3割で本営の両横へ。槍兵の後ろに左翼の騎兵を充てがう。槍兵各隊長には騎兵突撃路の確保のために、中央に道を開けるよう厳命せよ。雑兵程度は相手にするな」

「はっ」

――シガンとはいえ近衛のガチに対して、こちらとて本気で食い止めなければ、本当にカインが討たれることになるだろう。

 この配置換えで、一応の体裁を維持したまま、近衛をギリギリ諦めさせ、陽動を本隊化させて突っ込ませることができる。

「ミネル殿下」

 『影』の次は帝国騎士長だった。ミネルに勝る屈強に白銀鎧を纏う。

「自分はとても恥ずかしゅうございます」

「そうかいドネクル。あんたで恥ずかしいなら、皇族身分のあたしなんて死にたくなるほどさ」

 ミネルは深い深い溜息をついて、丘の上の『本営』の天幕を見上げる。

「カインのクソガキが……ついでにキシリルの堅物坊主も」

 騎士長ドネクル・コルトラータも暗に頷くと、ミネルが真摯な眼差しで彼の肩を叩いた。

「万一……と言いたいが、確実にシガンの突撃は破砕される。偽旗を任せるぞ。ことは重大だ。連中を夕暮れの終わりまで全滅させるな」

「御意」

 精鋭コルトラータ騎士隊の旗手が、ラングバルクの銀鷹を翻す。

 その馬にはシガンの蒼華旗も、筒に納めて提げていた。


 槍兵に雑じる冒険者崩れのやんちゃな娘も、平和主義のパン屋の若者もパイクを手に執るも、先が眩いだけの経木材で出来た槍先に無情の風が吹き荒ぶ。

 小作の中年に至っては、先の丸まった矢尻だけを5つ渡されて「どうすればよいか?」とも聞きそびれてしまった。

「今回の戦闘には十分な装備を備えている。包帯、治癒魔法、エリクサー。多大な報酬に危険手当も。シガンがいったい何を持っているというのだ!?」

 百人隊長がヤケクソに鼓舞していく。最新の革鎧に兜をつける3人が槍兵の一団の最後尾に群れていく。

――帝の威を借りる宰相キシリルの独裁が、この無意味が、いったいどれだけ続き、臣民を苦しめるのだろうか。

 パン屋はしきりに後ろを振り返り、小高い丘の本営の天幕をよく疑う。


 就いで間もない年若い少年宰相の背撫でによく感謝して、タバコにむせたキシリルが背を正す。

「キシリル様、大丈夫なんでしょうか?」

――コネのゴリ押しでたった2年で宰相ポストに入ったとはいえ、この少年は真っ当に責任感の強い。……だがあまりに若輩で凡庸すぎた。

「いいか、ハスエー。『大丈夫なんでしょうか?』じゃない。『やらなきゃ大丈夫じゃない』んだ。陛下は野心を気取り最終的に怠けるがために世界征服を企てているが、そうなって死ぬのは恐怖政治で画一に統治される臣民より、そうせざるを得ないほど定数と排出がそのままの帝国官僚なのだぞ」

 勇者の仲間ゼレガが異界よりもたらした妙薬『アンチューサン』の効きはとてもよい。

 宮廷に従事してから12年ほどでこびりつく、キシリルの慢性ストレス性胃腸炎とてよく和らげた。


 丸く大きな水色瞳がジトり続けるほどやさぐれる強盗恩赦のスケバンメイドが、ヒノグレー名物のチーズケーキに悪い笑みで満足げだ。

 家系ラーメン屋のピッチャーレベルの茶汲みでみつばと神官長の分をまた入れて、マテは行儀悪く足を組む。

「えっと、マテさん? 私はいいけれど、流石によその神官長さんの前でそれは……」

「普段から叡智の自慢と群れるだけで飯にありついている連中にやる作法はない」

 一見は穏やかな顔を崩さない神官長は、実際は神経質で眉をいちいちひくひくさせている。

 若く見えるが老練な神官長は、それでもマテを許している。

「叡智のありようは宿す人によって異なります。この者なりの処世術というのもわかりますので」

――カテルジナとかいうヒステリックな権威だけで突き動く神官長とは、どうも人格から違うようだ。

「それに古賢のフィーリア神というよりカテルジナの年増を叩き潰して、シガンの信仰を叡智のヒノグレーとする好機なのです」

――奸物が過ぎて、処世として穏やかに見えるだけだったようだ。

「しかし、ゼレガ王配から聞き及んではいたのですが、しかしまあ、なんというか、狂犬の正体というのが、その」

――やはり叡智に満ちていても、ラングバルク帝国の意味不明は、意味や処世を分析できても意味不明のままのようだ。

 ……聞こえていたのか、エリクサー樽の山を守る神殿兵が、銀メイスを杖支えにして深い溜息をついている。

 別天幕では、あまりの茶番と待機の退屈をもって、年若い巫女と神官達が『キシリル』についてディベートしている。

 結局のところ「そもそも現状維持を彼奴が望む真の理由は? 関わる力学としては?」に議論が流れたようだ。

「しかしレイン妃が行方知れずとは、穏やかではありませんね」

 その身の安否より、何をやらかすかわからないとばかり、神官長は声色を震わせる。

「どうも南へ飛んだようです。スピオーネル辺境伯から目撃情報が届いています」

「ラングバルクの南って、何があるんです?」

「リッサ荒野を挟んで、オーラ帝国がある」

 みつばは立ち上がるが、察する神官長が注釈する。

「援軍を頼んだにしても、ケンタウロスの跋扈する荒野を、オーラほどの強大な軍勢であって進軍するのは割に合わないでしょう。それに今彼らはそんなどころではなく、聖王教団なる新興勢力と内戦状態のはずです」

 みつばはまだ嫌な予感を拭いきれないが、さすがにマテがジトと睨む。

「さすが心配のしすぎだ、ミツバ。レイン様の企みは、せいぜい勇者ソノダの連れだった魔女エルダの遺産たる『とまほぉくみさいる』によるシガン王城への乱れ撃ちまでだろう」

「十分駄目でしょそれ」

 丘上の本営幕からオーラット帝の刺々しい黒が歩み出る。

 北に据えるシガンの陣に対して、帝の魔導杖を覇者とばかり、厳粛に振るう。

 ラングバルク側でラッパが鳴り響き、やや遅れて遠くのシガンからも同様にラッパが発せられる。

 そうしていよいよ、開戦したのだった。

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