空中上段回し蹴りと、源さんの人情
「く、そが……! サツの女、ただで死ねると思うなよ……!」
千影さんに肘の関節を叩き折られた半グレのリーダーは、泥まみれになりながらも、歪んだ執念でバラスト(線路の砂利)の上に転がったナイフへ左手を伸ばそうとした。
その背後、愛知機関区の暗い引き込み線から、ゴトゴトゴト……と、夜勤の試運転を終えた漆黒の巨大貨物列車(桃太郎)が、重々しい金属音を響かせながらゆっくりと前進を始めていた。
車輪が濡れた鉄路を噛む激しい擦過音が、土砂降りの雨音を暴力的にかき消していく。
「――そこまでだよ、悪党!」
私は、おじさんの大きすぎるトレンチコートの裾を激しく雨風に翻し、ゆっくりと動く貨物列車のスチールのステップへと迷いなく飛び乗った。
フルコンタクト空手で骨の髄まで叩き込まれた、身体の軸をミリ単位でもぶらさない圧倒的な跳躍。
列車の前進による慣性と加速のすべてを、おじさんのコートの重みごと私の右足へと乗せる。
列車の屋根に近い高台から、私は豪雨の夜空へと高く跳ね上がった。黒いトレンチコートが、まるで闇夜に広がる巨大な番犬の翼のように鮮烈に広がる。
――チェストォォォッ!! 私の放った電光石火の空中上段後ろ回し蹴りが、ナイフを拾い上げようとした男の顎の先端を、最高打点から完璧な破壊力で打ち抜いた。 バキィィィン! という激しい肉体の激突音が機関区内に木霊し、男の巨体は放り投げられた泥人形のように、路上に積まれた空コンテナの山の中へと、派手な音を立てて逆さまに突き刺さった。
一撃での失神。
男のポケットから舞い上がったスマートフォンを、私は着地と同時に空中で鮮やかにキャッチした。
「……ふぅ。やっぱり、おじさんのコートは空中で回るにはちょっと重いな」
私は乱れた息を整えながら、大きすぎるコートの袖をきつく捲り上げた。
「ハハハ! よくやった二代目! 旦那の形見のトレンチコート、最高にイカしてるぜ!」
その時、コンテナの巨大な影から、レンチや大型のスパナを手にした作業着の男たちが一斉に姿を現した。おじさんの古い手帳に名前が書かれていた、愛知機関区のベテラン整備士――源さんたちだった。
彼らはかつて、不当解雇と悪質な借金トラブルにハメられて人生を奪われかけた際、おじさんが「お節介」で命がけで裏の帳簿を暴いて救ってやった、あの日の『人情の種』の職人たちだった。
「源さん……!」
「旦那の姪っ子だな! 無線はユタカのハゲから聴いてたぜ。……冴子の姐さんを陥れようとしてた上層部(キャリア組)の汚い隠蔽工作の全内部データなら、俺たちが夜勤の点検マニュアルを無視して、とっくに工場のメインサーバーから全部スマホの動画とログデータでブチ抜いて押さえてあるぜ!」
源さんは不敵に笑い、手にした防滴仕様のメモリーカードを、私の手のひらへと静かに握らせてくれた。




