18 絶対に許さないわ!
怒りのフェニックスが消え去った洞窟の中では、崩れて大きく広がった天井の穴から差す陽光が、地面の一部を明るく照らしていた。
地面に倒れている天逆毎を冷たい目で睨んでいたクロリリィは、何かに気づくと一瞬にして後方に移動し、天井が崩れ落ちて地面に積もった土を両手で掘り返し始めた。
「鏡太朗ーっ! 鏡太朗ーっ!」
「クロリリィちゃん」
クロリリィは目の前から聞こえた声の方に顔を上げると、その目が大きく見開いた。クロリリィの目に涙が溢れ、キラキラと輝きを放ちながら頬を伝った。
クロリリィの目の前に立っていたのは、優しい微笑みを浮かべる鏡太朗の魂だった。
「俺、死んじゃったみたいだよ」
鏡太朗の顔は、自分の死に様に満足している清々しさと、少しだけ寂しそうな表情が入り混じっていた。
「クロリリィちゃんが無事に元通りになれて嬉しいよ。それから、天逆毎を倒してくれてありがとう。もう誰もあいつに苦しめられることはないよ。本当に感謝してるよ。それに芽衣里ちゃんや彩奏さんたちを助けてくれてありがとう。洞窟の隅で気絶している人たちだって、これで助かったよ。みんなが助かったのは、全部クロリリィちゃんのお陰だよ」
「何でよ……。何でなのよ……?」
クロリリィは俯きながら、声と体を震わせた。
「え?」
鏡太朗はクロリリィの発言の意図がわからず、笑顔で聞き返した。
クロリリィは泣き濡れた顔を上げて、涙を散らしながら鏡太朗に叫んだ。
「何でいつも自分のことより、他人のことなのよ! 命を失ったこんな時まで、何で他人のことばかり考えてるのよーっ! あなたの人生が終わったのよ! あなたは死んだのよ! それなのに……、それなのに……、何で真っ先にあたしが元に戻ったことなんかで喜ぶのよーっ!」
鏡太朗はクロリリィの態度に困惑しながら、優しく微笑んで答えた。
「ごめん……。だって、本当に嬉しかったから……」
その笑顔を見た瞬間、クロリリィは再びその笑顔に目が釘付けになり、身動きができなくなった。クロリリィは時が止まったように感じた。
鏡太朗の魂が突然浮き上がった。
「クロリリィちゃん、何だか空に向かって引き寄せられていくみたい。あ、お願いがあるんだ。俺の体に貼っているお札を誰も剥がすことがないように、もみじさんにどうしたらいいかって伝えて。お札を剥がしたら、たくさんの人がたいへんなことになるんだ。それじゃあ、色々とありがとう」
涙を流して呆然としているクロリリィの視界の中で、優しい微笑みを浮かべる鏡太朗の魂は、ゆっくりと上昇を始めた。
『鏡太朗ーっ!』
來華は凍りついた体の中で意識を取り戻した。來華の体は氷の樹の枝に覆われて凍っており、その氷の樹は町の上空四千メートルを落下する氷塊の底から下向きに伸びていた。
『鏡太朗がいなくなるんじゃ! 早く何とかしないとならないんじゃ!』
來華の姿は旋鬼に支配されて変身したままであり、その左手首はまふゆに掴まれ、右手首は戦闘モードのコアちゃんに両手で掴まれながらコアちゃんの右足を掴んでおり、まふゆもコアちゃんも氷の樹の枝で覆われて凍りついていたが、体が凍りついている來華にはそれを見ることができなかった。
『体が動かなくて、感覚がないんじゃ。目も動かせないんじゃ。目に映っている様子は、夜の空を落下しているんじゃろうか? 突然雲の中から降ってきたダンプカーに衝突して、その後の記憶がないんじゃ。何がどうなってるんじゃ?』
「止まってええええええええっ! 止まってええええええええええええええっ!」
長く伸びたつららを上にして落下し続ける氷塊の上方では、天女姿のさくらの魂が、領巾を長く伸ばして氷塊に巻きつけ、必死に氷塊を引き上げようとしているものの、氷塊の落下は止まらなかった。
『さくらの叫び声が聞こえるんじゃ。まふゆとコアちゃんもここにいるんじゃろうか? きっとみんなも危険な状況に違いないんじゃ! みんなを助けるんじゃ! そして、早く鏡太朗を助けないとならないんじゃ!』
來華は必死に体を動かそうとしたが、体はぴくりとも動かなかった。
『体が全然動かないんじゃ! もたもたしてると鏡太朗がいなくなってしまうんじゃ! 動かすんじゃ! 体を動かすんじゃああああああああああああっ! 鏡太朗を、鏡太朗を助けるんじゃああああああああああああああああっ!』
來華の脳裏に優しく微笑む鏡太朗の姿が浮かび、その姿が遠ざかっていった。
『鏡太朗ーっ!』
その時、凍りついている來華の両目から大粒の涙が零れた。その瞬間、來華の両目が動き、涙が流れた跡の氷が溶けた。
『目が動くんじゃ! もう少しじゃ! もう少しで体が動くはずじゃ! 助けるんじゃ! ここにいるみんなを! 鏡太朗をおおおおおおおおおおおおおおおっ!』
來華が心の中で全身全霊を込めて叫んだ時、凍っている來華のスカートのポケットから携帯用薬ケースが飛び出し、ケースの蓋はすぐに風圧で吹き飛んで行き、中からしろっぴーが姿を現すと、ケースもどこかへ吹き飛んでいった。
『しろっぴーが! しろっぴーがどこかへ飛んで行ってしまうんじゃ!』
しかし、しろっぴーは來華と同じ速度で落下を始め、來華の目の前二メートルを維持し続けた。
しろっぴーが突然白い輝きを放つと、來華の体から咒靈力が黒い雲のように出現し、しろっぴーにどんどん吸い込まれていった。しろっぴーは咒靈力を吸収するにつれて膨らみ始め、色が黒ずみ始めた。
『な、何じゃ? わしの体の中にこんなものが!』
やがて、來華の体から、凍りついた旋鬼の魂の肩から上が飛び出した。
『何じゃ? わしの体から出てきたんじゃ!』
旋鬼の魂は、魂を包む黒い雲と一緒にしろっぴーに向かって引き寄せられていき、來華の体から胸まで出た瞬間に意識を取り戻した。
「な、何なの、これは? 呪いの力がどんどん抜けていくわぁ!」
旋鬼の魂は、自分が引き寄せられている頭上に顔を向けて驚愕した。
「な、何? 何なのあれは?」
旋鬼の魂の視線の先では、直径六十センチまで膨らんで真っ黒になったしろっぴーが、黒い雲のような咒靈力をどんどん吸収していた。
「こ、こんなの呪いの力で脱出できるわぁ!」
旋鬼の魂は意識を集中させて咒靈力を操ろうとしたが、状況に変化がなく、どんどん咒靈力と一緒にしろっぴーに引き寄せられていた。
「の、呪いの力が使えないわぁ! ダ、ダメーっ! あれに吸い込まれるーっ! きゃああああああああああああああっ!」
旋鬼の魂と全ての咒靈力はしろっぴーに吸収され、しろっぴーは直径九十センチにまで一気に膨らんだ。
『し、しろっぴー? お、お前は一体何なんじゃ……?』
凍りついたまま驚愕する來華の体は、旋鬼の魂が抜けて元通りの姿に戻った。
しろっぴーからキラキラと輝くたくさんの光の欠片が紙吹雪のように放たれ、氷の樹の枝に覆われた來華、まふゆ、コアちゃんを包み、氷塊の底面を覆うと、白い強烈な光を放った。その白い光が消えた時、氷塊と氷塊に刺さっていた氷結之薙刀、氷の樹、氷の枝が一瞬で消え去り、來華たちの体も解凍された。
「体の氷が溶けたんじゃ!」
「きゃああああああああああああああああああああっ!」
氷塊に領巾を巻きつけて全力で上に引き上げていた天女姿のさくらの魂は、氷塊が消えた瞬間に上に向かって吹き飛んでいき、さくらの魂の半径三百メートルの夜の空間も一緒に上方へ移動し、來華たちの周囲は青空に変わった。
「ど、どうなってるのよーっ?」
意識を取り戻した瞬間に、高速で空を落下していたまふゆは、見る見る近づいてくる地表を見て驚愕した。
「え? あれは何? 何なのーっ?」
まふゆの視界の先では、町の上空に無数の光の粒が星雲のように集まり、ゆっくりと上昇していた。
「あれって……、まさか……、まさか……」
まふゆは信じられない光景に愕然とした。
「た……、魂……? 一体、町では何が起こっているの……?」
來華は、二メートル先で一緒に落下するしろっぴーに向かって笑顔で語りかけていた。
「しろっぴー、お前のお陰で助かったんじゃ! ありがとう! しろっぴー、一体お前は何なのじゃ? ん? お前……、さっきよりも小さくなってないか?」
しろっぴーは、直径六十センチにまで小さくなっていた。しろっぴーは來華のそばまで来ると、頬ずりするように毛先で頬に触れた。
「はははっ! くすぐったいんじゃ! しろっぴー、お前は大事なわしの友だちじゃ! これからも、ずっと一緒にいるんじゃ! そ、そうじゃ、鏡太朗を助けに行かなければならないんじゃ!」
來華がそう叫んだ時、しろっぴーは突然姿を消し去った。
「しろっぴー? どこじゃ? どこに行ったんじゃーっ?」
しろっぴーの姿を探す來華の体を戦闘モードのコアちゃんが右腕で抱きかかえ、そこで滞空した。コアちゃんの左腕には深刻な表情を浮かべて下を見つめるまふゆが抱えられていた。
「みんな大丈夫ーっ?」
來華たちの上方から制服姿に戻ったさくらの魂が、心配そうな表情を浮かべて降下してきた。
「な、何あれ……?」
さくらの魂は來華たちに向かって降下している途中で、町の上空で星雲のように集まっている無数の魂を目にして愕然とした。
まふゆは険しい顔をさくらに向けて叫んだ。
「ここのことはあたしたちに任せろーっ! さくらは早く体に戻るんだーっ! さくらの体がどうなってるか心配だーっ」
「で、でも……」
さくらはこの場を離れることを躊躇したが、來華がさくらに優しく微笑んだ。
「さくら、大丈夫じゃ! わしらが何とかするんじゃ! 二十分以内に体に戻らないと、二度と元に戻れなくなるんじゃ。せっかく元通りの生活を取り戻しても、そこにさくらがいないのは嫌なんじゃ。絶対に、絶対に嫌なんじゃ。じゃから、わしのためにも、体に戻って欲しいんじゃ」
「ライちゃん……」
さくらの魂の目に涙が滲んだ。
コアちゃんもさくらに言った。
「コアちゃん様は、さくらに意見を言える立場じゃねぇんだが……、コアちゃん様はさくらの式神だから、さくらがいなくなったら一緒に消えちまうんだ。コアちゃん様は、まだまだ消えたくないぜ。頼むからコアちゃん様を消さないでくれ」
「コアちゃん……」
まふゆが緊張した硬い笑顔を見せると、努めて明るい声でさくらに言った。
「大丈夫だってーっ。町にはナツもいるんだからさーっ! そーだ! コアちゃんに、あたしの指示に従うように命令して」
さくらは涙ぐみながら、みんなに笑顔を見せた。
「わかった! みんなありがとう! コアちゃん、まふゆさんの指示はあたしの命令だと思って、その指示に従ってね! みんな、後で一緒にお菓子パーティーをしようね!」
さくらはそう言うと目を瞑った。
『さあ、自分の体に戻るんだ!』
さくらの魂は、町のシティホテルに向かってゆっくりと吸い寄せられていった。その様子を見つめながら、まふゆは極度に緊張した表情を浮かべていた。
『町にはナツがいるんだ……』
まふゆの脳裏に、咒いの淚尽が左掌に出現させた憤怒の咒弾を自分に向けている姿と、その冷たい表情の中で赤く光る瞳がフラッシュバックした。
『こんなにたくさんの人が死んだのだとしたら……、間違いなく咒いの淚尽の仕業だ……』
冷や汗を流すまふゆの体は、震え出していた。
天井の一部が崩れ、一筋の陽の光が差す洞窟の中では、涙を流して呆然と見上げるクロリリィの目の前で、鏡太朗の魂が優しい微笑みを浮かべながら、ゆっくりと空に向かって上昇していた。
鏡太朗の魂は、崩れた天井の向こうに見える青空を見上げた。
「待ちなさいよ」
「え?」
鏡太朗の魂は左手首を突然掴まれ、驚いて下に目を向けると、真剣な眼差しで自分を見つめるクロリリィが宙に浮かび、鏡太朗の左手首を右手で握っていた。
「クロリリィちゃん……?」
「あなたはあたしを病気にしたのよ! その責任を取らずにいなくなるなんて、絶対に許さないわ!」
「え? え? な、何のこと?」
クロリリィは、意味がわからずに戸惑う鏡太朗に向かって続けた。
「あなたには、あたしの病気が治るまで、あたしを看病する責任があるのよ! あたしの病気が治らなかったら、ずっと、ずっと……」
クロリリィは言葉を詰まらせた。
「あたしのそばで……、看病をしなくちゃならないんだからあああああああっ!」
「え? えーっ?」
動揺する鏡太朗を見つめるクロリリィの目に、大粒の涙が煌めいた。
「だから……、体なんてなくたっていい……。幽霊だっていい……。あたしがいる世界からいなくならないで……。お願い……」
クロリリィの目から、キラキラと涙が零れ落ちた。
「クロリリィちゃん……」
鏡太朗は自分のために泣いてくれるクロリリィを愛おしむように、温かい笑顔を向けた。
その時、クロリリィの隣にしろっぴーが突然出現した。
「え? な、何?」
鏡太朗は得体の知れない存在の出現に驚き、クロリリィは隣に浮かぶしろっぴーを見て目を見開いた。
「これって……」
しろっぴーは來華の前にいた時よりも、さらに小さくなって直径四十五センチになっていた。しろっぴーは洞窟の底に向かって飛んで行くと、キラキラ輝くたくさんの光の欠片を地面に降り注いだ。
「あれは何だろう? 何をしてるんだろう? う、うわああああああああっ!」
鏡太朗の魂はしろっぴーの様子を不思議そうに見ていたが、突然洞窟の底に向かって凄いスピードで引き寄せられ、地面の中に姿を消した。
「鏡太朗ーっ!」
クロリリィは鏡太朗の魂が消えた地表まで一瞬で飛んだ。
「鏡太朗ーっ! どこ? どこに行ったのーっ?」
クロリリィは鏡太朗の名を叫び続けながら、必死に両手で土を掘り返した。間もなく、クロリリィは土の中から鏡太朗の左手を発見した。
「鏡太朗ーっ!」
クロリリィが鏡太朗の体を探して土を掘り返した時、鏡太朗の左手がクロリリィの右手首を掴んだ。
「鏡太朗!」
クロリリィの目の前で、息を吹き返した鏡太朗が土の中から姿を現し、上体を起こした。
「鏡太朗ーっ!」
クロリリィは涙を散らしながら、鏡太朗に抱きついた。
「よかった! よかった! よかったーっ!」
鏡太朗は、泣きながら喜ぶクロリリィの後頭部を右手で撫でると、包み込むような微笑みを見せた。
「クロリリィちゃん……、俺のためにいっぱい泣いてくれてありがとう……。俺のために喜んでくれてありがとう……」
しばらくの間、クロリリィは鏡太朗に抱きついて泣き続け、鏡太朗は優しく微笑みながらクロリリィの後頭部を撫で続けた。
「一体何が起こったんだろう? 体の傷も治ってるし、毒も消えたみたいなんだ」
クロリリィが落ち着きを見せた時、鏡太朗はクロリリィに疑問を投げかけた。クロリリィは鏡太朗から体を離して地面に座り、両手の甲で涙を拭ってから答えた。
「あれの仕業よ」
鏡太朗はクロリリィが見上げた先に目を向けると、地上二メートル斜め上方に浮かぶものを見て目を丸くした。
そこに浮かんでいたのは、ビー玉くらいの大きさの白い毛の塊だった。
「これって、もしかしてケサランパサラン? まさかライちゃんのしろっぴー?」
鏡太朗が驚いて叫ぶと、クロリリィは不安そうな表情を浮かべて言った。
「そうね。人間はこの魔物をケサランパサランって呼んでいるわね。鏡太朗の友達が飼っているケサランパサランだったの? それで状況が理解できたわ。鏡太朗、いい友達を持ったわね」
「あれ? さっきのもっと大きな黒い毛の塊みたいなのは、どこに行ったんだろう?」
「ケサランパサランはね、自分の中にエネルギーを蓄えると、大きくなって色も変わるの。さっきの黒いヤツは、そこのケサランパサランがエネルギーを蓄えていた状態だったのよ。そして魔力を使うと小さくなって、使い切ると元の姿にもどるの。きっと、鏡太朗を蘇生させるためにエネルギーを使い切ったのね」
しろっぴーは倒れて気を失っている天逆毎の近くまでふわふわ飛んで行くと、白い輝きを放った。すると、天逆毎の全身から白い光が立ち上り、しろっぴーに吸収されていった。しろっぴーはどんどん膨らみながら、その色は朱色に変わっていった。
「しろっぴー! 何してるの?」
鏡太朗は驚愕してしろっぴーに声をかけたが、しろっぴーは鏡太朗の声には反応せず、天逆毎から白い光を吸収し続けた。
クロリリィが鏡太朗に言った。
「ケサランパサランはね、心が通い合った飼い主の心からの願いを叶えようとする魔物なのよ。願いを叶えるための魔力は、こうやって他の魔物から奪うの。魔力以外にも、強力な霊力である呪いの力を奪うこともあるわ。体の色は、魔力を奪うと朱色に変わり、呪いの力を奪うと黒くなる。それだけじゃないわ。魂って高濃度の霊力の塊なんだけど、魔力や呪いの力と一緒に魂も奪ってしまう」
鏡太朗はクロリリィの言葉に愕然とした。
「そ、そんな! ケサランパサランは持っている人に幸せを運んでくるって聞いたよ!」
クロリリィは冷たい目で答えた。
「それは違うわ。『いつも幸せでいる人』しか飼っちゃいけない魔物なのよ。飼い主がいつも満たされた気持ちであれば害はないけど、心から叶えたい願いがあれば、他の魔物の命や魂を奪ってまで実現しようとする。邪な願いを抱いている飼い主だったら、その邪な願いを叶えようとする。魔物たちの世界、魔界では、昔から数え切れないほどの魔物が命と魂を奪われて、危険な魔物として恐れられているって聞いたわ。
この魔物の名前はね、魔物たちは空亡と呼んでいるの」




