帰還
馬車から降りてくる、やけに肌艶のいいビアンカと、萎びた林檎のような顔をした俺を見て、出迎えに出てきたアイリはすべてを悟った。
彼女の顔が見る見るうちに不機嫌そうに歪んでいくのを目にして、俺は予想通りの嵐がやってきたとばかりに肩をすくめた。
「おかえりっす。随分とまぁ、お楽しみがいっぱいのご訪問だったんっすね?」
「あら、アイリさま。ただいま戻りましたわ」
「う……うん。おかえりっす……」
「……ただいま」
「ロリコン野郎っ!」
「理不尽っ!?(ビアンカが『ロリ』じゃないのは、お前も認めてただろうに……!)」
「まあ、アイリさまったら。そんなに嫉妬を露わになさると、ご主人様が萎縮してしまいますわ」
「当然の報いっす!」
「いいえ。今度こそ、アイリさまがご主人様を『骨抜き』になさる番ですわね? 以前、そう自慢なさっていたではありませんこと?」
「あ、あれはっ……! 言葉の綾っていうか……あたしはっ……こんな四股男と二度と……っ!」
「じゃあ、次は私っ――」
「ジア様。これ以上アイリ様をこじらせてはなりませんわ」
「おかえり~♪ メイド長もやるっしょ、おめでとさん」
「ふふっ。ありがとうございます」
次々と玄関から現れたジアとセリースたちに続き、メーヴェやプリムまで顔を出した。
プリムはまだまだメーヴェを強く警戒しているものの、やむなく彼女と手を繋いで歩いてきたようだ。どうやら、最近また少し体調が優れないらしい。
それでも、病弱な体に鞭打つように、芯の強い彼女は可愛らしい笑顔を浮かべると、メーヴェの手を放してとてとてとビアンカへ駆け寄っていった。
「にーにー様、ビアンカおねえちゃん、おかえりなのです……ケホケホっ」
「ただいま、プリム。いい子にしてたか?」
「ただいま戻りました、プリムラお嬢様。――よし、よし」
「えへへ」
ビアンカは近寄ってきたプリムを優しく抱き上げ、回復のために魔力を活性化させようとした。しかし――なぜか普段彼女の肌に浮かぶはずの『緑色』の光の模様が現れない。
代わりに、下腹部へと移動させたままの魔力紋が、淡い紫ともピンクともつかない妖しい輝きを放ち始めた。
あれはどうやら俺の魔力の『色』らしいのだが、これが一体どんな属性の魔力なのかは誰にも判らない。原作ゲームにおいて、エンリーとアイリのキャラクターが一度も魔法を使う場面がなかったからだ。
メーヴェが本当のことを言っているのかは怪しいところだが、彼女でさえこんな魔力は見たことがないらしい。
ゲームの知識や、現実となったこの世界で手に入れた情報を総合すると、ビアンカが『緑』、セリースが『白』、ジアが『赤』、そしてメーヴェが『黒』の魔力を操ることができる。『白』と『黒』は一般的に『光』と『闇』とも表現できるが、そう呼んでしまうと余計な偏見を生むため、彼女たち曰く『色』で呼んだ方が誤解されにくいそうだ。
『白』の魔力を持つ者が皆善人というわけでもなければ、『黒』の魔力が魔族だけのものでもない。
『光』や『闇』などと呼んでいるのは、精霊教の一部の狂信共くらいなものらしい。
(おっと! 今は魔力の考察をしている場合じゃない!)
やはりというか何というか、肌を重ねてしまったことで、ビアンカは魔法を使えなくなっていた。
(そこは、プリムのために我慢するべきだったか……!? いや、あんな状況でビアンカを拒絶していたら、彼女の心に深い傷を負わせていたっ――だが、こんなことになると分かっていたら……っ!)
俺が自責の渦に飲み込まれそうになっていると、セリースがそっと寄り添い、小さな声で落ち着かせるように声をかけてきた。
「まだ大丈夫だって。プリムラはああ見えて根性あるし。頭を冷やして、ちゃんとあの子の体のことを考えてあげなよ」
「お、おう。そうだな、すまん……」
「まったく。シスコンなんだから……!」
セリースは照れ隠しにそっぽを向いたが、その長耳が微かにぴくぴくと揺れていた。
だが、プリムがどれほど健気に耐えようとも、彼女の体が限界を迎えるのはもはや時間の問題だった。そうなる前に、何としても新たな解決策を見つけ出すしかない。
「エンリー様。どうぞ私とセリース様に、プリムラお嬢様をお預けください」
動揺する俺に、静かな、しかし不変の気品を湛えた声が響き渡る。ビアンカは可憐な背筋をすっと伸ばすと、躊躇うことなくその場の指揮を執り始めた。
「アイリ様、ご主人様のご相談に乗っていただけますか? お二人なら、何か糸口が見つかるかもしれませんわ」
「う、うんっ……」
「そしてジア様。申し訳ありませんが、急ぎ街へ向かい、回復ポーションを調達してきてくださいますか? ジア様だけが頼りですわ」
「……む、承知した。すぐに行ってくる!」
状況を瞬時に整理し、それぞれの適性に応じた的確な指示を飛ばす姿は、まさにこの屋敷を統べる『正妻』のそれだった。
だが、彼女があえて口にしなかったのかどうかは知らんが、ここにいてもこの輪に含まれていなかったメーヴェの存在が逆に浮いてくる。
思わず彼女に視線を向けると、メーヴェは先ほどまで見つめていたビアンカから一瞬だけ俺に目をやり、再度ビアンカに向かって口を開いた。
「やって見せてくれましたね、ビアンカァ。如何でしたァ? わたしに言わせるとォ、今のエンリーは前のエンリーより少しばかりマシだったわァ」
「お、おい……(この淫魔、こんな場でなんてことを口に出すんだっ! プリムの教育に悪いだろ!……まあ、幸い何のことか分からなくて、プリムは可愛く首を傾げているだけだが)」
メーヴェの言葉の端々に、脳裏の奥底から曖昧な記憶が呼び覚まされていく。
それは俺自身の過去ではなく――元の『エンリー』が、夢中でメーヴェの身体にしがみついていた情景だった。
(――あぁ……そういうことか。ようやくパズルのピースが繋がったぞ)
原作ゲームにおけるエンリーが、なぜあれほどまでに箍の外れた希代の女好きへと落ちぶれていたのか。彼はこうしてメーヴェの魅了にかかり、精神を狂わされていたのだ。
俺はメーヴェを睨みつけたが、彼女はどこ吹く風と飄々とした態度を崩さない。そしてなぜか他のヒロインたちの反応が気になり、場の皆の顔を見回した。
ビアンカは、まだ昂揚感が収まっていないのか、貴族令嬢らしい毅然とした眼差しの中に、今にも数分前の喜びきった顔の面影が見え隠れしている。
セリースは照れてこそいないが、メーヴェが言い出したことになにか思うところがあるのか、難しそうな表情を浮かべていた。
そしてアイリは――なぜか顔を真っ赤にして俯いている。
それを見てメーヴェは満足したようにジアの方へ移動し、やがて他のヒロインたちもアイリの様子に気づき、一瞬眺めたあと申し訳なさそうに顔を逸らした。
ちなみに、メーヴェがジアの隣に移動した理由はというと。
「わたしもォ、人族の街の様子が気になりましたァ。ジア様、ご一緒しても構いませんかァ?」
「好きにしろ」
未だに魔族とドラゴン族の関係は謎だが、圧倒的な力を誇るメーヴェがジアにだけ『~様』をつけて呼ぶあたり、『力関係』は明白だ。なら、この爆弾娘をジアに任せても大丈夫な気がしないでもないが、問題は別にある。
「メーヴェよ、そんな姿で街に現れたら、『魔族が来た!!』と大騒ぎになるぞ」
「……む? 安心なさってェ、人間に擬態できますわァ――」
「――いや、ね。お前のあの姿は『人間』に擬態したと言えないんだが……」
「ゴシュジン、彼女の胸ばかり見てるなら、説得力皆無っす」
「いや、問題は『目』だ――(俺はさっき、メーヴェの目を見てたよな……?)」
「ふ~ん? わたしの『目』がどうしましたァ?」
「っ!――(気づかれてた!?)……黒くて不自然なんだよ。あのままだと怪しまれる!」
「ではァ、胸のボリュームをちょっと減らして、目の不自然なところを改善いたしますゥ」
「うん。そうしてくれ」
メーヴェが黒い靄に包まれたかと思うと、次に姿を現した彼女は、俺への当てつけのように胸元がぺったんこになっていた。
しかし――『俺の魔力の色の謎なんて知らない』などと言っていた癖に、変身した彼女の瞳の色は俺の魔力と同じピンク色に染まっており、吸い込まれそうなほど怪しい輝きを放っている。
その後、一足先に乗り込んでいたジアに続き、ついさっきまで俺とビアンカが乗っていた馬車へと乗り込んだメーヴェは、「良い匂いですわァ」という余計な感想を口にすることを忘れなかった。
おかげで、さっきまで平然としていたジアですら、顔を真っ赤に染めざるを得なくなったのだった。
その様子を見届けたビアンカは、屋敷から出てきたナディアへプリムラを預けると、セリースと三人で玄関の方へと向かい始める。
俺もアイリを伴って後に続こうとしたのだが――ビアンカに懐いているナディアがそっと俺たちの間に陣取り、俺とアイリだけを意図的に孤立させてきた。
まぁ、ビアンカに対して悪いことをしてしまったのかどうかは、今後の展開次第で判明することだろう。セリースという前例がある以上、彼女まで俺の子を授かってしまうのではないかという不安がないわけではないが……今は何よりもまず、プリムのための新たな回復役を探すのが最優先だ。
最悪の場合、原作ゲームでエンリーのハーレムメンバーだったヒロインの一人に心当たりがある。
彼女は本来『回復役』ではないのだが、ポーション作りが得意なキャラだった。なら、高純度の『回復ポーション』だって紛れもなく作れるはずだ。
(まぁ……間違いなく『また新しい女を連れ込もうとしてるんっすね?』って、アイリに疑われるんだろうなぁ……)




