14 動きのスピードではないんだよ
町中では、ヴァンパイアになった河童が薄笑いを浮かべ、両大腿に深手を負って道路で腹ばいになっているナツの首を目がけて、長さ十メートルの水でできた刀を渾身の力で振り下ろしていた。
『ダメだ! 逃げられない!』
避けられないと悟ったナツは、思わず左腕を上げて左前腕で首をガードした。水の刀はナツの左前腕で受け止められた。
「な、何っ? なぜ腕が斬れないのだーっ?」
ヴァンパイアの河童は、信じられない状況を目にして思わず叫んだ。じーさんも目を剥いて、ナツの左上腕が水の刀を受け止めている光景を言葉を失って見つめていた。
ナツは即座に状況を理解した。
『そうか! この左腕は咒靈力を物質化したものだ。合理的に考えて、咒靈力を超高濃度に圧縮して物質化したこの左腕は、ちょっとやそっとの攻撃では破壊することができないんだ!』
ナツは左手で水の刀の刀身を握りながら仰向けになると、大きな緊張と不安を覚えながら自分に言い聞かせた。
『こ、この切れ味鋭い刀を握ったら、俺の指が切断されるかもしれない……。だ、だが、客観的に考えて、今はこの左腕の強さを信じるしかないんだ!』
ナツは極度に緊張しながら目を大きく見開き、冷や汗を流して自分の左手を見つめると、目を強く瞑りながら叫び声を上げ、渾身の力を込めて左手を握った。
「わああああああああああああああああああああああああああああああっ!」
バキッ!
水の刀は音を立てながら、ナツが握った箇所から真っ二つになった。ナツは緊張状態から解放され、自分でも信じられない思いで左手を見つめた。その左手には、切断された水の刀の刃先一メートルが握られていた。
「や……、やった……。やったぞ……」
「小癪なーっ! 俺が生き血を噴き出させてやるぞーっ!」
じーさんの右掌からナツの頸動脈を狙って水の手槍が発射されたが、ナツはそれよりも一瞬早く、左手で掴んだ水の刀の刃先をじーさんの右大腿に向かって投げつけていた。
「がああっ!」
水の刀の刃先はじーさんの右大腿を貫通し、液状になってじーさんの脚を伝ってアスファルトの上に水溜りをつくった。ナツはじーさんが放った水の手槍を左手で掴むと、地面の上を転がりながら河童の左大腿に投げつけ、水の手槍は河童の左大腿を貫通し、液状になって地面に水溜りをつくった。じーさんと河童は深手を負った脚の膝をつき、呻き声を上げながら激痛に顔を歪めた。
ナツは上半身を起こし、蝉時雨之破砕を発動させる動作をしながら叫んだ。
「河童、許せ! 俺は、凶悪な魔物に支配されたお前を止めなければならないんだ! 古より時節の移ろいを司りし青朱白玄之尊よ! その御力を宿し給え! 蝉時雨之……」
その時、水の刀で切断されて地面に倒れていた七本の電柱が、ナツを目がけて次々と飛んできて、ナツは驚愕しながら道路を転がってそれらを全て避けた。
「な、何が起こった? 何っ?」
地面の上で上半身を起こして振り返ったナツは、信じられないものを目にして愕然とした。
ナツの目に映ったのは、悪霊となった二体の鬼が薄笑いを浮かべながら目の前に立っている姿だった。
一体は身長二メートル二十センチの筋骨隆々とした鬼で、体中が赤茶色の鱗で覆われ、目は吊り上がり、頭にはトナカイのような大きな角が左右に一本ずつ生えていた。もう一体は、身長三メートルの筋肉の塊のような体躯で、山羊のような角が生えた深緑色の鬼だった。二体とも、キリンのような長く尖った耳をしており、脚は馬の後脚のような形だった。
「鋼鬼! 重鬼! なぜお前たちが? 旋鬼に食われて吸収されたはずだ!」
悪霊となった鋼鬼が薄ら笑いを浮かべた。
「はあ? 俺たち鬼族は他の鬼に食われると、心身の活動力になる霊力と、超能力を発揮する魔力はそいつに吸収されるが、魂まで吸収される訳じゃない。俺たちはお前たちを呪い、悪霊になってこの世界に残っているのさ」
ナツは激しく動揺し、二体の鬼の悪霊に向かって叫んだ。
「お前たちの命を奪ったのは、旋鬼だぞ! 呪うなら、旋鬼を呪え!」
悪霊となった重鬼がニヤリと笑った。
「俺たち鬼族は、お互いに食らい合い、霊力と魔力を与え合うことは当たり前のことなのさ。そんなことで食った鬼を恨む奴なんて、鬼族にはいない。俺たちは、温羅様と温羅様の王国を滅ぼしたお前たちを絶対に許しはしない。絶対に俺たちの手で殺し、魂さえも消滅させてやるのさ」
悪霊となった鋼鬼が楽しそうに笑った。
「今頃、空の上のお前の仲間は旋鬼の餌食さ」
ナツは鋼鬼の言葉に愕然として、空を見上げた。上空では、ヴァンパイアと化した住民たちの大群が巨大な雲のように見えており、空の一部を覆い尽くしていた。
「せ、旋鬼までいるのか……? しかも、こんなに大勢の魔物になった住民たちが空に……」
ナツは大きく両目を見開いたまま、体中から力が抜けていくのを感じていた。
重鬼はそんなナツの様子を見て、嬉しそうに笑った。
「俺たちが身につけた呪いの力で楽しませてやる! さあ、死のアトラクションの始まりだ!」
ついさっきナツに襲いかかった七本の電柱が、電線で繋がった状態で宙に浮き上がると、邪悪な笑みを浮かべる二体の鬼の悪霊の上方で滞空した。
ナツは、宙に浮く電柱を緊張の表情で見つめた。
「さっきから、何を一人で喋ってるーっ?」
地面に座っているヴァンパイアになった河童はナツに向かって叫ぶと、じーさんと同時に両掌から放水を発射し、ナツは左右から強烈な放水に体を挟まれて絶叫した。
「ぐわああああああああああっ! こ、こいつらには悪霊が見えないのかーっ?」
放水が止むと、ナツはぐったりとして仰向けに倒れ、そこに七本の電柱が次々に飛んできた。ナツは自分に迫る電柱を見て、目を見張った。
『逃げられない!』
ヴァンパイアになったもみじの体は、シティホテルの正面にある駐車場に着地した。ホテルは一階部分がエントランスやフロント、ロビー、レストラン、二階が宴会場になっており、建物の一部が十五階まである高層になっていて、その高層部分の三階から十五階が客室になっていた。
ヴァンパイアになったもみじの体は、その背中に生えていたコウモリの翼が黒い液体のような状態に変わると、体の中に吸い込まれるように消えていった。
ヴァンパイアになったもみじの体は、ホテルの正面玄関に向かって歩いて行き、もみじの魂は、ヴァンパイアになったもみじの体の十メートル後方に着地した。
『こいつがジルたちと合流する前に、体を取り返さねぇと』
もみじの魂は、右手の人差し指と中指で空中にジグザグ模様を描いた。
「古より雷を司りし天翔迅雷之命よ。その御力を宿し給え。一条之稲妻!」
もみじの魂が突き出した右掌から雷が発射され、一瞬でヴァンパイアになったもみじの体に命中すると、その全身を包んだ。
「ぎゃああああああああああああああああああああっ!」
もみじの体は雷の中で絶叫し、もみじの魂はその姿を見つめて慌てた。
『て、手加減し過ぎたか? あいつの魂があたしの体から出てこねぇ!』
もみじの魂は、もみじの体に向かって飛んだ。
『どうしたらいい? どうしたらあいつの魂を追い出せる?』
もみじの中で、頭だけの姿で空を飛ぶ温羅の魂の姿が蘇った。
『そうだ! 温羅は魂同士だったら触れられるって言ったよな? それなら……』
もみじの魂は、体を包む雷が消えたもみじの体の腰部に後ろからタックルした。
「あら?」
もみじの魂は、もみじの体を通り抜けて地面にうずくまっていた。
『普通に体に飛び込んでも、体を通り抜けちまうじゃねーか!』
もみじが振り返って見上げると、ヴァンパイアになったもみじの体が不思議そうな顔で周囲を見回していた。
「さっきの雷は何だったんだ? それに、今、体に妙な違和感を感じたが……、気のせいか?」
『こいつ、魂が見えないんだな』
もみじは悪巧みをしている顔でニヤリと笑った。
もみじは、ヴァンパイアになったもみじの体の真正面に立ち、その顔の前でベロベロバーをしたが、ヴァンパイアになったもみじの体には何も見えていないようだった。
『こいつめ! こいつめ! こいつめ!』
もみじの魂は、ヴァンパイアになったもみじの体の顔面に左右の拳を打ち込み、楽しそうに遊び始めたが、拳はヴァンパイアになったもみじの体の顔を通り抜け、何も感じていないようだった。
『あーっ、こいつを見てたら、だんだん腹が立ってきたーっ! あたしの体を奪いやがって! ぜってーに殴ってやるからなーっ!』
もみじがそう思いながら右の拳を顔面に叩き込むと、ヴァンパイアになったもみじの体は呻き声を上げ、その後頭部から魂の頭部が一瞬飛び出し、すぐに肉体の中に戻った。
「な、何だ今の衝撃は?」
ヴァンパイアになったもみじの体は、今感じた体の異変に目を丸くしていた。
状況を理解したもみじは、力が漲る目で笑顔を見せた。
『わかったぜーっ! 相手に触れることを心で決めれば、霊力が働いて触れることができるんだ! そうしたいって願うんじゃなく、望むんじゃなく、そうなることを決めるんだ! つまり相手の魂に触れることを心で決めれば……』
もみじの魂は、ヴァンパイアになったもみじの体の腰に正面からタックルをした。
「魂を捕まえられるはずだああああああああああああああああああああっ!」
その瞬間、もみじの体からもみじの姿のヴァンパイアの魂が飛び出し、その腰に抱きついているもみじの魂が、もみじの体を通り抜けた。
「やったぜえええええええええええっ! 狙い通りだああああああああああっ! どりゃああああああああああああああああああああああああっ!」
もみじの魂は、もみじの姿のヴァンパイアの魂を力任せに上に放り投げると、右掌をアスファルトに当てながら叫んだ。
「古より雷を司りし天翔迅雷之命よ! その御力を宿し給え! 昇龍之稲妻ああああああああああっ!」
とてつもなく巨大な雷が、もみじの姿のヴァンパイアの魂の真下のアスファルトから発生し、もみじの姿のヴァンパイアの魂を呑み込んで空高くまで上昇していった。
「ぎゃあああああああああああああああああああああああああああっ」
もみじの姿のヴァンパイアの魂は、雷の中で絶叫しながら高く上昇していき、雷が消えた瞬間に白い光の粒になって天に上っていった。
もみじの魂は愕然としながら、遠ざかっていく白い光の粒を見つめた。
『今の昇龍之稲妻はとんでもねぇくらい凄まじかったな……。そうか! 今のあたしは魂だけの存在。肉体による限界がねぇから、とんでもねぇ量の御神氣を扱えるのか! それにしても、あいつは黄泉の国に行ったのか……? 体を取り戻しただけで、命を奪ったことにはならねぇよな……。
とりあえず、超絶美しいあたしの体に戻ることにするか!』
もみじの魂は、魂が抜けて崩れたように膝を折ってうつ伏せになっている自分の体の中に、吸い込まれるように消えていった。
「おい、おい、待てよ」
もみじは目を開けた瞬間に愕然として呟き、上体を起こした。
「めっちゃ腹が減って、頭ん中に新鮮な血の映像が浮かぶぞ! しかも、その血がめっちゃ美味そうじゃねーか! ちくしょう! 血が飲みてぇええええええっ!」
叫んだもみじの口の中には、二本の牙が生えていた。
「あれ?」
もみじはもう一つの体の異変に気がつくと、立ち上がって自分の体を見回した。
『廃校で衝撃波を出した時、体の限界を超える膨大な霊力で体のあっちこちをぶっ壊した傷が全部治ってるぜ! ヴァンパイアにはこんな自己治癒力もあるのか? ってーことは、ジルたちは、ちょっとやそっとのダメージを与えても、すぐに回復しちまうってーことか? 厄介だな。だが、そもそも思考を読めて瞬間移動ができるなんて反則級の能力の持ち主に、一体どうやったら勝てるんだよ?』
もみじはしばらく考え込んでいたが、ある疑問がふと頭をよぎった。
「父上だったら……、どうやってあいつらと闘うんだろう?」
その時、もみじの脳裏に、高校生になったばかりの頃の記憶が蘇った。
ポニーテールに白衣、緋色の袴に雪駄の姿のもみじは、朝の日差しに包まれた雷鳴轟之神社の裏庭で、無数の倒木を背にして木刀を構えていた。その正面には、白衣と紫色の袴を身に着け、雪駄を履いたもみじの父かしわが立っており、もみじと同じく木刀の先を相手の喉に向ける正眼の構えをとっていた。
かしわの表情には一切の感情が感じられなかったが、もみじの表情には動揺が見られ、冷や汗を流していた。
『さっきから、あたしが攻めようとすると、父上はあたしが狙った場所からすっと移動しちまう。まるで、助走してジャンプしようとした瞬間、踏み切るはずの地面が突然消えたみてぇな感じだぜ』
もみじがかしわを攻めようとして微かに動いた時には、かしわはすでに横に移動しており、もみじが狙った位置からいなくなっていた。
『よーし! こうなりゃ、父上があたしの攻撃を読んでも、対応ができねぇスピードで連撃するぜ!』
もみじは気合を発しながらかしわに向かって飛び込み、一撃目の喉への突きを放った。
「やああああああああ……、え……?」
もみじの放った木刀の先にかしわの姿はなく、かしわはもみじの左斜め前に無表情で立っていた。かしわが両手で持つ木刀の切先は、もみじの喉の左側に皮膚から一ミリの間隔をおいて静止していた。
もみじは両目を見開き、頬を冷や汗が伝った。
「ま……、参りました……」
もみじは構えを解いたかしわに向かって、興奮しながら叫んだ。
「父上! なぜわたしが攻めようとする場所がわかるのですか? わたしの動きを読んでいるのですか?」
かしわはサラサラの髪に爽やかな笑顔で答えた。
「いや、読んでるっていうよりも、体で感じるんだよ」
「体で感じる?」
「もみじが狙っている体の部分に、ピリピリしたものを感じるんだ。たとえば喉を狙われたら、喉がピリピリする。それを感じたら、それを感じなくなる場所に移動してるだけだよ。今は稽古だからピリピリだけど、真剣勝負だと、もっと強烈な圧力と熱さを感じるよ。たぶん、それくらい強いものは、殺気って呼ぶんだろうね。
霊力は宇宙の全ての活動の根源の力。心の活動にだって霊力が働いているんだ。攻撃するために相手を狙うと、その瞬間に狙った場所に霊力が送られるんだよ。だから、体のどこかに相手が攻撃しようとしている霊力を感じたら、それを感じない場所に移動する。ただそれだけのことだよ」
もみじは少し困惑しながら、曖昧に返事をした。
「は、はあ……。そ、そうだ! それに父上の攻撃が速すぎて、何が起こったかわかりませんでした!」
かしわは屈託のない笑顔で言った。
「もみじがそう感じたのはね、動きのスピードではないんだよ。もみじは脊髄反射って知ってるかい?」
「脊髄……反射……ですか? さあ、わかりません……」
「通常の体の運動は、感覚器官からの情報が脳に伝わって、脳が体の動きに司令を出しているよね? 脊髄反射はね、たとえば熱いものに触ったら思わず手を引っ込めるように、感覚器官の情報が脊髄を経由してすぐに運動器官が働くもので、脳を経由しないから反応が凄く早いんだ。だから、武術で高いレベルに到達するためには、攻防の中で脊髄反射で体が動くように修行することが必要なんだよ。
そして、脊髄反射が身についたら、次の段階では脊髄反射の要領で、霊力を感じたら反射的に霊力で体を動かす『霊力反射』を身につけるんだ。感覚器官から運動器官への神経情報の伝達は電気信号で行われるけど、霊力は電気よりも早く伝わるから、脊髄反射よりもさらに早い反応ができるんだよ」
「ど、そうすれば、最初の段階の脊髄反射が身につくのですか?」
かしわは爽やかな笑顔のままで答えた。
「ポイントは二つだね。一つ目は、考えなくても体が動けるように、稽古を重ねること。二つ目は、頭の中を空っぽにすること」
「頭の中を空っぽに……ですか?」
「そうだよ。昔日の武術家たちは、武術の稽古と並行して、頭の中を空っぽにする訓練もしたものなんだよ。揺らめく火や水の流れを見つめ続けたり、瞑想や座禅をしたりしてね。でも、真剣を持った相手との命懸けの闘いの中で頭の中を空っぽにするのって、なかなかできることじゃない。その大きな壁を乗り越えた一握りの者だけが、至高の境地に到達できるんだ」
かしわは、困惑している表情のもみじに簡単そうに言うと、爽やかな笑顔を見せた。
もみじは一縷の希望を見いだし、牙が生えた口で笑顔を見せた。
『そうだ! さっき無意識に衝撃波を放ったら、ジルはそれを読めなかったみてぇだ。父上と母上がいなくなってから、ばあ様は術は教えてくれなかったが、瞑想の指導はしてくれた。頭の中を空っぽにすれば、あたしにも脊髄反射、いや、それよりも早い霊力反射ができるはずだ! 頭の中が空っぽなら、思考を読まれる心配もねぇ! 霊力反射で反撃ができれば、あいつらが瞬間移動を始める前に攻撃を打ち込めるはずだ! 待ってろよ、ジル! ……え〜と、それから……名前を忘れちまったな……その他二体のヴァンパイアーッ!』
もみじの表情には、自信と闘志が漲っていた。




