ビアンカと二人きり
いつの間にか眠ってしまっていたらしい。目を覚ますと、隣ではプリムがすやすやと穏やかな寝息を立てていた。
ふと視線を上げると、ベッドの向こう側にはアイリとビアンカが待機しており、どうやら俺が起きるのを静かに待っていたようだ。
俺と目が合うと、彼女たちは無言のまま深く会釈をした。つられて、俺も声を出さずにコクンと頷き返す。
昨夜はあんな騒動があったのだ、無理もない。俺としても、今はもう少しだけプリムを寝かせてあげたかった。ビアンカの『緑魔法』は、ゲームの設定上、対象の自然治癒力を高める程度の効果しかない。熱が引いたからといって、完全に『治った』と油断できる状態ではないのだ。
自然と手が伸び、小さな妹の頭を優しく撫でていた。起こさないように、そっと髪に触れるだけ。それでも、掌から伝わってくる彼女の温もりに、酷く安堵する。
(よかった。熱は完全にひいたみたいだ)
そっと手を引っ込め、しばらくプリムの寝顔を見つめていると――不意に、アイリとビアンカの視線に気が付いた。
ビアンカは、俺をただただ『生温かい目』で見守っていたのだが、問題はアイリの方だ。
彼女は、口元こそニマニマとからかうように歪んでいるのに、眉間には深いシワを寄せ、目元は酷く険しいという、ひどく面白い表情を作っていた。
「――ぷふっ!」と思わず小さく噴き出してしまい、俺を笑わせてくれた彼女に向けて怨嗟の視線を送ってやった。
そのまま数分ほど静かに待っていると、プリムラがパチクリと目を覚ました。
隣にいる俺、続けてベッドサイドに控えているアイリたちを順番に見つめると、ふわぁと可愛らしいあくびをひとつこぼしてから口を開く。
「おはようございます、にーにーさま、アイリねえさま、ビアンカさん」
「おはよう、プリム。具合はどうだ? どこか苦しいところはないか?」
「「おはようございます、プリムラお嬢様」」
「はい、にーにーさま。おさわがせして、ごめんなさいです」
「プリムはなにも悪くないぞ。……それで、今はもう元気そうか?」
「まだちょっと、だるいです。でも、プリムラはつよいこだから、だいじょうぶです」
「プリムは偉いな!――もう少し、にーにーと一緒にいるか?」
「おけいこがあるのです。せんせいをまたせちゃっては、わるいのです」
「……そうか」
心の中で『ふざけんな! 死ぬ運命にあるNPCに、なんで安寧の時間すら与えてくんないんだ、クソシステムがぁ!』と叫びながら、俺は不安で胸をいっぱいにしつつ、もぞもぞとベッドから降りようとしているプリムを見つめる。
プリムラはアイリに手伝ってもらってベッドから出たあと、振り返りながら俺に微笑みかけた。
「にーにーさまは、プリムがいないとさびしい?」
「……寂しいと言ったら、今日は一緒にいてくれるか?」
「だめなのです。にーにーさまも、にーにーさまのおしごとをがんばらないと!」
「そうですわ、エンリーさま。今からでも私との伽を――痛ッ! なにしてますの、この牛の化身!?」
「貴女の伽なんて未来永劫来ないわよ、まな板さま」
「私は『まな板』ではありませんわ!」
「……じゃあ、マナちゃん?」
「響きは可愛いですけれど、絶対に『まな板』を略しただけですわよね!? 人の名前すら覚えられないなんて――老害でしょうか? きっとその無駄な脂肪のせいで脳に血が回っていないのだわ。お可哀想に……もう引退なさったら? エンリーさまのお世話なんて、私一人でも充分ですわ」
「お前らなぁ……!」
「やはり!」
「――プリム?」
「ビアンカさんも、やはり、にーにーさまのおくさまだったのね?」
「おほほっ! そうですわ。私のことも『マナお姉ちゃん』……ではなかった、『ビアンカお姉ちゃん』と呼んでよろしくてよ――痛ッ! だから、人の頭を全力で叩くのはやめなさいよ!」
「全力で叩いたらかち割るわよ、『マナお姉ちゃん』」
「ゴリラなんですの……?」
「では、プリムラはおいとまします。きっとせんせいがまってるのです」
「……うん。ムリだけは絶対しないようにな!」
「あいなのです!」
俺がアイリに目配せをすると、彼女は少々不機嫌そうにコクリと頷き、プリムの小さな手を取った。
「プリムラお嬢様、まだ病み上がりですので、お部屋まで私がエスコートいたしますね」
「ありがとう、アイリおねえちゃん。にーにーさま、ばいばい! マナおねえちゃん、ばいばい!」
「っ……ええ、ごきげんよう、プリムラ様……」
ビアンカは可愛いプリムに対してはなんとか引きつり気味の笑顔を保ったが――部屋を出て行きざま、振り向いて勝ち誇ったようなドヤ顔を向けてきたアイリに対しては、ジロリと怨嗟の籠もった眼差しを堪えきれなかった。
そして、ドアが閉まる音が響いた直後――。
「ふふっ!」
「な、なにしてんだ、お前!?」
――ビアンカは子悪魔的な笑顔のまま、妖艶な動きで俺がいるベッドに潜り込んできた。
彼女が普通のメイド服を着ていたのなら何の問題もなかったが、知っての通りビアンカは今身に纏っているのは、下着とも言えるあの破廉恥極まりないビキニ型のメイド衣装だ。
そんな過激な服装の女性と同じベッドに潜り込まれて、ドキドキしない健全な男子など存在するはずがない。
(ヤバい、エンリ―のホルモンが暴走する前に、さっさとベッドから出ないと……!)
「ダメですわ!」
(えっ!? 心、読まれた!?)
「エンリ―さまは今、私から逃げようとしましたわね?」
「ど、どうしてそれを……」
「顔に出てますわ」
「悪い。ただ……俺はきみを、一人の人間として尊重したいんだ。このままだと、俺の意思とは無関係に、きみに失礼なことをしてしまうかもしれない」
「それは、構いませんわ……」
「えっ……。きみは、もしかして俺のこと……好き、とか?」
「さあ、分かりませんわ。ただ、私が今まで視てきた数多の未来のなかで、『今のエンリーさま』が一番好ましいとは思います。けど――」
ビアンカはそこでスッと目を細め、冷ややかな声で言葉を続けた。
「私はそもそも、人を好きになったことなんて一度もありませんし?それに、エンリーさまが私に行った数々の嫌がらせは絶対に許しませんし?そもそも、そのブタのような醜い見た目も全く好ましいとは思えませんし――」
「もうやめて! 分かった、俺が自惚れてたのが分かったから……!」
「ご自覚いただけたなら何よりですわ」
不意に訪れた静寂の中、至近距離でビアンカと見つめ合う。
その綺麗なクリソベリルのような緑色の瞳の奥に、どこか怪しい光が煌めいた気がした。
(何か、何か話すことは……ヤバい、頭がバカになってきている。アイリの言った通り、このNPCは危ないかもしれない)
単なる色香とは違う。ビアンカから『ゲームのヒロイン特有の何か』を強烈に感じているのだ。
最近はアイリとも適度な距離を保つようにしているが、もし彼女にだってこの距離で迫られれば、きっと同じ感覚に陥ってしまうはずだ。これも脚本の影響か?
「……プリムのこと、まだお礼を言ってなかったね。本当に、ありがとうございます」
何とか絞り出した俺の言葉に、ビアンカはふっと目を伏せた。
「私の今の生きる意義は、エンリーさまの為に尽くすことですわ。ですから、当然のことをしたまでですし、お礼なんて要りませんわ……。でも、嬉しいです」
「……え?」
「エンリーさまが私を、単なる『性欲の捌け口』以外のものとして見てくださって……」
(――そもそも、ビアンカはどうしてあの時、俺の前で魔法を使ったんだ?)
彼女の言葉を聞いて、ふと疑問が頭をよぎった。
原作の脚本によれば、彼女の緑魔法は『勇者の影響で覚醒した能力』だったはずだ。だが、もしかしてそれは単なる言い訳で、本当は最初から使えたのではないか?
もしそうなら、ゲーム内のエンリーの前で一度も魔法を使わなかったことにも深く頷ける。
――あんな外道に能力がバレたら、絶対に悪用されるに決まっているのだから。
「魔法が使えたんだね……」
「エンリーさまはそれを知っていて、私を手に入れようと画策したのではなくて?」
「生憎、エンリーはそこまで頭のいい人間ではなかったぞ」
「ふふっ。ご自身のことを名前で呼ぶだなんて、『エンリーさま』は子供なのですか? それとも……?」
(やっべぇ! 『語るに落ちる』ってのはこういうことなのか……!?)
「い、いや。他意はないぞ。うん。時々、過去の愚かな自分をそうやって分別して呼んでいるだけだ……。あははっ……」
「ふふっ、そういうことにしておきますわ。では、気を取り直して伽を――」
「だから『伽』は要らないから!」
「なぜですか?」
「なぜ、と聞かれてもだな……」
バンッ!
「お待たせっす! 戻って来ましたよー!」
「――っち!」
(……ん? 今、盛大に舌打ちしなかったか、この元・深窓の令嬢さま?)




