下準備
エンリーの視点に戻ります
「あのさ、お前ら。なんでここで戦闘訓練をしってんだ? やるなら庭でやれ ――って、無視かよ……!?」
目の前には、いくら広いとはいえ練習に適しているとは程遠い執務室。その中で、アイリとメーヴェが書類仕事ではなく、物理的にお互いと戦っている。
アイリは両手に短剣を握りしめ果敢に斬りかかっているが、メーヴェは相変わらず余裕の笑みを浮かべたまま、その鋭い連撃を素手で軽くあしらっている。
言うまでも無いが、彼女たちの模擬戦は仕事の邪魔だから、何時からか俺の手も止まっている。
呆れて、メーヴェの闘いぶりを観察する。
流石にここまで一緒に過ごすと、このバケモノの弱点も分かってきた気がする。俺は一瞬だけ脳内の意識を切り替え、メニュー画面のステータス表示を開いてメーヴェのMP欄を確認した。
(やっぱり……著しく減ってるな……)
彼女の規格外な強さのカラクリは、『未来の自分から力を前借りする』ことにある。
これはどうやらシステム上のスキルという枠組みですらないらしく、原作ゲームでも一切語られていなかった仕様だ。このハック的な力の発動方法を自力で思いついたのだから、メーヴェの発想力は大したものと言うべきだろう。
だが裏を返せば、戦闘が長引けば長引くほど彼女の余裕は削られていくし、完全な人海戦術で削り殺しにかかられれば、彼女とて生き残る術はない。
(余裕がないからこそ、一気に決着をつけるためにこんな戦闘の猛者になったのか……それとも、根っからのバトルジャンキーだからこそ、こんな一か八かの戦闘法を生み出したのか……?)
まったく分からん。
そこで疑問なのだが、誰だって『サキュバス』と聞けば、艶やかで男を惑わすお姉さんを思い浮かべるはずだ。百歩譲って、肌露出の多い衣装に身を包み、角と蝙蝠の羽を生やした生意気な小悪魔系くらいまでは許容範囲だろう。
ならば、イカれた笑みを浮かべながら、素手で刃物を受け止め続ける脳筋娘をサキュバスだと認識できる人間なんて、どこにもいないはずだ。
しかし、彼女はこれでも正真正銘の淫魔なのだ。おかげでここ数日、ほぼ毎晩のように精気を吸い取られているのだが、幸いなことに俺の身体にはまだ目立った支障は出ていない。
それがエンリー本来の底知れぬ性欲のおかげなのか、それともメーヴェが案外良いやつで、それとなく加減してくれているからなのかは分からない。
そして、もうみんなも気づいていると思うが、メーヴェは以前と変わらず問題なく魔法を使えている。
最初は彼女が魔族だからであり、種族的な体質ゆえのことだと思っていた。だが、もしかすると彼女と他のヒロインたちとの決定的な違いは、単純な『魔力操作の熟練度』にあるのかもしれない。
今思えば、ビアンカたちが勇者パーティーにいた頃も、微弱ながら魔法を使えていた。あれはヒロインを戦闘員枠として戦わせ続ければ、彼女たちの成長へと繋がっていたのかもしれないのだ。
だが、当時の勇者のスペックがバグレベルに狂っていたせいで、誰もそんな面倒な育成なんてやろうとしなかった。
むしろ、パーティーのヒロインたちをローテーションさせ、毎回別のヒロインとイチャイチャできる機会ばかりを求めていたのだから。
「まいったっす……!」
「頑張りましたねェ、アイリ。合格点ですのよォ」
どうやら俺が考えを巡らせている間に彼女たちの模擬戦が終わったようで、結果はやはりアイリの負けであった。
だが、メーヴェが手加減していたとはいえ、彼女のMPを七割以上も削りきったアイリの成長には目を見張るものがある。
「……なあメーヴェ、お前はどう思う? アイリに魔法を覚えさせることが――っ」
「――失礼しまーす!」
「しつれいなのです」
俺がさっき思いついた『ヒロイン育成計画』をメーヴェに相談しようとした途端、執務室の扉が元気よく開かれた。
プリムを連れて入ってきたのは、下半身が蛇になっている十二、十三歳くらいの少女だ。
彼女の名前はリラ。どうやらビアンカの右腕であるナディアという亜人メイドの妹らしい。
最近は皆がバタバタしていたためプリムの世話を任せていたのだが、このリラという少女は元気がいっぱいで、病弱なプリムラのことを弱音ひとつ吐かずにいつも支えてくれている。おかげで俺も安心して大事な妹を任せられていた。
そして――そろそろ、例の件を切り出す時間だ。
聞く限り、ディーナは屋敷での生活によく馴染んでいるらしいし、ビアンカたちや亜人メイドたちとの関係も良好のようだ。
だからこそ、そろそろ彼女をここへ呼んだ本当の理由を明かし、できれば妹のためのポーションを作ってもらいたい。
もちろん、彼女が嫌なら無理強いするつもりはない。――ただ、断られたら非常に困ったことになるのも事実なので、心苦しいがプリムに一芝居打ってもらうことにしたのだ。
ディーナは原作ゲームにおいて、頑なに『自分は錬金術師なんかじゃなく、魔道具師だ』と主張していた。なんとなく爆薬を作らせることはできたものの、プレイヤーの誰も彼女に他のアイテムや薬を作らせることはできなかったのだ。
彼女とのイベントを執拗に追い求め、快楽漬けにしようとしたプレイヤーもごまんといたが、攻略サイトには『これもダメ、あれもダメだった』という不毛な書き込みしか残されていなかった。
だからこそ、これは賭けだ。
彼女に『プリムラは実は精巧な魔導人形なんだ』と吹き込めば、その人形を『直す』ための『修復液』としてなら作ってもらえるのではないか――そう考えたのだ。
(まあ、結果はどうあれ、ディーナをあんな劣悪なスラムへ戻すつもりは毛頭ないがな。仮に彼女が何の役に立たなかったとしても、彼女一人を養うくらいの余裕なら今の俺には十分にある)
むろん、ただ飯を食わせる無能な居座り枠になってほしいわけではない。彼女が自分の本当にやりたい仕事を見つけるまで、保護者として支え続けてやるつもりでいるだけだ。
「おじさま、プリム様をおじさまに任せていい?」
「お、おう――って、俺はまだ『おじさま』じゃないぞ、『お兄さん』だ!」
「でも、おじさまは私のお兄さんじゃないし、お姉ちゃんが言っ……なんでもない。とにかく、今日はお姉ちゃんと街に帰るよ」
「ああ、大丈夫だ。出発する前にキッチンへ寄ってくれ。お前たちのために焼き菓子を作らせておいたからな」
「あんがと!」
「にーにーさま。プリムをよんでたのです?」
「ああ、うん。おいで」
リラがアイリと一緒に執務室を後にする後ろ姿を眺めながら、俺はプリムを抱き上げて膝の上に座らせた。
相変わらず軽すぎる身体に、胸がぎゅっと締め付けられるような感覚を覚える。
原作ゲームでは、プリムラがいつ亡くなるのかは語られていなかった。そもそもゲームのエンリーは、囲い込んだヒロインたちに夢中になって妹のことを完全に放置していたのだ。
(この世界に『魔法』なんていう超常現象が当たり前に存在するのに、少女一人の命すら守れないなんて……俺は絶対に認めない……!)
「にーにーさま?」
「あっ……や、すまん。ちょっと考え事をしてた。もう大丈夫だ」
「ゴシュジン様よォ。プリムラお嬢様を不安にさせないよう、しっかり踏ん張るとよろしいかとォ」
「あの……にーにーさまはいま、メーヴェおねえちゃんとあつあつなの?」
「どこでそんな言葉を覚えてきたっ……!? やっ……その、プリムは俺がメーヴェと仲良くしてると嫌かい?」
「ううん。ただ、ちょっとこわいの。まぞく、ですのね?」
「ああ。でも、こいつはそんなに悪いやつじゃないぞ――多分な。まあ、今日プリムを呼んだのは、紹介したい人がいるからなんだ」
「にーにーさまの、あたらしいおくさまですか?」
「や……(確かにディーナは原作じゃエンリーのハーレム要員だったが――)『奥さん』じゃないよ……!(あんな可愛い生き物に、今度こそ手を出さないと誓おう……!)」
「なんぞやァ、ゴシュジン様よォ。ディーナのこと、『いい女』と思っておりませんのォ?」
「(――この淫魔め……っ!)や、可愛いとは認めるけどさ……。プリム、このディーナという女の子はとても優秀な職人でね――ただ、ちょっと問題があって。プリムのことを助けられる能力があるのに、彼女自身が『自分にはそんなことできない』と思い込んでいるんだ」
「あのかたが、プリムのことたすけないの?」
「いや、彼女もプリムを見捨てたいと思ってるわけじゃないんだよ。ただ、『できない』と思ってるからやらないだけなんだ。――だから俺は、彼女に協力してもらうための『作戦』を考え出した」
「でも……ひとをだますようなことをしちゃ、『めっ!』なのでは?」
「(――可愛い~!――って、そんな場合じゃない!)う、うん。一般的にはそうだな。でも、プリムラももうすぐ立派なレディになるんだから、大人の事情ってやつも少しずつ教えていくよ。――俺たちはディーナを騙して利用しようとしてるわけじゃないんだ。彼女が自分で自分の才能を否定しちゃってるから、背中を押すために『優しい嘘』を使ってるだけなんだよ。こういうのは、大人の間じゃよくあることだから――勿論、私利私欲のために人を欺くのはダメだけどな?」
「おとなは、むずかしいの……」
「そうか、まだ難しかったか……?」
「でも、プリムはにーにーのことをしんじてるの」
そして俺は、無邪気な瞳で見つめ返してくる妹に、ディーナの前で『自分は魔力で動く精巧な人形』だと提示するための演技指導を始めた。
一つ、動いても喋ってもいいが、どちらも最小限にとどめること。
一つ、自分が『魔導人形』であることを自分から言葉にして主張しないこと。疑われてもただスルーすること。
一つ、カマをかけられたりバレそうな質問をされたら、ただ首を傾げて『わからないの』とだけ答えること。
「私が幻覚魔法でェ、もう少しそれっぽく補助しましょうかァ?」
「――や、そこまでやる必要がないし、余計に怪しくなるからいらない」
「プリム、じぶんでできるもんっ!」




