病気
本当に、このイベントはもうめちゃくちゃだ。ビアンカに自我があったことも驚きだったが、プリムの乱入は流石にゲームシステムがバグってるとしか思えないレベルのイレギュラーだ。
しかし、アイリが来て、メイド服を引き渡すイベントが恙なく達成された。ここから先は、もう『勝ち確』と言ってもいいだろ。こんな修羅場で、今さら原作通りの凌辱イベントなんて起きるはずがない。そもそも、アイリたちに「もう下がっていいぞ」と一言告げるだけで、全てが丸く収まるはずだ。
「では、時間も遅い。アイリとビアンカはもうさが――っ」
「ビアンカ様、こちらにいらして。エンリ―さまがご用意なさった、この『素敵なメイド服』にお着替えになって?」
「あら、アイリ様。ご自分のお胸がちょっと大きいからって、些か調子に乗りすぎませんこと?」
(――お前ら!なに勝手に新たなイベントを発生させようとしてるんだぁ!?)
アイリに懐いているプリムは、何やら不穏なオーラを醸し出す二人を交互に見つめ、不思議そうに首を傾げている。純粋すぎるプリムのそんな不安な姿が見てられなくて、俺は咄嗟に声を張り上げた。
「プリム、こっちおいで? にーにーに会いに来てくれたんだろう。いっしょにこのベッドに座ろう、ね?」
「はい、にーにーさま!」
プリムがトテトテと愛らしく近寄ってくる。だが、そのどこか不安定な足取りを見た瞬間、俺の胸に言い知れぬ不安が過った。居ても立ってもいられなくなった俺は、一歩迎えに出て、その小さな体をそっと抱き上げた。
(――熱い。アイリの言った通り、少し熱があるな……)
プリムを俺の隣でベッドに座らせて、二人から意識を逸らさせるために何を話そうかと考えながらも――俺は無意識に、視界の隅でビアンカの着替えを追ってしまっていた。
いや、違うぞ。彼女の体に欲情したからではなくてだな。普通なら『ビキニ』なんて衣類が存在しないはずのこの世界の住民に、あんな複雑な布切れの着方が分かるのかどうか、純粋に気になっただけだ。
最悪の場合、なんとかアイリに手伝ってもらおうと考えていたのだが――ビアンカは、ほとんど紐のようなビキニトップをアイリの手から奪い取ると、手慣れた動きでアンダーの紐を胸の前で結び、くるりと背中側へ回し、最後にホルターネックの紐を首の後ろで結んだ。
(――これも、ループ経験の賜物なのだろうか!? 過去の周回で一体どれだけこの衣装を着せられてきたんだよ……!)
その淀みない動作につい見惚れすぎて、アイリからの刺すような視線に気付くのが遅れた。
バチリと目が合った途端、俺はサッと顔を逸らした。アイリは小馬鹿にするようにニヤリと口角を上げていたが……怖いことに、そのタンザナイトのような青い目は一切笑っていなかった。凍り付くほど冷たかった。
「――さ、さあ、プリム! にーにーと何お話しようか!?」
「あのね、プリムはね、ねむいの……」
「そうか。ならビアンカの着替えももう直ぐ終わるから、あとで部屋まで案内してもらう」
「ちが、うの! プリムは……プリム、は、さみしか、ったの……にーにー、さまと、いっしょに……」
「プリム!?」
ぐらりと傾いた小さな体を支え、プリムの額に手をやった途端、心臓が跳ねた。異常な熱さだ。さっきよりも明らかに熱が上がっている。
(また熱がひどくなってる! ど、どうすれば!?)
荒い息を吐いて苦しむ幼女を見た瞬間、なぜか胸が乱暴に掻き毟られたように苦しくなり、自ずと目から熱い雫が零れ落ちた。
――まただ。彼女と接する度に流れ込んでくる、この得体の知れない、恐ろしいほど悲しい感情の奔流。
彼女がただのNPCであることがわかる。しかし、なんとしても助けてあげたくてたまらない。それなのに、このクソみたいな強制力の所為で、俺は医者をことすらできないのだ。そもそも、この世界に医学ってものが存在するかどうか分からない。
俺は慌てて自分のベストを脱ぐと、せめて少しでも熱を逃がそうと、それを使って必死に風を送った。
「さむ、い……」
「ちょっと我慢してくれ。プリムの体が熱すぎるから、そう感じてしまうだけだから」
「さ、む……いよぉ……」
プリムは掛け布団を小さな手で力弱く握りしめ、なんとか自分の身体に被せようともがく。
「布団を被るのは駄目だ。今冷やさないと、もっと苦しくなるだけだから……!」
喉が引きつる。得体の知れない喪失感が津波のようになだれ込んできて、言葉を発することすら苦しい。俺は震えるプリムの手から無理やり布団を引き剥がし、ベストで煽る手を止めなかい。
「……おか、あ、さまに……おやす、み、と……いい、に、いか、な……っ」
「もう喋るな。大丈夫だ、もう大丈夫だからっ……」
プリムの母親は、彼女が物心ついた頃に病死している。
虚空を見つめ、とうに亡き母を呼ぶうわ言を聞いて、俺の思考は真っ白に塗り潰された。
「……う……ち、あ……」
(駄目だ、もう何を言おうとしているのかすら分からない! 頼む、もう誰でもいい。神様、仏様、誰か、この子を――っ!)
涙で完全に視界が滲んだその時。
視界の外側から、フリルがあしらわれた着け袖の腕がスッと伸びてきた。
あの破廉恥な衣装を着終えたビアンカが、静かに、ひんやりとした掌をプリムの額へと添えていた。
プリムは額に触れる冷たい感触が気に入らなかったのか、残された僅かな力で抵抗しようとした。だが、最早ビアンカの手を払いのける体力が残っていない。
ビアンカが何をしようとしているのか。それを確認しようと彼女の顔を見上げたかったが、それより早く『それ』は起きた。
ビアンカの掌が、柔らかな緑色の光を帯び始めたのだ。同時に、彼女の腕や白い首筋に、アラベスクのような緑色の文様が浮かび上がる。
(――これはっ!)
それが何かを瞬時に理解した途端、俺の喉から熱い嗚咽が込み上げてきた。
ビアンカは原作ゲームのヒロインであり、勇者パーティーの一員だ。絶対的なメインヒロインというほどのポジションではないが、『緑魔法』の使い手として、回復担当の役割でそれなりに重宝されていた。
まあ、このゲームのヒロインは全員『勇者のハーレムメンバーになる為』に存在しており、勇者くんのレベルが少しでも上がれば彼一人でも余裕でクリアできるバランスなのだが。
――いや、今はそんなゲーム事情なんてどうでもいい! ビアンカの回復能力なら、プリムでも助かる――っ!
そう歓喜しかけたものの、彼女の顔色を確認して、安堵するのは早計だとすぐに悟った。
ありがたいことに、プリムの荒い呼吸が落ち着き、顔色もみるみる良くなっていく。しかし反比例するように、ビアンカの手の光は段々と淡くなり、彼女自身が酷く無理をしているのが見て取れた。
「ビアンカ、もういい! これ以上無理をしてもプリムは良くならない! 完全な『マナ切れ』を起こしたら、お前まで数日は寝込むことになるぞ!」
「まだ……です、わ……っ」
「もうっ! 無理しちゃ駄目だと言われたじゃん!ゴシュジンの命令を聞かないなんて、お仕置きが必要かしら、このメスガキ!」
アイリは、体内の魔力を一滴残らず搾り出そうとしているビアンカを、無理やりプリムから引き離した。そして、なおも足掻こうとする彼女の身体を、その胸に力強く抱き留める。
「――よくやったよ……」
アイリがそっと、労うように囁いた気がした。だが今の俺には、彼女たちの事情を深く推し量る余裕はない。俺はただ、まだ目を覚まさないプリムの小さな寝顔に視線を戻し、限界を迎えたビアンカをアイリに託した。
「寝てる、よね」
「そりゃ、病気の女の子っすからね。――それよりゴシュジン、『あれ』はマズかったんじゃないっすか?」
アイリの手によってベッドの反対側に寝かされ、ヘトヘトになったビアンカへと視線をやる。
「いや、完全なマナ切れにまでは至ってないはずだ」
「そうじゃなくて! ゴシュジンはバカっすか? 大バカっすね?」
「な、なんだと――っ!」
「なーにペラペラと『ゲーム専門用語』をNPCの前で口走ってるんっすか!? 『用心』って言葉、知ってるんっすか?」
「だ、だって、ビアンカは普通のNPCとは違うようだし……」
「だからこそ気をつけるべきっすよ! ……まあ、済んだことっすけど。次は絶対に口元に気をつけるように!」
小声でキレ気味に説教していたアイリだったが、ふとベッドの方を見てスッと表情を切り替えた。
「……っと、お眠り姫がお目覚めの時間っす。『王子様』の出番っすよ。プリムラちゃんのことは、あたしに任せるっす」
俺はビアンカが寝かされている側に回り、ベッドに手をついて、その綺麗な寝顔を見つめた。
――なんだろうな。彼女のこと、少しだけ良い意味で愛おしく思えてきた。
ついさっきまで子供っぽいと思っていた身体まで、急に大人の魅力を帯びているように見えてくるから不思議だ。
(いや、まさかね。俺がこんなガキ相手にそんな感情を抱くわけが……って、バカか、俺は!――っ)
時は既に遅し。気付けば俺は無意識に前のめりになり、あろうことか眠っているビアンカの唇に口づけを落とそうとしていた。が――っ。
「プリムラお嬢さまは大丈夫ですか!?――いったぁぁ!!」
ガツッ!
勢いよく目を覚ましたビアンカが起き上がろうとして、俺の顎に見事な頭突きを食らわせた。
まあ、より痛かったのは彼女の方だったみたいだが――おかげで、気迷いで寝込みを襲うという最悪の事態は免れた。よしとしよう。
「ビアンカも元気そうでなによりだ。もうアイリと一緒に下がっていいぞ。プリムラは、俺が見てるから」
「エンリ―さま……畏まりました。でも……」
「また何かあるのかしら、ビアンカさま?」
「貴女、つくづく失礼ですね! 前の貴女とは雲泥の差ではありませんか」
「なにをおっしゃいますの? ビアンカさまの方が、魔力不足で頭すら回りませんこと? おっと失礼、頭の悪さは元からだったかしら」
「あとで覚えなさいよ! ――それはそうと、エンリ―さま。……いえ、『エンリ―さま』とお呼びして宜しいんですね?」
――ドキリと、心臓が跳ねた。
「……なにが、言いたい。エンリ―で構わん。それで、ビアンカさん――っ」
「ビアンカ」
「……ビアンカさ――っ」
「ビアンカ」
「……ビアンカ。まだ何か、言いたいことがあったようだが?」
「はい。私、ここでエンリ―さまのお手付きとなって宜しいのでは?」
「……お手付き?」
「ええ。私の夜伽がまだ済んでおりませんけど、何時になれば済ませていただけるのかと」
「貴女の夜伽なんて未来永劫来ないのよ、メスガキが!」
「あら、アイリさま。お言葉が乱れてますのよ?」
「気のせいだ。プリムっ……プリムラお嬢様が寝ておられますから、早く退室しましょう、このエロ令嬢!」
「エンリ―さま?」
「……まあ、後日考えとく」
「お約束ですわよ!」
ガラガラと音を立てて崩れていく自分の威厳を見送りながら。ビアンカはアイリにズルズルと襟首を引っ張られ、ようやく俺の部屋から引きずり出されて行った。
嵐が去り、静かになった部屋でため息をつく。
しかし、あの『エンリ―さまだよね?』みたいなセリフは、一体何だったんだ?
……アイリの言う通りだ。ビアンカの奴には、これからもっと用心すべきかもしれない。
お待たせしまして、申し訳ありません。私生活が乱れているので、書く事をついつい先送りにします。




