014『虚ろと現しの狭間にあって』
「写真機と印画紙についての特許内容を一通り見たい?」
午後も定時閉館まで残り1刻。
会議を終え、直々に出迎える帝国研究所の老所長は、みつばの求めに対して訝しんで聞き返した。
「私の友人がラングバルクにおける写真技術について不可解な事例を聞き及んで、実際に私も疑問が起こった次第です」
老所長は少し考え、レインへ確認する。
「本来は出願者の権利保護なり安全保障の点で禁書扱いなのじゃが……これは皇妃として命じるものですかな?」
大学院時代の悪癖の出るみつばは、勢いのあまりに無理強いしたと今更反省した。
しかしそれをレインが、矢継ぎ早に老所長に対して開示を命じ、形ばかりに老所長は傅いた。
「すみません、無理を言ってしまい」
みつばは平謝りだが、研究所の廊下を先導する老所長は嫌がってはいない。
「こうして若者に頼られるのは素直に嬉しいからの。別に気に病まんでええぞい」
「はあ」
老所長はそのまま問う。
「ところで、どういった点で気にかかっているのか?」
「先ほど言った友人からの又聞きなので、私としても要領を得ないのですが」
――ラングバルクの写真技術において、事実として確定された事項が前提としてありながら、その事実の捏造がなされうるか。
老所長の肯否の込めない相槌に、みつばは「なぜ」かを答える。
「友人が見せてくれた家族写真といい、レイン様が私を撮影した際の、その所作や写真における私自身の被写体の特徴といい、これは単に眼球が捉えたものではなく、撮影者の意識における主観が印画されている疑いがあります。それに基づくと、幻惑魔法なり、それでなくとも巧妙な誘導からの事実誤認で、いとも簡単に虚像を作ってしまうのでは?」
みつばの豹変とその不安からついてきたマテの猫が、もう宇宙を遊泳している。
「そのような問題は、まず開発段階から課題として出ているはず。なら主観ノイズを回避するためのアルゴリズム……つまりは術式なり、回避技術があって然るべき。それがないと写真として成立しないですし、当然、そんな欠陥品を商品に踏み切れないはず……それで特許から内容を確認したいのです」
「ふむ……」
所長は予想以上に得心したらしく、みつばに振り返り、それからレインに視線を向けた。
「レイン妃、ひとつ確認だが、このミツバの友人からの又聞きとは、シガン捕虜の虐待の件ですかな?」
「そうだ」
レインは即答だ。先程の説明で嘘をつかれたみつばはその重大性に驚くも、老所長は淡々だ。
「ここは研究所といっても、政策、法務、経済、統計、それらの分析といった、まあ言ってしまえば、今回で求めるものとは、ほとんどお門違いとは言うておくぞ。やはりこれは、技としての専門が必要じゃな。チェルベッカの魔法大学に紹介状を書いておこう」
禁書庫を隔てる鉄格子を解錠すると、老所長が手招いてみつば達を入れる。
「あとで暇そうな司書と研究員を寄越してやるが、まずは必要な点を自らで洗い出すことじゃ。そのやり方は、ミツバに学ぶとよろしい」
「ミツバにか?」
「そうじゃよ」
みつばはマテの手を引いてもう書架の奥だ。古いファイルを当たろうとしている。
「ミツバとやら、可哀想な娘かと思いきや、これはずいぶんな学者じゃな。確かに賢者かも知れぬ。ま、言い過ぎかも知れぬがな」
そうレインへ耳打ちして老所長が鉄格子の外に出ていくと、書架の間からみつばが呼んだ。
レインは慌ててかけつける。
「マテさん、文字が読めないみたい。私も何が何なのかさっぱりで」
「これは魂が遥か彼方へ遊泳しているな。戻ってきそうにないぞ」
マテのジト睨に生気がみえない。
「司書さん達を待つ時間とか惜しいから、関係ありそうなの、次々取り出してくれる?」
「わかったぞ」
レインはドレスをたすき掛けして、金髪尻尾をポニーテールへ結び直す。
そびえる書架に脚立をかけ、すたこらさっさと登っていく。
次々落とされる謎文字の写本を開くみつばは、求めている内容に則したそれらしい図解と、印刷されている古い写真から目を凝らす。
――これは、おそらく撮影者の視野を読み取る接触部の回路図。
だとすると、これがソースコードなのだろう。だけど私じゃわからないし、だいたいこの量なら解析してからの焼き込み処理だけだ。
順序的に頭からの読み取りと画像処理にあたる場所は、禁書の中でも黒塗りにされている。
みつばはそうやって、分厚い1冊を10分程度で、研究司書による再確認と、翻訳待ちに振り分けていく。
礼拝堂の鐘が夕刻を伝える。みつばのデジタル腕時計も17時ちょうどを指していた。
「はっ」
マテ・ユリスが宇宙遊泳から戻ってくる頃には、読書台のガス灯ばかりが眩いだけの、もはや深夜になっていた。
レインは読書台に突っ伏して、すっかり寝てしまっている。
ルーズリーフにボールペンを走らせては注釈番号を振って別紙へ書いていくみつばに、研究員が先に帰されることをひどく悔やんでいた。
「ミツバ、もう夜だぞ」
「そうね」
――労働中毒の中古スライムと馬鹿にしていたのを恥じたくなるほど、今のみつばはレインよりも冷血に、ガス灯に照らされて孤高だ。
溜まったルーズリーフの穴に紐を結い、表題をつけていく。
「依頼を振り分けたし、あとは所長さんに頼んで各専門からの回答を待てばいい」
右手がすっかり真っ黒になっているのにそのまま額を拭い、ドレスなのも気にせず椅子の背もたれにぐっと両腕を伸ばした。
いたたまれないマテは、開いたままの鉄格子を抜けて、給湯室で湯を沸かす。
この研究所は古い宮殿とはいえ数年以内の新築なので、タンク式の飲料蛇口と、最新のガスコンロが設備されている。
「微妙な量だし食って構わんだろう」
戸棚の包みから金平糖の最後を皿へジャラジャラと開けた。白湯のポットと一緒にみつばとレインへ運んでいく。
その頃にはみつばも、すっかり寝入ってしまった。
「これは、カルメンを呼んで、手伝ってもらうべきか」
今日は近衛7番隊も不寝番のはずだが、詰める隊舎と研究所とは、宮殿の端から端の大移動だ。
――この駄目2人に対して、さすがに面倒くさい。
「ま、朝になれば、ここの人らが起こすだろう」
そう判断し、マテは職務を切り上げる。自分の部屋――みつばの使う西塔監禁室の真下にある、本来は番兵詰めの居室に帰ることにした。
西塔監禁室のみつば居室化に際して、小綺麗なリフォームを施したばかりのパイン材のドアを開ける瞬間だった。
「マテちゃん、ちょっといいか?」
「へ、陛下!?」
手提げのランタンの載る壊れかけの机に本を置く。
詰所跡に座る寝間着姿のカインが、眼鏡を外して三白眼を、慌てて傅くマテに向ける。
「ケルディナール所長から一報受けてるし、明日明後日にでもキシリルあたりに報告があがるんだろうけど。マテちゃん、レインやミツバさん見てどう思った?」
いつもの下劣とはわけが違う、心配と、それ以上に知りたいがために帰りを待っていたようだ。
マテは困った。特にみつばのあの変貌を言葉にして表現できない。
「具体的でなくていいぞ。ミツバさんが元気そうで良かったとか、レインが相変わらずだとか、そんな感情めいたもので構わない」
「それでしたら……」
カインの普段を知っているマテにとって、その譲歩は意味不明で危険を感じたが、少なくとも何かを答えなければならなかった。
若干言い淀んでから、諦めたマテは素直に発する。
「『こわい』、の、一言でした」
「こわい、か」
カインは握るまでにはいかない左人差し指を口元に当て、決するように唇をとんと触れる。
「皇室付メイド、マテ・ユリス。皇帝オーラット2世として命じる」
オーラット2世としての正した一声に、マテはすかさず跪く。
「ミツバ・ミタライ、および我が妻レイン、彼の者の身辺警護を、これより厳重に命ずる。これには近衛7番隊長カルメン・ザルアとその隊員もつけて、卿の指揮下とする。彼の者らの護衛はもちろん、その逸脱と暴走をキシリルと連携して管理、報告を逐次怠らぬこと」
「御意!」
マテは宮廷従者としての最大限の忠義を発した。
「じゃ、おやすみマテちゃん。いい加減寝ないと、ますます隈が強くなるぜ~」
カインとしての三白眼に戻るこの少年は、詰所床の隠し扉を開けて、そそくさと帰っていった。
読書台に突っ伏すレインが目覚める頃には、起き上がるみつばが、ガス灯の下で書き物を再開している。
手持ちのルーズリーフでは足りないのか、悔やみきれず一番にやってきた研究員へ早速要求した。
そうして東蛮由来の中品質な植物紙へ羽ペンを走らせていた。
翻訳待ちの文献山から適宜拾っていく早出の研究員とみつばが、互いにかじりついて、筆を走らせながら礼儀抜きの実直でやりとりしている。
みつばは特に魔法の原理について研究員に質問している。
自らは才なく使えないと断るも、常識や知識範疇でみつばに答えていく。
「つまり魔法は、例えば肉体の強化の場合に、筋肉組織へ作用する魔法術式が、そのために変換されて、あるいははじめから呪文がそう組まれていて、直接的に入力操作されているわけではない?」
低いトーンのみつばの確認に、主任バッジをつける中堅貴族の中年研究員は「魔導師にしても使うばかり作るばかりを尊び、そうやって原理を解剖する研究はない。だから彼ら自身もわかってないかも」と、枯れ声をしぼる。
みつばは続ける。
「疑問として、まず、古来から存在している写真魔法が、どのようなプロセスで撮影・解析処理・印画を行っていたか。その当時のサンプルを見る限りボケきっているのが気になる」
再確認分を振り終えて、一部を翻訳待ちへ積み直した平民出の若い司書が、これに答える。
「写真魔法はエルフの御業だ。よほど高位の魔導師でないと不可能なほど複雑怪奇で、当時でも容易に扱える代物ではなかったはずだ。で、ただのお遊び以上にはならなかったと聞いている」
「そう。でないと、問題になっている写真機の創出需要がまず発生しない。ところで写真機の初出内容まだ見つからないの?」
みつばの声に、苛立ちの棘が出ている。
司書は低トーンを保って事実を答える。
「これは1類指定か、そもそも特許が存在しない可能性が高い」
「存在しない? それってあるの?」
中年研究員がページをめくっては、注釈番号つきの付箋を貼り、当該記載を紙に写していく。
「よくある話だ。なにせ写真ギルドの設立自体は30年前のザルア朝の時代で、あの頃はもろもろ未整備の義務化前だ。商人ややり手の貴族ってのは国の統制を特に嫌うもんだし、飯の種なり奥の手ってのは隠し通してなんぼだろう。我がヘルゲ男爵家とて、領地産の干物の製法を、秘術扱いにして高値にぼっている」
中年研究員がけけけと下品に笑いを立て、みつばも司書も、つられて少し笑ってしまう。
施錠の鉄格子が開いた。マテとカルメンも混じるフロックコートの老若痩せ太り眼鏡の一団が、どかどか禁書庫へ入っていく。
「おはようございます。所長から、手空きなら応援に出るよう仰せつかりました」
――手空きでもなかろうに、各部門がわざわざ人員を割いてくれたようだ。
特に礼も言わないみつばは5人ほどを一瞥する。
それから未翻訳の文献山を指さして、「特に人の視覚から機械に取り込む部分と、写真の内容を形成する解析処理の出願論文と評価レポート、抽出と索引作成お願い」と指示する。
みんなが実直に取り掛かっていく。
マテは役目として彼らへ給仕しつつ、時折みつばを見つめている。
胸当て軽装のカルメンは、帯する護身のレイピアの柄に触れながら、「大事」とばかり、呆然だ。
レインだってもはや蚊帳の外で、とりあえず給湯室に行って汗でベタつき不快な氷の美貌と、たすき掛けした袖ごとインクとカビとホコリまみれの両腕を洗うことにした。
曇る銅鏡を雑巾で拭って自分の顔を凝らしてみる。
やはり写真の自分と、今の鏡姿は微妙に違うのだと、よく確認できた。




