第53話 瞬ける命
シェイド達の脱出は困難だった。彼等は疲弊し、その上行く先にはほぼ互角の力を持つ強敵がいるからだ。
幸いにも、敵の多くはフィロの巧みな誘導で回避できた。
しかしどうしても避けられない時もあり、2回ほど戦闘となった。
幸いにもフィロの探査能力で敵の先手も取り、不意打ちでどうにか倒す事が出来た。
肉体的にはほぼ互角とはいえ、敵はおそらく実戦経験が乏しいはずだ。
その予想通りに不意打ちに脆く、負傷したシェイド達でもどうにか討ち取れたのだった。
しかし代償も大きかった。
流石に無傷とはいかず、魔力もほぼ限界まで使い果たしてしまった。
特にシェイドの負傷が酷かった。
彼は二回目の戦闘で、『電滅』の魔法術式で、自爆覚悟で自身の左手もろとも掴んだ敵を焼き尽くしたからだ。
彼の左腕は見るも無惨な有り様になり、もはや完全に使い物にならなくなっていた。
「いってえ・・・」
敵が崩れ落ちるのを見届けると、シェイドもまたうめき声を上げてしゃがみ込んだ。
よほど左腕の激痛は堪え難いのだろう。彼の額から大量の脂汗が滲み出ている。
それでもシェイドは痛みを耐え、よろめきながら立ち上がった。
「よう、お互い無事で良かったな」
シェイドは引きつった笑みを浮かべながら、クリスに無事な右手を差し出した。
「何が無事よ、馬鹿」
「馬鹿馬鹿うるせえな、そんなの昔からだろう」
「それでも馬鹿よ」
クリスは涙ぐみながら何度も首を振ると、シェイドの右手を優しく握り返した。
・
僅かな休憩の後、彼達は再び歩き出した。
もう残り時間も少ない。時間が過ぎれば自分達もろとも都市を焼く手筈になっている。
あの大隊長なら泣きながら実行するだろう。そう彼等は信じている。
それで良いと思っている。後悔は微塵もない。
しかしまだ諦めてはいない。それでも足取りは重く遅かった。
顔色も蒼白くで、深刻な魔力欠乏症だった。
本心では間に合わないと分かっている。それでも諦めることは仲間達への裏切りと思い、彼等は歩き続けた。
「ねえ・・・何か聞こえない。声かしら?」
不意にクリスが反応した。
「そんなわけない・・・いや聴こえるな。異形体が目覚めたのとも違いそうだな」
シェイド達は瞳を閉じて静かに耳を澄ませた。
オギャー、オギャー
微かだが確かに何かの泣き声が聴こえた。
「ガキか?いや、こりゃ赤ん坊だな」
「フィロさん、近くに誰か生き残りがいるのかしら?」
『申し訳ありませんが、時間がありません。先を急ぎましょう』
「フィロさん?」
クリスの問い掛けに、何故かフィロは話題を逸らして答えなかった。
「フィロさん、もう一度聞くわよ。近くに誰かいるのよね」
何かを察したのか、クリスは眉間にシワを寄せてきた。少し怒っている様子だった。
『脱出には関係ない事です』
「お願い、答えて。大事な事なの」
『・・・近くに人間の生体反応があります』
幾ばくかの怒気の混ざるクリスの声に、フィロはためらいながら答えた。
「説明して、お願い」
『・・・右前方約15ミーン(約20メートル)先の部屋に、生後約四ヶ月の人間の赤ん坊がいます。異形体への変異はありませんが、かなり衰弱はしています』
「そうなのね、ありがとう」
「俺からもだ、ありがとな」
クリスとシェイドと互いに視線を合わせ、同時に頷いた。
「シェイド、行くわよ」
「そうだな」
『お待ち下さい!』
迷わず歩き出すクリス達に、フィロが叫んだ。
『脱出を優先して下さい。故意に赤ん坊の事はお詫びします。ですがそれはお二方の命を守るためです。どうか脱出を優先に、お願いします』
それは悲鳴に近い声だった。
シェイド達の任務は魔力抽出杭の再稼働、人命救助ではない。
任務は達成したが、今は人命救助に割く余力はない。
赤ん坊など邪魔でしかない。フィロが止めるのも当然だろう。
それはシェイド達も重々承知していた。
それでも彼等は赤ん坊の声へと歩き始めていた。
『助かりたくはないのですか?』
「悪い、実はとっくに分かってたんだ。俺達は助からないってな」
興奮したフィロとは対照的な、シェイドの答えは静かで穏やかだった。
『可能性は低いですが、不可能ではありません』
フィロの声色は明らかな動揺を隠せない。それなのに、シェイドは穏やかに微笑んだ。
「気にしないで下さい。俺達が助からなくても、あなたに責任ではないですから。後は俺達だけでやります。だからフィロさん、これまでありがとうございました」
『待って下さい!何でお礼なんて言うのですか!まるで別れの挨拶みたいじゃないですか!』
フィロの切実な訴えに対し、シェイドは無言で微笑むだけだった。
「私達ってさ、基本的に殺す事しか出来ないの。だから最期ぐらいは、誰かの命だけでも助けたいの。ねっ?簡単な話でしょう?」
『簡単じゃないです!全く理解できません!』
「理屈じゃないのよ、こう言うのって」
そう言うとクリスは何かを堪えるように天井を見上げた。
「俺ってさ、実は誰かが死ぬってのは嫌いなんだ、それが嫌いな人間でもさ。赤ん坊なら尚更だ。意外だろ?」
「あら?初耳ね」
「当たり前だ、こんな恥ずかしいこと言えるかよ」
「とっくの昔から知ってたわよ」
「マジかよ、くっそ」
「あはは、これからも絶対に負けないわよ」
「本当に勘弁してくれよ」
『なんで!なんであなた方はそんなに笑っていられるのですか!死んでしまうのですよ!もうお別れなんですよ!』
笑いあうシェイド達に、耐え切れなくなったフィロが泣き始めた。
・
フィロの悲痛な声に、シェイドはある出来事を思い出していた。
それはクリスが処分されかけた事だった。
彼女は頭脳強化型と疑われ、忌むべき存在として処分対象になった。
一度疑われたら最後、人権のない自分達には抗う術もない。大人しく殺されるしかないのだ。
まだ幼かったシェイドでも身に染みて知っていた。
大切なものを奪われる痛みを知り、シェイドは無力な自分を責め、そして創造主たる人間達を憎んだ。
あの時の事を忘れない。だから誓った。
『もう見捨てない』
もうあの思いを味わいたくないから。
「さてと、助けに行くか。俺達が助からない分、せめて誰か他の誰かぐらいは助けないとな」
「まったく、締まらない言い方ね」
そう言って軽薄な笑顔を浮かべるシェイドを、クリスは呆れながらも誇らしげに見つめていた。
「今更だけどさ、多分俺、憧れてたんだ。だから嫉妬していたんだろうな」
「誰のことかしら?」
「言わせるなよ・・・嫉妬して、一方的に嫌ってさ、悪いことしちまったよ、本当にさ。もし聞いて帰れたら謝りたいな・・・もう遅いか、参ったな」
「私が知ってるわ、それで我慢しなさい」
「・・・ありがとな」
涙声で呟くシェイドの頭を、クリスがそっと撫でていた。
・
「ねえシェイド、かなり高い身分の人の部屋よね」
「そうだな」
赤ん坊の声を辿って着いたのは、少し広めの個室だった。
明らかに身分の高い者の部屋なのは明らかな作りで、部屋全体が赤を基調とした豪華な装飾が施されている。
その奥には年代物の机が置かれ、周囲には様々な高級家具が並べられていた。
これらは相当に高価なのものだろう。しかしは今となっては、まもなく都市と共に焼かれるがらくた、何の価値もない。
そんな部屋の中央に、置かれたゆりかごの中て赤ん坊が泣いていた
そのゆりかごは光の障壁に包まれていた。周囲の床に書かれた術式が、赤ん坊を守っていたのだった。
その光景にシェイド達は思わず息を呑んだ。
「・・・凄い術式だな」
「ええ、かなり強力な障壁ね。このおかげでこの子は異形体にならずにすんだのね」
「違いない。こいつを構築した術師は、マリニア様に匹敵する腕の持ち主だ」
この都市が壊滅してから既に人間が2日が経つ。
その間、口にしていない赤ん坊は衰弱していて、その声は消え入りそうに小さい。
それでもまだ生きようと、赤ん坊は必死に泣いていた。
その傍らには、人らしき肉体が横たわっていた。
かつてさ人だったのだろう。しかし四肢の先端は異形体となり、辛うじて人間の女性だった頭部は、苦しみと恐怖で醜く歪んでいる。当然、既に息絶えていた。
それを見るシェイド達に嫌悪の様子はない。当に見慣れた光景だった。
「この人がお母さんよね?」
「待てよ、不用意に触るな」
「心配し過ぎ、もう死んでるわよ。あら?これ何かしら?」
シェイドが女性の遺体を調べようとするクリスを止めると、自分で遺体へと歩み寄った。
「こいつは・・・何かの書き殴りだな」
その途中、彼は遺体の側に落ちている紙片を拾い上げると、目を通し始めた。
「こいつは遺書だ。この女の名はメイア・ラーダ、母親で間違いないようだ」
「それってこの都市の」
「ああ都市スカルプの都市長様だ。つまりこの災厄の元凶の1人だ」
シェイドはマイアの遺書を、声を出して読み始めた。
・
この手紙をお読みの方へ
私はメイア・ラーダ、スカルプの都市長です。
私は過ちを犯しました。名誉を求めるあまり、あの悪魔を招き引き入れてしまったのです。
そのためにこの都市は滅びました。
悪魔の名はライファ
彼女は私達を裏切り、恐ろしい術式でこの都市の人々が異業体に変えてしまったのです。
私も悪魔のせいで異形体に変わりつつあります。まもなく自我もなくなるでしょう。
私は罪を犯しました。
だからからこの命でその罪を償います。
どうかこれでお許しください。
そして願わくば、私の最愛の娘をお救い下さい。
どうかお願いします。
娘には何の罪もありません。
だから、どうかお救い下さい。
叶うなら、娘に『母はあなたを最期まで愛していた』とお伝え下さい。
・
「勝手な話だ」
シェイドはそう吐き捨てると、やるせない顔で度も首を振った。
「てめえのせいで都市が滅ぼしておいて、しかも他の市民を見捨てて、てめえの娘だけを助けてくれかよ」
シェイドは呻くように叫び続けた。
「獣人達に呪いを掛けて追放したのもてめえじゃねえか! 何が命で贖うだ!何が娘を助けてくれだ!犯した罪の大きさは、てめえの命程度じゃ全然足りねえんだよ!」
「同感ね。だけど赤ん坊を助けないとない理由にはならない」
叫ぶシェイドの横で、クリスは冷めた瞳で遺書に目を通していた。
「確かにこの女は馬鹿で愚かだった。だけど、命を捨てて自分の娘を助けた。多分、自分だけなら助かることも出来たはずなのにね。それは間違いない事実よ」
クリスは光の膜に両腕を刺し入れると、中で泣く赤ん坊を優しく抱きかかえた。
「おぎゃ~!おぎゃ~!」
「あれれ?」
激しく泣く赤子をクリスが優しく撫でるが、しかし泣き止まない。
クリスは困惑しながらも、愛おしそうに赤ん坊を見つめた。
「私だって彼女の罪を許すつもりはないわ。だけどね、我が子を救った事には敬意を表したいの」
「・・・そうだな」
シェイドは顔をしかめながら、床に転がるかつてマイアだった死体を見つめた。
かつて都市長だった異形の死体は、自らの手で心臓を貫き朽ち果てていた。異形体になった自分が子供を襲う前に、彼女は自ら死を選んだ。
「立派だよ。痛くて、苦しくて、怖かったんだろうな。俺には出来ないな」
そう言うとシェイドはマイアの側に膝を落とした。
「あなたの勇気と愛に、心からの敬意を表します」
別れる子供を思ってか、それとも死への恐怖で体が震えてのためか、メイアの瞳は歪んだ形相で見開かれたままの状態であった。
「あなたの子供をお守りします。どうか安らかにお眠り下さい」
彼は静かに言い終えると、苦痛に見開かれた瞳をそっと閉じた。
・
「さてと!約束もしたし、この子だけでも助けないとな」
そう言うと、シェイドは泣き続ける赤ん坊の頭を優しく撫でた。
するとその瞬間、クリスがどんなにあやそうとも泣き続けた赤ん坊が、不思議な事にピタリと泣き止むと、シェイドを見て笑い始めた。
シェイドもまた赤子を愛おしそうに見つめ、そして優しく何度も撫でる。
「・・・そうね」
クリスは何故か憮然とした表情で頷くと、抱いていた赤子をシェイドの胸元へと押し付けた。
「少し抱いてて。私はこの術式の耐火属性を強化するから」
「悪いな、頼む」
シェイドはクリスまだ無事な右手で赤ん坊を受け取ると、愛おしそうに優しく抱き抱えた。
全身が自らの血と、敵の返り血に染まる凄惨な姿のシェイド
そんな彼に抱き抱えられながらも、なぜか赤ん坊は微笑みを止めない。
「はは、赤ん坊ってのは可愛いもんなんだな」
「あら?あなたって、人間が嫌いじゃなかったのかしら?」
「もうさ・・・嫌いになんかなれないよ、分かっちまったからな」
シェイドは笑い続ける赤ん坊に、これ以上にない無邪気な笑みを返した。
それはやがて訪れる絶望の前の、とても静かで安らぎに満ちた一時だった。
諸事情により説明は出来ませんが、今回書いた話の一部は実際に起きたある出来事を元にしてます。
彼女は絶望の中でも最後に力を尽くし、ある出来事を解決へと導いてくれました。
私のこの声は届かないでしょうが、今この場を借り、今は亡き彼女に限りない感謝と称賛を、そして併せてその冥福を祈りたいと思います。
次は9月20日更新予定です。
どうかこれからもよろしくお願いします。




