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そして、英雄は旅立つ

 目を覚ますと、天井が見えた。

 いつも寝て目覚めると、知らない場所なんだよな。

 慣れたもので、起き上がり、状況を確かめる。

 どうやら、集落の家らしい。

 俺はベッドを下りて、大剣を背負った。

 そして家を出た。

 広場にはネコネ族や人間達が、荷物を背負って行ったり来たりしている。

 半分近くの家は破壊されている。

 死体は、運ばれたのか残ってはいなかった。

 どうやら、結構な時間、寝ていたらしい。


「あ、あの」


 隣を見ると、そこには莉依ちゃんが立っていた。

 気まずそうに、照れたように、忙しなく視線を動かしている。


「だ、大丈夫、ですか?」

「ん? ああ、大丈夫。快調だよ」


 怪我は治っているし、健康そのものだ。

 莉依ちゃんが治してくれたんだろう。


「そ、その……わ、私」


 小さな手をぎゅっと握って、何か言おうとしている莉依ちゃんに、俺はできるだけ優しく言った。


「無理をしなくていいよ」

「え?」

「ゆっくりでいいんだ。ゆっくりで」

「……はい」


 莉依ちゃんは俺を上目づかいで見たが、それも一瞬で、恥ずかしそうに俯いてしまった。


「あ、起きた? 大丈夫? 身体の調子は」


 結城さんが駆け足で近づいてきた。

 莉依ちゃんと同じことを言うんだな。それはそうか、あれだけの戦いの後だしな。

 俺は苦笑しながら答えた。


「ああ、大丈夫。問題ない」

「そっか、あ、の、んと、あ! い、今ね、みんな旅の支度を整えているんだ」

「旅? ああ、そうか。ここにはいられなくなったからか」


 竜族を一旦は退けたとはいえ、奴らに俺達の場所は知られている。

 ここに留まっていれば、また奴らがやってくるだろう。

 恐らく、ラクシーン以外の竜族が。 

 奴とは因縁ができてしまった。

 また、出会うことになりそうだ。


「それで、その」

「ん? なんだ?」

「え、えとね、じ、実は!」

「起きたのか」


 結城さんが何か言おうとした時、ニースが近づいて来た。

 結城さんは大口を開けて、固まってしまい、やがて嘆息しながら肩を落とした。


「身体の調子は」

「問題ない。大丈夫だ」


 三度目となると、さすがに先読みできる。

 俺が先んじて返答すると、ニースは狼狽したが、莉依ちゃんと結城さんを見て、納得した様子だった。


「それはよかった。実はな、今から」

「この集落を出るんだろ?」

「あ、ああ、そうだ。それも聞いていたか」


 みんなこの村を出る。目的地は、トッテルミシュアだろう。

 エシュト皇国からトッテルミシュアに行くには、西のケセルを経由する道のりになる。

 途中、山岳地帯も多く、魔物も多い場所だったはずだ。

 ただ、この世界には魔物がいないので、そういう危険はない。

 恐らくは竜族が関所なりを作っているから、簡単な旅にはならないだろうけど。


「あ、リーダー! 起きたんだね!」


 ミーティアが俺の顔を見て、嬉しそうに駆け寄ってきた。

 目の前に近づくと、ニカッ笑い、そして顔をゆがめた。


「リーダー、今までごめんね。なんか、ひどい態度とっちゃって。ごめん。

 なんかね……その、怖かったんだと思う。リーダーは優しいってわかってたのに……」

「気にしてないし、もう謝るのはやめてくれ。

 毎回、いい、大丈夫、気にしてないって言い続けると疲れる。

 いいか? 俺は、気に、して、ない。これで最後にしてくれ。いいな?」


 俺が言うと、ミーティアも他のみんなも笑顔になった。

 まったく、律儀というかなんというか。


「わかった! もう言わない! ありがとね、リーダー!」


 俺は何となくミーティアの頭を撫でた。

 ぐしぐしとちょっと乱暴にしたのに、ミーティアは嬉しそうに笑った。

 まったく、怖くないのかね、こいつは。

 と、ズボンが引っ張られた。


「あ、あの、わ、わた、私も」


 莉依ちゃんがおずおずと、だが強い主張を持って、言った。

 俺は目じりを下げて、二人の頭を両手で撫でた。


 よしよしよしよし。


「はぁ……なんか、リーダーに撫でられると、ほわぁ、ってするぅ」


 恍惚の表情を浮かべるミーティアだったが、莉依ちゃんはじっと黙ってうつむいている。

 彼女の顔は真っ赤だったが、決して逃げなかった。

 えーと、これは喜んでいると考えていいんだろうか。


「あああああ! ちょっとぉぉっ! なんでクサカベっちに撫でられてるのですかにゃ!?

 それウチの特権ですのにゃ! にゃあああっ! とにゃああっ!」


 遠くから聞こえた声が、即座に近づいてきた。

 それはディーネであると理解したとき、俺の眼前に虎柄が見えた。

 俺は瞬間的に回避する。

 ディーネは家の壁に自ら激突した。


「にゃっ! い、だい、のですにゃ……!」

「何してるんだよ、あいつは」


 俺は呆れた顔のまま、ディーネの無残な姿を眺めた。

 地面に横たわっていたディーネだったが、突如として立ち上がり、再び俺に向かって飛んだ。


「ほりゃああっ! 撫でるのですにゃ! ウチを撫でまわすのですにゃ!」


 飛び掛かってきたディーネの首根っこをつかむ。

 ディーネは宙ぶらりんになった。


「なんだか、ウチだけ扱いがひどくないですかにゃ?」

「丁重に扱われたいんなら普通にしろ。普通に」

「それはもっともな言い分ですにゃ。と、いうことで、そろそろ準備が整いますにゃ」


 ディーネはニースに向かい言った。

 村の人達の旅支度は整ったらしい。


「そうか。わかった。では行こう」


 ニースは全員に顔を見渡して大きく頷いた。

 莉依ちゃん達も、ニースの後に続き移動した。

 集落の入り口付近にはすでに村人達が並んでいる。

 俺はその場で佇んだ。

 俺の役目はここで終わりだ。


「あ、あの、く、日下部、さ、さん?」


 莉依ちゃんが俺に気づき、足を止めた。

 そうして、全員が俺に振り返る。


「俺は残るよ」


 別に、今さら言う必要もないだろうけどな。

 俺は、すでにこの集団から排除された存在だ。

 それがここにいること自体、おかしい。

 今回は特別だった。

 一時的に受け入れられただけにすぎない。

 俺を怖がっている人間もネコネ族も大勢いるだろう。

 見ればわかる。

 だって、今も俺を見る目は変わっていないんだから。

 別に、もうそれはいい。

 感謝をしろとも、受け入れろとも言わない。

 危機は脱した。これからどうなるかはわからないけど、とりあえずの危機は去ったんだ。

 だったら俺の役割はここで終わりだ。

 共に旅をすることはできない。

 俺を怖がり、安心して眠ることさえできないだろうからな。

 俺の台詞に、誰もが複雑そうな顔をした。

 竜族との戦いのために、俺は戻ってきた。

 それはそういう状況だったから、みんな納得しただけだ。

 これから、また元の状況に戻る。

 そうなったら、同じ不満が出る。いや、すでに出ているんだろう。

 だから、俺はここに残る。


「く、日下部さんが、の、残る、なら、わ、私も残り、ます」


 莉依ちゃんが何かに怯えつつも明確に言った。

 目には強い意志の火が灯っている。

 俺は、莉依ちゃんなら、そう言ってくれると思っていた。

 だから、俺は嬉しくも悲しかった。

 彼女は優しいから、相手のことを思って行動してしまう。

 でも、それは自分の望みなわけじゃない。

 見捨てられないから、救おうとしているだけだ。

 俺とは似て非なるもの。

 彼女は、俺と一緒にいるべきじゃない。

 優しいから。だから、その優しさが時に痛い。

 俺は首を横に振った。


「いや、君はみんなと一緒に行くんだ」

「い、いやです、わ、私は、日下部さんと」

「俺はここに残る。俺だけでな。誰も残らないでくれ」

「ど、どうして」

「竜族達が一時的に退避したのは事実だ。

 けど、ここに俺達がいたという情報は竜族内では伝わっているはず。

 一度は集落を訪れるだろうし、周辺を捜索するだろう」

「だ、だったら、こ、ここを出た方が」


 莉依ちゃんが悲しげに言った。

 だが、俺は再びその思いを否定した。


「俺がここに残れば、敵を引き付けられる」


 今回の一件で、奴らは俺を脅威と認識しているはずだ。

 その俺が集落に残れば、奴らは戦力をこちらに割く。

 もちろん、集落を出たみんなにも追手を差し向けるかもしれないが、それでも分断はできる。

 俺が戦えば戦うほど、敵を倒せば倒すほど、奴らは俺に戦力を向ける。

 その方が、みんなは安全に移動できるだろう。

 莉依ちゃんも、結城さんも、ニースも、ディーネも、ミーティアも。

 俺を見て、何かを言いたげだった。

 驚き、唇を噛みしめ、拳を握り、そうして無言のままだった。

 彼女達は優しい。

 だから、俺の意思を理解し、悼み、そして尊重してくれるだろう。

 誰も何も言わない。

 そんな中。


「ぜ、絶対に、イヤです!」


 莉依ちゃんだけが叫んだ。

 彼女は、涙を流し、必死で声を張り上げた。

 ずっと感情を押さえつけ、言葉を出さなかった彼女は、今度は感情を露わにしている。

 頬を赤くし、眉根を寄せ、肩を震わせて。

 莉依ちゃんは怒っていた。


「ダメ、ダメです、ぜ、絶対に、ダメ! く、日下部さんを一人になんて、し、しません!」


 莉依ちゃん、やっぱり、君は莉依ちゃんなんだな。

 どんな世界でも、俺との記憶がなくても、やっぱり莉依ちゃんは莉依ちゃんなんだ。

 優しくて努力家で寂しがり屋で――誰より強い意志を持っている。

 その君に、俺は何度も救われた。

 その君に、俺は心を奪われた。

 でも、ここは、この世界の君は、俺の知っている莉依ちゃんじゃない。

 それでも、やっぱり彼女は莉依ちゃんなんだと、俺はこの時に初めて実感した。


「り、莉依ちゃん、でも、その、日下部君の気持ちもわかってあげないと」

「……クサカベの言うことも最もだろう。我々では囮にもならない。

 それに、先の戦いでわかった。わたし達は、クサカベの足手まといにしかならない」


 結城さんとニースが俺の心情をくみ取ったようだった。

 ミーティアとディーネは難しい顔をしているが、何か言うつもりはないようだった。

 ここで俺を引き留めれば、必然的に行動を共にすることなる。

 その弊害は、全員が認識しているはずだ。

 先の戦いで、考えを新たにしたかもしれない。

 でも、そんなものは一時的なものだ。

 彼等が俺の存在を受け入れたということじゃない。

 必ず、軋轢が生まれるはずだ。

 だから、俺は一人でいた方がいい。

 そう思ったのに。

 莉依ちゃんは、俺以外のみんなを睨んだ。

 彼女のこんな顔は初めて見た。

 こんなに、悲しそうに怒っている顔を。



「……みんな、そ、そうやって、日下部さんのためって。

 そうするしか、な、ないんだって、言うけど、ち、違う!

 そうじゃない。け、結局、変わってない。みんな自分のことばっかり!

 足手まといになる? 日下部さんの言うことはもっとも? 違う! 間違ってます!

 そ、それはただ、日下部さんが強いからって、と、ところしか見てない!

 みんな、知ってるんですか? く、日下部さんは、村を追い出されてからも、近くに住んでいたんです。わ、私達を守るために!

 あんなにひどいことを言われたのに、ひ、ひどいことをされたのに!

 そ、それでも守ってくれたんです!

 それがわかったはずなのに、また同じことをしようとしてます!

 どうして? どうしてなんです? わ、わからない、わからないです……。

 日下部さんは、人間なんです! 強くても人間なんです!

 心があるのに、一人は寂しいはずなのに!

 辛いはずなのに! 苦しいのに! 誰も理解しようとしない!」



 莉依ちゃんは必死で叫んだ。

 気づけば村の連中も、人間達もこちらに近づいてきていた。

 莉依ちゃんは叫んだ。

 俺は何も言えずにいた。


「戦って、傷ついて、拒絶されて、そ、それでも戦って!

 今も、自分を犠牲にして、ま、また戦おうとして。

 それなのに、足手まとい? 邪魔になる? だから任せるっていうんですか?

 ふざけないでください! く、日下部さんは物じゃない! 

 こんなに優しい人に、あなた達は……私達は甘えているだけじゃないですか!」


 莉依ちゃんは心を吐露する。

 誰も反論しない。

 誰も彼女から目を逸らせない。


「私も同じ、逃げてた、甘えてた……だから、もう……そんなのはイヤなんです!

 だから、私は日下部さんと一緒にいます。何があっても……どんなことになっても。

 わ、私はずっと……日下部さんの……味方でいます。

 つ、強くなります。邪魔にならないように……強くなるから。

 だから、お、お願いします――」


 莉依ちゃんは大粒の涙を流しながらも俺を真っ直ぐ見つめた。


「だから、あなたの傍に……いさせてください……!」


 莉依ちゃんは、すべての力を出し尽くしたかのように、その場に座り込み、泣いた。

 怖かっただろう。辛かっただろう。

 声を出すことさえ、本当に苦しかったかもしれない。

 みんなに注目されて、足が震えても、声が揺れても、それでも逃げなかった。


 気づけば、俺は泣いていた。

 こんなに、思ってくれる人がいることに。

 嬉しくて嬉しくてしょうがなかった。

 そうか、俺も。

 逃げてたのかもしれない。

 本当は怖いのに、逃げ出したいのに、そんな自分を認めたくなくて誰かを守ろうとしたのかもしれない。

 そうすれば、自分に価値がある、自分には使命があると思えた。

 目的があれば、考えずに済む。

 表異世界のことを。みんなのことを。

 そして、もしかしたら俺は死ぬかもしれないという恐怖を。


 でも、俺は人間だ。


 感情が、心がある。


 鬱屈した感情は、歪んだまま心の底に沈んでいた。

 それを莉依ちゃんが見つけてくれた。

 俺は、莉依ちゃんに近づき、優しく抱きしめる。

 一瞬、彼女は驚いたように身体を震わせたが、すぐに力を抜いた。

 彼女の感触が、俺の知っている莉依ちゃんと重なり、余計に俺の感情の波は揺らいだ。


「ありがとう、莉依ちゃん」


 俺は泣いて、莉依ちゃんをできるだけ優しく抱きしめた。

 莉依ちゃんは俺に縋り、ぎゅっと抱きしめ返してくれた。


「うああ……く、日下部さん……日下部さんっ……あうぅ、えぐっ……うああっ!」


 俺達はなんで泣いているんだろう。

 よくわからない。

 わからなかったけど。

 俺の心は安らいでいた。

 だから、いいんだと思う。

 少しでいい。このまま、この気持ちのままでいたい。

 そうして、俺達は泣き続けた。

 しばらくして。

 俺達の泣き声だけが響く中、誰かが言った。


「あ、あのさ、お、俺達、みんなで話し合ったんだ」

「そ、そう……人間とネコネ族で」

「我々も同意した」

「話し合って、そりゃ色々と思うところもあったけどさ」

「ええ、でもやっぱりそうだって」

「そうさね。みんなでそう思ったのさ」


 人間とネコネ族全員が、俺達の下へ近づいてきた。

 俺は視線を移すと、彼らは一瞬だけ怯えたが、それでも意を決してさらに距離を詰めてきた。


「私達は弱くて、自分勝手で、あなたには本当にひどいことをしたと、思ってます。

 本当にごめんなさい。謝って済むことじゃないって、わかっているんだけど、謝るしかできなくて」


 人間の女性が言うと、他の人間達も謝罪を口にした。


「我々、ネコネ族からも謝罪を。本当にすまない。これは長代理にも言ったことだが。

 どうか許してほしい。簡単なことではないと理解はしている。

 だが、我々には謝罪をすることしかできない」


 ネコネ族の男性が言うと、他のネコネ族達も謝罪を口にした。


「勝手だってわかってます。けど、どうか、私達のリーダーをしてくれないでしょうか」

「我々と一緒に、いや、我々を導いてくれないか、リーダー」


 二つの種族が同時に、頭を下げ、そして他のみんなもそれに倣った。

 莉依ちゃんと俺は顔を見合わせる。

 想像もしていなかった状況に、二人して言葉を失っていた。

 俺は戸惑いつつ、ニースと結城さんを見た。

 彼女達はばつが悪そうに視線を逸らしていた。


「実はみんなから言われてさ。今までのこと謝りたいって、ありがとうって言いたいって」

「ネコネ族の方も同じだ。クサカベには感謝している。ひどいことをしてしまった、とな」

「だから、その、一芝居打ったというか」

「我々がちょっとした悪役を担って、他のみんなが、そんなことはない、クサカベにリーダーをして欲しいと、言う流れだったんだが」


 俺と莉依ちゃんはきょとんとしていた。

 だが、どうやら謀られたとわかり、莉依ちゃんは顔中、耳まで真っ赤にして、俺の胸に顔を埋めた。


「ご、ごご、ごめんね、莉依ちゃん!

 その、莉依ちゃんは、ほら、その、や、やっと喋れるようになったし、あんまり負担かけちゃいけないと思って。

 ディーネやミーティアにも言ってなくて。二人は、顔に出そうだからって……」

「すまん。私の意見だった。話せば余計な気を回させてしまうと思ってな。

 それに……人間とネコネ族の代表である私達が、せめて、矢面に立とうと結論を出したんだ」


 確かに、あの流れで、人間やネコネ族が俺を受け入れていれば、ニースと結城さんがちょっとした悪役になっていただろう。

 だが実際は、莉依ちゃんが二人を諌めた。

 知らなかったのに、彼女だけが俺を助けようとした。

 いや、みんなもそうなんだけど、なんだろう。

 やっぱり、莉依ちゃんは俺にとって特別らしい。

 莉依ちゃんは俺に抱き着いて、顔を隠している。

 俺は彼女の背中をぽんぽんと優しく叩いた。

 すると、莉依ちゃんはおずおずと顔を上げた。


「ううう、ううっ、は、恥ずかしいです……一人で、か、勝手に、思い込んで、叫んで。

 恥ずかしくて、死んじゃいそう……」


 莉依ちゃんは両手で顔を隠していたが、俺は柔和な笑みを向けた。


「俺は嬉しかったよ」


 莉依ちゃんは、指の隙間から目を覗かせた。


「……本当、ですか?」

「ああ、本当だ」

「…………だ、だったら、う、嬉しい、ですけど」


 やっぱり恥ずかしいとばかりに、莉依ちゃんは立ち上がって、俺から離れていった。

 そのまま俺達に背を向けて、独り言を呟いている。

 これはしばらく立ち直れそうにないな。


「それで、どう、かな? その……勝手だってわかってるけど。

 君ならどんなことでも乗り越えられる、君とならどんな苦難も、きっと。

 みんな日下部君にリーダーをしてほしいと思ってるんだ。もちろん、あたし達も」


 結城さんから俺への敬意を感じる。


「人として、長としてわたしには足りないものが多すぎる。

 クサカベ。おまえにすべてを任せたい。

 おまえならば、私も、みんなもすべてを委ねられる」


 ニースから俺への期待を感じる。


「いやはや、こんな状況になるとは思いもよりませんでしたにゃ。

 これでクサカベっちを置いて出発してたら、さすがのウチも全員ぶん殴ってましたにゃ。

 でも、ウチも同じ。結局、何もできなかったんですにゃ。

 だからこれから恩返しと贖罪もかねて、一緒にいたいのですにゃ。

 クサカベっちがいないと、ウチら全員死んじゃうので!」


 ディーネから俺への親近感を感じる。


「リーダーはリーダー! ずっとわたしのリーダー! それは変わらないよ。

 わたし……あはは、いざとなると怖くなっちゃって、何もできなくて……。

 ごめんなさい、わたしももっと強くならないと。

 だ、だから、色々教えてほしいんだ! お願い、これからもわたし達を引っ張ってよ!」


 ミーティアから俺への羨望を感じる。


「私は何があっても、く、日下部さんと一緒にいるって決めましたから」


 いつの間にか隣に立っていた莉依ちゃんは、俺の隣に立っていた。

 莉依ちゃんからは俺への色々な感情を感じる。

 それが何なのか今の俺にはわからなかった。

 けれどイヤな感じは一切なかった。

 その場にいる全員が、俺を見つめている。

 様々な感情がそこにはあった。

 何度も感じた、負の感情。

 排他的な敵愾心、恐怖心、嫌悪感。

 そんなものは一切なかった。

 俺へ向けられている大きな感情。


 それは信頼だった。


 俺は大きく嘆息して。

 言った。


「わかった。やるよ」


 一斉に歓声が生まれた。

 人間もネコネ族も分け隔てなく喜び合っていた。

 俺がリーダーをすると言っただけなのに。

 俺は苦笑しながらも、爽快な気分だった。

 どれだけの不幸を乗り越え、どれだけの苦痛を受け止めても、何も感じなくなるわけじゃない。

 俺は人間なのだから。

 化け物じゃない、ただの人間だ。

 それをわからせてくれたのは莉依ちゃんだった。

 俺は隣を見下ろし、莉依ちゃんを見つめた。

 彼女は、俺が集落を出てからも探してくれた。

 隣にいてくれた。

 どの世界でも、どこでも、いつでも、彼女は俺を助けてくれる。

 莉依ちゃんと目が合う。

 彼女は恥ずかしそうに俯いたけど、再び俺を見上げた。

 顔が赤いが、今度は目を逸らさなかった。

 俺が笑うと、莉依ちゃんも笑った。

 そこには確かに、何か特別な絆が生まれていた。


「あーにゃー、だーから、クサカベにゃんに集落にいてもらうように言ったにゃじゃ?

 なーのに、ほんとバカちゃん達が追い出すから。

 何を言っても、それは無理の一点張りじゃったしにゃぁ……やれやれにゃじゃ。

 それよりも、腰いったいんだにゃじゃ。はあ、動きたくないにゃじゃ」


 一人、入り口に座っていたのはババ様だった。

 まったくいつもマイペースな人だ。

 だからいいのかもしれないか。

 ああ、そうか。

 結局、占い通りだったんだな。

 盗賊の件だけじゃなく、竜族の襲来も、ババ様の占いに入っていた、ということか。

 まったく、ババ様だけがすべてを知っていたということか。

 ババ様の言葉に、ネコネ族達がすまなそうにしている。

 しかし、あの状況では仕方なかったのかもしれない。

 何が正しくて何が間違っているのか、わかるのは結局、すべてが終わってからなのだから。


「よし、出発するぞ」


 俺が号令をすると、みんなが頷いた。

 この日、ようやく俺達はスタートラインに立てたのだと思う。

 この先、何が待ち受けていてもきっと俺達なら乗り越えられる。

 そう信じて、俺達は最初の一歩を踏み出した。


   ●□●□


 骨材で組まれた部屋の中には、獰猛な獣の呻き声が響いていた。


「おのれぇ……っ、おのれぇぇぇっ! クサカベ……クサカベェェッ!!

 殺す、殺してやるぞ……ッ! 必ず……グゥッ!」


 骨と岩と鉄のベッドに寝ているラクシーンは体中に傷を負っていた。

 だが、その怪我は緑色の粘着質な物体に覆われていた。

 何度も怨嗟の声を漏らし、意識を朦朧としながらも怒りは薄れない。

 彼はひたすらに同じ名前を繰り返していた。


「ラクシーン様。あまり動きますと、お身体にさわりますぞ」


 隣に立っていたずんぐりむっくりな竜族は、丸メガネをくいっと持ち上げた。

 深い青色の肌で、彼の身体は他の竜族に比べて明らかにたるんでいる。

 だが、彼の仕事は戦うことではないので問題はない。

 竜族の医療を彼が引き受けているからだ。

 竜軍医療班長のメノウ。それが彼の名だ。


「……いつ、治るのだ……この、傷は……!」

「そうですね。おそらく、二か月くらいでしょうか。

 かなり深い傷ですし、生きていることが奇跡的ですからね。

 というか、本来は叫ぶのも無理なんですが……」

「さっさと、治せ……ッ!」

「頑丈な身体ですなぁ。しかし、すぐ動けば、本当に死にますぞ。

 どんな理由があろうとも、動くことは許せませんな」


 医療関係に関しては、医療班長のメノウの命令は絶対だ。

 指示に従わなければ、軍法違反になることもある。

 ラクシーンは渋面を浮かべ、歯噛みしながらも、屈辱に耐えた。


「おやおや、これは情けない姿だの?」


 声にラクシーンは顔を上げる。

 誰かはわかっていたが、見ずにはいられなかった。

 小柄な少女がそこにいた。

 身長は非常に低く、人間の子供とそん色がない。

 赤を基調とした鱗に頭髪。

 小さな翼に角。牙は人間の八重歯にように見えなくもない。

 華奢で、明らかに力はない見目だ。

 だが、ラクシーンは知っている。

 彼女がどれほどの力を内包しているのかを。


「ツェツィーリア……ッ!」

「様をつけろ、愚昧」


 ツェツィーリアは歪んだ笑みを浮かべつつ、ラクシーンの真横に立った。


「この多忙な吾輩が、わざわざ貴様のような虫のために足を運んでやったのだ。感謝しろ」

「…………何の用だ」

「相変わらず生意気な態度じゃの。だが、まあよい。今日の吾輩は機嫌がよい。

 貴様に報告をしてやろうと思ってな」

「報告、だと」

「うむ。貴様は本日をもって、下級竜騎士に格下げだ」

「なっ!? ば、馬鹿な……ッ!」


 ラクシーンは中級竜騎士だった。

 竜騎士には下級竜騎士、中級竜騎士、上級竜騎士があり、その上役が竜将だ。

 竜将は四体と決まっており、上級竜騎士が昇格する際には、竜将の一体が降格する。

 竜兵には様々な種類があり大概は、下級、中級、上級にわかれる。

 竜騎士とは、竜軍の上位層であり、昇格するには相当な実績と実力が必要となる。

 その時点で降格、昇格は頻繁には行われなくなる。

 それだけ出入りが激しくならないほどに、実力が拮抗しているからだ。

 それが一度の失敗で、下級に降格するとは。

 本来ならありえない処置だ。

 だが、ラクシーンはその理由を知っている。


「半竜の身で、竜騎士になれていることがおかしいのだ。

 竜神様の温情で騎士になれているだけの虫が。これを機に、省みるがよいわ」


 ラクシーンは歯噛みした。

 口腔から血が溢れた。

 そう、彼は人間と竜の子供。

 忌み嫌われている半竜だった。

 その彼が、竜軍の中で一定の地位にいられている理由は、彼自身がよくわかっている。

 ラクシーンは何も言えない。

 竜族内では立場は絶対的なものだ。

 自分よりも立場が上な相手に逆らってはいけない。

 そんなことをすれば更に降格するし、下手をすれば軍法会議にかけられる。

 なんせツェツィーリアは上級竜騎士なのだ。

 しかも竜将間近だという噂もあるほどの実力者だ。

 竜族は見た目だけでその力はわからない。

 彼女も、ご多分に漏れず、かなりの力を持っている。

 ラクシーンを超越するほどの。

 ツェツィーリアは鼻で笑うとラクシーンに背を向けた。


「しかし、たかが人間に負けて、のこのこ戻ってくるとは……。

 過去の、貴様の実績を見直さねばなるまいなぁ。

 くく、まあ、吾輩が何もせずとも、貴様はもう昇格できぬであろうがな」


 ツェツィーリアは高笑いを浮かべて、去っていった。

 ラクシーンは拳を力の限り握りしめる。

 血が滴り、それでも力を緩めることはない。


「お、のえぇッ! 必ず、殺す、全員……私を、見下す存在、すべて!

 淘汰してやる……駆除してやる……今に、見ていろ……ッ!

 クサカベェェェェェェーーーーーーーーーッッッ!」


 ラクシーンは叫び、全身に力を込めた。

 次の瞬間。

 全身から血が溢れて、ラクシーンは気絶した。

 そのままベッドに倒れて、動かなくなった。


「だから、動いちゃダメって言ったのですぞ。まったく。

 戦いばかりを考える方々には困ったものですな」


 メノウは頭を抱えつつも、職務を全うするべく、ラクシーンの傷の手当てを始めた。


「しかし、見事な傷。どれも素晴らしい太刀筋ですな。

 これを人間が……もしもそれが事実ならば、わが軍の脅威になるやも……。

 ままっ、儂が考える必要はありませんがね。とりあえずは、治療に専念しますかな」


 メノウはラクシーンの治療を続けた。

 時折、彼の目に覗く、狂気的な色には誰も気づくことはなかった。

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『マジック・メイカー -異世界魔法の作り方-』

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