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011『博愛の終わり』

 帝国宰相ハスエー・ノブラが記す。

 あの八百長から1週間が経った。

 かのレイン妃はいつもに加えて泥まみれで、皇帝陛下もいつもに加えて笑うばかりなために、人間へ還ってきたキシリル様にきつく叱られた。

 それで少しは凝りたのか、それとも今回の戯れに満足しきっているのかとても微妙だが、駄犬のつがいはミツバ殿に戯れるばかりで以後は大人しい。

 八百長に憤慨し、賠償としてエリクサー8万人分を受け取りに来たオーラ帝国のガトル・ヴェルクリス・オーラ皇子殿下だが、実際に事の発端の勇者ミツバ・ミタライと会見したあと「なんであのような中古スライムの娘御が召喚された?」と、別の疑惑を持ったようだ。

 キシリル様との会見は、ガトル殿下側が辞退された。不快の意もそうだろうが、キシリル様の日々の苦労を鑑みての判断だ。

「誠意の謝罪より世に認められる行動をより求める」とのこと。

 そのガトル殿下と、アルカドラク王配ゼレガ・アリシア・ドラガゲント殿下の監視のもとで、シガン国王ブライク=ハヴェーノ・レギンと我がラングバルク皇帝オーラット2世の間で、互いに降伏調印を交換する運びとなった。

 ……ブライク王はすらすらと手慣れて書いてしまうが、我が皇帝は椅子の背もたれを両手力付くで掴み続けるので、耐えかねたミネル殿下がその手を強引に剥がしたうえ、私を含めた各立場の凝視をもってようやく書かせることを達成した。

 こうして我がラングバルクに、また束の間の平和が戻ってきた。

 狂犬達がよく眠っている間にこそ、私ハスエー・ノブラこそ、尊敬するキシリル様のお役に立つため、よくよく精進をしなければならない。

「休む時に休まないと、キシリル様みたいに肝心な時に発狂し、カルメン様のように利用され続け、なによりあの中古スライムの末路になりますよ」

 『疲れた』の一言をもってレイン妃の側仕えを交代したマテ・ユリスは、特に勇者ミツバを指して、私の未来をよく案じる。

――私と年頃変わらない17、8で、それも平民出の娘のはずだが、そのジト睨の下にたくわえた隈の濃いのは何なんだ……?

 なお騎士カルメン・ザルアは、案の定政治的に殺されただけだった。

 身柄は北の魔界大陸にあるシガン領であり、捕虜身分とは名ばかりの王族待遇で保養されていた。……つまり一応は軟禁されていたようだ。

 調印式後、ブライク王は従者を介してキシリル様と私へ耳打ちした。

「騎士カルメンと捕虜交換という形で、ミタライミツバをシガンで引取り、ブライク王の責任として本来の世界に帰したい」


「やはり、帰るのか?」

 自室の欄干に両肘をついて、黄昏レインがみつばに尋ね続ける。

「うん、お店心配だし。……いや、もう懲戒解雇になっているとは思うけど。このまま行方不明だと家族も周囲も困るから」

 風の吹き、黄色に黒アクセントのボヘミアンドレスがよくなびく。

――とてもシンプルだけど、いつの間にかマテさんが用意してくれた、私好みのデザインだ。

「ここにずっといるのなら、私が、このレインの名をもって、何の心配もいらぬようにする。完全の先を見ることが叶うのだぞ?」

「ありがとう。でも、流石にそれは甘えすぎだから。それに恵まれた場所で、劣化しない自信って、私みたいなのはないし」

 レインは駄々子のように頬を膨らませ、しかし諦めるべきだと解っていた。

「……残念だ。せっかく、生きる世界が同じと思ったのに」

「厳密には違う。でも、生きる世界が違うからこそ、お互いそれぞれで10の先を行って見ようって話」

 もうすぐ日の暮れる。夜通し話したいレインだったが、「公務があるでしょ」と、いつまでもみつばが遠慮した。

 そうして、とうとう実現しなかった。

 自室として最後まで変わらなった西塔の監禁室へ帰って最後の一夜にぐっすり眠ろうと、おそらく最後の機会だろうからと、レインに本心を打ち明けた。

「短い時間だったけど、こんな楽しいの大学院以来。文句はいっぱいあるけれど、それでも、レインさんに会えてよかった。振り返ると楽しかったよ」

 みつばは曇りなく、確かに笑っていた。

 レインはその笑顔に陰りがないことを、これからの寂しさよりずっと愛おしく思った。


 御手洗みつばとカルメン・ザルアを交換する手続が、サバラッキ平原、古街道上に設けられた場で執り行われる。

 協定実行を保障するゼレガと、帝国代表のミネルに連れられて、丁重な扱いを受けながらみつばは出立していった。

 レインはしきりに参加をせがんだが、キシリルはともかくとして、カインが認めることをしなかった。

「だってお前さ、絶対帰す気ねえだろって話。帝国の内外メンツとして拒否はできねえし、ミツバさん拉致ってそのまま逃避行されても、俺が一番困るしな」

 だがカインとて政治を抜きにするなら大いに不服だ。

 これほどレインが気に入る人間を、たとえ異界の勇者だとして、そうあるものではない。

 そして、別思惑にしても、キシリルとてカインと同じ結論だった。

――レインの駄犬を躾けられる可能性を持っている。うまくすればカイン陛下とて……。

 それが勇者だろうと中古スライムだろうと、そう使えるのなら是が非でも欲しい。これがキシリルの本心だった。

「キシリル様、異界からもたらされた資料ですが」

「あ」

 フィンチ眼鏡をかけた帝国研究所の老所長が、ハチデコのトートバックを手提げて執務室に入った。

「まずいな、ミツバはもう昨日に出立してしまったぞ」

「ええまずいですね。このままだとこの娘、帰ると死にますよ」

「……はい?」

 キシリルの腑抜けた返しに、この老所長も荒げることもなく報告書を広げた。

「解説も踏まえて、あらましを読み上げますね。内容としてはキタナゴヤなる地域一体の食料品の卸価格と市場価格の一覧された綴りが一式、その卸元の名前と連絡先を記した手帳、ハクアイスーパーオワリなる大手商会の、各小売支店の収支状況を日次で示した帳簿でして、その日付から勇者ソノダのものより3年経過といったところです」

「3年……勇者ソノダは40年前の災厄だろう」

「異界との時間のズレは本題ではありません。続けますが、問題はこれら正式の帳簿から算出推定される、ミタライミツバの報酬のほうです。鞄の底に、これがいくつか溜まっておりました」

 キシリルの座る黒檀机に、くしゃくしゃになって色褪せたインクジェット印刷のA5紙が、いくつも広げられる。

「これは?」

 引き出しから片眼鏡を取り出してよく見るも、つぶつぶの印刷ドットばかりが目についてしまう。

 老所長は続ける。

「ミツバなる娘は、異界ではハクアイスーパーオワリに雇われる店舗経営の地域責任者のようでして、その報酬の内訳といったところでしょうか。『給与明細』と呼ばれる書面です。……まあ、まずは異界側の額で一通り内訳を述べましょうか」

「うむ」

 机から剥がれて背もたれへぐっと背を押し付けると、キシリルは両手を組み揉んで受けに立った。

「基本給、これは商会における基礎的な雇い月額ですが35万エン、役職手当、つまり地域責任者として別途5万エン」

「ふむふむ」

「時間外手当17万9246エン」

「ん?」

「同深夜割増3万210エン、法定休日手当4万5114エン、同深夜手当4028エン。よって総支給額は65万8598エン」

「額でいえば確かにすごいが、それは彼女がよほどの働き者という現れではないのか?」

――あの様子だ。本来の世界でも、よく働きすぎた結果なのだろう。

「問題はここからですぞ。読み上げます」

 老所長の声が、キシリルの的違いで少し荒くなっていく。

「健康保険料6万4545エン、年金11万8950エン、雇用保険3300エン、所得税2万3100エン、住民税5300エン、組合費18万5000エンで、よって差引支給は25万8403エン」

「あの……すまない。その25万8403エンは、こっちで言うところ、どの程度の金額なのだ?」

「荷馬車を1台借りる額、といったところでしょう」

「ふ、ふむ、ということは、ミツバはよく働く庶民ということなのだな??」

「……その勤めの勤怠が、ですな」

 報告書の布紙があまりに萎びるので、老所長はやや苛立ち早口で答えた。

「月の実働30日、その時間は合計で480時間ですので単純に計算すると1日16時間。内訳として法の定める時間外が210時間ですな」

「ぶッー!!!!!!!」

 さすがのキシリルでもそんな働き方はしないし、求められても断るし、長丁場に備えて強引に休むことだってする。

――マテから受けていた報告内容の、合点のいく理由がこれだ。

「して、その娘は今どこに?」

「協定に基づき帰還の途だ。しかし行かねば、いくらなんでも止めなければならない」

 老所長から報告書とトートバックをひったくると、そのまま執務室を出たキシリルはつかつかと早足で、レインの居室へ突っ込んだ。

「なんだキシリル。叱りごとなど、今はないはずだが?」

 マテの代理で側仕えする別メイドを、「火急、機密だ」と外に出す。

 雑にポニーテールをしたレインと、プライベートモードのカインが、それぞれいじけた顔で本を読み合っているそのテーブルに、報告書を叩きつけた。

「おいキシリル、これ何だ?」

「異界におけるミツバの雇い先における働きぶりと、その報酬についての、分析報告書です」

 手に取った報告書を一通り読んだレインは、カインも初めてみるほど土気色まで血の気が引いている。

「この異次元の地獄はなんだ」

 報告書をカインに押し付けて確かめさせるレインは、キシリルからみつばのトートバックをもぎ取ると、物取りのように徹底的に漁る。

 楽しみの漫画を理解するため、レインは日本語を読むことができる。真偽を確かめるのに原本を見たかった。

 そうして2年に及ぶ『給与明細』の一部と、最新発行の『今後、賞与の一切無支給』の通知書を、バックの裏地から探し当ててしまった。


 帝国騎士それも近衛7番隊長、可憐のカルメン・ザルアは、肌艶こそつかの間の保養で整っている。

 それでいて引きつった笑顔を浮かべながら、後から到着したみつばとミネルとゼレガに、シガン名物のそばサブレを勧める。

 ……彼女の後ろの荷物を見ると、どうみても彼女のそれより、持たされた土産のほうが3倍多かった。

 シガン側からはブライク王も直々に出張り、カテルジナも、目立たないように同行している。

 ミネルとゼレガの睨みつけを、分厚い白ローブのフードを深く被り、自身の顔色も伺えないようによくよく避けていた。

 そうしてゼレガの立会のもと、帝国側ミネルとシガン外務卿との間で取り決めが確認され合って、みつばとカルメンが交換されようとする途端だった。


 天幕を突き破ったのはレインだけではなく、タートルネック姿のカインと、ほとんど引きずられるキシリルもだった。

 みつばとカルメンを自側に引っ張り込んだカインは、皇帝の権威たる7つの魔石の魔導杖に唱えはじめ、シガン側を牽制するよう構えている。

「おいキシリル坊主、どういうことだ!?」

「キシリル貴様、俺の顔、ひいてはアルカドラクに、泥を塗るつもりか!!?」

 ミネルとゼレガの怒りは最もだが、キシリルにも、対抗できるだけの言い分が報告書にあった。

 キシリルから見せられてもミネルはわからないが、ゼレガは3年前の日本事情を熟知し、しばらく食いつないでいた経験がある。

「給与明細を見せてくれ」

「あ、私のトートバック!」

「ミツバさん、いいから! 今は任せて!!」

 自分の赤裸々を見られるみつばは気が気でないが、カインとレインが強引に制止する。

 2年分のうち入っていた5枚ほどの給与明細を次々比較すると、さっそく魔族美女化したゼレガがアルカドラクとしての中立からレイン側に傾いて、事情を未だ飲み込めないシガン側を徹底糾弾した。

「ブライクてめえ! みつばちゃんを地獄に帰す気でいやがるのか!? この人でなし!!!」

 ほとんど恋人を殺された薄幸令嬢の声色だ。

 まったく意味不明のまま事態が進行するので、さすがに言い返そうとしたブライクだったが、大して意味を理解できないミネルから報告書を渡されて、「げ」と固まった。

「あ、あのー、私、帰っていいんですよね??」

 弱々しくみつばが手を挙げるが、止める者の答えは非情だ。

「駄目だ」

「カインくん?」

「黙ってろ」

「キシリルさん!?」

「中古スライムは黙れ」

「ゼレガさん!!?」

 それでもブライクは迷っている。

 みつばは悲痛な瞳で見つめるも、ブライクの口火前にレインが、悲涙の正論を叩き込んでしまった。

「お兄様、カテルジナ、このフィーリア神を凌駕する勇者以上の稀代な賢者を、ただのアリとして潰すつもりですか」

「レインさーん!?!?!?」

 カテルジナがもがく中でブライクは、一応のシガン王の立場として、こう言って否定せざるを得なかった。

「この者の人道上配慮を考えての協定だぞ。元の世界のほうが安全だ。この換算数字は貴様らお得意のペテンだ、この働き方なら人は1年も持たずに廃人になる。少なくともミタライミツバは違う。……と、言えたら良かった」

「ちょっとブライク王!!?」

 みつばの望みが次々絶たれていく。

「だって今頃現場が大混乱だし!!」

 レインが諭す。

「ミツバ、もうこの世界で生きろ。せめてクビになるまでここにいるのだ」

「私がいないと、あのダークネス会社はきっと潰れますよ!!?」

 カインが諭す。

「それは潰したほうが世のためなんだ。これ以上地獄を広げるな」

「この前亡くなった他エリマネの穴埋めだって考えなきゃ!!」

 ゼレガは無視する。

「すまんブライク王、これなんで協定はなかったことにできないか?」

 ブライク王は別件を出す。

「ところでミネル殿、カルメン殿の扱いについてだが、彼女についてもまあ……よく言い聞かせてほしい。純真が過ぎる」

 ミネルが同意する。

「ああ、わかったよ。特に今後は、悪い虫に騙されないようにくれぐれも教育しておく」

「ブライク王? ミネル殿下? 私カルメン・ザルアは、本件でそこまで傷ついたわけでは」

 カルメンにも流れる正論弾丸の中を、みつばはそれでも叫び続ける。

「ちょっと!! 私はただの日本人なんですって!!? ただの地方の社畜でなんら取り柄もないんだから、異世界なんて魔窟に」

「魔窟がどっちかわかるまでここにいろ、ミツバ」

「うわーん!!!!」

 サバラッキ平原に泣く、みつばとカルメンの異口同音の叫びは、少なくともその場の者達に届くことはない。


「なあ、レイン」

「なに?」

 撫でてくるカインに、レインは振り向く。

「なんだかんだ、良かったな」

「……うん」

 引き取りの馬車の中で、泣き疲れて寝入るみつばとカルメンが並ぶのを、レインが満足そうに頷いた。


1章完

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