020『異世界の朝は』
土神日の朝。
キシリル・エスティファールの朝は早い。
「うぅ……」
占拠している使用人のベッドから起きて早々に、こみ上げてくる胃酸を一杯の水で胃に戻す。
最近は小ジワまで刻まれる隈を洗面台の銅鏡でよーく確認すると、深い溜息をついた。
「いかんな……このままでは白粉でも隠れない」
前日に汲んだバケツを手提げて表にあるポンプの呼び水に使う。
がっこがっことハンドルを漕ぐとバケツ2つの新鮮な井戸水を得、台所の水瓶にじゃーと開けていく。
付き合いで唯一雇った若すぎる奉公メイドが「キシリル様おやめください!!」と叫ぶがもう遅い。
既にキシリルは寝間着にエプロン姿で台所に立つ。
2つのスキレットにソーセージと割った鶏卵をそれぞれ焼いて、かまどの予熱で白パンを雑に温めつつ、レタスを切り始めている。
ぱつんぱつんとスキレットの上で頃合いのソーセージがよく弾けたのを見計らい、千切りレタスを敷く平皿へ。
ポットも沸騰して笛を鳴らしたので、緑茶葉の粉末を入れたカップに湯を直接注いでいく。
「私の仕事を盗らないでくださいぃ~!!!!」
駄々娘にしょうがなく場を任せると、さっさと使用人室を出、主人のあるべき食卓に座る。
泣き面のメイドが形ばかりの給仕をしていくのを片手間に、持ち帰った報告書の山へ目を通し始めたのだった。
安息日の朝。
カルメン・ザルアの朝は早い。
そのうえ半月ぶりの休暇のため、可憐の騎士カルメンは実家に帰っていた。
分解した木箱や古樽で作るベッドの下段から、特に幼い弟妹を踏まないように起き上がる。
上の弟と一緒に錆だらけのバケツを持つと、抜けそうな階段を馴れた足取りで降りていく。
ボロアパートの中庭へ、ボロでも小綺麗な主婦達の並びに自然と加わる。
端にある井戸の釣瓶を剣覚えの腕っぷしで難なく組み上げては、組み上げのひどい空桶をまた落としていく。
「姉上、この桶、直すことはできないのでしょうか?」
「直したいのはみんなそうだけど、その許可を大家が出さないからね」
ただでさえひどい居住性をわざと悪化させて、住人を追い出してから全部直す腹づもりなのは、誰でも想像のつく通りだ。
――しかし本来の6割も水を汲めてないのはひどいものだ……。
ザルア家のバケツを井戸に貸したカルメンは、弟の押さえで桶の錆フランジを慎重に抜くと、分解された桶板の一つ一つを目と指腹で確認していく。
板同士の隙間が真っ平らになるよう、護身で帯するショートソードの剣先で慎重に削った。
「姉上、それはないです」
「うん。カンナがあればより良いのだけれども、しかし私が大工道具を使い慣れないゆえ」
「しかし騎士として、そのような使い方は……」
カルメンは爽やかに笑み、弟に語りかける。
「まるで亡き父上と同じことを言うようになったな。面影もある。私は嬉しいぞ」
「いやカルメン姉、『使える』と『使う値』は違うっていつも言われただろう。父上が生きていれば同じこと言うよ『みっともないからやめろ』って」
月神日の朝。
マテ・ユリスの朝は早い。
塔監禁室のベッドで溶けているハチ模様の中古スライムを叩き起こすと、マテの規準でも『雑』レベルのワンプレートの山盛りを出し、さっさと平らげていく。
「どうしたミツバ、不満か?」
「いえ、不満というわけではないのだけれども、……マテさん、朝からよく食べるね」
みつばが黒瞳でマテを凝視するので、マテも水瞳でジト睨み返した。
「食べれる時に食べないと、まともに体力がつかないし、だいたいこの仕事、いつクビになってもおかしくはないからな」
『クビになってもおかしくはない』の文言に、みつばの瞳がなぜか爛々と輝いたので、マテのジト睨がよりきつくなった。
「おいミツバ、そんな嫌な趣味があるのか? 『人の不幸は蜜の味』とか思う口か?」
「いや、そういうわけではなく、マテさんでも失業は怖いんだなって」
「そりゃ怖いだろう。いつ斬首されるかわかったもんじゃない」
……みつばの「あれ?」に、マテが追撃していく。
「陛下とレイン妃はしょうもない駄犬だが、駄犬なりに情があるからこそ私は躾としてスティレットを向けることができるんだ。だが考えてもみろ。あいつらは駄犬であると同時にまがりなりにもラングバルクの皇帝夫妻でかつ、周囲の迷惑を考えないガチの狂犬だ。風の吹き回し次第じゃ私など」
みつばの顔面蒼白を見たマテが、「流石に言い過ぎたな」と咳払いして挽回する。
「そんな事態になるのなら、私はそもそも斬首を命じる狂犬の喉元をそもそも掻っ切って、『二度とやらない、真面目に公務する』と正気になって誓うまで、つがいともども地下牢で躾けるがな。ま、幸いそこまでの必要を感じるほど、陛下が仕事を放棄しているわけではないし、レイン妃とて陛下がそうなるのを望まれないから大丈夫だろう。それに、宮廷に勤めて2年間、今までの仕打ちでそうしなかったのだから、私はだいたい寛大だ。そう思うだろうミツバもさ」
「やっぱり私と冒険者ギルドの求職列に並びません?」
「私から辞せられるものなら、とっくの昔に辞めている」
――先代のザルア伯爵に助けられた命とはいえ、恩赦身分はこれだからつらい。
火神日の朝。
ハスエー・ノブラの朝は早い。
「父上母上、おはようございます」
朝からチェンバロの音楽が奏でられる中、透き通るほどのガラス天窓が朝陽を暑いほど食卓に射し込んでいる。
――単に窓を開ければ涼しいだろうに……。
食卓につくハスエーはさっそく目つきを正す。
両親のノブラ大公夫妻は、向日葵入りの氷柱を置いたうえで複数の使用人に大扇をあおがせる中心で、パンケーキにオレンジジャムをふんだんに載せて食している。
「ふむ、ハスエー。キシリル殿の見合いだが、写真はまだなのか?」
「父上。キシリル様は見合いに臨んで、手軽すぎる写真ではなく、宮廷画家のレオルが手掛けてございます」
「いかんことだ。レオルのような古いだけの老人に描かせては、キシリル殿の本来の魅力が引き立つわけがない」
自身の込める蔑ろにすらまったく気づかないノブラ大公の弁を、ハスエーはパンケーキと共に飲み込む。
――いつもの悪癖だ。どうせ言い返せばそれだけひどくなる。
19歳のハスエーはよく耐える。
「ハスエー、このほど皇帝陛下は帝国各ギルドに対し、この程国交を回復するオーラ帝国を警戒するように裏で通達を出されたそうだが、あれはお前の入れ知恵かな?」
「いいえ父上。それは聡明なる陛下自身のお言葉。私の差し手では」
眉間の険しいノブラ大公が、パンケーキを突いていたフォークを少し鳴らした。
「かのオーラット大帝の遺児を導くことこそ、宰相たるハスエー、お前の責務なのだぞ。陛下自らが意思を持ちとり仕切らねばならぬそのような過小の働きでは、我がノブラの家はなんとなる」
「父上、それは陛下に対する無礼とは思わないのですか?」
「ハスエー、お前こそ自らの父に、ひいてはノブラの血に、無能の烙印を――」
俗物も甚だしい自分の父の弁を馬耳しつつ、ハスエーはよく思う。
「だからカインが余計に駄犬になりたがるんだよクソが」
――当然飲み込んで心の声だが。最近はキシリルの悪口が伝染ったのをよくよく感じている。
水神日の朝。
カイン・オーラット・ラングバルクの朝は早いが、逃げるのも素早い。
「俺だってな、もう疲れてんだぞ!!!」
自室の窓から外壁に張り付いているカインを、キシリルとハスエーが手を伸ばして連れ戻そうとしている。
「休む前に予算書にサインをしてください」
「ゼレガ王配との会談は絶対です。断れば殴られますよ」
「あと人事の最終判断をお願いします」
「ガトル皇子が出席される昼食会は陛下が主催です」
「オーラ筋の情報も確認してください」
「だあああああああ!!!!!!!!」
護身のダガーを外壁に突き立て宙吊りになる、寝間着姿のカインが三白眼を剥いてキレ散らかしている。
「何でもかんでも俺に振るな!!! 自分の頭で判断できるのも多いだろうがい!!!」
負けじとキシリルとハスエーも理不尽にキレる。
「「その判断をできなくしたのはお父上たる先々代オーラット1世です!!!」」
カインはその恨みを存命の前帝へぶつける。
「アーネスタおじさんが皇位を投げつけて逃げるわけだよちっくしょー!!!!」
そんな頂上における低レベルの攻防をセレッタ・バープルストが見上げ、木炭筆で描くイーゼル越しに宮廷画家の老人が答える。
「お前さんの得意な観察から導びかれる道で解決しうるものではないぞ」
しかし、セレッタの観察はそこではない。
「多分皇帝の体重ってエールの中樽ひとつぐらいだと思うんだけど、だとするとあの古い短剣はそろそろ折れると思うな。剣と違って刃と柄が一体だから一見は折れないようにみえるけど、お師匠が言っていたとおりなら、皇帝の持ってる短剣って焼入れしない古い時代のものを代々受け継いで使っているだろうし、よく見て、だんだん刃がしなって、皇帝がバランス崩しかけてる」
「お前さん、せめてその答えから助けようとか思わんのかの?」
「おじいさんだって助けないのに」
「わしは年寄だから許されるのじゃ」
セレッタは頬をぷくーと膨らませ、のどかに笑う老画家に不平を表した。
木神日の朝。
レイン=ハヴェーノ・カイン・オーラット・ラングバルクの朝は遅い。
遅いと言うより、存在していない。
「おいこらレイン。……起きろレイン」
緊急がなければ、月一定例に行われる臣民の拝謁。
欄干ごしに臣民を前にしたオーラット帝姿のカインが、隣に並ぶレインへ耳打ちするも無反応だ。
アゲハ嬢レベルで盛り髪された侍女扮装のみつばだってレインを後ろから小突くも「しらばっくれー」顔で寝て……そう、冷血美貌を醸して琥珀瞳を見開いたまま、この駄犬は居眠りだった。
端にいるキシリルとハスエーも気がついてコメカミに血管をにょきにょき浮かべるも、オーラット帝の演説が打ち出される中、しかもよりにもよってそのオーラット帝の横にレインが立つことで、うかつに動くわけにはいかない。
オーラット帝はこの程、国交を回復するオーラ帝国について言及していく。
「南を覇すオーラの民を率いる帝王エギズ・ヴェルクリスは、我がラングバルクの良き盟となり、我オーラットと共に世界を統べる友となろう」
「友……はーげる……すべすべ……クソジジイ……?」
――!?
さすがのカインも顔面蒼白だ。
幸い拡声魔法が拾わなかったが、思い出してニヤつく寝ぼけの氷笑に危険を感じるみつばとカインが、可能な限りの声でレインを起こそうと試みる。
異変は別の意味に捉えられ、後ろに控えるキシリル、ハスエーが顔を見合わせ「レインが何か企んでいる」と踏むと、ベランダ奥の控え部屋に立つマテにハンドサインを送る。
受け取るマテはレインの後ろ姿をジト睨しながら距離を確認した。
靴紐を結ぶふりでブランチコートをあげ、左腿のスティレットの隣に差す葦筒を抜く。
――東蛮の部族が戦いに好んで使う、石化毒を込めた針が装填済み。
ソファーの背もたれを遮蔽と支えに使って、レインの首筋を狙って吹矢したのだ。
しかし狙いが外れてみつばの首筋に刺さったので、マテは「やっちった」とジト睨を点にしてぼやいた。
しかしみつばには効き目なく、外れたと思えばちゃんと首筋に刺さっている。
演説を続けるカインからレインを引き剥がそうと、思案の限りを巡らせているようだ。
毒ではないのかと予備の吹矢の中身を舐めると、舌から全身へ途端にビリビリと毒が猛烈に効いた。
そうしてマテがその場で石になりひっくり返る。
その好機をキシリルが逃さなかった。
拝謁ベランダの中を警備している近衛7番次長がオーラット帝に耳打ちして演説を中断させる。
隊長カルメンの可憐な怒声を幕引きとして、演説はすかさず暗殺未遂の現場を演出して、安全を確保されながらカインがレインを一見は護るように引きずっていく。
「生きた心地がしねえよまったく……」
棘々邪悪狂犬姿のカインが安堵して崩れる。
事態を把握したキシリルとハスエーがまだ居眠りを続けるレインに「駄犬め人騒がせな」と暗に無言を浴びせるも、その侮蔑はすぐ土気色に染まった。
「あのハスエー君? キシリル様も。……えと、カイン君??」
――この中古スライムはやはり本物のスライムらしく、コカトリスが持つ程度の毒は効かないようだ。
可愛らしい童顔の薄そばかすに大きな黒瞳を長い睫毛ごとぱちくりさせて、自身の細い首に刺さる細長い何かを抜く。
紫リボンのついた吹矢だと摘んで観察するみつばだったが、なぜ自分に撃たれたという疑問より、長年の肩こりが明瞭にとれたその快感のほうが強く、無意識のまま肩をよく回していた。
金神日の朝。
御手洗みつばの朝は早すぎた。
国産チープのデジタル腕時計が指す午前2時50分に、今更コカトリス毒が効きはじめてガンギマリを起こしている。
「あーああああああ何かしなきゃ何かしないと何をしないと何をするんだっけ片付けはもうしたしこれ以上は片付けるものもないしああああどうしようどうしよう」
宮殿西塔、自室として解禁状態の監禁室のベッドを整え、枕も叩いて整え、化粧台の椅子から全部揃えて、蝋燭を消しては点けてを繰り返して――。
そんなみつばをうるさく思ったのか心配だったのか。
マテの雑な茶汲みを受けていたレインが、腹パン一発を決めてみつばを鎮める。
そして解毒魔法でコカトリス毒をなくしてしまう。
床に転がるままの中古スライムを元のベッドに抱きかかえて戻す。
そのまま自分もみつばの懐に収まると、マテの唖然を無視してすぐに寝息を立てたのだった。
一応出版社の賞に評価もらえたらいいなー程度に送るのに8万字必要なので、幕間として追加。
3章は、少し待ってね|巴・ω・)




