ディーナ
ディーナの視点です。
※一部に過激・残酷な描写が含まれます。苦手な方は(♣♣♣)の間を読み飛ばしてください。
ボクは毎日のように、三階建てのボロ屋の端っこにある自分の部屋を出て、道の壁際をこそこそ歩いてアトリエへ向かった。
戸締りなんかに意味はない。そもそも、あの部屋には盗むほどの価値がある物なんか何ひとつ無い。
着てる布切れだって『服』とすら呼べない、ただの汚い雑巾。奴隷だって主人からもっとマシな服をもらってるはずだ。でも、ボクはこれでも自由の身だ。
師匠がボクを拾ってくれなかったら、ボクはとっくにのたれ死んでたと思う。あいつはテキトーな奴だったけど、肉親でもないボクに住む場所と、ご飯と、仕事をくれた。
やつ自身も貧乏だったから、ボクにはそれだけで充分すぎたんだ。
ドワーフのほとんどが鍛冶とか、魔道具づくりの才能を持って生まれてくる――世間じゃみんなそう思ってるみたいだけど、それがデマカセだってことをもはや誰も知らない。
たしかに他の種族と比べたら、そういう才能があるドワーフは多いのかもしれない。けど、ほとんどのドワーフは、才能が無いことを上手にごまかしてるだけなんだ。
あいにくボクには、そんなふうに人をだますような器用なマネはできない。
師匠がくたばったあと、しばらく途方に暮れてたんだけど、結局ボクは才能も無いくせに、そのままアトリエを引き継ぐことにしたんだ。
そして、店を引き継いでから知っちまったが、師匠の商売もなかなかの火の車だった。やつが生きてた頃は、まだなんとか食いつなぐことができてたんだ――けど、このアトリエに元から常連客なんかいなくて、最近は文句ばかり言う面倒なやつらしか店の入り口を通らない。
ボクが正直に材料費や日程を教えると足元を見られて、黒字なんて全然出せないんだ。
そもそも、ボクは既にこの展開を何度も見た気がする。
本来なら今頃、エンリーなんとかって言うブタ野郎の屋敷へ連れ去られる時期だと思う。そいつは自分が貴族様だとほざいて、ボクの借金を高利貸しから買い取ったとかなんとか言って、ボクを自分の所有物みたいに扱ってきた。
まあ、ご飯も美味しかったし、お風呂にも入れさせてくれた。可愛い服を着て、殆どなにもせず屋敷で時間を過ごしてた――でも、ほぼ毎夜あのブタの夜の相手をさせられてたんだ。
あのあと、ブタがどっかのインチキ野郎と喧嘩になってくたばった。そしてボク、今度はそのインチキのメスにされた。自由に戻したとほざきやがって、そいつはボクにあやしいポーションを作らせ続けた――ボクはポーションづくりが得意じゃないのに。ちょっと魔道具に使えるから覚えただけなのに――毎日毎日っ……。
(今、こうしてアトリエに向かうことができてるのが不思議だよな。ブタはどうなったのかな? 今回はボクのところにたどり着く前にくたばっちまったのかな……?)
♣♣♣
考え事をしながら道端を歩いていると、すれ違う他のやつらに汚物を見るような目を向けられる。誰だって生きることに必死で、こんなボクに構う余裕なんてないんだ。
(今日がいい日になりますように……!)
ボクは目を瞑って、毎日一度はするように、今日もノーム様に気持ちばかりのお願いをした。ノームはドワーフたちを気にかけている大精霊だと言われてるけど、ボクは師匠からかじった程度の知識しかもらってない。
(痛っ!――なんなのよ、もう! こんなボクをいじめて何になるのさ!?)
すれ違いざまに誰かに腹パンをくらわされて、ボクは痛みで頭がぐらぐらする中、とりあえず前に進む。振り返って文句を言ったって、最善で嗤われるだけ。最悪、ボクを殴ったクソ野郎とその仲間たちに、公衆の面前でボコボコにされるかもしれんからな。
殴られたお腹がすごく痛くて、息すらできそうにない。
ようやく、息絶え絶えなまま近くの路地裏に入り込んで、泥だらけで臭い壁に背中を預け、脇腹を掌でさする。
「おいおい、ここまで逃げてくるのかな、普通? 挨拶もなしにかい!?」
「れっ……レイヴィン!?」
「なになにー? 聞こえねーな!」
「――うぐっ……ふっ!?」
レイヴィンの手下の一人が、ボスが命令を下すより先にボクのお腹にキックを入れた。
もう息を整えるどころじゃない……。
(……これは……しくじったな。自分から袋のネズミになりにいった――ちくしょうっ……!)
「今度こそ金を返すんだろうな!? ええっ!? ――おい!! 返事はどうしたぁ?!!」
「……っぐ!……うぅぅ……」
「ボス、こいつに忘れられないくらいの傷を入れてやろうか? オレ、試したい短剣の技があるんでさ」
「バカか、お前は!? こいつは薄汚いメスブタだが、洗えば顔とチチだけはいいんだよ。むしり取れるだけの金をむしり取って、最後に娼館にでも売ってみようぜ」
「へーえ! こいつが? ――言われてみりゃ、洗っとけばオレでも一発いけるかもな!」
「「わははっ!!」」
「お前ら、手を出すんじゃねぇぞ! こいつはまだ初物だから、運が良けりゃ変態貴族にでも高く売れそうだ」
「ずるいぞボス、人の気をそそっておいて、やらせてくれないなんてさ」
「そんなにやりたいなら、ケツなら誰も構やしないぜ?」
「やめとくわ。こいつは外側からしてこんなに汚いんだ。何か変なモンでも移されたら面倒だ」
「――じゃあな、クソ魔道具師さんよ。週末までに、今週の分割払いを忘れないようにね!」
倒れた拍子に、どこかで打った頭がズキズキと痛む。一昨日雨が降ったせいで、この薄暗い路地裏にはまだ水たまりがあっちこっち残っていたから、傷の具合を確認しようと肘や身体をよじって、なんとかそこまで這いずり寄った。
水面に映っていたのは、煤と泥で汚れた小さな顔。光の宿っていない淡い黄色の瞳に、何色なのかも分からないほど汚れ切った、くるくるのショートヘア。
眉のすぐ上から血が夥しく流れてきて、右目を碌に開けることすらできない。
(クソったれっ! バカどもがっ!――こんなんでどうやって働けってんだよぉ……!?)
泣いたって何にもならないから、歯を食いしばり、息ができるようになるまで水たまりの横で、湿って泥臭い地面の上に仰向けになった。
だが、今日はこんなに寒いのに、ボクはこのボロ切れ以外なにも着てない。
(……このままだと、息が戻る前に身体が冷え切っちまう……!)
寒さに震える、傷だらけの身体に鞭を打って、路地裏から出るように這い進む。
途中で親切そうなババアにハンカチを渡されそうになったけど、そいつまでボクの匂いを嗅ぐと、鼻を背けながら泥だらけの石畳の上にそのハンカチを投げ捨てた。
幸い、一部だけなんとか泥水を吸わずに済んだ箇所があったから、どうにか目尻の血を拭くことができた。
♣♣♣
アトリエにたどり着いても、その扉は周りの貧民街にあるボロ小屋と大差なくて、誰もここを『店』だなんて思いやしない。
中に入り、先日預かった魔道具を寒さに耐えながら震える手で直そうとし始めたところで――思わぬ客がアトリエを訪れた。
入ってきたのは良さそうなところの男女のペア。男の方は冒険者風の格好をしてるんだけど、いかにもどこかの金持ちだって一目でわかる。
一見ラフに見えるその服は、どう見ても普通の冒険者が着られるような生地で作られてない。――でも、許す。なぜなら、こいつはとんでもないイケメンだからな。横顔と首筋を彩る、あの複雑な模様の刺青も格好いい。
一方で、連れの女の方は……明らかにアホじゃん! こいつ、まさか『バカには見えない服』でも買わされて、あんな見え透いた詐欺に騙されたのか?
彼女が着ているのは下着としか思えないちっちゃな黒い布切れを、黒いレースで繋ぎ合わせたなにか。一応『メイド風』に白いフリルがあしらわれているから、こいつは男の使用人かなにかだろう。
黒髪、黒目の巨乳、美人メイドを侍らせて、こんなところに迷い込むなんて……さてはどこかの貴族の世間知らずなボンボンか? 面倒はゴメン被りたいんだけど――それとも、冷やかしにでも来たのか、こっん野郎!
(……って! 女の方、人間に擬態してるメーヴェじゃんっ!!……えっ!? なんで? なんでメーヴェがこいつと一緒にいっんだよ?! ここは人間族の街だぞ……)
「やぁ。お前がこのアトリエの親方かい?」
(――ヤバっ! イケメンが話しかけてきた♡……! 無理だと思うけど、さっきのハンカチでもうちょっと顔を綺麗にしておけるかな?……『ちょっと店を出る』って言って裏に下がって、そこらへんの水たまりを鏡代わりに容姿を整えにいくのもアリかも……)
「あの……大丈夫かい、親方様?」
「あっ! し、しづれいみました……?」
「いえいえ、大丈夫だ。親方様は随分とやつれているね。よかったらこのハンカチを使って、少しすっきりしないかい?」
「――ゴシュジン様ァ、ここは私にお任せを」
「うぇっ!? あ、うん。頼んだ」
メーヴェは、『ゴシュジン様』と呼んだ男から高価そうな刺繍入りのハンカチを受け取ると、ゆったりとボクの前まで歩み寄ってきた。
そして、良い匂いが漂うその綺麗な布が汚れるのも構わずに、優しく、けれど手際よくボクの顔を素早く拭いてくれた。
俯いていると、自然と彼女の腰あたりが視界に入って、右脚の付け根周りに不思議なピンク色の、蛇が絡みついているような模様が見えた。
(こいつ、まさか……あそこの男に隷属されてる!?――ややや! 奴隷にしては動きが自然すぎるし、こいつの強さならまずありえないだろ。……でも、よく見れば男の『刺青』もなんか、魔力模様に見えなくもない)
「いかがなさったかしらァ?」
「いっ……いえ。こんなところに、何かを探しにきたのかな、と。あっ――大通りならここから南方に向かって――っ」
「――あぁ、そうじゃないんだ。俺たちは……っていうか、俺はディーナが必要だからここへ来たんだ」
「……ふぇっ!?」
イケメンがメーヴェの肩にそっと手を置いて下がらせると、ボクの前で姿勢を低くして目線を合わせてきた。
しかし、彼が本題に入る前に、さっき別れたばかりのレイヴィンたちがぞろぞろと店に入ってきたのだった。
「おうっす! ――へ~え、こんな汚い店に客なんて珍しいなぁ!?――っひゅ〜うぅ! そこのネエちゃん、とんでもない美人さんじゃねえか。どうだい、お兄ちゃんたちとい~っぱい『良いこと』やる気がしないか?」
「おい、お前はさっさと失せっ――うぐっ……!?」
イケメンに絡もうとしたレイヴィンの手下の一人が、イケメンの突き出した脚によってあっけなく吹き飛ばされた。
そいつはけして弱っちいとは見えなかったのに、イケメンがあんなムリな体勢でもあっさりと彼を蹴り飛ばしちまった。
「なにすっんだ、こんちくしょ――ぐへっ……!?」
「お、おい……お前っ!……って、エンリー・ポークナイトじゃねぇか!?――ぐふっ……!?」
「『~様』をつけろ、下郎がっ!!」
気づけば、レイヴィンですら同じように足蹴にされ、空気を求めてアトリエの床の上でのたうち回っていた。
あのように人を蹴るのは非効率的じゃないだろうか? 横から勢いをつけた方が絶対上手くできるのに。――でも、どこか相手を見下すようなその姿勢……イケメンのくせに、こいつにはぴったりな気がする。
(――ってか、『ぽーくないと』? そういえば、あのブタもたしか『ぽーくないと男爵』とか呼ばれてたな。しかも『エンリー』って……あのブタの同名の親戚か何かか……?)




