012『トロイカより苦渋を込めて』
尾張が誇る極限の社畜OL――中古スライムこと御手洗みつばは、これが夢だと早くに気がつく。
風景はファンタジーなお城や町並みがクレヨンであふれる公園で、まわりも落書きのお姫様や王子様やら、どうみても幼稚園児の彩色だ。
みつばだって、とても立派な黄黒ツートンのドレスで飾っているというのに、着る人間のくたびれ具合が痛々しいほどに再現されていた。
薄いそばかすに大きな吊り目の、長いまつ毛をたくわえた漆黒の瞳に映るのは、リードに繋がれた2頭の大型犬だ。
時折、飼い主のみつばへ振り向きながら、自らの散歩を続けている。
――ひょうきんそうだけど凛々しいシベリアンハスキーの男の子と、涼しげだけど可愛らしいゴールデンレトリバーの女の子。
この2頭はみつばを気に入っているようで、特にゴールデンは振り向くたびに甘える鳴き声を放つ。
寄り道をよくせがんで、ハスキーの顔を鼻先で突いては一緒に逸れていく。
「ま、いいかな」
――2頭の正体は察するものがある。
現実ならともかく、自分の夢の中でぐらいは好きに遊ばせよう。
……しかし、ドレス腰のフリルに隠れたもう一つのリードが張り詰めて、自分に絡まって締め付けている。
逸れる真逆へみつばは振り向く。
……神経質で規律が過ぎるドーベルマンを筆頭に、ジト睨が板についてしまった赤毛のマヌルネコと、おっとりでも真面目そうなシェルティが、2頭とみつばを正道へ強引に戻そうと、とにかく引っ張っている。
「ちょ、タンマタンマ!?」
ゴールデンとハスキーが気がつくと、3頭にみつばを獲られまいと、ドレスのスカートや袖に噛みついてまで、逸れ道に連れて行こうとする。
対する3頭はとにかく2頭に負けじと、みつばを介して全力で引っ張っていく。
「き、きつい、しぼ、れるぅ……!」
夢と気づきながら大岡裁きの目に遭って、特に搾れる腰のせいで、口から何かが漏れ出そうなほどだ。
――ミツバ。
「ぐるじー」
――おい、ミツバ。起きろ。
「あ、マテ、さん、これ、どっぢが、ゆめぇ……?」
――どっちも変わらない。とにかく起きろ。すごい顔してるぞ。
「う、うーん……うーーーーん、とりゃっ!!」
バネの弾けるがごとくみつばが飛び起きると、別の鼻先に激突する。
鼻血を出して悶えているメイドのマテ・ユリスから、薄エール入りのコップを、監禁室のベッドの上で受け取ったのだった。
「おはようミツバさん」
「あ、シェルティもといカルメンさん、おはようございます……」
護身の帯剣に胸当てだけの簡素な姿をしたカルメン・ザルアが、牢番の丸椅子に座ってみつばの起床を待っていた。
「ひどい脂汗ですね……どのような夢を見られていたのです?」
「い、いえ、わりと楽しいげな夢でしたよ??」
「私とマテ・ユリスを見てから、なぜ、より顔を引きつらせるんです??」
「いえ、お気になさらずに」
鼻血を処理するマテを心配そうに見てから、起き上がったみつばへと、カルメンは視線を戻した。
詰めると埒の明きそうにないので、カルメンは本題に入る。
「頼みごとがありまして、ミツバ殿をどうしても頼りたく……朝早く迷惑なのは承知で参りました」
「えと、私なんかで力になれるのですか?」
みつばの疑問を謙遜と受け取ったのか、カルメンは力強く乗り出す。
「何せ異界の技が由来の話です。もちろん、知らないやもとは思うのですが、何かわかるのではと」
化粧台に座り直したみつばは、改めてカルメンと対すると、そこに止血を済ませたマテも加わった。
ハチデコレーションのトートバックからルーズリーフの一枚を取り出して、後でまとめ直す前提で乱雑に聞き取りをメモしていく。
カルメンの相談に、まずみつばはその存在に驚いた。
「写真って……この世界にもカメラがあるんですか?」
「技術的に全く同じもの、ではないそうですが。ただ、ミツバ殿の世界でも、それは事実の風景を紙に焼きつける代物であるなら、役割としては同じものかなと」
サンプルにとカルメンは、ザルア家の家族写真をみつばに見せた。
――貴族としても聡明そうな虚弱の男性と、ボロでも優しげな女性と、5人の弟妹に囲まれる少女期のカルメンさんと、彼女に後ろから抱かれて悪ガキのマテさんが並んでいる。
「ああ……」
この写真の背景は発色鮮やかで、哀しみに溢れている。
片付けているとはいえ場所はスラム街のオンボロアパートの玄関前だ。
なんだったら外れ端っこに下品な酔っぱらいが写り込んで、割れたワイン瓶を振りかざす彼のほうにピントが合っている。
「5年前、私の叙爵とマテ・ユリスの恩赦が決まった際の記念写真です」
――この純真無垢は、周囲を見ないで記念を大事にする無自覚があるらしい。
「この日のごちそうを覚えています。貧民窟の皆が祝ってくれまして、白パンもそうですが、どこからか仔牛のローストビーフとか、あとで盗んだものとわかって騒ぎになりましたが、スパークリングワインもどこからか振る舞われて」
「これ以上はいいです」
カルメンは本題から逸れてしまったと、しょげて反省した。
本題に戻したいが、カルメンも又聞き同然だ。みつばは、ひとまず聞き取りをまとめる。
「つまり、確実にそれを写したという事実が確定している前提で、被写体の内容を捏造する方法ってあるのかって話?」
「やはりミツバ殿はすごい。私の取り留めのない話から、よくそこまで拾われた」
「大学院にいた頃、教授に代わってテレビ番組やネットストリーマーの取材もたまに受けていたから。噛み砕くのは得意だよ」
マテがすっかり宇宙猫となって、ただのお茶汲み人形となっている。
一応の回答として、みつばは続ける。
「私の世界ではその発明当時から、トリック写真って山のようにあって、それが本当か偽物かって日々取り沙汰されていたの。こと昨今は精密な解析をかけてやっとバレるほどの精巧なものもあるから、だから捏造する方法ならいくらでもある」
しかしみつばは、カルメンの言う『前提』に引っかかっていた。
写真だけならいざ知らず、事実と確定できるほどの証言がある点だ。
「誘導されていたとか、幻惑魔法とか、そういうのじゃなかったの?」
「私も又聞きゆえ、それにどうも公に出来ない一枚みたいでなんともなのですが、少なくともその類はないと見て良いようです」
「うーん、さすがにこれ以上は何も言えない、かな~」
――情報が曖昧だし不足が過ぎる。これでは手詰まりだった。
「いえいえ、参考になりました。ありがとうございます。ミツバ殿」
礼を深々と述べるカルメンが塔の螺旋階段を下っていくのとすれ違いに、天窓からレインが下りてきたのだった。
「ミツバ、なかなか来ぬから、迎えに来たぞ」
――この駄目ゴールデンレトリバーは、現実でも金髪尻尾をぶさぶさ振りまくっている。
冷血美貌の琥珀瞳をそれはもう期待みなぎらせ、まん丸くみつばを見つめ続けて……。
「マテも、ミツバの側仕えご苦労だな」
「ええ、とても気楽にやっていますとも」
マテはほとんど条件反射によって、腿のスティレットを抜いている。
トラウマに近い形相で動悸まで激しそうなので、席を外すようみつばはマテに頼んだ。
「あの戦いから2週間経ったが、まだ帰りたいとか言わぬだろうな」
カップを置いて冷血に睨みつけるレインの左腕に、バフ魔法の電撃が漂っている。
みつばはもう、恐れもなく敢然と否定した。
「いや、当分は諦めた。考えてみればあのスーパー、はじめっからおかしかったし」
「ふむ、やっとその認識に至れたか。良きことだ」
そうやってレインは、ぬるい緑茶をティーカップ2つに雑に注ぐ。
みつばにも無言で勧め、勝手にそばサブレを齧っていた。
「このまま駄目になりそうな気がありありとするんだけどね……」
みつばも倣って、シガン名物そばサブレをポリポリ齧る。
レインは横目にして、みつばの心配をさっさと払った。
「そうもいかぬだろう。現に騎士カルメンから難題を吹っ掛けられていたではないか」
「難題なのは情報が圧倒的に足りないからだよ。だいたいカルメンさんも又聞きだし。その写真を見てみないと、なんとも言えないのは本当……」
みつばが途中で勘づいて、レインの顔を怪訝に覗く。
レインは「しらばっくれー」だ。
しかも悪戯に目をそらし、鳴らない口笛を吹くものだから、代わりにみつばが、警笛のように甲高く口笛を鳴らした。
これが予想外だったのか、ビクビクと背もたれを抱いてみつばを見上げるゴールデンだ。
「恐いぞミツバ」
「レインさんのほうが余っ程恐いからだよ」
見下ろすみつばの瞳は、漆黒など生ぬるい虚無の炎に盛ている。
レインにはもう、みつばの姿はただ真っ黒で、僅かな吊り白目と魔のような淀みにしか見えていない。
「私だって知りたいのだぞ?? あれがなぜそうなるのかという理由をだな」
もはや駄犬が怯えて、きゅるきゅる言っている姿だ。
「八百長合戦の次は何をしでかすつもり??」
「私は少し知っているだけで何ら関わっていない。本当だ、誓って本当だ」
冷血レインの涙目と、逆立つ金髪と鳥肌に「本当みたい」と信じたみつばが、元の中古スライムに戻る。
「カインもキシリルも、まだすべてを把握しておらんのだが。実はだな……」
レインはそろそろと、カルメンの又聞きの正体を、そこそこ詳しく話し始めたのだった。




