七宝焼(しっぽうやき)の窯元と、すり替えられた絵画
稲沢の現役車両基地で、上層部の汚いハメ手を完璧な『カウンター・オーダー』でひっくり返した翌日の夕方。
ハゲのユタカ(ゆたカ)さんが運転する古い個人タクシーは、名鉄津島線に沿うようにして、名古屋の最西端に位置するのどかな田園都市――愛知県あま市へと入っていた。
ワイパーが弾くフロントガラスの向こう、かつて尾張平野の物流を支えた古い街道沿いには、歴史ある瓦屋根の家並みが夕闇の中にシブく佇んでいる。
車内を満たすのは、ユタカさんがきつく吹かす安煙草の紫煙と、おじさんの形見のトレンチコートから漂う、稲沢のバラスト(砂利)の匂いだけだった。
「凛ちゃん。……あま市七宝町。日本の伝統工芸の極み、七宝焼の窯元が集まる街だ。豊の奴、かつてこの街の頑固な老職人を巡る、かなりエグいトラブルに首を突っ込んでるぜ」
ハンドルを握るユタカさんが、バックミラー越しに私に目を向けた。
「うん。手帳にも書いてあるよ」
私は膝の上でおじさんの古いシステム手帳を開き、あま市のページを指先でなぞった。
『あま市七宝・甚目寺。伝統工芸職人の源三。不当な闇金トラブル解決。報酬:七宝焼の箸置きと、スタバのスターバックスラテ。職人の頑固さは、不味いブラックコーヒーより筋が通っている』
歪んだおじさんの筆跡。そこには、かつて老舗の工房がヤクザ崩れの闇金に騙し取られそうになった時、おじさんが命がけで裏の帳簿を暴いて職人の意地を守ってやった記録が残されていた。
「今回私のもたらされた依頼は、その源三さんの工房を継いだ、お孫さんの若い女性職人からなの」
私はトレンチコートのポケットから、一枚の写真を落とした。
「工房に代々伝わる、時価数千万円とされる明治時代の『幻の七宝工芸絵皿』が、悪質な国際的美術品窃盗グループによって盗まれ、精巧なレプリカ(偽物)にすり替えられてしまった。警察の主力は、犯人たちがネット上に流したダミーの海外逃亡ログに踊らされて、未だに空港の臨検に人員を割いているわ。このあま市の現場は、完全に情報の空白地帯よ」
おじさんが過去(シーズン1)に撒いていった泥臭いお節介の足跡。それが、数年後の現在(シーズン2)、新米探偵の私を救うための最強の『芸術トリック(ハメ手)』として、完璧に息づこうとしていた。
「豊のおじさんの姪っ子! 犯人の窃盗グループ、スタバのモバイルオーダーを使って、現地のブローカーと密輸のシグナルを共有してるアル!」
助手席に陣取っていたメイリン(梅鈴)が、お団子頭を激しく揺らしながら、手にしたスマホのハッキング画面を突き出してきた。
口の周りには、さっき買ったスタバのチョコレートスコーンの粉をいっぱいつけたままだ。
『スターバックスラテ。エスプレッソショット追加×7、キャラメルソース追加×4、バニラシロップ追加×0、氷抜き』
「7・4・0……。あま市七宝町の、伝統工芸のシリアルコード。……男たちは、本物の七宝絵皿をあま市内の古い倉庫に隠し、これから海外へ密輸するコンテナトラックのルートを共有してるんだわ!」
おじさんの手帳の暗号が、私の脳内で完璧に火花を散らした。
「動くよ、メイリン。ユタカさんは甚目寺観音の周辺の退路をマークして!」
「了解アル、二代目! 殺しと破壊はナシだけど、あま市の泥棒ども、まとめてスタバの大型ゴミ箱の刑ネーッ!!」
十九時三十分。
私はおじさんの大きなトレンチコートの裾を雨風に激しく翻しながら、メイリンを引き連れて、千四百年以上の歴史を持つ尾張の古刹――『甚目寺観音』の、不気味な三重塔が夜霧にそびえ立つ境内へと、音もなく滑り込んでいった。
おじさんが守った職人の意地を、私が最高の『芸術のカウンター・オーダー』に変えるための、新米探偵の三度目のハメ手が、今、激しく動き出そうとしていた。




