ゲームオーバー
朝目覚めたら、両隣から規則正しい寝息が二つ聞こえてきた。まぁ当たり前だが、アイリはあの後自分の部屋に戻ること無く俺のベッドでそのまま一緒に寝ることにしたんだ。
そして、もぞもぞと起き出した彼女に――。
「おはよう、アイリ」
「んん……下腹が痛い……。あんなに『優しくして』ってお願いしたのに。鬼畜っ!」
「いや、それは俺のせいじゃなくて、アイリが暴走して――っ」
「――何か言ったんっすか!?」
「いや、すまん……」
「うぅ……。ジア、寝たフリをしてないで助けてよ! このままじゃ立ち上がれないっす」
「いや、私は寝てるフリなんて――」
「――してたんっすよね? ついさっきも、その前のときも!」
「うっ!?……ごめん……」
「もういいっす、立つのを手伝って欲しいっす。ところで、貴女は本当にドラゴンっすか? 狸か何かじゃないっすか?」
「ドラゴンですよぉ!」
「俺も手伝おうか?」
「――絶対に触らないで! 今はゴシュジンの顔すら見たくないっす!」
ショックのあまり声も出なくなり、金魚のように口をパクパクさせている俺に見向きもせず、アイリたちはベッドから降りて部屋をあとにした。
ジアはもちろん体質(?)のせいで、いつも通り全裸で寝ていたのだが、アイリも昨夜のベビードールはどこへやら、今は非常に刺激的なお姿を晒している。
彼女たちとすれ違いざま、部屋に入ってきたメーヴェが、おちょくるように「あらあらァ、なにかありましたのォ?」と声をかけると、アイリは歯を食いしばり、せめてもの抵抗とばかりに「絶対殺すっ……!」と小さく呪言を呈した。
「お前、何しに来たんだ?」
「ゴシュジン様たちを起こしに参りましたのよォ。おはようございますゥ」
「……おはよう」
目をやれば、メーヴェはどう見てもアイリのメイド服を着ていた。
幻覚の術を使っていないと主張したいらしいが、俺の目が誤魔化せない。確かに肌や瞳の色は魔族の姿のままだし、衣装の背中はちょうどいい位置が開いているため翼を隠す必要もなかったようだ。尻尾のせいでスカートが少し押し上げられているが――彼女の胸が不自然なまでに大きく膨らんでいた。
(そうか……アイリに『負けた』んだな……)
「本当に失礼な殿方ですわねェ、ゴシュジン様はァ」
「俺、まだ何も言ってないぞ」
「視線が何もかもを物語っていらっしゃいますゥ」
「ところで……お前、その演技は何なんだ?」
「『演技』とは失礼なァ。私もこの屋敷のメイドになるって決めましたのォ」
「いや、普通は逆だろ!? メイドとして雇うかどうかを決めるのは、雇い主である俺だ!」
「へ~えェ……ゴシュジン様は、私を雇ってくださらないとでもォ?」
「っく、こら……! メイドが主人を脅すのは論外だろ!」
「あらァ、それはお詫び申し上げますわァ。ゴシュジン様があんまり突拍子もないことをおっしゃるものですからァ……ごめんあそばせェ?」
こうして、俺の知らないうちに我が屋敷へ新たな『メイド』が雇われることとなった。……俺がここの主のはずなんだがな。
「あのさ、起き上がって着替えたいんだが……」
「いえ、ゴシュジン様はそのままでよろしくてよォ。少々お待ちになさってェ」
「ややや! このままじゃ駄目だろ――って、なんで脱ぐ!?」
俺の寝間着も昨夜は色々と邪魔になって脱ぎ捨てっぱなしだったので、肝心なところをブランケットの端で隠そうとしたものの、メーヴェの視線に晒されるのはやはり生きた心地がしない。
だが、俺の質問を無視した彼女は、優雅な動きでさらりと服を脱ぎ進めていく。
(ヤバい……! このままじゃ生理現象を抑えきれないぞ……!)
メーヴェは胸を大きく見せていた術(?)を解いたようだが、彼女の姿がどんどん肌色に染まっていくと、ビジュアル的な刺激が無視できなくなる。たとえその肌が、人間とは異なる異様な淡い蒼色だったとしても、だ。
俺は視線を明後日の方向へ逸らし、必死に頭の中から彼女の妖艶な姿を追い払おうとしたが、メーヴェは愉快そうにクスクスと噴き出した。
「ふふっ! ゴシュジン様はこの期に及んで、まだまだウブですわねェ」
「ほっとけよ! それに、質問に答えてもらってないんだが――『メイド』なら、それくらいの会話にも付き合ってくれてもいいだろ?」
「ああァ……それ、ね。ゴシュジン様はどうしても私のことを信じてくださりませんのでェ。ビアンカと同じように、私とも『魂繋ぎの儀』をやってもらおうと思いましてェ……」
「な、なるほど。あの衣装に着替えるんだな?」
「いえ、衣装なんて別にどうでもよろしくてよォ――今のゴシュジン様の『服装』に合わせてみましたのォ」
「――余計なお世話だ!」
揶揄ってくるメーヴェに啖呵を切り、勢い任せにベッドから跳ね起きたものの――下半身の状態がもはや隠しきれないことに気づき、遅れて激しい後悔が押し寄せてきた。
「私は一向に構いませんのよォ、ゴシュジン様が興奮なさっていたってェ。ここはそういう体験を得るためのゲーム(?)の世界なのでしょうゥ?」
「(ゲームのことまで教えるなんて、アイリのやつは何を考えてんだ!?――いや、メーヴェになにをされて吐かされたんだ……!?)――メーヴェは、何も思うところはないのか? 自分が顔も知らない誰かの娯楽のために作られた『ゲームのキャラ』だと知ってさ」
「う~ん……特にありませんわねェ。寧ろ色々と辻褄が合いまして、すっきりいたしましたァ」
メーヴェはサキュバスである自身の本性に忠実に、全裸になろうと恥じらいなど一ミリも見せない。脱いだ服を綺麗に畳んでローテーブルの上に置くと、儀式の始まりとして、ベッドサイドの絨毯の上でそっと膝立ちになった。
またからかわれるのだろうなと身構えしつつ、俺は溜息を吐きながら彼女に向き合い、同じように膝をついた。
だが、メーヴェは金色の輪に彩られた漆黒の瞳をそっと瞼の裏へと隠し、穏やかな表情で両手を差し出してきたのだった。
すでに一度経験した光景に、俺は恥ずかしさを押し殺して彼女の手をそっと取り、静かに目を閉じた。
どれほど圧倒的な強者であろうと、こうして触れ合えば、彼女の肌はどこまでも女の子らしく柔らかく、人間と何ら変わらない温もりを宿していた。
(魔族とは言っても……彼女をデザインしたのは、元の世界にいた俺と同じような人間なのだから当然か……?)
これから起きる儀式の流れは分かっていた。彼女の魔力体が伸びてきて、俺の体内の魔力を軽く突っつくだけなのだろう――そう高を括っていた。
しかしメーヴェは、取られた俺の手を引き寄せると、ゆっくりと自身の細い腰へと誘導し、続けて俺の首元へとしなやかな腕を回してきた。
『騙された!』と気づき、即座に離れようとしたものの、肌から伝わる蠱惑的な感触に一瞬だけ意識が奪われ、拒絶の動作がほんのわずかに遅れてしまった。
だが――それは皮肉にも、正しい判断だった。
抱擁の甘美な感触に脳が痺れていく中、メーヴェと肌が触れ合うすべてのところから、お互いの魔力が急速に混ざり合っていく不可思議な感覚が怒涛のように押し寄せてきたからだ。
ビアンカの時は、互いの魔力を少しずつ探り合うように流し込んでいたため、衝撃も抑えられていたのだろう。
しかし今回は違った。メーヴェの存在そのものが、巨大な濁流となって俺の意識の中へ直接流れ込んできたのだ。
(――っ!? なんだ……これはっ……!?)
そこにあったのは――数千年、いや、万年にも及ぶ気の遠くなるような『絶対の孤独』だった。
魔族の寿命は未だ解明されていないが、彼らは人類よりも遥かに太古からこの大陸に存在していた。繁殖力は低く、集落の規模だって地球の寂れた村より小さい。
本来ならそれでもここまで孤独になる理由にはならないはずだ。しかしメーヴェはその規格外の強さゆえに、同族にすら忌避され、孤立し続けてきたのだ。
人間の数十年程度の寿命しか知らない俺には、メーヴェの生き様を受け止めるほどの許容力がなかった。
彼女にだって喜びや悲しみの瞬間はいくらでもあったはずなのに、その胸に渦巻く孤独の容量があまりにも巨大すぎて、俺の精神はあっという間にキャパシティを超えてしまう。
気がつけば、俺の腕は勝手に動いていた。
圧倒的な力を誇る、この哀れで可憐な小娘を強く胸へと抱き寄せ、その華奢な体が滑り落ちてしまわないよう、指先が柔らかい肉に食い込むほどの力で必死にしがみついていた。
すると、少し前から俺の体内から溢れ出していた魔力が、そっと彼女の身体へ吸い込まれていった。
そこでようやく、俺は致命的な異変に気づいた。
だが、すべてはすでに遅すぎた。俺の意識は急速に薄れていき、死にゆく魂のように脳内が不気味なほど穏やかになっていく。
もっと早く警戒するべきだったのだ。この儀式が、別名『隷属の儀』とも呼ばれている理由に。
なんの代償もなくそう呼ばれているわけではない。術者同士の力関係や意識の強度によっては、相手を絶対服従の下僕へと変えかねない禁断の術――。
そして俺は、自分という存在がメーヴェよりも何百倍も弱いのだと、最初から脳の底で認識してしまっていた。
つまり『服従する意思』はとっくに俺の中に存在しており、もはやこの魂の侵食から逃げ出すことなど不可能なのだ。
――俺の自由意思のほとんどはすでにメーヴェの中へと溶けて消え、彼女の掌に乗ったひとすじの雫を残すように、今にも一息に飲み干されようとしていた。
しかし、メーヴェは俺の服従を優しく拒み、まるで死の淵から引き戻されるかのように、俺の身体へと生きる意志が急激に逆流してきた。
その代償として、メーヴェとの魔力共鳴によって構築されたパスは、ビアンカとの繋がりとは比べ物にならないほど巨大化した。
本来ならお互いの紋章を探り当てるはずの手間があっさりと省けたのは、俺が儀式の工程を無視して、彼女抱き着いてしまっていたからだ。
そして、今にも押し潰されそうだったメーヴェの孤独は、いつしか一つの壮大な空間へと変貌を遂げていた。
それはまるで途方もなく巨大なカセドラルの、静寂に満たされた大聖堂のドームの中に立っているかのようだった。
この静寂の空間を歓喜のメロディーで満たしたい――そう切望した俺は、本能の赴くままに自然と彼女と一つになった。
先日、魅了されたまま彼女と盛り上がっていた時とは全く違う。今回の感覚は、魂魄が肉体から抜け出してしまいそうなほど圧倒的だった。
例えるなら――先ほどの大聖堂に、やっと一人目の演奏者が辿り着いたかのような感覚。そいつが演奏を始める前にバイオリンの弦をひとすじ弾いて、広大な空間のどこからともなく音が反響し、心臓が止まりそうなほど澄んだ音色が全身を震わせる。
……いまさら遅いんだが、このヒロインとの関係ばかりは、何としても避けるべきだったのだろう。




