金山(カナヤマ)のターミナル・トラップ
名古屋の南の巨大な玄関口――金山総合駅。
JR、名鉄、地下鉄の三つの鉄路が目まぐるしく交差し、一日に数十万人もの人々を吐き出し続けるこの巨大なハブ駅は、初秋の冷たい雨のせいで、いつも以上の混雑と熱気に包まれていた。
通勤客や学生たちが差し掛ける無数の雨傘が、ロータリーの濡れたアスファルトに極彩色の波を作っている。 だが、私にとってこの金山駅は、ただの便利な乗り換え駅ではなかった。
数ヶ月前、おじさん(左神豊)が、あの『童顔の怪物』である玲那の仕掛けた駅全体のシステムハッキングプログラムによって、最悪のパニックと地獄の底へと叩き落とされた因縁の地。あの日、おじさんが命がけで世界の果て(上海)へ繋いだ最後の生存コード『1・5・2』。その数字が、今、二代目の私のスマートフォンの中で、冷たく静かに脈動していた。
「凛ちゃん。例の『オーダー』の座標、やっぱりあの店で間違いないぜ」
南口ロータリーのタクシー乗り場。ハゲのユタカ(ゆたカ)さんが運転する古いセダンの車内。
ハンドルを握るユタカさんは、いつもの安煙草をきつく吹かしながら、ルームミラー越しに後部座席の私へと鋭い視線を送ってきた。
ハゲ上がった頭には、駅ビルの無機質なネオンの光がどんよりと反射している。
「……スタバの金山駅南口店、だね」
私は、おじさんの大きすぎるトレンチコートのポケットに両手を突っ込んだまま、ガラス窓の向こうにそびえ立つ明るい店舗をじっと凝視していた。
今回、大須のジャンク街から私のもたらされた新しい依頼は、極めて不穏なものだった。
『上海の決戦で壊滅したはずの神楽坂グループの残党――海外から戻ってきた本物のプロの掃除屋(暗殺者)たちが、金山駅周辺である「兄妹」を血眼になって追跡している』
私はトレンチコートの奥から、おじさんが遺したボロボロのシステム手帳を開いた。
ページを捲り、金山の欄を見つめる。そこには、おじさんの歪んだ筆跡で、かつて最悪の猟犬だった男の記録が殴り書きされていた。
『千影。組織の最強の猟犬。妹を人質に取られて完全に狂っている。二度と近づくな。危険』
だが、その冷酷な記述のすぐ真下。上海の超高層ビルが崩落したあの日、すべてが終わった夜に、千影自身の鋭い、剃刀のような筆跡で、おじさんへ宛てた『血の誓い』が新しく書き残されていたのだ。
『左神、お前の遺していった二杯目のコーヒー(凛)は、俺の命に代えてもマーク(護衛)する。』
「豊の奴が命がけで上海から繋いだ生存コードのおかげで、千影は無事に妹を救い出した。だがな、凛ちゃん……」
ユタカさんが煙草の煙を窓の外の雨の中に吐き出し、シブい声を絞り出した。
「組織の残党どもは、先代社長の不正データのすべてを握っている千影の身柄を、今でも血眼になって探してやがる。あいつら兄妹は、今も警察の目を盗んで、この名古屋の地下の暗闇に潜伏し続けているんだ。……街のサードプレイス(日常)に、また血の匂いが近づいてるぜ」
ユタカさんの言葉に、私はおじさんのコートの襟をきつく握り締めた。
毎朝七時、上海のコンテナ船の底で冷めきったブラックコーヒーを啜りながら、最悪の心中的な深愛へと向かっていくおじさんの物語(シーズン1)が更新される、その裏側で。
おじさんが命を賭けて遺していった、かつての最強の敵との『絆』は、こうして数ヶ月後の現在、私を守るための最強の盾として、完璧に息づいているのだ。
「豊のおじさんの姪っ子! 金山駅南口店のモバイルオーダー、また不自然なトッピングのジャミングが入ったアル!」
助手席に陣取っていた、上海から密航して居着いたマフィアの娘――メイリン(梅鈴)が、お団子頭を激しく揺らしながら、手にしたスマホの画面を突き出してきた。
口の周りには、さっき買ったスタバの高級スコーンの粉をいっぱいつけたままだ。
『フラペチーノ。エスプレッソショット追加×1、キャラメルソース追加×5、バニラシロップ追加×2、氷抜き』「1・5・2……。おじさんが千影に託した、妹の生存シェルターコード。……間違いない。千影の妹さんが、神楽坂の掃除屋たちに居場所を特定されて、今まさに金山駅の構内で追い詰められてるわ!」
おじさんの手帳の暗号が、私の脳内で完璧に火花を散らした。
「動くよ、メイリン。ユタカさんはロータリーの出口を固めて!」
「了解アル、二代目! 殺しはしないけど、金山の悪党ども、まとめてスタバの大型ゴミ箱の刑ネーッ!!」
十九時四十五分。
私はおじさんの大きなトレンチコートの裾を雨風に激しく翻しながら、メイリンを引き連れて、何千人もの群衆が入り乱れる金山駅の構内へと、弾丸のような速度で滑り込んでいった。
かつておじさんたちが最悪の地獄を潜り抜けたこのターミナル駅で、新米探偵の、三度目の命がけのオーダーが、今、激しく引き抜かれようとしていた。




