表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
7/22

007『10の先の0を繰り返した完全の先の完璧の壁の先に』

 邪悪のキシリルとゼレガからやっと解放されたみつばは、宇宙猫のままのマテを連れてレインの居室に帰った。

「ああミツバ、帰ったか」

 ベランダの欄干に、ローブを羽織ったレインが立っている。

――三つ編みの金糸が風に引かれてふわふわふわふわ、夕陽を見つめる彼女にまとわる。

「何しているんですか?」

 差し込む橙を吸い込んでいく1500円カットの黒髪を軽く手櫛すると、レインの手招きにみつばは並んだ。

 レインは冷血美貌を駄々っ子と頬膨らませ、とてもつまらなそうに頬杖をつく。

「キシリルに閉じ込められるし、カインまで没頭して手が足りないと言い果てるのだから。私とて、ラングバルク皇妃として、押し付けられる仕事は山ほどある。ミツバも先程は大変だったのだろう?」

――やっぱりこの子、皇妃様なんだなー。

 ……それにしては、ずいぶんと感情赴くままなのが。

「聞きますけど」

 キシリル達の談合は見透かされている。みつばは直球に尋ねた。

「あのシガンって国を滅ぼすのって、自分に刃を向けたから?」

「一応は、そういうことにしてある」

「一応?」

 みつばの聞き返しに、レインは真摯な眼差しで振り向いた。

「『世界は退屈だ』と兄に言えば『それが満ちる世界こそが人のあれる世』と窘めて、カテルジナに『人とはなんぞ』と尋ねれば『人は神に評されるために、日々善きを心がける者』と説く。そう口説くのは良いが、その理由を、兄らは解かないし、おそらくは知らない」

「それは仕返しする理由にならないと思いますが?」

「そうだな。しかし、戦う理由そのものにはなりえる」

 レインの真剣に猫背を正したみつばは、瞳の淀みを確かな黒に戻した。

「戦う理由……カイン君の野望のためではないのはわかるけど。それで問いの答えが見えると思わない」

「そのとおりだ。それと、カインに野望などありえない。あいつとて、押し付けられた皇帝位を無意味にしたくて、さっさと征服して署名の一つも必要ない穀潰しになりたいのだから。しかし今のままでは、許されない」

 欄干に腕を突き立てて身を乗り出すレインは、琥珀瞳に寂しさを漂わせていた。

「そっかー。レインさんはレインさんなりに、随分と大変ね」

 レインと逆腕で頬杖を突くみつばは、かつての大学院の頃に持て囃された自分と、このレインを重ね合わせた。

「労ってくれるかミツバ」

「こんな血みどろプロセスをぶちかまさなければね」

「それはキシリルどもが現状維持の、平和を求めて抗うからだ。抗う先を随分と間違えている」

 屈託なくレインは笑う。笑みの中には、嘲笑もあれば諦観も込められた。

「もうちょっと、穏便にはならないの?」

「ならない。それに、穏便こそが我が怨敵」

「問いたいレインさんにとっては敵かもね。でも世の中、深めるばかりが人間じゃないし、結局、社会が求める姿に落ち着くんだよ」

「ミツバよ」

――それは違うと、しかし否定はできないと、だからぶつけたのだろう。

 レインはみつばに真を問うた。

「始まりに0があり10が完全として、完全を目指すのであれば普通は1つ2つと数えていく。これが正常の進歩だ」

「そうだよ。とても健全で、当たり前の法則」

「しかし、1つを越えて2つに至れば、それは『1』とは違うもの。そうやって変わるたびに、人は随分と苦労する。それでも10まで数えようとするのは、そこに終わりがあるからだ」

「そうかしら?」

 みつばの相槌に否定が込められたのを、レインは逃さなかった。

「……その欺瞞を理解る者はカインしか知らない。ミツバはどうなのだ」

 レインの瞳を見るまでもなく、当たり前とみつばは発する。

「私は、10が次の0へ戻るためのただの通過点だってはじめから思ってる。それをもっともよく教え込まれる場の最前線にも立っていたしね。確かに、そこに留まっている人の視野では地平面が終わりに見えるでしょうけど、そんなのはまやかし。その先は、宇宙の膨張のように無限」

「では、なぜ人は群れるのか」

 矢継ぎ早にレインは促す。

「自分が何者かを評価してくれる他の人がいなくなるからだよ。で、レインは多分、そういうのがもういない。私はそれが怖いのもあって、だから穏便の現状維持に期してしまう。私だけじゃないよ。たぶんキシリルさんもマテさんもそう」

「……そうではないから、私は駄犬なり、穀潰しと言われるのだがな」

「そう?」

 琥珀瞳を剣にしたレインは、軽くあしらうみつばへ斬りつける。

「誰もが10が0に至り、0が10に至って、その先の、完全の先の、完璧に至った世界に、興味がない。私とてフィーリア神のように完璧になどなりたくはないが、完璧を、完璧自体があるものかを確かめたい。宇宙が膨張しているとミツバは先に言うたが、膨張の速さを超えて先んじて壁を破った先を、見たくはないのか?」

「随分な途方とは思う。でもちょっと、この世界でも、本来生きている日本でも、私のそれは達成できないかなって」

「……それは、人が人だからか?」

 レインはみつばの瞳に淀みが戻るのを見て、あまりにも悲しかった。

「私が臆病だからと、単純にそれやっちゃうと、さっさと飢え死にしちゃうんだもの。それわかっててやれる人は、よっぽど退屈で、世界の富豪のそのまた富豪で、頂点で、クローズドに閉じこもって許される身分しかいない」

 レインはわかった。

――ミツバのほうが、よっぽど孤独だ。

「つまり社会で生かされる私みたいな木っ端は、結局は働き蜂なの。巣がなければすぐに死ぬし、巣の中心にいる女王だって、働き蜂がいてこそ生かされる。結局、こうやって考えるのにも巣があってだから」

 レインは、決した。

「ミツバよ」

「何?」

「キシリルらが何を謀ろうと、ミツバがそれをどのように知っていても私は問わぬ。しかし私は兄ブライクと、それ以上にカテルジナを許さない」

「堂々巡りになった。で、どうして?」

 みつばは飽きれるが、レインにとって、その動機はもう変わっていた。

「社会という名の蜂の巣がどれほど矮小で下らぬか。……ミツバは理解っていても、実際のそれを真には見ていないのだろう。なら、証明しよう」

 冷血レインは温かくみつばに笑いかけると、「しばし留守にするぞ。暇を出したわけではないから、その間のミツバは休むのが仕事だ」と釘を射したのだった。


 翌朝、レインの姿はどこにもなく、青ざめたマテの通報で駆けつけたキシリルの精神は極限まで搾られた。

 みつばが責任を取らされることはなかったが、それでもキシリルは唇を噛み締めるほど噤んでいたのも事実だ。


 しかし皆、レインにばかり構ってはいられない。

 サバラッキ平原におけるシガン王国との合戦は、1週間後には儀をもって執り行われる。


 そうして、シガンが総動員した5000の雑兵ばかりに対して、ラングバルクは10万が南に陣を築き上げていた。

 ラングバルクの背後には、同盟するアルカドラクが派遣した神官団が控えている。

 シガンの幕に座したブライク王が、神官らを忙しく怒鳴っては、ヒステリックに駆け回るカテルジナを睨みつける。

「エリクサーの在庫の確認は?それに包帯や蒸留酒の報告も欠けている!!なんて無能な!!ああフィーリア神よ、拙い彼らをお救いくださいぃ!!!!」

 それに気づかないカテルジナから移り、外務卿に対しても「本当に大丈夫か?」とばかり疑心して見つめた。

 当の外務卿は、他の将軍や内務卿と分け合って『アンチューサン』なる生薬の調合粉を水で一気飲む。

 その中年集団と一様に「お前の妹とヒステリー年増女の喧嘩が原因だろう」とばかり、自らの王へ睨み返したのだった。


 西部ハルボーマブゼから徴集された冒険者崩れの男装のやんちゃ娘が、パイクを携えて立ち尽くす。

 隣に立つ小作の中年男も、別隣の帝都の若いパン屋も、それぞれ帝国兵の堅実に身を包んで、男装女の顔に同調していた。

 特にパン屋の若者は、先のアルカドラクとの戦いから続けて投入されているから、やんちゃ娘の気持ちが真髄まで理解できた。

「ラングバルク精兵の戦の心得!!!」

 帝国側の密集陣形のところどころに浮かぶ魔法陣から、勇壮の女大将が、雄々しく鼓舞する。

 彼らにとって、このつわものの心得が疑問の塊だ。

 大柄の身に対してさらに大きな重装鎧をつけた女大将が、ハルバートの石突をドンと打つ。

「殺すな事故るな乱れるな!!!」

『殺すな事故るな乱れるな!!!』

 10万の騎士と兵が、一様に繰り返す。

「迫真演武が我らの武功!!!」

『迫真演武が我らの武功!!!』

「敵とて同じくお仕事だ!!!」

『敵とて同じくお仕事だ!!!』

「文句があんならキシリル坊やへ!!!」

『文句があるならキシリル様へ!!!』

 女大将の哀想の叫びに、10万が繰り返す。

「怪我ゼロ目指して今日もご安全に!!!」

『怪我ゼロ目指して今日もご安全に!!!』

「チクショーーー!!! なんなんだよ、いっつもいっつもぉおおおおおおおおお!!!!!!!」

『シガンの皆さん、合戦よろしくお願いしまーす!!!』

 なんて精悍なラングバルクの鬨だろう。

 本陣の天幕内部には魔法を密かに厳密に施して、よく誤魔化したはずのキシリルだった。

 しかしそれでも鎮座する棘々禍々しい黒甲冑姿のカインのほくそ笑みに対して、その場の重鎮貴族と顔を見合わせ、とても不気味がっている。


 本陣より後方、ゼレガの手配するヒノグレー神殿の天幕の重席に、みつばがちょこんと座っていた。

 雑な茶汲みをみつばと少し年のいく神官長に行ってから、マテも座ってチーズケーキをもぐもぐしている。

 神経質の神官長が緑茶を一口してから、唖然とも閉口ともいえる目で、天幕の隙間を見上げている。

――天幕の外には、8万人分のエリクサーが樽で積み上げられている。

 蘇生術を支度する高位神官も巫女達も「狂犬芝居のために何やってるんだろう」とばかり、それはもう昏れていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ