ふにゃふにゃのストローと、お姉さんのマニュアル
長久手の夜空を真っ赤に染め上げながら、何台ものパトカーの激しいサイレンの音が、コインパーキングの周囲を完全な包囲網で埋め尽くしていった。
赤色灯の禍々しい光が、雨上がりの水溜まりを静かに揺らし、精算機に叩きつけられた半グレたちの無呼吸の呻き声を無機質に照らし出している。
それは、私の描いた二度目の裏のチェス盤が、完璧に嵌まりきった瞬間だった。
私は、自分がここで暴れた形跡(指紋や足跡)を、メイリンの手際よい隠密の立ち回りによって完璧に消し去っていた。
そして、おじさんのレシート手帳の裏から引き出した『隠蔽データの保管場所』のメモを、気絶している犯人のリーダーの懐へと滑り込ませた後、静かに現場を後にした。
形式的には、桐生冴子が単独の執念でこのアジトを突き止め、広域アポ電詐欺グループの首謀者を現行犯逮捕。さらに、上層部のキャリア組が過去に保身のために隠蔽し続けていた『未解決事件の本物の証拠』を同時に押収した――。
これで、前回の稲沢の事件に続き、彼女の『刑事課長』としての地位は本庁からも完全に認められ、誰も文句のつけられない昇進コースへの完全復帰が確定する。
誰も法を破っていない。
ルールの使い方が一番エグいお姉さん刑事のために、二代目の私が一方的にプレゼントした、完璧な合法的正義の大手柄だった。
二十時三十分。
すっかり雨の上がった藤が丘駅前の商業施設『effe』。
スターバックスコーヒー藤が丘effe店の、静まり返った夜のテラス席。
私は、おじさんの大きすぎるトレンチコートに身を包み、冷え切った身体を震わせながらベンチにぽつんと座っていた。
全身泥まみれで、空中から前蹴りを放った右足の膝が、ズキズキと熱く痛んでいた。
コト、と。 私の目の前のテーブルに、プラスチックの蓋から溢れんばかりのホイップクリームが乗った、ベンティサイズの大きなカップが置かれた。
「……うにゃっ?」
見上げると、そこにはベージュのトレンチコートの襟を凛と立てた桐生冴子が、呆れたような、だけどどこか誇らしげな微笑を浮かべて立っていた。
「バニラクリームフラペチーノ。ショット追加、キャラメルソース増量。……豊が死ぬほど大嫌いだった、頭が痛くなるほど甘いやつよ」
冴子さんは私の隣に腰掛け、その特大のカップを私の手の中に包み込ませると、静かに藤が丘の駅前ロータリーを見つめた。
「あんたが犯人の懐に仕込んだあのメモのせいが原因で、上層部も今頃顔を真っ青にしてるわ。私が過去の隠蔽データをすべて本庁へ直送したから、もう誰も言い訳はできない。私の刑事課長としての立場を、組織のトップも完全に認めざるを得なくなった。……全く、豊よりは、ずっと上等で、ずっと健気なハメ手を使うじゃない、二代目」
「フン、おじさんは冴子さんのことを冷たい女だって誤解したまま逝っちゃったからね」
私は水分を吸ってふにゃふにゃになった紙ストローを不器用にくわえ、そのあまりの甘さに顔をしかめながら、おじさんにそっくりな不敵な笑みを浮かべた。
「おじさんはね、最後の夜に『二杯目のコーヒーは冷めちまった』って言い残したの。それはね、自分の人生はもう終わりだから、お前が代わりに、残された凛に温かい二杯目のコーヒーを渡してやってくれっていう、冴子さんへの最後のパスだったんだよ。……だから私は、冴子お姉さんには、この街の一番高くて真っ直ぐな場所に立っていてもらわなきゃ困るの。それが、私の探偵としての、能動的な正義の注文だからね」
私の言葉を聴いた冴子さんは、驚いたようにそのシャープな目を見張り、それから本当に、心の底から愛おしそうな、本当のお姉さんの優しい微笑みを私に向けた。
「生意気言うようになったわね、凛」
冴子さんは愛おしそうに手を伸ばすと、私の大きすぎるトレンチコートの、長久手の泥で汚れてしまっていた袖口を、優しく、丁寧に払ってくれた。
「いいわ。そこまで言うなら、これからこの街で無茶をする時は、私のマニュアル(目の届く範囲)の中でやりなさい。あんたの焼く割に合わないお節介のケツは、今度は完全無欠になった刑事課長の私が、合法的かつ完璧に守ってあげるから」
「……うん。よろしくね、冴子お姉さん」
おじさんが過去に撒いていった泥臭いお節介の足跡が、現在の私の能動的な正義によって、また一つ、最高の温かいトッピングへと反転した。年の離れた、最高に格好よくて頼れるお姉さん刑事との新しいバディの秒針が、藤が丘の夜空の下で、優しく重なり合って動き出していた。
そして次なる舞台は、名古屋の南の巨大な玄関口――かつておじさんたちが最悪の地獄を潜り抜けた【金山駅(第4話)】。 そこには、おじさんが命がけで上海から繋いだ最後の生存コードによって救い出された、あの黒い防水コートの猟犬・千影と、車椅子の妹・ひなみの二人が、特大の因縁を抱えて待っているはずだった。




