36.【戸口義一(元アーガ・ソリューションズ技術責任者)の証言】
……アーガ・ソリューションズのこと、ですか。
懐かしいですね。もう二十年以上前の話になります。
有賀とは、独立前の案件で知り合ったんです。
彼の営業力は本当に優秀でしたよ。地方の中小企業相手に、ネットの可能性をわかりやすく伝えるのが上手かった。
当時はネットもECも、全てが“これから”という段階で、「携帯端末が情報化の主役になる」と言って眉唾だと思われるような黎明期でしたから。彼の存在は大きかった。
これは……当時の記事ですか。よく残ってたものだな。
確かに、僕らは勢いがあった。でも、足元は常に不安定でしたよ。技術者は足りない、案件は増える、深夜までコードを書いて、翌朝には営業が新しい契約を取ってくる。『このペースは続かないな』と薄々感じてはいました。でも有賀はいつも"攻め"の姿勢で……どこかで嚙み合わなくなるような予感はありました。
2000年にNASDAQが暴落して状況が変わってから、そういう齟齬が一気に表面化したと思います。ベンチャーキャピタルの態度は冷たくなり、受注も鈍り始めて……僕は『一度立ち止まって、既存プロダクトの品質を固めるべきだ』と言ったんですが、有賀は『今こそ攻めるべきだ』と主張した。どちらが正しいというものではなく、価値観の違いだと思います。当時の彼を責めようとは思わない。
ただ、あの頃の僕は……正直、限界でした。
若いエンジニアが次々辞めて、残った人間で回すには無理があった。有賀とも毎日のように衝突するようになって、彼とやっていく未来が見えなくなった。そんな時に、別の会社から声をかけられて……結局、僕はアーガを離れました。
僕自身、アーガを辞めたことに後悔がないと言えば嘘になります。あの規模のベンチャーで技術の中核が抜けたらどうなるか、分からなかったわけではないですから。
でも、あのまま続けていたら、僕はとても保たなかった。
だから……有賀が再起に成功したと知った時は嬉しかったです。
"立つ鳥"になった身としては、後のことはやはり気になりましたから。
会社は解散して、有賀自身も数年は沈んでいたようですが、付き合いのあった同業者に請われて他社に参画したと聞いています。
そちらもやはり小規模なベンチャーで、何でも社長が急逝したらしいんです。それで二人三脚だった技術者が残されて――前社長とも付き合いのあった有賀に声をかけてきたと。
僕らもですが、当時は数人の中核社員と外注やアルバイトで回すようなベンチャーは多かった。その社長といったらめちゃくちゃな働き方をしていましたからね。若くして鬼籍に入る方がいても不思議ではないですよ。
その前社長というのも、随分若かったと聞いています。破綻したベンチャーの顧客や人材を目敏く拾って、その"死骸"を肥料に事業を成長させたやり手だったとか。
2010年くらいだったかな。たまたま渋谷で有賀に会ったんです。『昔のことだろ、今は元気にやってるよ』と笑っていて、新しい事業もうまくいっているようでした。
アーガを離れた時は喧嘩別れのような形でしたから、やはりずっと、どこかで引っかかっていたんです。それが出会った頃の有賀みたいに、自信に満ちた様子で元気そうで――。
え……?
亡くなっていた……?有賀がですか?
相続人もいなくて、官報に……?
……。
…………。
……すみません、知らなったもので……。
相続人がいなかったということですが、奥さん……綾乃さんは……。
出て行った……?
……そう、だったんですか。
……。
……失礼しました。
大丈夫です、続けられます。
……ええ。確かに家族の縁は……薄いタイプだったと思います。あまり話したがりませんでしたしね。一度故郷の話になったことがありましたが、『くだらないクソ田舎だよ』とだけ苦笑して、それきりでした。
有賀が話すのはいつも、過去ではなくて、未来の話でしたから。
あいつは、どうして死んだんですか?
……そうですか、物件と官報の記録を辿ったから、そこまでは分からないんですね。
……。
……僕の記憶の中の有賀は、出会った頃の姿なんです。
僕もあいつも若くて、ネット技術の黎明の時代に、未来の夢や展望について夜を徹して話した時の。手探りで何もかも不確かだったけど、夢中で、がむしゃらに働いていた――。
…………。
……すみません、感傷的になってしまって。
僕が有賀についてお話しできるのは、アーガ時代までです。
有賀を迎えた新しい会社ですか?
事業の概要と有賀を迎え入れた経緯までは聞いているのですが、詳細まではわかりません。入れ替わりの激しい業界ですから。
当時の社名は確か……「アロウズ・システムズ」といったかな。
……それで、有賀のことですが。
相続人不存在で行政が手続きしたということは、あいつは…………そうですか。
…………手を合わせに行く、墓も無いのか。




