022『ガラスの停滞』
瀕死のボロからエリクサー投与で回復させられた若い女辺境伯は、乱闘の記憶を飛ばす後遺はあるものの、ウェーブの強い銀髪にカチューシャを差した新たな装いで、ラングバルク狂犬帝オーラット2世一行に傅く。
「ところで先代のハゲじゃなくて、ハルゲントは?」
「祖父のハゲルントでしたら4カ月前に……」
……彼女の臣下達は、オーラット帝としての厳命に命の危機を感じながらも見事に演じきり、一見にはなんら不自然の見られない。
そのうえで正規軍くずれの盗賊がひとしきり暴れたような自城中庭を「誰かが皇帝に粗相を働いたがゆえの残酷な仕置き」として疑うことなく誤魔化された辺境伯テサ・スピオーネルは、持ち前のゆるふわ小心をもって歓待の主催として立ち上がるのだった。
……それまでの一部始終を全部知っている黄黒ツートンのロココ姿の盛り髪みつばには、自分より3つほど年下の銀髪美女辺境伯が、小心者だがやり手という評判以上に天然アホの子にしかみえていない。
金髪ふさふさを巻く冷血美貌の水色ロココのレインと、ふりふりフリルの赤いロココの華憐カルメンと、控えるメイド姿のマテとで、女性陣は壁際のソファに固まった。
特にレインが上品な佇まいを崩さず、無遠慮の皿盛りを摘んでいく。
オーラット帝としてせいぜい冷酷演技を崩さないカインが、テサを誘って、他を割らせる中心でワルツする。
瀕死のボロからエリクサー投与で回復させられたシガン王ブライク=ハヴェーノは、遅れて入ってきた夜空意匠の深紺フルコートの麗女に一瞬ときめきかけるも、中身がカテルジナだと確認して心底疲れたのだった。
そんな深い深い深い深い溜息をくらうカテルジナの手袋の中で拳の血管が浮くも、あらゆる理不尽をぶつける先がこの場に存在し得ないために、さすがに呑み込んで堪えることとした。
孤独の壁際で、やや不健康そうな美男が、ワインをちびちび口にしながら舞踏会を眺めている。
カテルジナがスカートを摘んで挨拶すると、そのキシリルは特に嫌がることもなく隣を許したのだった。
「ミツバを帰さない判断は正解だったようだ」
キシリルから話しかける。アルコールが効いているのか、カテルジナが知る彼にしては饒舌だ。
「ミツバにしてみても、かの『ハクアイスーパー』での5年間が異常の獄であったことにようやく自覚が出たようだ。もちろんここでの生き方は、ミツバにとっては不便極まりないし、家族を遺したままなのも、おそらくは気に病んでいるだろうが、それでも機運というものがあるなら、召喚こそがそうだったのだろう」
酒杯を受け取るカテルジナは、そのキシリルの安堵に異議があった。
「神の定めがなくとも、人はあるべき場所にある姿で修まる必然と義務があります」
受け取った酒杯には波々と、40年熟成のブランデーが黄金を浮かべている。
「ミタライミツバをそもそも召喚するべきではなかったし、なにより帰すべきだった。かのレインを罰す方法は、他にもあったはずが、確実だからと短慮に至るが間違いでした」
――口に含むとりんごのとろみと芳醇が広がって、飲み口の良さについ次を入れてしまう。
同じブランデーをキシリルも注いで香りを楽しみ、一口して「渋みが過ぎるな」と置いてしまう。
酔いからかキシリルは目を細めつつ、カテルジナの異議について答えた。
「このキシリルとて、今までが変わることがどれほど恐ろしいか、貴殿と同じ程度には理解している。もちろん変化の鬨を拒むことは出来ない」
誰かのメイドに水を頼んでから、手近のソファにもたれかかる。
キシリルは続ける。
「しかしそれであっても人のそれぞれが持ち寄る『変わりたくない一心』が寄り集まり、物事が出来ているわけだから、だから人というのは、そう簡単には変わらぬし変えられぬし、変わられないのだ」
運ばれてきた銀杯の水をぐびっと飲み干し、なお残る事実――。
「皆変わりたくないからこそ歪んでしまい、こうやって今を争って、滅ぶ。だからこそ世界は、どのように施しても終わらぬ」
「だからあなたは、オーラット帝に仕えておきながら、その野望を妨害する限りなのですか?」
杯を置くカテルジナは、今は解いて真っ直ぐな青髪を横に振った。
「確かに、大帝オーラット1世は万物を平定するために等しく総べようとする、怪物でありながら完全のために古賢を志す王者でした。しかし今のオーラット2世は、同じ王で同じ手口をもってしても、その目的は『変わらぬものを変えてただ破す』こと。完全に飽き足らず、完璧を超えゆく『魔』に墜ちてまで……穀潰しどもはそうして、いったい何を得たいのか、何を守りたいのか。私にはわからない」
「陛下の御前、言葉を控える。しかし」
大帝が隠れてから10年も実質の執政者としてあるキシリルは、カテルジナに足りない点を突く。
「率いる将がやっと一人あって、その変わらぬ一心が適い、またぶつかるという不条理があるのも事実。だから皆、それぞれに『変わらぬ』とつとまって、必然として将の旗下に現状維持が相成るのだ。そこに思慮も、命の良し悪しも、幸も不幸も、機運とて取り合わぬ」
「……その見解は、ただの生ける屍です。善きを知り幸を得て、機運を掴むこそ人は生きられる。古賢がそう教えている。普遍の真理を塗り替える新たな考えがあってはならない」
ヒステリックの色をするが、それでもカテルジナは場を弁えて、キシリルの隣を立つのだった。
翌朝のみつばは、スライム体も保持できずに融けていた。
珍しい南方だからと青いバナナを食べるレインはみつばのベッド横で、あのヘンテコの続きを書き綴っている。
「だから飲むなと道中から言った。特に、南の酒は雑味を好む癖のせいで、飲むと感覚が歪んで立てなくなるとな」
――消毒レベルの薄いエール水ではない、本物のアルコール……現代規準では濾し足りていないどぶろく気味のブランデーに悪酔いし、頭痛のみつばが這いずって起き上がる。
「これでもちょっとは嗜むほうなんだよ……? ……慣れないと役員の接待もあるし、酔わせて持ち帰ろうとしてくるし」
「うむ。やはり、この世界にあって正解だったな」
カスが過ぎるだろうとばかり側仕うマテが唾棄し、涼しく返したレインに同意した。
それでも、起き上がったみつばが日本でよく飲んできたお酒の数々を思い出し、少し恋しくなる。
「『すとろんぐなんたら』か?」
「カップ酒とチータラ……、あれ人を眺めながらだともっと美味しいんだけどな……」
――思い出すなぁ。お酒のお師匠のこと。
「いつも車で本部や店舗を巡回するから、それでも休みたいときにお酒飲んで、わざと運転できないようにしてたんだ。でも上が、減給処分と一緒に、仕事の分までガソリン代を廃止して交通系電子マネーの現物支給にしてくれちゃって、それからかな、飲むのも年末年始ぐらいになったのは」
「言うなミツバ」
「そんな時にお酒のお師匠に会ってさ。中年の男の人で家庭もあるだろうしって話すことはなかったんだけど。ただアルコールに逃げるためにお酒を飲んでたから、あの人に出会わないとここに来る前にお酒で死んでたかも」
「だから言うなミツバ」
「あの人がいない時を借りて、北改札前のコンコースの、駅員から見えない隅の柱に立ってさ。そういうときって夜の11時ぐらい過ぎて帰りの市バスも出ちゃった後なんだけど、中央線へ乗り換えるドーム客の中に子供がきゃっきゃしてはしゃいでいるのがとても可愛くて」
堪えられないマテの激しいどつきで再び沈むみつばに哀悼してから、朝の執筆を終えたレインが腕を伸ばし背筋を鳴らす頃に、散歩に出ていたカルメンが、ハツラツと肌を艶立たせて戻ってきたのだった。
オフでしかもスピオーネルという保養の名地だからなのか、マテの冷ややかを押しのけるカルメンが妙にはしゃいでいる。
マテ、レイン、それにみつばの注目を得たカルメンがよく誘う。
「テサ様から言伝てで、滞在中は馬を貸し、自由にくつろぐようにとのこと。それに陛下も、ここより四半刻ほど高地にある皇室専用の浴場を使って良いと、お許しいただきました。私一人では正直行きにくいので、一緒に行きましょう!!」
「マテとミツバ、カルメンに付き合ってやれ。熱いの嫌だから私はいらない」
徹夜だったレインは、みつばのブランケットを手繰り寄せると瞬間に熟睡してしまう。
しょうがない付き合いのお守りとばかり、立ち上がるマテがメイドエプロンをさっと整える。
そうして、レインと一緒に沈もうとした二日酔いのみつばを、2人かかりで引きずっていく。
「このスピオーネルは神代から語られる保養の地。毒を消す湯の泉が豊富に湧くのですよ!」
騎乗をカルメンに手伝ってもらい、大きすぎる輓馬の一つの背に3人が跨った。
緩やかな上り坂を豪快にかけていく輓馬の上で、より悪化する前に酔いの抜けたみつばが道端に広がる棚になる米畑を見渡していく。
よく見ると田んぼではないようで、配水するための水路など見当たらない。
「おかしいですね。落ち穂を拾うにも、また植えるにしても、何も持っている様子がないですが」
陸稲の刈り終え、新たな種まきに備えた狭面の数々で、金の死装飾を首提げる土まみれの人形が、呆然と蠢いている。
「ゾンビだな」
「ゾッ!?」
「やはりゾンビですか。可哀想に」
みつばの覚醒が恐怖に染まるも、マテもカルメンもまったく動揺していない。
彼らに寄って集られないよう、馬の腹を軽く蹴って先を急がせる。
「帝都の貧民窟でもまれに出るしな。まあ気持ち悪いし実害も出るしなんだが、うかつに片付けると、どこの神殿も、死者への冒涜だとうるさいんだ。実際、死んでまでああやって起こされて、可哀想なのはわかる」
そうマテが注釈をする頃には馬を降り、荘厳な大理石造りの玄関だった。




