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005『諸君の愛した女騎士はもはやいない! なぜだッ!!!!』

 藍のハブランサスは、偽りなくレインの紋章だった。

 シーリングの封蝋に毒塗りを疑い、横から雑に破る便箋から走り書きを慎重に引き抜く。

 玉座に集う皆に向けて、若きブライク王が淡々と、冷徹に読み上げる。

『わたくしレイン・ハヴェーノは、ラングバルクの狂える帝へ嫁いだハヴェーノ王家の恥、愚かの自覚として、此度の、憂うお兄様による勇者ミツバにかかる儀を執り行うまでに至ったその罪を、総軍を前にした狂えるオーラット帝の御前において、自血の鮮を皆の前で咲かせることで、この責を全うして事態を終わらせる所存です。さようなら』

 暴虐極まる理解不能であったレイン妃の簡潔であっても決死る覚悟を、傅くままの帝国騎士カルメンが「このまま虜囚と堕ちるのならば、レイン妃の自決に殉じる」と、切れ長の長睫毛を閉じた。

 きつく眉間をしぼり、儚くも未だの想いを、溢れる涙とともに断ち切っていく。

 高潔みなぎる赤茶の瞳に決意を示して携えるレイピアに手をかけると、ブライク王と目があってしまう。

 憎悪に染まりゆく、健やかな若き王のつぶら瞳。

――かのブライク王も、憎しみにあれば壮健もなし、か。

「ああ君、この場で抜剣するのはまあ、気持ちはつくづくわかるので構わないのだけども。剣をどこに向けるにしてもちょっと待っていてほしいんだ」

――確かに憎悪に満ちているのだが、……声が木の葉のように軽すぎる。

 2日かかって今は正午を少し過ぎた時分なのに、煌々と灯した燭台を用意させたブライク王が、あの姫なりに誠実を尽くしたのだろう走り書きをよく炙っていく。

 ……あまりに小さく、だが、判読可能なほど緻密に書かれる長大を、ブライク王が片眼鏡を頼りに読み上げた。

『愚鈍を極めるブライクお兄様へ。昨日は甘いミツバをありがとう。アホのお兄様とカテルジナのクソババアには感謝が絶えず、立つる中指の手入れを日々怠りません。ですのでわたくしレイン・ハヴェーノは、これより帝国精兵10万を伴として、その感謝の数だけ火矢を放ち、最愛を得る感激の深さだけ雷撃と隕石と飛び蹴りとストレートパンチを撃ちながら、お兄様の望まれる通りに婚姻を解き、英傑と血文字で記される兄と、はじめからいなかった神官長の跡目として、鳥かごの中で囀るばかりの寵姫の体で出戻りいたします。偉大なるお母様や従僕の皆へ、くれぐれもよろしくお伝え下さい。ラングバルク皇妃レイン・ハヴェーノ=カイン・オーラット』

「あんの、ドグサレがぁあああああ!!!!!!!」

 激情の限りに金切を鳴り散らしていく般若顔のカテルジナ。

 コカトリスの石化毒を受けたような愕然ぶりの帝国騎士カルメンに、『追伸』と文は続く。

『火急と申し付けてこの文を届けさせたその騎士カルメン・ザルアは、駄たるわたくしからしてもまごうことなき英才であり、先日、騎士団の近衛一隊と私の側を任されました。雪解けの春風のように爽やかで、眩いばかりの誠実で純真無垢の慈愛に満ちて、なにより、鳴けば鳴くほど可愛いお人形さんだから、とても気に入っております。とどのつまりお兄様、事済めば我が夫による名誉を誓って約束され、このわたくしの寵愛を賜る大事な玩具なのだから、神座の前へと道連れにしないでくださいまし』

 片眼鏡を外して執政に返したブライク王は、介助が必要なほど石化して、薄らと漆黒へ染まりかけているカルメンに語る。

「文面のままに腹黒いわけではないのだ。ただ……あのような穀潰しにも神は芝居を書く才能をお与えしていてだな。駄犬が噛みついた唸り声みたいなものだから、いちいち気に病むときりがない」

 美の女神像とばかりに色もなく暗いまま固まっていく。

 わずかに残る彼女の意識において、ひび割れを埋め立てたばかりの玉座へ王冠を置くブライクが、貧民窟でサンドイッチの屋台をやっている兄ちゃんそのまんまだった。

「我がシガンは蕎麦の産地なんだ。雷魚のガルムを汁に使う麺だったり、蕎麦のサブレも評判なのだぞ? 明日にも案内させるから、どうかしばらくは全部忘れてしまって、ここにいる間はせめて楽しんでほしい。こちらとしても、騎士カルメンをとても労いたいところなんだ。な?な?な??」


 株式会社ハクアイスーパー尾張は、ハクアイスーパーチェーンでも愛知県名古屋近郊を担当する、グループ内でももっとも誇られるダークマターだ。

 なので当然、現場無視世相無視法規はなにそれおいしいお偉いばかりの御高説を、四半期ごとのサービス4時間立ち尽くしてから手書き400字詰め10枚の義務感想文を夜通しで済ませているみつばは、この異世界におけるそれを何ら苦痛とは思っていない。

 だが……黄黒ツートンのロココ姿で控えるみつばからしても、カインのそれは卓越だ。

 いっけん正当性に満ち溢れる無意味をなんら自然な宿命へと錬金し、集まる臣民を陶酔させていく。

 黒を纏う狂犬帝オーラット2世は、見渡す目と、逃さぬ耳と、演ずる口と、入念のいった演出をもって、10万群衆のまだら模様を「鉄槌」の激色に染め上げる。

「蒼華の冠を頂く王よ! 我が妃は王の妹君でもあられるはず。我を恐れるばかりに悲しみに陥れようと妃の命を狙うとは、シガンの誇りをどこへやったッ!!」

 包帯だらけのレインの琥珀瞳が完っ全に「しらばっくれー」を決めているのを、隣のみつばは黒瞳を逆に泳がせて無視を決めた。

「妃に向けられる一太刀の毒刃を受けたばかりに、可憐にして誠実の騎士カルメン・ザルアは眠るばかりだ。彼女の澄む黄櫨の瞳が、もはや世界を見ることはないのやもしれないのだぞっ!! 我は怒る。我が激烈の怒りは、妃に向ける殺意よりも、守るために立ち向かった騎士に対する卑劣にこそ向けられているっ!! ザルアの血を引く忠君よ、亡父の志を胸に秘めて、可憐を纏ったまま眠ってしまった乙女の姿をとくと目に見よ!!」

 ベランダの上に掲げられていた額縁から、真っ白な天幕が一気に剥がされた。

「ああ……」

――いや、はじめのはじめから、あのお爺さんも暗に言ってはいた。だがこうして目の前でそのまんまが実行されてしまうとさすがに……。

 あの純真無垢のカルメンの爽やか笑顔が脳裏に映ってしまい、みつばは無意識に、眉間を抑えるほどつらくなって険しく俯く。

 ……朝陽に立志に見立てて仰ぐ、騎士カルメン・ザルアの肖像画が、それはもうデカデカと掲げられてしまった。

――群衆の中で、ひときわ泣き崩れる平民姿の女性が、隣に呆然と立ち尽くす少年が。ああああああ。

 みつばの異変に気がついたレインの目配せで、反対側に控えていたキシリルが駆けつける。

 俯く姿で青筋のどんどん溜まっていく薄そばかすの童顔にハンカチを当てる。

 ……ハンカチに撒かれたラベンダーの香水がぎつぎつに香ったせいで、みつばはその場でケホケホとむせてしまった。

――退場したいです。

――陛下の御前だ。それに、私も耐えるばかりなのだぞ。

 よく見れば、キシリルだって大概な般若顔をして、こんなカス台本の壮大ペテンなクソオペラをギリギリ耐えていた。

 切れ長を閉じて徐々に俯く姿を狙ったオーラット帝が、怒り任せにガッとマントを翻してレインを力強く指さした。

「我が妃レインは、苦渋に耐えきれずに、我に申すのだ。『暴虐の兄を討ち果たし、シガンの国に再びの正義と安息をもたらしてほしい』と。帝国500万の臣民よ、我は大帝オーラット1世の遺子カイン・オーラットとして、この私情をもってラングバルクの兵を挙げるわけにはいかぬっ!! しかし、しかしだ。それで何が帝だ。何がラングバルクの皇帝なのだと!! 皇帝たる我が、妃の命のために、それに殉じた心のために、激情をもってシガンを討つのがそこまでの不義なのかとっ!! 正義はどこだっ!! 貴様が正義なのかブライク王!!!」

 オーラットは吠えに吠えながら、掲げられるカルメンの希望に満ちる肖像へ、天辺と指さして高らかに続ける。

「見よ。この落陽は、帝国の迫る未来の姿だ。騎士姿の彼女の眼差しを見よ、まさに帝国の明日を憂う、悲しみの目だ!! 自らの肖像にこのような悲劇を刻まねばならぬほど、彼女は動かぬ帝国を憂いてしまっている!! 臣民よ、我は問う! 彼女の憂いはなぜあるか、彼女の憂いをどう変えるか、彼女の志を誰が受け継いで、帝国の未来を作っていくのかと!! 臣民よ、我は求める!! ひとつの鉄槌を求める!! かの王国に正義を為すための、絶対の力を我は求める!! 神が王国こそ正義と認めても、騎士を失う我は認めん!! 」

 ベランダの欄干を強く握りしめ、身を乗り出したオーラットは叫びに叫んだ。

「帝国の力は臣民の個々にこそ秘められている!! 臣民が結する強き決意にもっともな力が込められている!! 怒る我にそのまま続け!! 怒る我と共にブライク王を滅ぼせ!! ブライク王を滅ぼせ!! ブライク王に正義の鉄槌を、我らの手でこそ鉄槌を振るい落とせぇえええええ!!!!」

 群衆10万と、それを遥かに上回る周囲を加えた大歓声の中で、ジト睨のマテの介助を得て後ろに下がった現代人みつばは、蒼白を超えて土気色だった。


 ペテンを終えた後の宮殿は、すっかり侵攻のための大本営となって、帝国各地に散らばる将軍や動員された騎士団の到着で、熱く活気している。

 それでも自由行動を許されたみつばが、すれ違う初老閣僚が、なぜか女物のハンカチを落としたので拾って追いかけた。

 穏やかな一方で古傷の多くて筋肉質な初老に、キョロキョロ周囲を気にするキシリルの丁寧な接待を受けている。

「我が国が一切を保障すると伝えて、シガン王国外務卿をどうにか宥めた。ひとまず交渉はいける」

 と、声をかけようとするみつばに気づかないまま、奥の分厚い扉へ入ってしまった。

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