23,アーレンスの退散
アーレンス王国の一行が帰国する日。
王宮の正門前は、朝から慌ただしかった。荷物を積み込む使用人たち。馬車の確認をする騎士たち。最後の挨拶を交わす貴族たち。交流事業は無事成功だったらしく、全体の空気はどこか明るい。
「セアラ様ー!」
リナが駆け寄ってくる。
「本当にありがとうございました!」
「こちらこそ。向こうへ帰っても頑張ってね。」
「はい!」
リナは少し寂しそうに笑った。
「最初、すごく不安だったんです。でもセアラ様がいたから安心できました。」
「大袈裟よ。」
「大袈裟じゃありません!」
真剣に言われ、セアリスは少し困ったように笑う。
最近、本当に色んな人から感謝されるようになった。
目立ちたくなかったのに。
不思議なものだ、とセアリスは思う。
その時。
「こんにちは。」
聞き慣れた声がした。
振り返れば、ルヴェルトがこちらへ歩いてくるところだった。今日の彼は旅装姿だった。普段より少し軽装なのに、やはり目立つ。
灰青色の瞳が楽しそうに細められる。
「最後まで人気者だね、セアリス嬢。」
「殿下こそ。」
「僕は王子だから。」
「開き直りましたね。」
「うん。」
いつも通り軽い。
けれど今日は、それが少しだけ名残惜しく感じた。ルヴェルトはセアリスの前で足を止める。
「見送り来てくれたんだ。」
「交流事業でお世話になりましたので。」
「それだけ?」
「……それ以外に何かあります?」
「ないならいいや。」
ルヴェルトは笑う。
そして、ふと周囲を見回した。
「でも本当に助かったよ。」
「私は通訳しただけです。」
「その“だけ”ができる人少ないんだって。」
軽い口調だったが、珍しく少し真面目な声音だった。
「料理の件も、会議も、結局かなり君に助けられたし。」
セアリスは少し視線を逸らす。
真っ直ぐ感謝されるのは、あまり慣れていない。
するとルヴェルトがくすっと笑った。
「そういう顔するよね。」
「どんな顔ですか。」
「褒められ慣れてない顔。」
「……放っておいてください。」
ルヴェルトは楽しそうだった。
本当に最後まで変わらない。
すると後ろから声が飛ぶ。
「殿下ー! そろそろ出発のお時間です!」
側近のアルトだった。
「あーい。」
返事も軽い。
だがルヴェルトはすぐには動かなかった。
代わりに、じっとセアリスを見る。
「ねえ、セアリス。」
「はい?」
「前にも言ったけど。」
灰青色の瞳が細められる。
「アーレンス来たくなったら、いつでもおいで。」
セアリスが少し目を瞬く。
ルヴェルトは笑ったまま続けた。
「君なら普通に歓迎されると思う。」
「そんな簡単に国外へ行けませんよ。」
「でも行きたいんでしょ?」
「…………。」
否定できなかった。
ルヴェルトはそれを見て、少しだけ満足そうに笑う。
「まあ、もし本当に来たくなったら、」
そして以前と同じように、軽い口調で言った。
「いくらでも世話するから。」
さらりと言う。
まるで大したことではないみたいに。
「住む場所に困ったら紹介もするし。」
「そこまで具体的なんですか。」
「君、絶対最初に生活基盤気にするタイプだから。」
「……確かに、」
「でしょ?」
ルヴェルトは肩を揺らして笑った。
その笑顔を見ていると、なんだか少しだけ寂しくなる。
交流事業が始まってから、ずっと騒がしかった。
振り回されて。
からかわれて。
警戒して。
でも――
いつの間にか、その騒がしさに慣れていたらしい。
「……殿下。」
「ん?」
セアリスは少し迷ってから、小さく頭を下げた。
「ありがとうございました。」
ルヴェルトが少しだけ目を丸くする。
「何それ。急に真面目。」
「ちゃんとお礼くらい言います。」
「そっか。」
ルヴェルトはふっと笑った。
それから。
「じゃあ、待ってる。」
まるで雑談の続きみたいに言う。けれど、その言葉だけは妙に優しかった。
再びアルトが呼ぶ。
「殿下。」
「はいはい、今行く。」
ルヴェルトは軽く手を振った。
「じゃあね、セアリス嬢。」
そして最後に。
「婚約破棄、頑張って。」
「なんで応援してるんですか。」
「だって君、ずっと目指してるじゃん。」
悪気ゼロの笑顔だった。
セアリスは思わず脱力する。
「本当に最後まで自由ですね……。」
「褒め言葉として受け取っとく。」
ルヴェルトは笑う。
そしてそのまま踵を返した。
紺色の髪が朝日に揺れる。
馬車へ乗り込む直前、彼は一度だけ振り返った。
灰青色の瞳が、まっすぐこちらを見る。
そして――
にっと、楽しそうに笑った。そしてこちらにひらひらと手を振る。そのまま馬車の扉が閉まった。
ゆっくりと動き出すアーレンス王国の一行を見送りながら、セアリスは小さく息を吐いた。
騒がしい嵐みたいな人だった。
けれど。
「……静かになるわね。」
ぽつりと呟く。
その声は、自分で思っていたより少しだけ寂しそうだった。




