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006『花より談合』

「ゼレガ殿下。この度は本当に、本ッ当に、とんだご迷惑を」

「ぶっ飛びにぶっ飛ぶのはあんたらの十八番だろう。ただ……」

 キシリルの絶するも絶した疲労の顔に、古傷だらけの筋肉質な壮年男――先の戦いによる和平調印で訪れていたアルカドラク王配・ゼレガだって青ざめた。

 額の脂汗をせめて拭こうと、ゼレガはハンカチを探すも見当たらず、どうあっても拭きたいので着慣れないコート袖に移してしまう。

「……ただな。オーラットの若造はともかくとして、お気に入りにじゃれて噛みつく以上には暴れないレイン妃こそが、殺意剥き出しなのに驚きだ」

 ゼレガはキシリルを詰めるように凝視する。

「怒らせるだけの何かを、事なかれのブライク王がやったとは思えんし、あのヒステリー神官がうるさくとも普段であれば無視のはずだ。……シガンの外務卿といい、何か隠しているね」

 キシリルの取り繕いが間に合わず、狼狽えの予備動作を見抜いたゼレガは、初老を控えた穏やかな面下で「てめえが飼い主だろう痩せっぽち」と、キシリルをぶちのめしまくっていた。

「い、いえ。隠したくはないのですが、個人的には殿下の健やかな精神のために、隠したいといいますか……」

 ゼレガは疑心する。

――頻繁に小競り合いの目に遭わされる狂犬ラングバルクの臣下とはいえ、キシリルがこんな下手に隠すとするなら、国家の利害など絡まない、個人的な事情に違いない。

「まあ、良かろう。だがもう俺の精神は健やかとは言い難いのは覚えておいてくれ」

 これ以上敵を作りたくないキシリルは、寸前をかわしたと魚の息が吹き返るのも束の間だった。

 ノックと同時にドアが開けられた。

 黒髪が少しぼさる、丸く幼い顔で可愛らしい、……しかし、随分とくたびれた蜂模様の若い女が、遠慮がちに「ハンカチ落とされましたよ」と、高い少女声で力なくキョロキョロした。


 崩れかける体を精神のセーフモードで立て直すキシリルが、タスク処理最優先の無感情をもって「退室せよ」を命じる。

「えと、その人がハンカチを落とされたので……」

「退室せよ」

「す、すみませんでしたっ!」

「いや。待ってほしい」

 ロボット・キシリルを押し退けるゼレガが、3分の2ほどの小さなみつばをよくよく凝視する。

「退室せよ、退室せよ」

「ちょっと黙ってろ」

 この期に及んで、みつばに掴みかかるキシリルをゼレガが突き飛ばして、代わりに立ちはだかる。

 ……唖然する薄そばかすな幼い顔に隈を浮かべるみつばから、女物の刺繍ハンカチを受け取るとくしゃくしゃのまま懐に戻す。

 みつばの容姿に、40年前の大冒険を率いるあの少年を重ねてしまった。

「初めましてお嬢さん。私は、アルカドラク連合王国の王配、ゼレガ・アリシア・ドラガゲントだ」

「御手洗みつばですっ」

「ミタライ・ミツバ……」

 考え込むゼレガに対し、みつばはあたふたチクチクと緊張している。

――確信するが、もっとカマをかけていこう。

「もしやシガンより東の果て、レンゲの国の高貴な姫君かな?」

「いえいえいえいえ、一般人ですよ私!!」

「では、大きな商取引で帝国まで参られた有力商家のご令嬢かな?」

「いえいえいえいえ、ただの使用人みたいなものでして!!」

「いずれにしても、はるか西までようこそ参られた。このラングバルクは西においてもっとも強大な帝国だが、我がアルカドラクとて負けてはおらん。ぜひ、我が王国にも参られよ」

「は、はぁ」

――社交な愛想こそ浮かべているが、内心はかなり迷惑そうだ。

「キシリル殿、紙と筆をくれ」

「かしこまりました」

 ロボット・キシリルは、上位階級者が追加で差し込んだ新たなタスクを、みつば排除より優先して、ゼレガへの貸与処理をかけた。

 白クロスのかかるテーブルにゼレガは大きな筋肉体を突っ伏し、携帯用の短い鉛筆でちまちまと書いていく。

「ところでミツバ殿、以前に扱った王国の手続き書面で、どうしてもわからない言葉あってな。……この東の文字は、なんという意味なのかな?」

 画仙紙のメモに鉛筆筆記が薄らと書かれる、みつばには『園田黒男』という日本人の名前がそのまま読めた。

「ソノダクロオ……」

 それまで、四面楚歌の孤立同然で絶望に冷えていたみつばに、希望の差すような温かさが感じられた。

「えっと、何かを意味する単語ではなく、人の名前です。それも、私の国の人の名前ですよ」

 隈のとれる代わりに感涙滴り満面の笑みのみつばに対し、ゼレガの顔はこの世の終わりだった。

――あのハチャメチャでトンチキで詐欺まみれの大迷惑。

 魔女エルダが気に入らないたびに魔法と称するトマホークミサイルをいちいち止めて、天然ボケのソノダが正義と称して無自覚の革命扇動が繰り返される。

 魔王と邪神を討ったというより過労で灰にしてしまい、食えないソノダ妹が不信心に拝むたびソノダの故郷センダイへ飛ばされては、やれ部屋の大掃除だ、やれホームセンターへ買い出しだとかの小さい小さい用事にばかり使いに出されて、年増エルダが忘れて置き去りにしたもんだからアイドルのイベント設営なり倉庫のピッキングなりで食いつなぎ、なぜか輝いて亡姫身分を忘れていくアリシアを繋ぎ止めながら耐え抜いた、非常識極まるあの苦難の破戒な日々が……。


「キシリル坊主、いい加減戻れや」

 昭和の安いブラウン管を直すような拳を落とされるキシリルは、ようやくロボットから帰ってきた。

 ロボット状態時の記録を今の自我にて確認するキシリルに対して、王配ゼレガは元来のチンピラ兄貴の凄みをしていく。

「あんなめちゃくちゃ皇帝でも、キシリルや前帝がガンギマリで見張ってるからには、ラングバルクじゃあ起こりえねえ。だとすりゃシガンのブライク王がやらかしたと俺は見るが、そこんとこどうなんだおい」

「我々の諜報だと、フィーリア神殿のカテルジナ神官長がレイン妃を暗に討つため唆したとのことで、ブライク王はどちらかというと板挟みの被害者で」

「部下のヒステリーを止められねえ王が被害者なわけねえだろうが。だいたい勇者召喚を禁忌と決めたのは先のシガン王だろう、真面目だけが取り柄のブライクが知らないわけがねえ」

「お願いです、冷静になってください」

 キシリルの想定が最悪に達した。憤慨したゼレガが決断を下す。

「我がアルカドラクは総軍で挙兵し、西海岸の諸国にも魔界の魔王にも伝令を回す」

「駄目です。お願いですから冷静に」

「フィーリア神が魔に堕ちた今となって、脳みそがそばがらになったシガン王にも慈悲はない。帝国10万にアルカドラク50万を加えて、西海岸諸国や魔界も、南のオーラ帝国や聖王教団にも発破かけりゃあ三方包囲で総勢150万といったところ。カップそばのできる時間でシガンなど瓦礫の一片も遺さぬわ」

 無様に泣き叫ぶキシリルに加わって、ゼレガの怒る大柄に、みつばまで縋って泣き叫ぶ。

「お願いですからやめてください!! ほんとにほんと、帰れなくなっちゃうので!!」

 みつばの懇願に、ゼレガは別の意味をとらえて停止する。

――勇者が「帰れなくなる」。

 ……召喚したシガンが滅びれば、当然、シガンが信仰するフィーリア神だって加護の引くのだから、帰還のための儀とて、行えず……。

 壮年であってもたくましさの衰えない筋肉男の体に全身で掴みかかっていたはずのみつばだったが、いつの間にか柔らか滑らか艷やかな、メリハリの効きすぎる恵体へ縋っているのに気がついた。

――これは。……役員からよくセクハラをいただく自分より一回り、柔らさと張りを絶妙に両立しているメロンだ。

 もはや埋もれていたキシリルが、耳を真っ赤にして慌てて離れる。

 八頭長身でスタイルバツグン。耳の少し尖った、魔族っぽい絶世の美女だ。

 ……フロックコートの胸元をどうにか閉めなおして、しくしく情けなさそうに泣いている。

「えと。えーと」

「ゼレガ陛下だ」

――……さすがファンタジー?

「40年前の先代魔王討伐の旅だ。聖なる神も邪の神から土地の精霊からエルフの王から旅路を知っていく当時の魔王の摂政まで、振り回される俺に同情だかしてくれて、色々加護なり特権なりを施してくれた。……だが、混ざりすぎた」

――……さすが、ファンタジー??


 平均よりだいぶ胸筋分を大きく作ったはずの壮年男ゼレガのフロッグコートは、腰から背丈から全部一回り小さくなったはずの魔族美女の体で、他はがばがばなのに胸だけがはち切れそうだった。

 キシリルに頼まれて給仕したマテが宇宙猫になって扉外に立ち、この場を厳重に閉じた。

 セントジョーンズワートティーの、ほのかに辛く爽やかな香りが、極限3人の精神を落ち着かせる。

 ちゃきと、カップをソーサーに戻した絶世魔族美女のゼレガ王配が、改めてみつばを見据える。

――一見は可愛らしい年頃の娘だ、しかし、あの頃の園田より一回りぐらいは年上だろう。

 中古スライムと名付けて良いほどのくたびれ具合で、少なくとも、他に害する性格には見えない。

 ……が、警戒はしなければならない。日本人の中でもソノダが特別に異常だったのはわかっているが、その1億2000万もいる日本人の中で、勇者として召喚されたのが園田黒男という前例を忘れてはならない。

「ゼレガ陛下、ミツバが怯えております」

 ただのおっさんの難しい顔が、恋人を殺された美女の復讐悲劇めいた憎悪にしか見えないのを、ゼレガは未だに気づいていなかった。

「す、すまない、御手洗みつばさん。でもちょっと、その……園田黒男の例があったもんで、警戒だけはさせてくれや」

「は、はあ」

 園田黒男という先の勇者が、このゼレガに何をやらかしたのかは定かではないが、その同類に見られているのはみつばも承知する。

 自分に向けられる疑惑警戒をひとまずは横へ流す。

 みつばは自分の今後がどうなるか気にはなるが、あくまで落とし物のシルクハンカチをゼレガに届けるのが目的なのもあり、この場を立ち去ろうとした。

「あれ、マテさん開けて」

 黒檀の重たいドアが、外から施錠されている。破れる状況でも体格でもないみつばが、ドアに額を当てるほど嫌な予感が炸裂する。

「……お聞きして良いですか?」

「なんなりと」

 質問の許可を得たので、振り返ったみつばが発する。

 キシリルの顔は、それはもう仮面のようなにこやかぶりだ。

「ゼレガ陛下の国アルカドラクは、このラングバルク帝国と数日前まで戦争していて、今日は和平調印のために帝都におられる。つまり停戦中でも敵国の要人ですよね??」

「そうだが?」

 キシリルの顔はとてもにこやかだ。

 みつばの黒目はミツバチ針より細くなって、脂汗が大量に伝っていく。

「で、調印式典前に、カイン様がシガンへ挙兵するとぶち巻いて、急な動員のために宮殿は今戦時体制になってますよね??」

「そうだが??」

 キシリルの顔はとてもにこやかだ。みつばはほとんど確信して、ハニワみたいな表情でゼレガに振り向く。

 ……テーブルに座って立膝つき、ずずずと茶を啜っている。

 美女顔を冷酷に澄ませたチンピラ・ゼレガは、もうみつばを勇者ソノダの同類とは見ていない。

「ではなぜゼレガ陛下がここに? もしかして、先の戦争って――」

――言ってはならない。

 みつばがこの真実の毒液を胃に戻して、焼き尽くす感覚に耐えようと、両腕を抱いて身震いを抑えようとした。

 しかし手遅れだった。立ち上がる美女ゼレガとは頭半分の身長差があるが、屈んで合わせてくる邪悪が「言えよ」と迫ってくる。

「せっかく質問を許可したのだ。最後まで言わんか」

 キシリルの壁ドン立ちはだかりに、小柄のみつばは、胸キュンな乙女のトキメキどころか、宇宙世紀なアニメでコクピットごと潰された敵キャラな気分だ。

「思っていることをこの際だ、言え」

 逃げられないみつばは、せっかく胃袋に戻せた毒を、なるべく穏便に安全に保身にを心がけて、外に出していく。

「対等和平のために、開戦前からよく調整されていませんか? ……キシリル様が率先して、ゼレガ陛下を抱き込んで、ということは帝国の狂犬ってプロレスのヒールみたいな予定調和の演技??」

――真実のコロニーレーザーが、初弾から最大出力で放たれてしまった。

 キシリルの顔が一瞬魔王と化したが美貌の貴公子の敵な笑顔を被り直し、ゼレガと一緒に声色が不自然に跳ねた。

「そこまでたどり着いたからには、出すわけにはいかぬな」

「勘の良いスライムは大嫌いだ、だが惚れたぜみつばちゃん」

 TSの解けていくゼレガの剛腕が小柄肩をがっしり鷲掴み、キシリルの素晴らしい笑顔が、みつばを絶対零度まで下げたのだった。

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