12,交流事業の始まり
最近、王宮は以前にも増して慌ただしかった。隣国との交流事業が本格的に始まったからだ。文化交流の一環として、短期滞在の使用人や料理人が王宮へ出入りするようになり、廊下では聞き慣れない言葉が飛び交っている。
「なんだか賑やかですね。」
運ばれてきた箱を整理しながら、セアリス――もとい、王宮メイドたちから“セアラ”と呼ばれている彼女は小さく笑った。
「来月には隣国の王子様までいらっしゃるらしいですよ。」
近くにいたメイドのミリアが声を弾ませる。
「王子様が?」
「はい! かなり大きな交流会になるみたいで、みんな大慌てです。」
なるほど、とセアリスは頷いた。だから最近こんなに忙しいのか。 しかし同時に、少し嫌な予感もした。
(隣国の王子……)
乙女ゲームの記憶を思い出す。アーレンス王国の第一王子、ルヴェルト。乙女ゲームの攻略対象の一人だ。社交的で人気者。だがかなり癖が強く、他人をからかうのが好きなタイプだったはずである。
(できれば関わりたくないのよね……)
攻略対象と深く関わってろくなことになった記憶がない。ただでさえ現在、婚約破棄へ向けて順調(だと思われる)のだ。余計なフラグは避けたい。セアリスが真剣にそんなことを考えていると。
「す、すみません……!」
廊下の向こうから小さな悲鳴のような声が聞こえた。振り返ると、見慣れないメイド服の少女が青ざめた顔で立っている。足元には割れた食器。
周囲のメイドたちも困ったように顔を見合わせていた。
「ええと……何て言ってるのかしら」
「言葉が通じないみたいで……」
少女は必死に何かを説明している。
その発音を聞いた瞬間、セアリスは目を瞬いた。その少女が話しているのはアーレンス語だった。
セアリスはゆっくり少女へ近づく。そして自然にその言葉で話しかけた。
「大丈夫よ。怪我はない?」
少女の目が大きく見開かれる。
「……え?」
周囲が静まり返った。少女は数秒固まったあと、泣きそうな顔になった。
「わ、わかるんですか、この言葉が……!?」
「少しだけね。」
セアリスが微笑むと、少女は安心したようにへたり込んだ。
「食器を落としてしまって……でも、わざとじゃなくて……!」
「大丈夫。ちゃんと説明するわ」
セアリスは周囲へ向き直る。
「この子、この国の食器が思ったより薄くて驚いたみたいです。向こうはもっと厚手のものが多いので。」
「あ、そういうことだったのね」
メイドたちもほっとしたように息を吐く。少女は感動したようにセアリスを見上げていた。
「ありがとうございます……!」
「気にしなくていいのよ。」
セアリスは苦笑した。国外で暮らすつもりだったため、隣国の言葉や文化もかなり勉強していたのだ。やっぱり隣国関連は目立つわね……。できれば静かに過ごしたい。
特に来月来る予定の“隣国王子”には、絶対に関わりたくなかった。
◇
隣国から来た新入りメイドの少女は、リナと名乗った。淡い茶色の髪に、大きな緑色の瞳。年齢はセアリスより少し下くらいだろうか。とてもお行儀の良くていい子なのだが… 問題は、
「うぅ……また間違えました……」
かなり萎縮していることだった。王宮の廊下の隅で、リナは小さくなっていた。この国の作法に慣れていないせいで、小さな失敗を繰り返してしまうのだ。
「そんなに気にしなくて大丈夫よ」
セアリスは苦笑しながら声をかけた。
「でも皆さんに迷惑を……」
「最初は誰でも失敗するわ」
実際、王宮メイド研修はかなり厳しい。セアリスだって最初は何度も怒られた。特に上品さがらないってね。
「それに、言葉が違う場所って思っている以上に疲れるものなの」
セアリスがアーレンス語でそう言うとリナは少し驚いた顔をした。
「セアラ様って、本当に何でも話せるんですね……」
「何でもではないわよ。」
セアリスは小さく笑う。
「ただ、昔たくさん勉強しただけ。」
「どうしてそこまで勉強したんですか?」
「…………」
一瞬だけ言葉に詰まる。国外で生きていくため。とはさすがに言えなかった。
「他の国って面白いでしょう?」
代わりにそう答える。
「言葉も文化も違うし、同じ料理でも味付けが全然違うの。知れば知るほど世界って広いんだなって思えるのよ」
セアリスは少し楽しそうに話した。リナは目を輝かせた。
「セアラ様、アーレンスへ行ったことあるんですか!?」
「1回だけね。」
「えっ、本当に!?」
「かなり前だけど。」
それは家族旅行で行ったとき。滞在は短かったがあそこの素晴らしさは今でも覚えている。
小ぢんまりとしていて可愛い家。食べ物によく使われるハーブの匂い。夜まで賑やかな街。この国とは少し違う空気。
「すごく楽しかったの。」
セアリスは懐かしそうに笑った。
「あの時に、“もっと色んな国を知りたい”って思ったのよね。」
リナは感心したようにセアリスを見つめる。
「だからあんなに詳しいんですね……」
「本もたくさん読んだわ。」
国外へ行く未来を考え始めてからは、さらに勉強した。いつ行ったとしてもすぐそこで生活できるために。
「私、最初すごく怖かったんです。」
リナがぽつりと言った。
「言葉も通じないし、皆さん怒ってるみたいに見えるし……帰りたいって思ってました。」
「……そうよね」
セアリスは静かに頷く。知らない場所は不安だ。しかも王宮は空気が張り詰めている。というかセアリスも怖がらせていた大きな原因かもしれない。この顔はかなり怖いのだから。
「でも、セアラ様が話しかけてくれて安心しました。」
リナははにかむように笑った。
「皆さん優しいって、ちゃんとわかりましたし。」「それならよかった。」
セアリスも少し笑う。するとその時。
「セアラ!」
遠くからミリアが駆けてきた。
「探したわよ! 厨房から呼ばれてる!」
「厨房?」
「例の隣国料理人さん、材料名がうまく伝わらなくて困ってるんですって。」
「ああ……」
セアリスはなんとなく察した。最近こういうことが増えている。
「行ってくるわね。」
「はい!」
リナは元気よく頷いた。セアリスが去ったあと、リナはぽつりと呟く。
「セアラ様って、不思議な人ですよね。」
「でしょう?」
ミリアがどこか誇らしげに笑う。
「優しいし、仕事できるし、何でも知ってるし。」「でも全然偉そうじゃないんです」
リナは真剣な顔で言った。
「私、最初すごく怖かったんですけど……セアラ様がいたから安心できました。」
ミリアたちは顔を見合わせる。そして小さく笑った。
「わかるわ、それ」
最近、王宮の中で少しずつ同じことを言う人間が増えていた。




