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030『我らが最後の栄光を』

 ハゲルント・スピオーネルは、卓越はしないものの、確かな導きを行う辺境伯領の領主だった。

「もう、半年近くになるのですね」

 健在の頃のハゲルントと、まだ幼い娘の色褪せた写真を入れるペンダントを、化粧台にしまう。

 茶に白のふさふさなかつての愛犬トクトルの毛並みだって、彼女にとっては古びた話。

――もう、あの頃の私ではない。

「待たせてごめんなさい。手伝ってくれる?」

「畏まりました」

 しかし、伯を継いで3年とはいえ、それは取り潰しを防ぐための、政治的な名目だ。

 実際には伏せってなお祖父の執政が、テサ・スピオーネルの名において、彼女が痛まない最大限の配慮の上で続いていた。

――だから私は、噂通りのやり手では、当然ありえない。

 祖父の死後、遺されるのは枯れ果ててるのを知って、だからこそ静かな死を整えていた故郷の凄惨だった。

 テサはこの時に、大好きな祖父を初めて恨んだ。

 結局祖父は、かつての栄華を捨てきれない、確かどころか、ただの無能のそれだったことを。

「だから憎まれ役だけは自分で引き受けるんですか?」

 会見の化粧支度を邪魔しないように、メイド山の脇に控えるフォルタは「ケジメとしては理解できるけど」と苦虫だ。

「もーちょっと器用に生きられないの? そんな仰々しくさ、筋ばっか大事にしていちいち通していると、壊れるよ」

「先程の醜態の通りで、私はもう壊れておりますので」

「そ」

 飾っていくテサの後ろ姿を見、「あんたはいいわね」とフォルタは、自分の鮮やかな紫髪のくせ毛を指で巻いて遊ぶ。

「だから短絡浅慮の即物主義者や、ことにリーン先輩が絡むと嫌なんだよ。今回だってせっかく御手洗みつばって特殊個体を自由に出来るっていうのに、何でもかんでも霧散に散らしちゃう」

「あなたも苦労なのですね」

「それはもうね。いつの時代も銭の問題で、ぜーんぶパー。ま、今回はわりと面白いものを見ているけどね」

 テサを見て良機嫌のフォルタの低トーンに、テサは聞き返した。

「なぜって、だってあんた一つを見てもさ。こんな生死の対立ほどのすっごい矛盾なのに、まるごと得心して腹括って、レイン妃に臨もうとしているじゃない」

「それは、そうかもですね」

「で、その得心のわけって何? 辺境伯としての格がそうさせているの?」

「それが一番やも、しれませんが」

「が?」

 支度を終え、テサが立つ。

 「これが現実だからと、確かな手応えがあるからに他なりませんね。私は今度こそ、飾りの人形ではない」

 薄暗に燭台の魔火が自動で灯されていくと、フォルタは、振り返ったテサの銀瞳に、確かを見た。


「ご機嫌麗しゅう。皇妃陛下」

「ぶっ飛ばす前に言い訳を許す。なぜこの禁忌に及んだ」

 レインの通された応接間には、テサともう1人、魔女帽を目深に、鮮紫を下げる魔族の女が、トネリコ杖を携えて控えている。

 漏れ出る殺気と魔力から、只者ではないことはレインにもわかる。

「受け入れることが禁忌とされるのなら、それこそ、理由としては『受け入れた』からに他なりませぬ」

「受け入れた? では貴様が率先した術ではないと?」

「私が気づいた頃には、もはや魔女の手のうち。この魔女『栄虐のフォルタ』の実験場になってございます」

 テサの隣で控える鮮紫が、ぎょっとテサを一瞥してからレインに「私よりもっとひどいのが後ろにごまんと」とぼつぼつ言い訳する。

 しかしレインには何ら関係ない。

「ならば、なぜ皇帝へ助けを求めなかった」

「異常を暗には知らせましたものの、もはや諦めました」

「なぜだ」

「それこそが『受け入れた』から。この一つにございます」

「話に、ならぬな」

 泡を食うフォルタがゾンビに呼ばれて退室すると、張り詰めていた肩を落とすテサが、棚から出すブランデーを銀杯に注いだ。

「レイン妃。今のスピオーネルは、このブランデーの、りんごの濁りみたいなものです」

「私の好かない味だ」

 琥珀に波々と、わずかに浮かぶ果肉由来の濁り。

「そうでしょう、しかし私には、他の地が疎むこの濁りこそが愛おしいのです」

「理解できぬな。それで死都を許すのか」

「この地は望んで止まり続けているのです。止まる行為に、死と生との区別はつきようがない」

 レインは真意を図れず、じっとテサを見つめる。

 銀杯を揺らすテサが、レイン好みだろうと短絡の解決策を出した。

「この首に価値があるのでしたら、私は差し出しましょう。それでスピオーネルを滅ぼさないのなら、喜んで」

「できない相談だ」

 静かに断じたレインの形相は、金狼の威嚇だ。

「理の問題ですか?」

 テサの訊ねに、レインは静かに唸る。

「私は心より、0を繰り返すことこそを、絶対の否としている。死の冒涜よりも、もっともに」

「そう、ですか」

 銀杯が置かれた。

「ではこのスピオーネル伯、帝国に歯向かうしか、ございませんのね」


 フォルタの呼ばれる舞踏間のオフィスは、それまでの喧騒秩序が打って代わり、険悪の対立だった。

 ハルボーマブゼ商人同盟の幹部が、橋の流出で帰れないからと、なおさらふんぞり返った。

 ごまを続ける黄金連合の小動物な一人を気に入って、苛め続けている。

「ああフォルタ殿、このデク人形どもがろくに言う事を聞かず、困りましてな」

 フォルタの視線が、幹部の肥える人指先に向く。

「な!?」

 鞭を持ち出す黄金商人にゾンビ達が唸って、各々の仕事道具を振りかざして抵抗している。

「だから直に命令しないでって言ったのに」

 強欲だけのゾンビ以下に悪態をつくと、本物達にフォルタは叫ぶ。

「扇動しているのは誰!?」

 フォルタほどの大魔女でも、これまで従順だったゾンビをいまさら扇動できる者がそういるとは思わない。

「これ、もしかしてエルダ先輩が……? でも先輩、今は地球で逃げ回るのに忙しいって」

 しかし回答はより想定外だった。

「そ、そそそんんあものはいいなああい」

「われらの、のぞ、のぞみいみみいいいい」

 腐った顔を妙ににやつかせ、文官ゾンビ達がフォルタをけたけた嘲笑う。

「そーかの、エリアマネエエエジャアア、ミツバ、我らの言葉、その言葉、望み、応えてくれる」

――休憩から戻ってきた、この監督ゾンビが直接の扇動だ。

 オフィス内のゾンビも人間も、相対する側なら問わずに希望を叫んでいる。

「あのゾンビスライムがあるはずないでしょ!!」

 フォルタの狼狽えに、より苛烈を強こうとやってきた幹部が、野良ゾンビ好みの脂顔でキレ散らかしている。

「フォルタ殿、これで生じる損害をどう考えるか!! 奴隷より扱いやすいとの触れ込みなのに、契約違反ですぞ!!」

「契約名義はリーン・エスカルドでしょ!!? だいたいこれは想定外の連続の副産物で、手筈を守らないなら何ら保障できないって話をしたじゃない!!」

「そんなものは契約の絶対に無効だ!! この信頼の失墜は高くつく!! それに、連帯保証人の名義はフォルタ殿ですぞ!!」

「はめやがったな、あの緑の綿菓子パッパラパー!!!!」


 城下の広場では、噴水の縁に登るみつばが、万国を問わない労働者の最もたる要求を叫ぶ。

「ベースアップ!」「ベースアップ!!」

 キシリルとて負けじに「わっしょい」と、景気よく音頭を叫ぶ。

 漠然が一個の疑問となるゾンビ達が湧いて倣っていく。

「ベースアップ!」「ベースアップ!!」

「わっしょい!」「わっしょい!!」

「ベースアップ!」「ベースアップ!!」

「わっしょい!」「わっしょい!!」

「えいっ、えいっ、おーーーーーー!!!!」

「えいっ、えいっ、おーーーーーー!!!!」

 その数、推定で3000。

 領内の、人型に生きる者が全員。

 装いだけのゾンビだけじゃなく、生きている多種多様の生者まで含めて。


 捨てられ老いて死してなお迷う老木彫師が、さらに膨れ上がる混雑集団をより駆り立てた。

 彼は叫ぶ。

「我らの迷いに導きを」

「スピオーネルに最後の栄光あれ」

「わっショい!」「わっショイ!!」

「ワッしょい!」「わっしょい!!」


 ゾンビとなっても老婆は叫ぶ。

「我らに変わらぬ営みを」

「スピオーネルに最後の栄光あれ」

「ベぇスあっプ!」「ベースアぁぁあああプ!!」

「えいっ、えいっ、おーーーーーー!!!!」


 スピオーネル兵だって叫ぶのだ。

「我らに永劫の誇りを」

「スピオーネルに最後の栄光あれ」

「ワッしょい!」「わっしょい!!」

「わっショい!」「わっしょイ!!」


 鞭を下ろした黄金商人が、彼らの望みに重ねて駆り立てる。

「根無し草に豊かな土地を」

「スピオーネルに最後の栄光あれ」

「ベースアップ!」「ベぇええええスアップ!!」

「えいっ、えいっ、おーーーーーー!!!!」


 洗脳から解ける聖王教団の司祭も、彼らの求めに真理を叫ぶ。

「人の子に約束の眠りを」

「スピオーネルに最後の栄光あれ」

「ワッショイ!」「わっショイ!!」

「ワッしょい!」「わっしょい!!」


 点在する焚き火の屯ろに、リュートと笛がかつての歌と旋律する。


手折る巨木ぞ 誘惑の如く

巻き添える木々に注するべし

若人 古き木こりに教えを乞うて

録されぬ知を代々遺せ


 老若男女、生も死もここにあらせず。

 子も老人も聖王の徒も、スピオーネル騎士も、国境警備にある帝国兵も。

 みな、揃えて歌う。


歌い継ぎて この木こり歌を

スピオーネルの掟と戒めん

若人 古き木こりに教えを乞うて

録されぬ知を代々遺せ


 時の限りの彼らは、死を臨み歌うばかり。


死に之く我らの礎は

名もなく この地に刻まれる

博愛に満ち足りるこの歩みに

山の木々は生い茂ゆ


 時の限りの人はただ、生に足掻いて歌うばかり。


ただ墜ちゆくスピオーネルに

もう一度 今一度の

最後の栄光を

理を狂う我らがこそ

神を屠りてなお成さん


「テサ、さ、ま」

「テサお嬢様」

「テサ・スピオーネル伯」

「ご、りょ、しゅー」

 城下道に埋め尽くす理想郷の民達が、父祖が王国の頃の拝謁と重なる、変わらぬ活気で湧いている。

 ベランダの欄干を掴むテサの後ろからレインも続くが、その横をどたどたとレトルとベリオールが走った。

「テサ・スピオおおおおおネル、辺境伯」

 レトルが傅いてテサへ一報すると、ベリオールも淡いピンクのサペリ杖を差し出した。

「新知事ミツバ・ミタライの命により、しっせぇええいのお杖、を、今、お返し、いたしまするぅううう」

「ミツバ……!?」

 茫然のレインの前で、テサだって戸惑うも、決死た今こそと受け取った。

「ご領主が還られた! カエラれたぁああああ!!!」

「スピオーネル、に、幸せを!!」

「すぴおーねる、万歳、ばんざい!!」

「スピオおおおおネル、再び、本当の、栄光を!!!」

 生死の垣根を融かした領民達が、この善き永遠をより叫ぶ。

「我らがスぴおーねる、未だ死ナず。この健在ヲ、世界に、栄光を、最後の栄光ヲ!!!」

「我らに永劫の安らぎを!! 我らに変わらずの誇りを!!」

「スピオーネルに栄光あれ!」「スピオーネルに栄光あれ!!」

「我らがスピオーネルは栄光の下に、過去と明日がともにある山の守り人は、今もなお!!」

「万歳!!」「ばんざーいいい!!!」


「……レイン・ハヴェーノ=カイン・オーラット・ラングバルク皇妃陛下」

 テサは振り返ると、一突したサペリの杖の握りに埋められた丸いエメラルドをレインに向ける。

 すぅ……と、レインは静かに、テサ・スピオーネルを見た。

「150年の浅歴に誇りを持つスピオーネルの当代として、決闘を申し込みます」

 テサはもう引き下がれない。

「これは私に対する侮辱ではなく、ただの国家反逆と受け止める」

 それでも止まない金狼の唸りに、テサは諦めて微笑んだ。

「そうですね。帝国への謀叛と、今までからして何に違いましょうか。ですので、同じ斬首が定めなのなら、この誇りの中に散らせていただきたい」

 握りこぶしもあるエメラルドに王国滅亡以来150年ぶりの主の魔力が宿された。

 テサは軽く薙ぐように振るうと、蛍火を纏う緑光を曳した。

「皇妃の嫌う0の繰り返しを、我が民が求め、こうまで訴えるのです。最後のスピオーネル領主として、これに応える義務があります」

 西陽も昏れる。黒く眩い星空へ、杖を携えるテサ・スピオーネルが浮いていく。

「どうぞこのスピオーネル伯を見事討ち果たして、これに引導をお渡しくださいまし」

 ローブの袖裾を破るレインはナックルダスターを嵌め直すと、ミスリルの打撃部を合拳して飛び上がった。

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