15 今度こそ終わりだ
町の上空を浮遊するひつじ雲の上では、さくらの魂の絶叫が響いていた。
「きゃあああああああああああああああああああああああああっ!」
天女姿のさくらの魂は、長く伸びた領巾の両端を旋鬼に支配された來華に掴まれてひつじ雲の中に引きずり込まれ、今は雲を抜けて、眼下に雲が海のように広がる満月の夜の空間の中で、領巾を通して伝わる咒靈力によって激痛に見舞われて絶叫していた。
旋鬼に支配された來華は、残酷な表情に喜びの色を浮かべながら、苦しみ続けるさくらの魂に見入っていた。
「おやおや、霊力が相当減ったみたいだねぇ。このまま霊力が減り続けたら、魂は消滅するんじゃないかい? ふふふ……」
さくらは激痛に耐えながら、旋鬼に支配された來華を睨んだ。
「お、お願い……、ライちゃんを返して……」
旋鬼に支配された來華は、ぞっとするような冷酷な笑いを浮かべて答えた。
「返す訳がないじゃないか! 強い魔力を持ったこの体で、あたしはこの通り生き返ったんだよ。この体はもうあたしのもんさ」
さくらが激高して叫んだ。
「その体はライちゃんのものよ! その体をライちゃんに返して!」
「これはもう、あたしの体なんだよ!」
旋鬼に支配された來華は、領巾の両端を両手で掴んだままさくらの魂に突進すると、咒靈力の塊に包まれた右足をさくらの魂の顔に叩き込んだ。
「きゃあっ!」
さくらは顔を蹴られて悲鳴を上げたが、旋鬼に支配された來華をすぐに睨んだ。
「返して! ライちゃんの体を、ライちゃんを返して!」
「何だいその目は? 気に入らないねぇ。二度とそんな目であたしを見られないように、痛めつけてやるよぉ!」
旋鬼に支配された來華は、領巾の両端を両手で掴んだまま、咒靈力の塊に包まれた左右の足をさくらの魂の全身に叩き込んだ。
「返して! 返して! ライちゃんを返して!」
さくらは蹴られても、蹴られても、苦痛に顔を歪めながら、旋鬼に支配された來華を睨み、訴え続けた。
「こ……、こいつ……、なぜ心が折れない……?」
旋鬼に支配された來華は、さくらの魂を蹴り続けながら動揺し始めていた。
「あーっ、もう、お前は面倒くさい奴だねぇ! 最大級の呪いの力で止めを刺してやるよぉ!」
旋鬼に支配された來華は、さくらの魂から二十メートルの距離を取ると、領巾の両端を握る両手から直径六十センチの黒い咒靈力の塊を発生させ、咒靈力の塊は領巾を伝わってさくらの魂に向かって長く伸びていった。
さくらの魂は、領巾を伝わって自分に迫る大きな黒い咒靈力の塊を力強い眼差しで睨んだ。
『絶対に負けないんだから! あたしは絶対にライちゃんを取り戻すんだ!』
大きな黒い咒靈力の塊がさくらの五十センチ手前に迫った時、ひつじ雲の中から雲を巻き上げて二枚の回転する雪の結晶が出現し、さくらに向かって弧を描いて飛んで来ると、さくらの目の前で左右の領巾を切断して消え去った。
『逃げるチャンスだ!』
さくらの魂が体を反らしながら下降すると、咒靈力の塊は領巾の切断された箇所から光線のように水平に発射され、さくらの魂の胸と顔のぎりぎり上を通過して空の彼方まで伸びて消え去った。
「さくらああああああああああああああああああっ!」
雲の中からまふゆの声が響き、雲を高く巻き上げながら、コアちゃんとその右腕に抱えられたまふゆが姿を現した。
「古より時節の移ろいを司りし青朱白玄之尊よ! その御力を宿し給え! 凍結之玄光!」
まふゆの右手人差し指と中指から玄色の光線が発射され、旋鬼に支配された來華は空中を旋回してそれを避けた。
「ぎゃはははーっ! コアちゃん様がぶっ倒してやるぜーっ!」
コアちゃんの両目から、ピンク色のレーザー光線が発射された。
「コアちゃん、ダメえええええええええええっ!」
さくらの魂は旋鬼に支配された來華の前へに全力で飛ぶと、両手を広げた。
「さくら?」
さくらの行動に驚くコアちゃんの視線の先では、ピンク色のレーザー光線がさくらの魂を通り抜け、旋鬼に支配された來華は薄ら笑いを浮かべながら宙を舞ってレーザー光線をかわしていた。
「コアちゃん、ライちゃんの体は絶対に傷つけないで!」
さくらは涙を滲ませながら、コアちゃんに叫んだ。
「さくら、しかし……」
困惑したコアちゃんに向かって、旋鬼に支配された來華の右掌から咒靈力と雷が渦を巻くつむじ風が放たれ、コアちゃんとまふゆを巻き込んだ。
「ぐわああああああああああああああっ!」
「きゃああああああああああああああっ!」
コアちゃんとまふゆは全身を咒靈力と雷に包まれながら、つむじ風の中で高速で回転し、苦しみ悶えながら悲鳴を上げた。まふゆの体がコアちゃんの腕を離れ、吹き飛んでいった。
「まふゆさん! コアちゃん!」
まふゆとコアちゃんは別々に白い雲の中に落ちていき、さくらの魂もそれを追って雲に飛び込んだ。
旋鬼に支配された來華は、冷たい笑みを浮かべて呟いた。
「お前たちは一人も逃さないよぉ。お前たちのことは、この手で存在そのものを消滅させてやるのさ」
旋鬼に支配された來華は、さくらの魂を追って雲に飛び込んだ。
洞窟の中では、全身を毒におかされ、大ムカデとの闘いで傷だらけの鏡太朗が、満身創痍で龍雷の柄を両手で握り、冷たい表情で鋭い眼光を放つクロリリィとともに、身長が十メートル近い天逆毎と二十メートルの距離を挟んで正対していた。鏡太朗の右後方では、天逆毎に攫われてきた十八人の男女が壁際で身を寄せ合い、怯えながらうずくまっていた。
オレンジ色の光の尾を引きながら宙を舞っていた天逆毎の右耳は、天逆毎の顔まで飛んで行くと、元通りに顔の右横にくっついたが、天逆毎の二つの眼球はオレンジ色の光の尾を引きながら、鏡太朗とクロリリィの斜め上方に滞空して二人を凝視していた。
クロリリィは、天逆毎の二つの眼球に一瞬目を向けた。
『こいつ、魔力量は凄いけど、おバカさんね〜。目が体を離れて自由に飛べるのって、カメラ付きのドローンみたいに距離や高さ、角度に影響されずに色んなものが見られるけど、目を攻撃したら簡単に視力を奪えるわよね〜。本当におバカさんね〜』
クロリリィはニヤリと笑うと、一瞬で天逆毎の二つの眼球の上方に移動した。しかし、すぐに愕然として眼球を振り返った。
『あたしの翼で斬れなかった! あのオレンジ色の光が目を守ったの?』
クロリリィの視線の先では、宙に浮かぶ二つの眼球が、それぞれオレンジ色の光に包まれていた。
「きゃあああああああああああああああああっ!」
少しの間を置いて、クロリリィの両腕が肩から切断され、地面に落下した。
「クロリリィちゃん!」
鏡太朗は目を見開いて絶叫した。
その様子を見ていた十八人の男女は、顔から血の気が一気に引いて気を失い、その場に崩れていった。
クロリリィは大粒の涙を流しながら、地面に降り立った。
「痛いわ……。耐えられないくらい痛いわよ……」
地面に落ちていたクロリリィの両腕は黒い液体のような状態になると、クロリリィの体まで飛んで行き、切断面にくっついて元の腕の状態に戻った。クロリリィは涙を溢れさせながら天逆毎を睨みつけ、その体に赤黒い光が立ち上った。
「よくもやったわね! こんなに痛い思いをさせて、絶対に許さないわあああああああっ!」
クロリリィがそう叫んだ時、鏡太朗が激高して天逆毎に向かって全力で駆けていた。
「クロリリィちゃんに何をするんだああああああああああああああああああっ! 龍雷よーっ、こいつを打てえええええええええええええええええええっ!」
「鏡太朗!」
クロリリィは鏡太朗の姿を見た瞬間に我に返り、立ち上っていた赤黒い光が消えた。
鏡太朗が両手で柄を握る龍雷の先端が鞭のように飛んで行くと、天逆毎の腹部に激突した。その瞬間、天逆毎の腹部がオレンジ色の光で覆われ、天逆毎は何ごともなかったかのように平然と立っていた。
「りゅ、龍雷が効かない!」
愕然とした鏡太朗は、突然激しい衝撃を胸と腹に受け、全身を雷に包まれて絶叫しながら後方に二十メートル吹き飛んだ。
「ぎゃああああああああああああああああああああああああっ!」
「鏡太朗ーっ!」
クロリリィが一瞬で鏡太朗の隣に移動して、鏡太朗の上半身を助け起こすと、激痛で悶えている鏡太朗のYシャツが胸から腹にかけて裂けており、その下の深い裂傷から血が流れ出していた。
流血して苦しむ鏡太朗の姿を見たクロリリィの両目から、涙が零れた。
「鏡太朗! しっかりして!」
鏡太朗はクロリリィの姿を見て優しく笑った。
「腕が……元通りに……なったんだね……。よかった……」
「あたしは悪魔なんだから、痛みは感じても、ダメージは受けないって言ったでしょ! あたしのことなんて、気にする必要ないのよ!」
鏡太朗は悲しい顔でクロリリィを見つめ、目に涙を溜めて体を震わせた。
「でも、痛いんだよ……ね? クロリリィちゃんが……痛い思いをするのは……、耐えられないよ……。痛い思いから守ってあげられなくて……ごめん」
鏡太朗の目から涙が零れ落ち、鏡太朗はそのまま気を失った。鏡太朗を見つめるクロリリィの目から大粒の涙が溢れた。
「どうして、あなたはいつも自分よりも人のことを大切にするのよ? 毒で苦しいのに、こんなにひどい怪我をしてるのに、それなのにどうして、どうして、あたしのことを一番に気にするのよ。バカよ……。あなたはバカよ……」
クロリリィは鏡太朗の上半身を抱きかかえたまま、俯いて両肩を震わせた。
クロリリィの背後から、洞窟を揺るがす天逆毎の笑い声が響いた。
「ははははっ! 俺たち天逆毎族は、全身を強力な魔力の壁で守られているのだ。天逆毎族を攻撃しても、その衝撃は魔力の壁が吸収して俺たちの体には伝わらない。そして、吸収した衝撃は、逆に攻撃した者に戻っていく。俺たち天逆毎族に攻撃することは、自分自身を攻撃することになり、攻撃した者は自分の力で自滅することになる。しかも、俺は人間の魂を食った大ムカデを千年以上食らい続け、俺を守る魔力の壁は、この世のどんな攻撃をも吸収して跳ね返すほど強力になっているのだ」
クロリリィは鏡太朗の上半身を優しく横たえ、鏡太朗を見つめたまま立ち上がると、顔を上げて天逆毎をきっと睨んだ。
「だったら何なのよ? あたしの中では、今までに感じたことがないくらいの激しい怒りが燃え上がってるのよ! あんたがどんな魔力を持っていても、あたしが絶対にあんたを倒してあげるわ! あんたが鏡太朗を傷つけたことは、絶対に、絶対に許さないんだからああああああああああああああああああっ!」
涙を散らして叫んだクロリリィの瞳の中では、凄まじい怒りが燃え盛っていた。
シティホテルの正面玄関の前で、ヴァンパイアの体になったもみじが建物に入ろうとすると、さくらの体を運んでいる空飛ぶ四体のヴァンパイアが、もみじの目の前に降り立った。
『さくら!』
驚くもみじの目の前で、ヴァンパイアたちの背中の翼が黒い液体のような状態になり、背中の中に消えていった。
ヴァンパイアたちは怪訝な顔をもみじに向けた。
「お前、こんなところで何やってんだ?」
もみじは動揺しながら答えた。
「い、いや、その……ちょっと呼ばれてな……。そ、それより、その女の子は?」
一体のヴァンパイアがさくらの体を肩に担ぎ上げながら、ニヤリと笑った。
「どうだ、美味そうだろーっ?」
もみじはさくらの顔を見た瞬間、激しく動揺した。
『や、やべぇええええええええっ! 本当に美味そうに見えるぞーっ! 噛みついて思いっ切り血を飲みてぇええええええええええええええええっ!』
もみじの口からヨダレが流れ、それを見た四体のヴァンパイアたちは親しげに笑った。
「ははは。お前の気持ちはよくわかるぜ。だけど、この人間はダメだ。ジル様が召し上がるから、これからお持ちするとこだ」
「ジルが……、いや、ジル様が? ちょうどよかった。あたしもジル様に呼ばれてるんだ。一緒に行こうぜ」
もみじは、さくらの体を運ぶヴァンパイアたちと一緒にホテルの中に入って行った。
町中では、両脚に深手を負って仰向けで倒れているナツに向かって、悪霊となった鋼鬼と重鬼が咒靈力で操る電柱七本が、次々に宙を飛んで迫っていた。
逃げられないと悟ったナツは、覚悟を決めた。
『逃げられない! 今はこの左腕の強さに賭けるしかない!』
ナツは、一本目の電柱を左掌で受け止めた。
『で、電柱の重さに押し潰されそうだ! だ、だが、耐えるんだあああああああああああっ!』
ナツは額に玉のような汗を流しながら、必死になって電柱の重さに耐えると、その電柱を左右に動かし、続けて飛んでくる電柱に当てて全ての電柱の直撃を防いだ。
ナツは左掌で支えていた電柱を自分の左横に放り投げたが、すでに息は切れ、体力は限界を迎えていた。
「はぁ、はぁ、はぁ……、な、何っ?」
ナツの頭の上には、ヴァンパイアになった河童とじーさんが、傷を負った脚を引きずって立っており、残酷そうな顔つきでナツの顔を上から覗き込んでいた。
河童が顔を歪めて笑った。
「何でこんなでかいものが飛んで来たのかわからねぇが、もう動けないらしいな。なあ、こいつの首に爪をぶっ刺して、力ずくで頭を引きちぎって、生き血を浴びながら飲もうぜ」
「そいつは面白いな。俺も一緒にやるぜ」
ナツは目を見開き、死を覚悟した。
『客観的に考えて、俺はここで死ぬ。だが、生き残る1パーセントの可能性に賭けるんだ!』
「古より時節の移ろいを司りし青朱白玄之尊よ! その御力を宿し給え!」
そう唱えたナツを河童とじーさんは嘲笑した。
「今さら何をしても、無駄なんだよ!」
河童とじーさんは、鋭い爪が伸びた右手の指先の突きでナツの首を同時に狙った。
「な、何っ?」
驚く河童とじーさんの指先の突きは、ナツの左前腕に防がれていた。ナツは親指と中指と薬指で輪をつくった右手の甲を額にかざして叫んだ。
「炎熱下立上雲之峰!」
ナツが右手で河童とじーさんの右手の指数本をまとめて掴むと、河童とじーさんの体から白い水蒸気のようなものが立ち上り始めた。
「な、何だ、これはーっ? 体中が熱い! 放せ、その手を放せーっ!」
じーさんはそう叫びながら右手を引こうとしたが、ナツが左前腕でじーさんと河童の右前腕を押さえつけていた。
「今すぐ殺してやるーっ!」
河童がそう叫んで、ナツを突き殺すために左指先の爪を振りかぶった。
「絶対に放すかあああああああああああああああああああああああっ!」
ナツが絶叫した時、河童とじーさんの体から立ち上る水蒸気のようなものが、一気に膨らんで入道雲のような形になった。
「う、動けない……」
「体から力が抜けていく……」
入道雲のようなものが消え去ると、河童とじーさんはその場に崩れるように倒れて気を失い、ナツは空を見上げながら二人に向かって呟いた。
「はぁ、はぁ、奥伝のこの術は、右手で触れている者の霊力や魔力を入道雲のように体外に放出させて、体から奪ってしまうんだ。二人とも霊力が残り僅かになったから、しばらくは動けまい」
「ほう、初めて見る術だな」
悪霊となった鋼鬼がナツの左側に立ち、右側に立つ重鬼とともに、仰向けに倒れて身動きできないナツの顔を覗き込んだ。
ナツは覚悟を決めて目を瞑った。
『もう、完全に動けない。今度こそ終わりだ』
重鬼が残酷な笑みを浮かべた。
「俺たちの呪いの力で、今すぐ呪い殺してやるぜ」
鋼鬼と重鬼は両掌をナツに向けたが、すでに死を覚悟したナツの表情は穏やかだった。
『まふゆ、俺の命はここで終わるが、お前は生きろ。そして、母さんの敵を取って、その後は……。その後? そういや、その後のことなんて、考えたことがなかった。まふゆ、その後は……悲しかったことも、復讐のことも全部忘れて、幸せに生きろ。お前の幸せのために生きるんだ』
鋼鬼と重鬼は、同時に冷たい声で言った。
「命も魂も全て消えてなくなれ」
鋼鬼と重鬼の両手から咒靈力が黒い激流のように放出されてナツを包み、ナツの全身に黒い雷が駆け巡り、ナツは耐え難い激痛と苦しみで目を剥いて絶叫した。
「ぎゃあああああああああああああああああああああああああああああああっ!」
動く人がいない町に、ナツの絶叫が響き渡った。




