24,休暇
交流事業が終わって数日後。
王宮はようやく落ち着きを取り戻していた。
アーレンス王国の使節団が帰国し、毎日のように飛び交っていた怒声や翻訳依頼も消え去る。廊下には静けさが戻り、メイドたちも久々に余裕のある表情をしていた。
――そして。
「セアラ。」
「はい?」
呼び止めたメイド長は、静かに告げた。
「休みなさい。」
「……え?」
セアリスは目を瞬かせた。
「交流事業の間、あなた働きすぎです。」
「ですが、仕事が……」
「あります。でもそれ以上にあなたが限界です。この前、倒れたでしょう?」
珍しく強い口調だった。
周囲のメイドたちも一斉に頷いている。
「最近ずっと走り回ってましたよね……。」
「翻訳も会議も全部セアラ頼りでしたし。」
「途中から“セアラさん呼べば解決する”みたいになってましたもん。」
否定できない。
メイド長は深く息を吐いた。
「数日休暇です。」
「……休暇。」
「実家へ帰っても構いません。とにかく王宮から離れて休みなさい。」
実家。その言葉に、セアリスは少しだけ目を丸くした。
◇
――そして翌日。
「お嬢様ああああ!!」
馬車から降りた瞬間、使用人たちが駆け寄ってきた。
「お帰りなさいませ!」
「お久しぶりです、お嬢様!」
「お痩せになってません!?」
「そこまでではないわよ……!?」
セアリスは少し困ったように笑った。
久しぶりの公爵家。最近では仕事が忙しくて全然帰ってなかったからとても久しぶりだった。
「セアリス!」
勢いよく抱きついてきたのは母親だった。
「大丈夫!? 王宮怖くなかった!? ちゃんと食べてる!?」
「お母様、苦しいです……。」
「あなた全然帰ってこないから心配したのよ!」
「仕事が忙しくて……。」
「聞いたわよ!?翻訳?会議?料理人の喧嘩仲裁!?」
「なんでそんなことになってるの!?」
セアリスもそう思う。すると父親まで現れた。
「帰ったか。」
「お父様。」
穏やかな声だった。
だが次の瞬間。
「……王宮、辞めるか?」
「お父様?」
真顔だった。
「過酷すぎないか?」
「えっ。」
「公爵令嬢へ何をさせているんだ王宮は。」
「いや、でも自分からやった部分も……。」
父親は難しい顔をしている。
「交流事業で活躍したと聞いたが。」
「……どこから。」
「色々だ。」
嫌な予感しかしない。
「“隣国と意思疎通できる貴重な人材”とも聞いた。」
「やめてくださいその呼び方。」
恥ずかしい。
しかし父親は少し誇らしそうでもあった。
「お前は昔から、興味を持ったことへの努力は凄かったからな。」
セアリスは少し照れくさくなる。
◇
その日の夜。セアリスは久しぶりの自室で、ベッドへ倒れ込んだ。
「はあぁ……。」
柔らかい。王宮よりずっと落ち着く。机も、本棚も、窓から見える景色も全部見慣れていた。
「……帰ってきた。」
ぽつりと呟く。王宮での日々は忙しかった。本当に。会議やら、夜会やら。色々ありすぎた気がする。
「……疲れたわ。」
でも不思議と、嫌な疲れではなかった。
すると、こんこん、と扉が鳴る。
「お嬢様?」
「どうしたの?」
入ってきた侍女は少し困った顔をしていた。
「……王宮から、お手紙が。」
「え?」
嫌な予感がした。
受け取った封筒には、見慣れた紋章。王家のものだった。セアリスは嫌そうな顔になる。
「……まさか仕事?」
恐る恐る開く。だが中身を読んだ瞬間、動きが止まった。
『休暇中に仕事へ戻った場合、今後さらに長期休暇を命じます。』
「…………。」
その下には。
『しっかり休んでください。』
丁寧で綺麗な字。
エドワードだった。
セアリスはしばらく黙ったあと――
「……監視されてる?」
真顔で呟いた。
休暇1日目。
セアリスは、自室のベッドへ寝転がりながら天井を見つめていた。
「……暇だわ。」
帰宅してまだ半日しか経っていない。
しかしもう限界だった。
最初は良かったのだ。
久しぶりの実家。
柔らかいベッド。
静かな空間。
好きなだけ寝られる幸福。
――最高だと思った。
実際、朝はかなりゆっくり寝た。
昼食も豪華だった。
侍女たちは「お嬢様は休んでください!」と過保護なくらい世話を焼いてくれる。
だが。
「……やることがない。」
暇だった。
本を読もうとした。
30分で閉じた。
刺繍をやろうとした。
針を指へ刺した。
昼寝しようとした。全く眠くない。
庭を散歩した。
1周で終わった。
「……。」
静かすぎる。
王宮では毎日誰かに呼ばれていた。
翻訳。
会議。
書類。
料理人の喧嘩。
リナの相談。
ミリアとの雑談。
常に何かしていたのだ。
「忙しいって、慣れると駄目ね……。」
セアリスは遠い目をした。
すると。
「お嬢様、お茶をお持ちしました。」
侍女が優雅に紅茶を置く。
「ありがとう。」
「本日はこのあとどうされますか?」
「……何も。」
「ではゆっくりお休みを。」
にこやかに去っていく。
静かだった。
「…………。」
セアリスは5分後には立ち上がっていた。
◇
その日の夕方。
「お嬢様!?」
廊下を歩いていた侍女が驚く。
「どうなさいました!?」
「少し書庫へ。」
「また勉強ですか!?」
止められた。
「休暇中くらい休んでください!」
「いやでも暇で……。」
「駄目です!」
真剣だった。
結局、書庫行きは禁止された。
◇
夜。
セアリスは窓際へ座りながら外を見ていた。
王都の灯りが遠くで揺れている。
「……外、行きたい。」
ぽつりと呟く。交流事業の間、王都もかなり変わっていた。新しい香辛料。新しい商品。アーレンス風の菓子。気になる。ものすごく。
「……明日だけ。」
小さく呟く。
「明日だけ少し出かけようかしら。」
完全に休養方針が崩れ始めていた。
――休暇2日目。
「行ってきます!」
セアリスは珍しく軽やかな声でそう言うと、公爵家の玄関を飛び出した。後ろでは侍女たちがざわついている。
「お嬢様が元気すぎる……。」
「昨日まで“暇です……”って死にそうだったのに……。」
「外出許可、早まったかしら……。」
だが本人はもう聞いていなかった。
◇
王都へ到着した瞬間。
「わあ……!」
セアリスの目が輝く。
石畳の通り。
行き交う人々。
露店から漂う焼き菓子の香り。
久しぶりの王都だった。交流事業の影響なのか、以前よりさらに賑わっている気がする。
「あっ。」
通りの一角を見て、セアリスは足を止めた。見慣れない露店。並んでいるのは、小瓶に入った香草や色鮮やかな粉末。
「これ……アーレンスの香辛料?」
思わず近寄る。
店主らしき男性が笑った。
「お、嬢ちゃん詳しいな!」
「最近入ってきたんだよ!」
瓶を開けた瞬間、
ふわっと爽やかな香りが広がる。
「……すごい。」
少し柑橘っぽい香り。
でも奥にちゃんと辛味がある。
「これ、お肉料理に合いそう……。」
セアリスは真剣な顔で呟いた。
「ははっ、料理人みたいなこと言うな!」
「最近そういう人たちを見すぎたので……。」
思わず遠い目になる。厨房戦争を思い出した。
「あ、この香草も入ったんですね!」
「おっ、知ってるのか?」
「アーレンスだとスープによく使いますよね?」
店主が驚いた顔をした。
「嬢ちゃん本当に詳しいな……!」
「向こう行ったことあるのか?」
「一度だけ。」
セアリスは少し嬉しそうに笑った。そして気づけば香辛料を三種類も買っていた。
(やばい、買いすぎたかも。自分で料理することなんてほとんどないのに。……それにしても何に使おう。)
まだ決めていない。でも楽しいので問題ない。
その後…
「……かわいい。」
今度は雑貨屋の前で止まる。ガラス細工のアクセサリー。刺繍入りの小物。異国風の髪飾り。
交流事業で輸入品も増えたらしい。
「この青、綺麗……。」
光に透ける小さな硝子細工を手に取る。
店員が微笑んだ。
「最近人気なんですよ。」
「アーレンス風のデザインで。」
「やっぱり向こうのものなんですね。」
どこか自由で、華やかなデザイン。ルヴェルトの国らしいな、と少し思う。
「……。」
そこでふと、別れ際を思い出した。
『アーレンスに来たくなったらいつでも言って。』
『待ってるから。』
「……。」
セアリスは少しだけ視線を逸らす。
(いや、別に行くとは言ってないのだけど。)
でも…
もし本当に行けるとなったら、行きたい。というか今はそのために頑張っているのだから。自由で、賑やかで夜も賑やかな国。それがアーレンスだった。
「……。」
少しだけ、胸がそわついた。
「お客様?」
「あ、すみません。」
我に返る。
結局、青い硝子の髪飾りを買った。
その後も、焼き菓子を食べ…
「おいしい……!」
本屋で海外の文化本を立ち読みして…
「この国、祭り多いわね……。」
大道芸を見て普通に拍手し。
「すごい!」
気づけば、かなり満喫していた。
そして夕方。
「……疲れた。」
カフェのテラス席へ座り、セアリスはほっと息を吐いた。だがその顔は、王宮にいた時よりずっと楽しそうだった。
運ばれてきた紅茶を飲みながら、通りをぼんやり眺める。
とても平和だった。
誰も翻訳を頼んでこない。料理人も喧嘩していない。会議もない。
「最高だわ……。」
心の底から呟く。
今日は散財しすぎたな。だんだんと人が減ってゆく通りを見ながら思う。まあ、今日くらいはいいでしょう!私は一応、給料をもらっているのだ。王宮メイドがもらえる金額はかなり高い。
さすがに帰らなければまずいと思い、セアリスは帰路についた。そしたらふと小さな雑貨店が目に入った。
硝子細工や文具、小物類が並ぶ落ち着いた店だ。
「……。」
セアリスは少しだけ足を止める。本当はもう帰るつもりだったけど…だが今日は久々の自由な外出である。少しくらい寄り道してもいいだろう。
店の扉を開けると、小さな鈴が鳴った。
「いらっしゃいませ。」
店内には静かな音楽が流れている。棚には繊細な細工の品々が並び、どこか落ち着く空間だった。
「わぁ……。」
セアリスは思わず目を輝かせる。
とても綺麗。
王宮の豪華さとは違う。職人が丁寧に作った温かさみたいなものがあった。
銀細工の髪飾りやガラス製のしおりなど…見ているだけで楽しい。
(こういうお店好きなのよね……。)
セアリスはゆっくり棚を眺める。
その時だった。ふと1本のペンが目に入る。深い黒に近い紺色の軸。装飾は控えめ。だが光に当たると、細い銀の模様が静かに浮かび上がる。派手ではない。でも妙に品があった。
「……綺麗。」
思わず手に取る。軽すぎず、重すぎない。手に馴染む感覚。
「お目が高いですね。」
店主が微笑んだ。
「書き心地が良いと評判なんですよ。」
「そうなんですね。」
セアリスはペンを見つめる。落ち着いた色で無駄のないデザイン。
なんとなく、エドワードを思い出した。
(……殿下っぽい。)
あの人、豪華すぎる物はあまり好まなさそうだ。けれどこれは違う。静かな高級感がある。
それに、エドワードはいつも書類を書いていた。机には必ずペンが置かれている。
(これは使いやすそうだ。)
そこまで考えて、セアリスははっとした。
(……いや、なんで殿下への贈り物選んでるの私!?)
別に特別な日ではない。婚約破棄予定相手である。
なのに、もう一度ペンを見る。やっぱり似合う気がした。
(……まあ、お世話にはなってるし。)
最近は何だかんだ助けられている。お礼と思えば不自然ではない。たぶん。
「……これ、ください。」
気づけばそう言っていた。




