003『可憐の騎士にシレネの花束を』
午前2時の起床アラームが無機質に鳴っている。
心地のよい鳩尾の鈍痛を擦りながら、自宅ではない綺麗なシーツをめくって、ボヘミアンドレスのみつばが起き上がった。
怪訝にあたりを見渡す。――隅々まで掃除をされているものの、これは塔てっぺんの監禁室だ。
――ファンタジーな異世界に、来ちゃったのか。信じられないけど。
……これはさすがに懲戒解雇だろうな。
はせるみつばが、シンプルなサイドテーブルにベルで圧えるメモ書きに気づいて広げると、汚いひらがなで『べるならしたらめいどくる。ようじはめいどへ』と書かれている。
ぎゅるるるるる……。
ポテチの油しか残っていない荒れた胃が、ぎゅーぎゅーと空腹を訴える。
――さすがに、こんな時間にメイドさん起こすのは可哀想だし。二度寝しよう。
「失礼いたします。起きられたのですね?」
開いた鉄格子の先で廻る、石の螺旋階段を蝋燭台頼りに登ってくるのは、私をこの世界のドレスへ着せ替えした、真紅髪のあどけない顔のメイドだ。
温かいミルク粥と水ピッチャーを携える。
「さすがに口にされていた量のポテトチップスだけでは、夜中に起きられてしまうと思って粥を用意していたのですが……」
あどけないくせに随分とジト睨な水色の瞳が、みつばの左手首のうちに巻かれたデジタル腕時計をきっと睨みつけると「こちらに滞在中は、その腕輪の音が鳴らぬようにしてください」とだけ言って、ひとまずの強行はなく引き下がったのだった。
「レイン様の側仕えで、マテ・ユリスと申します」
「あ、御手洗です。着替えのときはどうも」
――よくよく見ると、現代日本のゴスロリめいたヴィクトリア調とは全く異なるメイド服だ。
……近いものをいえば、黒いブランチコートの上からエプロンをした簡素な装い。
左腿にスティレットが鞘で収まっている。
「一応はレイン様の護衛も務めにありますので」
みつばの着替えの応援に入った数名のメイド達は、確かに彼女と違って、テンプレめいたメイド服だった。
「あの、レインさんって、やはり本物のお妃様なんです?」
――17歳くらいかな。真紅のショートカットが少し萎れてジト睨の下に薄らと隈がついている。
幼気なのにものすごく深い、理不尽への溜息が喉元に戻された。
「拝命して以来、暴走するレイン様へスティレットを向けることがずっと多いですけど」
みつばの質問を聞き逃したのか、自分の話を続けて愚痴かけている。
「あ、失礼。レイン・ハヴェーノ=カイン・オーラット・ラングバルク様は、確かにこのラングバルク帝国の現皇后であらせられます」
――いや、暗殺者よりその護衛対象に対してスティレットを向ける頻度が多いって、どれだけ駄犬なんだあのお姫様は」
「心の声が表に出てしまわれています」
その苦労がわかってくれると思ったのか、戻した溜息を豪快にぶっかましてベッドの、みつばの座りに並んだ。
「それでも、レイン様の側仕えを獲得できた私はまだ良いほうです。結構競争率高いんですよ? 他の皇族相手では気を張り詰めるばかりで……特にカイン様の場合だと、レイン様とは別格の、外道と下品と狡猾を極める工作を相手にしなければなりません」
マテが振り返るとみつばの「あの姫様の上を行くのが少年皇帝のシベリアンハスキー」という事実に対して開いた口が塞がっていないが、そのまま続ける。
「必要の士気を煽り立ててサボりを誤魔化すための計略が大変お得意、かついちいち規模が大きすぎるがため、しかも想定外に対しても便乗して利用するために、かえって今の帝国が狂犬国家として覇権しているのです。そのきっかけがレイン姫のお嫁ぎだったものだから、だからシガン国王というよりカテルジナ神官長が、あなたを勇者として元凶の暗殺に差し向けたわけでして……」
「うっわー、さいてー、大迷惑ー」
ただの政治に巻き込まれたと理解したみつばは、もう馬鹿馬鹿しくなった。
脱力するみつばの前に、マテが改まりスカート裾を摘んでお辞儀した。
「ミツバ様、ひとまずはこのマテが、ミツバ様に仕えるようキシリル様から命ぜられました。わたくしとしてもミツバ様へ率先してお付きしたいので、ご用向きあれば、今からでも申しつけくださいませ」
「よろしくね、マテさん」
やっと気の抜けたみつばが、それでもマテに対して45度で屈してしまった。
夜空の白けていく、彫刻柱の美しい渡り回廊。
後ろにマテのお目付けを受けながら、サックドレス姿のミツバが、きょろきょろちくちくと忙しなく見渡しながら歩いている。
「ミツバ様。このような早朝ですし我々の他には見回りの兵以外おりませんが、そのように挙動不審では危なくございます」
「うん、わかってる。わかってるんだけど」
脇を占める白薔薇のつぼみが、朝露を滴らせている。
続いていく低木を歩きながら横目に続けてみていくと、キャンバス布の張られるイーゼルが立ちはだかった。
「おはよう、マテ・ユリス」
「おはようございます。カルメン様」
画家の老人が鉛筆を削っている前、昇ろうとする朝日と白薔薇と回廊との画角を確認するように、白銀胸当ての女騎士が爽やかだった。
「ミツバ殿も、ずいぶんとお早い散歩ですね」
「謁見の時にはお世話になりました」
――キシリルって側近と一緒にレインを引きずり出したり、謁見でも私にエスコートして合図を出してくれていた女騎士さんだ。
「宮廷を守衛します、騎士カルメン・ザルアです」
――22ってところだろうか。新卒女子でも特級なほど爽やかで誠実を心得ようとしているそんな感じ。
「昨日お会いしたときより、だいぶほぐれてくださいましたね。よかったです!」
「あの、それでカルメンさんは、こんな朝に何されているんです?」
3人娘に構わず、画家の老人がのっそりと下書きの準備をしている。
「陛下が、叙任したばかりのわたくしのために、肖像画を描くための画家を手配してくださったので」
感激するカルメンと感心するみつばの後ろで、マテの顔が険しくなっている。
「我がザルア家はかつて伯爵位にあれども、破産した今では領地まで抵当に取られ、老いた母幼い兄弟は貧民窟で寄り添い炊き出しにありつくような没落の憂目にあります。ですので近衛7番の隊長を任ぜられた今、この肖像には、あの朝陽へ我が感動と忠義の誓う姿を描くことで、亡き父ダクムンに対し、ザルアの明日を約束したいのです」
渡米準備中の暇を狙われてダークネス企業に毒されきったみつばとは違い、このカルメンは立志し、若きに思いに輝いていた。
……だからこそ、こんな子を何人も見て扱ってきたみつばが、人事の担当経験から軽く忠告する。
「ただの配置都合に対して、特別な意味を見出さないほうがいいですよ」
「おられた世界で一体何を見てきたんですかミツバ殿」
マテまでギョッと引くほどのみつばの目は、あってはならないほど深淵だ。
爽やかカルメンはすっかり怯えている。
「いやいや、夢があるっていいなーって、特に動機を抱いて突き進めるって素晴らしいことだよなーて」
用意のできた画家老人がカラカラ笑っている。
「ミツバとやら、このような無垢の娘を脅かすではない。ほれみい、顔が強張って表情が出ないではないか」
「す、すみません。つい色々思い出してしまって」
深淵からみつばは我に返った。
……ビクついてマテの後ろで怯えるカルメンの手を握りしめて、またマテがみつばをぎりぎりジト睨してきている。
老人がかっかっと高く笑う。しかし人生の受け売りとして、特にカルメンに向けてしっとりと語る。
「わしは平民の出じゃから、こうして作るばかりで使う術は知らぬわけじゃ。だからわしがどのように騎士カルメンの可憐と決意を彩ったとて、意味合いは人により随分と異なる。それは哀しいことではあるが、時には予想もしない面白さもあるものじゃ。……騎士さんは随分と無垢じゃし、そのミツバに次いでわしも老婆心がら言うとくが、悪いものには戦って勝つのではなく、どう柔らかく躱すかじゃよ」
みつばはよく同意するが、肝心のカルメンは知るだけで識ることをしなかった。




