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テトラクロノス  作者: 火とかげ
第2章 それでも君は、取りもどすの
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ヤタナギ

 ヤタナギの巣。


 それは塔が王宮から委託されて、飼育と管理を任されている聖鳥の生活区域だ。

 禁学の塔が創設されて間もない時期に、ヤタナギと呼ばれる聖鳥が東方のある国から贈られた。


 シェランは巣へと続く石畳の道を歩きながら、入塔したばかりの頃に読んだ古い史書の一節を思い出す。


 かつてアノジェアが、セレナ平原群のさらに東――嵐域の向こう側で聖山を抱く神権国家カグヤと交わりを持っていた時代のことだ。

 カグヤに災いが訪れ、東方からの難民が海を、川を渡り、王都に押し寄せた。

 難民の声を聞き、アノジェアへの災厄の波及を恐れた当時の王は、ある存在に教えを乞うたという。


 その名は史書のどこにも記されていない。

 ただ、該当する数行だけが不自然に削り取られていたことを、若き日のシェランは覚えている。


 王はカグヤへと使節を送り、使節がもたらした示唆により、カグヤは危地を免れた。

 その返礼として、国の神鳥であるヤタナギがアノジェア王に譲り渡された。

 カグヤの使者は王に、ヤタナギに己が血を与えれば、聖鳥は人の記憶よりも長く貴方の血筋を守らんとすると伝えた。

 王は己が身を裂いて盃に血を落とし、ヤタナギがそれを飲んだ。


 史書はそう伝える。


 また、ミルザレアの人間の目には神秘の形象として映るカグヤの文字で、それはこう書き記すのだという。


 八咫凪鳥。


 それは嵐域の暴風をも一つの羽ばたきで軽々と押さえつける翼と、頭部の漆黒から尾の純白へと滑らかに変化する美しい羽並みを持つ。


 幼鳥として譲り受けたヤタナギは、アノジェアが大陸支配を進める長い歴史の時間を塔で過ごした。

 今では幾人かをその背に乗せて飛行できるほどの雄大な生き物へと成長している。


 歩を進めるうちに、ヤタナギの巣の全貌がシェランの視界に映し出される。


 特徴的なのは、一枚の大きな自然岩だ。

 加工の痕跡はあるが装飾は何もなく、表面は長年にわたるヤタナギの着地の痕で磨り減っている。


 巨岩を取り囲むように、細い水路が流されていて、そこから水を引いた石造りの水盤がある。


 ヤタナギがその水盤で水を啄むようにできているのだろう。


 そのときヤタナギの姿はどこにも見当たらなかった。


 水路の縁にしゃがみこみ、手作業をしていた小柄な姿がシェランの足音に振り返り、立ちあがって大きく手を振る。


「シェランさーん!」


 それは、サエ・ミナリという女子生徒で、ヤタナギの飼育係を数年前から担当していた。


「やほやっほー!

 久しぶりだねえ、シェランさん」


「ああ、久しいな、サエ」

 

 サエの明るい呼び声にシェランは微笑みを返そうとした。

 だが、その表情の操作はうまくいかない。

 朝から途切れなく緊迫した折衝が続き、シェランの顔はこわばったまま言うことをきかなくなっていた。


 そのことに気づかせてくれたサエに胸中で感謝をし、シェランは一度大きく息を吸い込む。

 そして細く整った鼻梁に掛かる眼鏡の位置を押し上げた。


「王からの使いが来たことは知っているな、サエ」


「うん。

 みんなバタバタ落ちつかないねえ」


「ああ。

 だが、細かい話は後だ。

 お前の力を借りたい、サエ」


 そしてシェランは、巨岩に目を向ける。


「聖鳥は散歩か、サエ」


「今朝から見てないねえ」


「では頼む。

 ――骨笛を」


 サエの背筋が伸びる。


「……あの子に乗るの?」


「ああ、時が惜しい。

 お願いする」


「うん。

 任せて」


 サエは作業着の懐から、小さな笛を取り出す。

 ヴァリト族の旅団に出自を持つサエが、塔に来る際に持ち込んだただ一つのものだった。

 骨笛、とヴァリト族は呼ぶらしい。

 サエの入塔の日、正門で彼女を迎えたシェランは、その飾らない名を好ましいと感じたことを覚えている。


 サエは息を吸いこんでから、その骨笛を鳴らす。


 予想外の大きな音色が、曇天の空に響き渡る。


 王の使者の来訪を告げた塔の笛とは異なり、大気を震わせる低い音。


 間が、あった。

 サエもシェランも何も言わない。


 水路が奏でる水流の旋律に意識が取られるほどの、数秒の間。


 そしてそれはついに来た。


 空の一点が大きくなる。

 やがて曇天に寄り添う薄い影が巨岩に被さる。


 嵐域の暴風すら跳ねのけるその羽ばたきの音が、王の使者やレプカとの腹の探り合いで固くもつれ合った思考の束を、まるごと吹き飛ばしていく。


 やがて、羽ばたきの間隔が狭まり、ヤタナギは着地する。


 聖鳥は巨岩ではなく、シェランが通ってきた石畳の道に降り立った。


「……あれ、そっちに降りるの初めてだ」


 サエが後ろ手に頭を掻きながらつぶやいた。


 ヤタナギはシェランたちを一瞥してから、興味を失ったように首を回す。


「この子ともっと仲良くなっておくからね。

 また、遊びにきなよ、シェランさん」


「ありがとう、サエ。

 また、来よう、必ずな」


   *   *   *


 しばらくして、両手に枷を嵌められたリウレンと、相変わらず陰鬱な気配を漂わせるレプカがヤタナギの巣にやってきた。

 やや遅れて、背嚢を背にしたセレナも顔を見せる。

 セレナは青ざめた表情でうつむいている。

 なかなかの演技派だ、とシェランは少しセレナの評価を改めた。


 セレナの存在を認めたレプカが、その小さな目で彼女を凝視する。

 セレナの蒼白な顔が一段と怯えの色を増した。

 これは心底の反応だったのだろう。

 レプカは、生徒にはあまりなじみのない塔の住人だった。


「この娘は保険だ。

 リウレンが妙な真似をすれば……」


 シェランは腰に挿した短剣を引き抜きながら嘯く。

 納得したかは分からない。

 レプカは蛇の睨みからセレナを解放する。


「では、行くか。

 一人ずつ、サエの指示に従って乗れ」


 ヤタナギの背に乗ったサエが、大げさに両手を振りながら叫ぶ。


「はいさー!

 じゃあ、まずそこの怖い顔したお兄さんから!

 縄梯子を両手で握ってゆっくりあがっておいでー!

 あーーー、ダメダメ!!!

 もっと笑顔!

 笑ってくれなくちゃ!

 この子に途中で振り落とされたって知らないからね!」


 もちろんレプカが望まれたような笑みを見せることはない。

 だが、その光景を見つめるセレナは――おそらくはレプカの目が離れたことを確かめた上で――素を出して目を丸くする。


 サエの怖いもの知らずは実際大したものだった。


 続いてサエはリウレンを呼び、彼にも笑顔の注意をくだす。

 リウレンは弱々しい笑みを浮かべながら、びくびくとしたあやしい手つきと足取りで、縄梯子を登る。

 

 その様子を心配そうに見上げるセレナに、シェランは近づいて肩に手を置く。


「私たちもいくか」


「はい……でも、あの子に、どうやって行く先をお願いするんですか?」


 レプカの姿はヤタナギの下からは見えない。

 とはいえ、小声でセレナとシェランは会話を続ける。


「ああ」


 シェランは軽く肩をすくめた。

  

「私が、ヤタナギを御するのさ」


 その言葉にセレナはまたも目を丸くする。


「これができない者に、塔主は務まらない」


 シェランが鉤爪の生えた脚に手を添えると、ヤタナギは曇天を震わせてひとつ鳴き声をあげた。


   *   *   *


 出立する全員がヤタナギの背に乗ると、サエは代わりに縄梯子を降りていく。


「これを巻きあげて、木枠のはしっこに鉤で括りつけといて!」


 サエが下から叫ぶ。


 シェランが上から手を挙げ了承の意を示す。


 ヤタナギの背には、簡単な座席のような横長の椅子が二列とそれらを囲む木枠、それから飛行中に乗り人が掴まるための横木が設けられている。

 カグヤに譲られたときからあった簡単な座席を、聖鳥の成長に合わせて歴代の飼育係が改造していったものだろう。


 そして広い背中にある座席部とは別に、聖鳥の首の付け根には台座がある。


 シェランは台座に腰を下ろすと、首の付け根を下から回されて左右に通された手綱を握った。


 瞼を伏せ、やや薄く視界を消す。


 まだ少女と言ってよい年齢だったころ、先代の塔主から教わった出発の合図を思い出す。


 アノジェアの音韻とは異なる、カグヤで人々が聖鳥を指すときの発音。

 それをアノジェアの人間が口にするのは困難が伴う。

 母音の連続もさることながら、末尾の音はアノジェアの発音にはない類のものだった。


(繰り返して、シェラン。

 何度でもやってあげるから。

 私のあとに、続けて)


 先代もまた女性だった。

 追憶に重ねるように、シェランはそれを正確に発声した。


 「――八咫凪」


 一瞬の静寂。

 それから大地が揺れた。


 巨翼の羽ばたきが空気を叩く音。

 手綱が引っ張られ、シェランは台座にしがみつく形になった。


 眼鏡がずれる。それを押さえる余裕はない。


 視界が、一気に空へと開けた。


    *   *   *


 一行が目指すのは、レフネイアの森を囲むようにして点在する詰所の一つだった。

 王宮の書簡には、そこで待つ人物と合流するようにと指示があった。

 おおかた王宮側の監視人だろうとシェランは踏んでいる。

 指名したリウレンを含む塔側が、手段を出し惜しみするようであればなんらかの措置を加えるのだ。


 手綱を握りながら、行く先を見定める。

 塔から南東に向かうよう、ヤタナギの進路を整える。

 

 シェランの眼鏡に、合流地点の奥、レフネイアの森が映りこむ。


 森が、燃えている。

 延焼は幸いにもまだ、森の全体に及んでいない。

 火は点々と、細長い帯状に北東端から斜めにその手を伸ばそうとしている。


 ボルヘス街道に近いあたりでは、樹々が白い煙を吐き出している。

 まだ量は多くなく、細い煙の筋が数本、高度を上げながら風に流されていく。

 しかし、森の本体は遠目には深い緑の塊のままだ。

 

 同じ光景を見たのだろう、セレナとリウレンが言葉にならない声をあげる。


 やがて、合流地点の詰所が地上に目視できる空域まで、ヤタナギが辿り着いた。


 手綱を引き絞る。


 ヤタナギが翼を大きく広げ、空気を受け止めて速度を殺していく。

 その羽ばたきが巻き起こす風が、空き地の草を激しくなぎ倒した。

 地面が迫る。

 鉤爪が土を掴み、衝撃が台座から手綱を伝い、シェランの両腕に走る。

 着地だ。


 来た時と同じ順番で、一人ずつ聖鳥から降りる。


 すでにノイセアは沈みかけていた。

 高所が苦手だったのか、リウレンは息を深くつき、顔色も悪くふらついている。

 逆にセレナは恐怖の演技は続けているものの、しっかりとした足取りだ。


 詰所は質素なもので、常駐するというよりは定期的に訪れて、高所から不審を確認するための拠点といった様子に見えた。

 詰所の入り口が、建物の古さを示す鈍い音とともにゆっくりと開く。


 曇天を透かして漏れる赤い余光を受けながら、中からある男が近寄ってきた。


 シェランにはその男が王宮が寄こした監視者だと一目で分かった。


 長身のシェランよりもさらに背は高い。

 金髪。

 歩みに連動した首、腕、足の所作すべてに淀みがなく、鍛えられた人物であることは想像がつく。

 それでいて歴戦の戦士のような獰猛な気配はない。

 これまで見てきた誰にも当てはまらない種類の空気を纏っている。


 だが、シェランが使者を見分けたのは、それら観察による賜物ではない。

 

 書簡にはこうあった。


 仮面の使者を貴殿らの貢献を見定めるために派遣する、と。

 

 男は、奇妙な仮面を付けていた。


 目元と口元以外を隠す造りは、祭りの出店で売っている簡素な仮面とは異なる工芸品のような出来栄えだ。

 そしてその意匠。

 シェランはそれを知っている。

 シェランから見て右側には花冠を掲げるイセイナ。

 鼻の部分を中心とした左側には死して横たわるミルゥ。

 塔の地下迷宮入り口と同じ題材だ。


 男はシェランと目が合うと、覗く目元に笑みを滲ませ、優美に会釈をした。

 言葉はない。

 互いの沈黙を経て、シェランはこちらから切り出した。


「貴方が、王宮から遣わされたもう一人の使者で間違いないだろうか?」


 男はゆったりと頷く。

 豪奢な金髪が、その動作に合わせて揺れる。

 男はまだ無言だ。


 シェランは訝しむ間も惜しいと、話を続ける。


「ここに来るとき、空から森をみた。

 北東から泉に向けて、延焼が始まっている。

 だが大部分は、無事だ」


 ここで一息つく。


「ここから先の手はずを。

 王が指名したリウレンは、泉に己を連れて行け、と言っている。

 ことを成すなら泉しかない、とも。

 この点については、問題ないか?」


 使者がまた鷹揚に頷く。

 

「なら、いい。

 だが、ここから先は徒歩となり、まだ先は長い。

 それに、我々はこの鳥に揺られてきて体力も底だ。

 よって、ここで一晩休ませてもらいたい。

 一晩でなくたって構わない。

 夜明け前にはここを発つつもりだ」


 ここで初めて、使者の返答に間があった。

 その目はシェランを見ているようで見ていない。

 まるで世界を遮断し、己の内側にいる何かと対話しているかのような虚ろな視線。

 それから、使者は合意を込めてか、あるいはここまでの旅を労うつもりなのか、深い会釈をした。

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