033『擬化』
宮殿の北館、天窓から陽の薄く差し込める屋根裏部屋が、宮廷画家のアトリエ兼住居だ。
依頼の期限が少し早まった。
老骨をやっとこ這わせるレオル画家が、お見合いを控えるキシリルの肖像に色を載せていく。
「忙しいところすまんな、レオル」
気晴らしに来た帝国研究所のケルディナール所長が、使い古しのワインテーブルへ卓して、勝手に緑茶を淹れている。
「なぁに、目と手は塞がれど、口と耳は暇のままじゃから。ちょうどええわい」
「羨ましいところこの上ないな。こちとら毎日毎日数字とにらめっこ、ここにきてハルボーマブゼの狂乱景気だ」
「ハルボーにはセレッタも連れて行ったそうじゃな」
「お守りまで命ぜられた。アナグマのようによく嗅ぎ回って大変だったわい」
かっかっかっと、レオルがよく笑い飛ばす。
ケルディナールとて、元々のしかめっ面をさらに渋くする。
そうして視線を逸らした棚に、新しいスケッチブックの1冊が飛び出しているのを見つけた。
「そういえばレオル、お前さん最近は何を描いている」
「つまらんもんじゃよ。それなど、ただの趣味じゃわい」
勝手するケルディナールが表紙を開いて、「確かにつまらんな」とペラペラ紙を捲っていく。
鉛筆のラフ描きは、薔薇の花弁の1枚をよく微細していたり、一つの華を様々な角度で描いている。
「そうやって創造を巡らせて細かに描いてゆけぬと、わしとて目が老いぼれておるのじゃ」
レオルの笑いが少し渇くが、こうも続く。
「そうやって細かな姿を、これまででずっと見てきた思い出を踏まえて想像するのは、有意義でもあるからの」
「しかし、それでよく宮廷画家を務められるな」
「これだから宮廷に長くいられるのじゃよ。別に政に関わらぬし、余計なものも見えないからのー」
両腕を頭上に組んでゴキゴキ伸ばしきる。
休憩らしく、ケルディナールに対面してレオルも座り、出がらしのぬるい緑茶をカップに注ぐ。
「ん?」
つまらないスケッチばかりが、ふいに動物の落書き山になる。
その種類も多様に富んで、人間の髪を生やして服を着ている。
「つまらん遊びじゃよ」
湿気るそばサブレを緑茶に浸してから、ふにふにと口の中で噛んでいく。
フィンチ眼鏡で拡大するケルディナールが、既視感のある一つを見つける。
「ほう。この犬は」
「誰じゃと思う?」
色はない。しかし金色に見える髪をポニーテールに生やしたレトリバー種の大型犬が、灰色のハスキー犬と仲睦まじくじゃれている。
「レイン妃と陛下だろう」
そのつがいを厳しく見ている肋骨服を着たドーベルマンとやはり厳ついブルドッグ、ジト睨が特徴的なもこもこの山猫。
「黒いこれはキシリル様か。ブルドッグのほうはハスエー様。この山猫は、レイン妃の側仕えだったメイドの――」
「マテ・ユリスじゃ」
目に映る次は、画力の入りがもっとも強い。
帯剣した、巻き毛の可愛らしい牧羊犬と、その尻尾を観察しているボサボサなアナグマ。
「カルメン様と、これはセレッタかな」
「御名答」
この喧騒を端から見つめる犬達に目を移す。
思いっきりの事なかれが漂う屋台引きのチワワと、これをメイスでどつきまわしている別のチワワ。
無駄に筋肉質なボルゾイ。
「シガンのブライク王と、フィーリア神殿のカテルジナ神官長。このボルゾイはアルカドラクのゼレガ王配か」
もっとも遠くで吠えていながら、喧騒に関わりたくなさそうな精練な狼犬は――
「……オーラ帝国の者達は、こんな可愛げではないぞ」
「ガトル皇子個人を見ればじゃよ。シガン戦役と外交再開の事前交渉の折に、皇子だけが来られていただろう」
「……確かに。真剣にやっているからこそ、犬猫のふざけた乱闘に加わりたくはあるまい」
ケルディナールは納得だが、ふと気になった。
「お前さんのことだ。わしも描いたのだろう?」
「気づきおったか」
「何十年の茶友達と思っておる。どれ、見つけてやる」
――どうせくたくたのスパニエルの老犬だろう。
「この肥えたブルドッグはノブラ大公、このでかいのはミネル殿下か。となると――」
いくら探しても、そんなくたくたは見当たらない。
「次のページじゃよ。ミツバのお嬢さんと並ばせておる」
にやにや不気味にレオルが笑っている。
ケルディナールは興味半分怖さ半分で、死ぬ眼をしっかりと見開いてめくった。
めくった途端に、死んだ目と死にかけの老眼ががっちりと目が遭ってしまった。
「どへあ!?」
さすがのケルディナールも引きすぎて、椅子から転げ落ちかける。
「な、なんじゃこの、死んだ目のキツネは!!?」
チベットスナギツネ。
「右の隣がミツバじゃよ」
蜂への擬態に失敗した崩れかけのスライム。
「レオルぅうううううううう!!!!!!」
スケッチブックをハリセン代わりに、笑い転けるレオルの白髪頭をぺちぺちはたき続けるのだった。
沈




