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30/31

30,冬眠

お嬢様、本日は王妃教育の日ですが……。」

侍女が困ったように声をかける。

だが。

「……寒いわ。」

返ってきたのは、毛布の山からの声だった。

窓の外では雪が降っている。今年一番の寒波だと朝から騒がれていた。

暖炉の前。分厚い毛布。温かい紅茶。読みかけの本。

セアリスは完全に動く気を失っていた。

「お部屋は十分暖かいかと……。」

「廊下が寒いのよ。」

「ですが、ずっとお部屋に籠もるのは……。」

「今日はここで過ごすわ。」

非常に本気だった。

メイド研修を休みに入ってから数日。

本来なら久しぶりの自由な時間を楽しむはずだった。

だが今年の冬は寒すぎた。

結果。

セアリスは外出を放棄した。

公爵家の使用人たちも最初は心配していたが、今ではすっかり慣れている。

「お嬢様、お食事をお持ちしました。」

「ありがとう。」

「本日は窓際まで移動されましたね。」

「少し暖かかったの。」

地味な進歩だった。

その日の午後。

「セアリス様が数日ほとんど外へ出ていない?」

王宮で報告を聞いたエドワードは、僅かに眉を寄せた。

「はい。公爵家からは“体調不良ではない”とのことですが……。」

「……。」

エドワードは少し考え――静かにため息を吐いた。

「最近、寒波が来ていますね。」

側近がきょとんとする。

「はい……?」

「なるほど。」

なぜか納得した顔だった。

翌日。

エドワードは公爵家を訪れていた。

応接室へ通されたあと、公爵夫人が少し困ったように笑う。

「申し訳ありません。あの子、冬になると少し極端で……。」

「やはり寒さですか。」

「ええ。」

即理解された。

「休暇に入って気が抜けたのもあるのでしょうね。」

「体調は?」

「元気です。」

「そうですか。」

エドワードは静かに目を閉じた。

元気なのに部屋から出ないらしい。

案内された部屋の前。

侍女が扉をノックする。

「お嬢様。エドワード殿下がお見えです。」

数秒沈黙。

その後。

「…………寒いわ。」

中から返ってきた。

エドワードが思わず目を閉じる。

「開けますね。」

侍女が扉を開けた。

暖炉の前。

毛布に包まったセアリスがいた。

完全装備だった。

「……何をしているのですか。」

「冬眠よ。」

真顔で言った。

「本当に来たのね。」

セアリスは毛布に埋まりながら言う。

「数日お姿を見ていないと聞けば、普通は心配します。」

「体調不良ではないと伝わっていたでしょう?」

「ええ。ですから寒波だろうと思っていました。」

「理解が早いわね。」

「長い付き合いですので。」

少し呆れたような声音だった。

エドワードは部屋を見回す。

机には読みかけの本。暖炉の近くには空になったティーカップ。椅子には脱ぎ捨てられた外套。

完全に“引きこもり生活”の部屋だった。

「せっかくの休暇なのですから、少しは外へ出ては?」

「寒いもの。」

「ずっと籠もっていて楽しいですか?」

「暖かいわ。」

会話にならなかった。

「少しは運動した方がいいのでは。」

「春になったら動くわ。」

「冬眠する動物みたいなことを言わないでください。」

だがエドワードは完全には否定しなかった。

代わりに、小さな箱をテーブルへ置く。

「……何?」

「暖房用の魔道具です。」

セアリスが少し目を丸くする。

「王宮魔術師が改良したものだそうですよ。持ち運びも可能だとか。」

「……。」

セアリスは毛布から少しだけ出て、その箱を見た。

「外でも使えるの?」

「ええ。」

「……。」

数秒後。

「少しなら外へ出てもいいかもしれないわ。」

「現金ですね。」

「寒さは大敵なのよ。」

真顔だった。

その帰り際。

「殿下。」

「なんでしょう。」

「ありがとう。」

毛布に包まったまま、セアリスが小さく言う。

エドワードは少しだけ目を細めた。

「次に来る時は、せめて暖炉の前から出てきてください。」

「努力はするわ。」

たぶんしない。

エドワードはそう思いながら、静かにため息を吐いた。 



「姉様、荷物多くないですか?」

リシェルが箱を見ながら言った。

セアリスの部屋には荷物が積み上げられていた。

本。参考書。辞書。ノート。筆記用具。そして本。さらに本。

「必要なものよ。」

「本当にですか?」

リシェルは積み上がった箱を見上げる。

どう見ても必要以上だった。

学園入学まであと数日。今日は寮へ持っていく荷物をまとめる日だった。

「姉様、洋服は?」

「あるわ。」

「どこです?」

「そこ。」

セアリスが指差した先には小さな箱が一つ。

「少なくないですか!?」

「制服があるでしょう。」

「そういう問題じゃありません!」

対して本の箱は六つあった。

「私はこれも持っていきます!」

リシェルが嬉しそうに見せてくる。

髪飾り。小物入れ。お気に入りのカップ。可愛い置物。お菓子用の缶。

「……。」

セアリスは黙る。

「何ですか。」

「荷物が多いのね。」

「姉様にだけは言われたくありません!」

その時。

部屋へ公爵夫人が入ってきた。

「荷造りは進んでいるかしら?」

「順調です。」

セアリスが答える。

「そう。」

夫人は部屋を見回した。

本の山。箱の山。本の山。

「順調なのね……。」

少しだけ遠い目をした。

「セアリス。」

「はい。」

「本当に全部持っていくの?」

「持っていきます。」

即答だった。

「学園には図書館もあるでしょう?」

「必要になった時に手元にないと困ります。」

「そう。」

夫人は諦めた。

荷物をまとめながら、セアリスはふと窓の外を見る。

見慣れた庭。見慣れた屋敷。生まれてからずっと暮らしてきた場所。

学園へ入れば毎日帰ることはできない。もちろん休暇には戻れる。それでも少しだけ。本当に少しだけ。胸の奥が落ち着かなかった。

「姉様?」

リシェルが首を傾げる。

「どうしたんです?」

「……いいえ。」

セアリスは小さく笑った。

「少し考え事をしていただけ。」

「緊張してるんですか?」

「少し。」

「珍しい。」

「失礼ね。」

「でも大丈夫ですよ。」

リシェルは胸を張った。

「私もいますから。」

「そうね。」

「昼食も一緒に食べます。」

「助かるわ。」

「友達も作りましょう。」

「努力はする。」

「努力でどうにかなる問題でしょうか……。」

リシェルは少し不安になった。

その日の夕方。

執事が一通の封筒を持ってくる。

「お嬢様、お手紙です。」

受け取った封筒には見慣れた筆跡。

エドワードからだった。

セアリスは封を開く。

『入学まであと少しですね。学園でも、これまでと同じようによろしくお願いします。あなたが友人関係を心配していると聞きましたが、あまり考えすぎないことです。もし困ったことがあれば相談してください。少なくとも、昼食を食べる相手がいなくなることはないでしょう。』

セアリスは最後の一文を見て眉をひそめた。

「何て書いてあったんですか?」

リシェルが聞く。

「余計なことよ。」

「気になります。」

「昼食の心配をするな、ですって。」

「ああ。」

リシェルが納得した顔になる。

「正しいですね。」

「どうして皆そうなのかしら。」

だが。

セアリスはもう一度手紙へ視線を落とす。

昼食を食べる相手がいなくなることはない。

その一文が少しだけ可笑しかった。

そして少しだけ安心した。

学園は不安だ。

友達も心配だ。

新しい環境も少し怖い。

けれど。

リシェルがいる。

エドワードもいる。

そう考えると、ほんの少しだけ気が楽になった。

「……何とかなるかしら。」

誰に聞かせるでもなく呟く。

その声は小さかったが、以前よりずっと前向きなものだった。

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