16,厨房戦争
隣国との交流事業が始まってしばらく経った頃。アーレンス王国の王子・ルヴェルトが王宮へ滞在してからというもの、セアリスはさらに忙しくなった。どうやらルヴェルトはあちこちで問題を起こしているらしい。
廊下には見慣れない制服の使用人たちが行き交い、あちこちからアーレンス語が聞こえてくる。普段なら静かな王宮も、今ではどこか市場のような賑わいを見せていた。
「セアラ! 悪い、こっち頼める!?」
「はい、今行きます!」
セアリスは抱えていた布を置き、急いで振り返った。
最近、“セアラ”は半分ほど通訳係として扱われ始めている。
(いや、私は普通のメイドなのだけど……?)
内心ではそう思うが、困っている人を見ると放っておけない。しかもアーレンス側の人々は思っていた以上に話しやすかった。距離感は近いが明るく、人懐っこい。少し賑やかすぎるところはあるけれど。
「この荷物、どこへ運べばいいんだ?」
アーレンス語で尋ねられ、セアリスはすぐ答える。
「北棟の保管室です。ただ、今かなり混んでいるので、先に厨房側へ置いた方が動きやすいと思います。」
「助かる!」
男性は嬉しそうに笑った。
その様子を見ていたミリアが感心したように呟く。
「セアラ、本当にすごいわね……。」
「最近そればっかり言われている気がするのだけど。」
「だって本当にそうなんだもの!」
ミリアは真剣だった。
「向こうの人たち、何かあるたびにセアラ探してるのよ!? さっきなんて“黒髪の通訳娘はどこだ”って聞かれたし!」
「娘って……。」
セアリスは苦笑した。
できれば目立ちたくない。
本当に。特に今は非常にやっかいなルヴェルトがいるし。
しかし現実は逆方向へ進んでいる気がする。そんなことを考えていた、その時だった。
「セアラ様!」
見れば、先日助けたメイドのリナが慌てた様子でこちらへ駆けてくる。
「どうしたの?」
「厨房で問題が……!」
セアリスは嫌な予感しかしなかった。
◇
厨房は戦場へと化していた。
「だからこの香草では違うと言っている!」
「何を言ってるのかわからねぇんだよ!」
怒声が飛び交い、料理人たちが険悪な空気になっている。
(うわぁ……)
セアリスは入口で一瞬固まった。
しかも…
「お、セアラ。やっほー。」
楽しそうな声が聞こえる。そして呑気に料理人たちによって繰り広げられる戦争を見ていた。予想通り紺色の髪の青年が厨房の隅へ寄りかかっていた。
アーレンス第一王子、ルヴェルト。相変わらず完全に面白がっている顔だった。
(絶対この人が原因だわ)
セアリスは確信した。
「何があったんですか。」
セアリスが尋ねると、アーレンス側の料理人が勢いよく話し始めた。
「この国の料理は味が弱い!」
「香辛料を怖がりすぎだ!」
「肉料理に迫力がない!」
一方、こっちの王宮料理人たちも負けていない。
「王宮料理は繊細さが大事なんだ!」
「香辛料で全部同じ味にする料理とは違う!」
完全に文化戦争だった。
セアリスは頭痛を覚える。
「……ルヴェルト殿下。」
「何?」
「煽りましたね?」
「少しだけ。」
絶対に違う。どこからどう見ても少しではないという顔をしていた。しかしルヴェルトは悪びれもせず笑う。
「だって面白そうだったし。」
「子供ですか。」
「よく言われる。」
全然反省していない。
その時、アーレンス側の料理人が腕を組んだ。
「なら勝負するか?」
空気が変わる。
「どちらの料理が優れているか決めればいい!」
「望むところだ!」
王宮料理人も乗ってしまった。
(なんで!?)
セアリスは心の中で叫ぶ。だがもう止まらない。
気づけば厨房は即席料理対決の空気になっていた。
「セアラ! これ何て言ってる!?」
「その鍋どこ!?」
「塩が足りない!」
完全に巻き込まれている。セアリスは必死に通訳しながら走り回った。
その途中。
「その料理なら、こっちの香草の方が合うと思います。」
つい口を出してしまう。
料理人たちが止まった。
「……何で知ってる?」
「あ。」
しまった。
ルヴェルトがまるで獲物を見つけた、と言うような顔でこちらを見る。
「君、本当に詳しいね。」
「本で読んだだけです。」
「それだけでそこまで理解する?
「…………。」
完全に疑われている。
「まあいいや。」
ルヴェルトは面白そうに笑った。
「やっぱ君、普通の令嬢じゃないね。」
適当に話しているうちに次々と料理ができていた。
そしてふと並べられた料理を見比べる。
アーレンス側は香辛料の効いた肉料理。
王宮側は素材を活かした繊細な味付け。
方向性が違いすぎるのだ。そんなん喧嘩するに決まっている。
「……でしたら。」
ぽつりと呟く。
全員の視線が集まった。
「両方合わせてみるのはどうでしょう?これらの料理をです。」
「合わせる?」
料理人たちが怪訝そうな顔をする。
セアリスは少し考えながら続けた。
「アーレンス料理の香辛料や香草を使いつつ、こちらの王宮料理みたいに素材を活かす形にするとか。」
「そんなことできるのか?」
「例えば、香辛料を減らして香草を中心にするとか……。」
セアリスは近くの食材を見ながら話した。
「あと、火を通しすぎない方が、この肉は柔らかさが残ると思います。」
厨房が静まり返る。料理人たちは互いに顔を見合わせた。
最初に動いたのは、アーレンス側の料理人だった。
「……試してみるか。」
「こっちも付き合おう。」
王宮料理人も腕を組む。
そこから空気が少し変わった。
怒鳴り合いではなく、“どう合わせるか”の相談になったのだ。
「その香草貸せ!」
「そっちのソース少し混ぜてみろ!」
先ほどまで喧嘩していたとは思えない。セアリスはほっと息を吐いた。
「へえ。」
ルヴェルトが隣で笑う。
「君、こういうの得意なんだ。」
「ただ喧嘩を止めたかっただけです。」
「でも、普通は“合わせる”って発想にならないよ。」
確かにそうかもしれない。
けれどセアリスにとっては自然な感覚だった。
国が違えば文化も違う。なら、無理に片方へ合わせる必要はない。いいところを組み合わせればいいだけだ。
しばらくしたら…
完成した料理を見た料理人たちは、驚いた顔をしていた。
「……意外と悪くないな。」
「香辛料が強すぎない。」
「でもちゃんとアーレンスっぽさもある。」
先ほどまで険悪だった空気は、かなり和らいでいた。
セアリスが安心した、その時…
「いったい何の騒ぎですか?」
エドワードだった。和んでいた空気が一気にはりつめる。
「お、エドワード。」
ルヴェルトが軽く手を振る。
「文化交流してた。」
「料理対決をしていたと聞きましたが…」
「途中から変わった。」
エドワードは深いため息をついたあと、完成した料理を見る。
「……なるほど。」
そして視線が自然にセアリスへ向いた。
「まとめました?」
「い、いえ、皆さんが頑張ったので……。」
するとルヴェルトが面白そうに笑う。
「いや、完全にセアリスのおかげだったよ。」
「ルヴェルト殿下。」
「隠さなくてもいいじゃん。」
セアリスは思わず顔をしかめた。目立ちたくないのに。本当に。
だがエドワードは小さく息を吐いただけだった。
「……そうですか。」
その声音は、どこか少しだけ優しかった。




