愛知機関区の夜霧と、お姉さんのマニュアル
深夜二十三時三十分。
豪雨と深い夜霧に濡れるJR貨物の『愛知機関区』は、見渡す限り並べられた巨大なコンテナの群れが、闇の中で巨大な鉄の障壁となって連なっていた。
遠くの架線からバチバチと放たれる青白い火花が、雨煙の向こう側で怪しく明滅し、バラスト(砂利)の上にいくつもの無機質な水溜まりを作っている。
「凛ちゃん、十一時の方角だ。……コンテナの死角に、地味なセダンが二台、息を潜めてやがるぜ」
おじさんのコートのポケットに手を突っ込み、バラストを踏みしめて歩く私の耳の奥で、ユタカさんの声が低く響いた。彼は機関区の外周にタクシーを待機させ、警察の最新の動員ログを傍受してくれていた。
「あれは上層部が放った『内偵の私服警官』たちよ。冴子さんを完全に孤立させて、この機関区のどこかで合法的につるし上げ、再び降格処分にするための罠を張って待っているのね」
私が低く呟くと、隣に立つ千影さんが、黒い防水コートの裾を雨風に激しく翻しながら、特殊警棒の柄をぎゅっと握り締めた。
「……下等な猟犬どもめ。お前のおじさんが命を賭けて守ろうとしたあの女を、再び組織の泥水に沈める気か」「殺しと破壊はナシアル、目つきの悪いお兄さん! わたしがいつでも、あそこの黒いセダンごと怪力でブン投げて、全員まとめてスタバの備品にしてあげるネ!」
後方でお団子頭を揺らしたメイリンが、頼もしい野生児の笑みを浮かべて拳を固めた。
私たちは内偵の目を盗み、赤錆びた巨大な貨物コンテナの影へと滑り込んだ。
その時、コンテナの曲がり角の先から、雨のバラストをしっかりと踏みしめる、一糸乱れぬ規律正しい足音が近づいてきた。
ハッと息を止めて振り返ると、そこに立っていたのは、一足の磨き上げられた黒い革靴。
そして、ベージュのトレンチコートを雨に濡らした女性――桐生冴子だった。
刑事課長に完全復帰したはずの彼女の美貌には、しかし、組織の理不尽な派閥抗争と、上層部からの汚い査問委員会のプレッシャーに晒され、誰にも見せない深い疲弊の影が、微かに滲んでいた。
「……また、あんたなのね、二代目」
冴子さんは、凛とした冷徹な「氷壁」の仮面を崩さないまま、私の羽織る大きすぎるおじさんのコートを睨みつけた。
「ここは稲沢署の、現職の警察官のマニュアルの現場よ。一般人のあんたたちがこれ以上首を突っ込んだら、いくら私の管轄でも、今度こそ公務執行妨害で本署の檻の中にぶち込んであげるわ。……大人しく帰りなさい、凛」
突き放すような、冷たい言葉。
だが、私は引き下がらなかった。
私は一歩前に踏み込み、おじさんのコートの大きな汚れた袖を、今度は私の手で優しく、そして丁寧に払ってあげた。
「嫌だよ、冴子お姉さん。私は素人の探偵だけど、おじさんから世界で一番上等な『お節介の手帳』を引き継いだ二代目だよ」
私は彼女の氷の瞳を、真っ直ぐに見つめ返した。
「お姉さんが、おじさんのために全部の泥水を被って、刑事課長としてのキャリアを一度捨ててくれたこと、私は全部知ってる。そして今、組織の汚い奴らが、お姉さんをもう一度引きずり下ろそうとしてることも、全部わかってる。……だから、今度は私の番だよ。私に、お姉さんを警察の誰も届かない、一番高くて真っ直ぐな光の頂へと押し上げるための『カウンター・オーダー』を通させて」
私の言葉を聴いた冴子さんは、驚いたようにそのシャープな目を見張り、それから本当に、呆れたような、だけど酷く愛おしそうな、本当のお姉さんの優しい微笑みを私に向けた。
「……本当に、豊にそっくりな、最高に可愛げのない二代目ね」
冴子さんはそう言うと、私の大きすぎるトレンチコートの襟足を、まるでお姉さんが妹の服を正してやるように、もう一度、優しく真っ直ぐに直してくれた。
「三分だけよ、凛。三分だけ、この愛知機関区の無線を、私のマニュアル(職権)で合法的につぶしてあげる。……だから、絶対に怪我をして帰ってくるんじゃないわよ」
おじさんが玲那を世界の果てへと逃がし、静かに逮捕された、この因縁の聖地――愛知機関区。
朝七時に更新されるシーズン1(おじさん編)で、おじさんがすべての人生を諦めて両手を上げたあの寂しいバラストの上が、夕方更新のこのシーズン2で、私の能動的な正義によって、冴子お姉さんをさらなる栄光へと導く最強の『カウンター・オーダー』の舞台へと、完璧に反転しようとしていた。




