ご都合主義(?)
メーヴェが屋敷に入り浸るようになってから、数週間が経った。敵とはいえ、今のところは大人しくしているように見える。むしろ「そんなに暇だったのか!?」と突っ込みたくなるほど、屋敷に現れる頻度が高い。
勿論、今の彼女がアイリたちのような普通のヒロインではないことくらい、分かっているつもりだ。だが、ここに居座ることにどんな意味があるのかは、まだ見当もつかない。
あれ以来、俺たちに余計な干渉をしてくる気配はないからだ。俺を誘惑してこないことは勿論、アイリたちや他のメイドたちにもごく普通に接しているように見える。
正直に言えば、メーヴェはこれほどの美女ではあるものの、あの時の化け物じみた強さとバトルジャンキーさながらの戦闘センスは、誰もが頭から離れないでいる。だから皆、彼女の周囲では気を張っており、その緊張感はまるで「人里に紛れ込んだ猛獣」を警戒しているかのようだった。
メーヴェもまた、その警戒心に気づけないほど鈍感ではない。それでも居座り続けるのは他に理由があるからなのだろうが、今は『ほら、私は無害だよ』とアピールするかのように猫をかぶっている。
その一環……とまでは言えないが、彼女はアイリたちの日課の訓練を目にすると、自ら「稽古をつけてやる」と買って出た。アイリたちはそれを渋々受け入れたのだが、その成果は目を見張るものだった。
特にセリースの周りにメーヴェを置いておきたくはなかったが、どうやらメーヴェのように咄嗟に魔力を噴出させ、それを細い板状に圧縮して身体の一部に纏う戦術が、セリースには一番向いていたらしい。メーヴェほどの膨大なMPはないものの、セリースの持つ光の魔力も捨てたものではないと判明したのだ。
当然、ビアンカも成果を見せ始めていたが、アイリの場合は魔力を操る以前の問題だった。彼女は俺と同じ転生者であり、未だにこの身体(?)の感覚に馴染みきれていないようだ。
問題は身体の動かし方ではなく、ゲームにあった『スキル』や特殊な能力の使い方が感覚として掴めないことだ。俺の場合は『メニュー』を使ってそれを補えるが、アイリはまだパッシブスキル以外なにも使えないらしい。
アイリが『プレイヤーのような何か』に昇格したことで『メニュー』まで使えるようになるかと思ったが、それも駄目だった。むしろ、俺の教えた感覚を掴もうと「ふんぬっ!」やら「ほわーっ!」やら声を上げながら瞑想している姿を見ていると、笑いを堪えるのに一苦労だった。
そこで『メーヴェ先生』は意地でもアイリに魔力の使い方を伝授すると決め、アイリだけがスパルタ並みの特訓を受けることとなった。成果はまだ見えないけど……。
俺の推測では、アイリが魔力を使えない理由は『元のゲームのアイリ』も使えなかったからなのだが、そんなことを他の皆の前で言えるはずもない。それに、メーヴェは黒魔法の『幻覚』の天才であり、二人きりの時でさえ言葉には気をつけなければならなかった。最近でこそ落ち着いたものの、最初の頃は何度か虚空から不意に現れたことがあったのだから、元の世界やゲームのことを話すのはタブーとなった。
俺の場合、メーヴェに目を付けられる前に、理由をつけて、なんとか修行を誤魔化した。賢い彼女のことだ。俺がスキルを使えても魔力をまったく使えないことに、すぐ疑問を抱くだろう。……いや、むしろ既に疑われていると見たほうがいい。
そして、アイリたちとの関係は今もなおギクシャクしている。メーヴェの魔法の影響が消えたとはいえ、俺の浮気(……ということになっている件)がそう簡単に許されるはずもない。
前世でも二度三度ほど女性と付き合ったことがあったが、誰とも安定した関係を築くことはできなかった。そんな俺に、ハーレムなんて最初から無理な話だったのだろう。
セリースのつわりは最近になってようやく落ち着いてきたため、俺もたまに側に寄らせてもらえるようになったが、彼女特有の蠱惑的な仕草はすっかり鳴りを潜めている。それでも、言葉を交わしたり一緒に食事をとったりできるだけで嬉しい。
彼女のお腹も、少しずつ目立つほどに大きくなり始めている。いつの日かそこに手を触れ、中で育っていく俺たちの子供の微かな鼓動を感じることが許される日も来るんだろう。
セリースの妊娠に限らず、元のゲームになかった現象は、なんとなく俺の前世の常識に沿って起きている気がする。
――もしかするとここはゲームの世界などではなく、『誰か』、あるいは『何か』がそのゲームをベースに構築した『箱庭』なのかもしれない。……これ以上考えると余計な恐怖に襲われそうなので、今は思考を打ち切ることにしよう。
とりあえず、今のところビアンカとの関係が一番早いペースで修復されつつある。元々彼女とのスキンシップは一番控えめだったし、あからさまな愛情表現も少なかったからだろうか。
ともあれ、執務仕事や屋敷の雑事において、ビアンカは今も変わらず頼もしいパートナーだ。だからといって、単に自分の利便性のために彼女をここに引き留める計画を進めているわけではない。彼女自身が「今の生活のほうが愉しい」と言ってくれているのだから、その幸せを守りたいのだ。
俺がその計画のことで思いを巡らせ、ぼんやりと視線を彷徨わせていると、いつものように書類仕事を手伝ってくれていたビアンカから声をかけられた。
「ご主人様。こちらに記されている報告は、事実でしょうか?」
「――っ!……なになに……ああ、ようやく届いたか……」
「ご主人様……僭越ながら、このような計画はお勧めいたしかねますわ」
「なぜだ? このやり方なら、今の関係を保ったままビアンカがここに残れるんだぞ――っ」
「――そのようなことよりも、これではポークナイト家の工作員たちの存在がお父様に露見し、アーカイド領内からの情報入手が困難になりますわ」
「貴方がた、何の話をしておられますのォ?」
噂をすれば何とやら、ビアンカの肩越しから呑気に報告書を覗き込みながら、メーヴェがそう声をかけてきた。言うまでもなく、彼女は今、何の脈絡もなく虚空から突然姿を現したのだ。
(一応、その報告書はポークナイト家の機密なんだが……こいつの実力を考えると、強く出られないのが情けない……)
せめてもの抵抗として、俺はあいつを睨みつけながら当たり前の文句を口にした。
「あのなぁ、メーヴェさんよ。部屋に来る時は普通の人みたいにドアを使うの、そんなに難しいか?」
「浮気男はお黙りなさいなァ」
「お前にだけは言われたくない!」
「それで? ビアンカ、『ここに残るかどうか』ってどういうことですのォ?」
「私、政略結婚が決まりそうですの」
「おかしいですねェ。人族の男どもは独占欲が強くてェ、他の男の手垢がついた女を妻に迎えたがらないと聞いていましたけれどォ?」
「ま、まあ……概ねその認識で合っています」
「では『エンリー・ポークナイト』の女を娶りたい物好きが見つかりましたのォ? 変人もいたものですねェ」
「それは、違います……! 私とエンリーさまは、まだそのような関係には至っていません……」
「ですが、それは貴方たちしか知らない事実でしょうゥ? どうして屋敷の外の人々がそれをご存じなんですのォ?」
「……私はまだ、魔法が使えますから」
「なるほどォ……『不純な関係』に至っていないから……。だったらァ、それを解決するなんて簡単なことではありませんかァ?」
「私は、その……エンリーさまと……そういう関係になるのは、今はちょっと……」
「ああ。エンリーは浮気者ですからねェ……ならァ、一時的にわたしの魔法で――」
「――ご提案はありがたいのですが、ご遠慮させていただきますわ。できることなら、己の意志で……」
「俺も、できれば感情を魔法で操られた状態でビアンカと――っ」
「――そうですねェ。それにィ、貴方たちはなぜかわたしの魔法を通常以上の速度で解いてしまいますしィ……」
「俺の話、全然聞いてないんですか……そうですか……」
「――なによりィ、ビアンカの『覚悟』はァ、すでに決まっているようですしねェ?」
「……あれ?……ビアンカ、さん……?」
「――メーヴェ様には、すべてお見通しでしたか……。ええ、その通りですわ。私はもう、この家を自分の居場所だと認識しております。――その居場所を守るためなら……!」
「素晴らしいわァ! ビアンカにそこまで言わせるなんてェ、エンリーもなかなかやるじゃない……は~あァ! やっぱりここに来て正解だったわァ……。では、わたしからのギフトとしてェ、ちょっとした抜け道を教えてあげるわァ。――『魂繋ぎの儀』をご存じかしらァ?」
「……あの……呪縛の儀式、のことですか……?」
「正確にはァ、違いますけどォ。人族の間ではそう呼ばれていると聞き及んでいますわァ」
「私が、エンリーさまの奴隷になれば……。なるほど、そのような解決法もありましたか……」
「安心していいのよォ。エンリーが相手なら、わたし一人でもビアンカを守って差し上げられますからァ。貴女のことはァ、結構気に入っていますしィ」
「ビアンカ、はやまっちゃダメだ! 隷属の関係なんて――っ!」
「――承知いたしました。メーヴェ様のご提案、とても魅力的ですわ。……誠実さには些か問題がございますが、ご主人様の優しさだけは本物だと分かっておりますから。……儀式のこと、詳しく教えていただけますか? たしか魔族の伝統が、『魂繋ぎの儀式』の由来でしたわね」
「まあァ、その成り立ちは追々お話しするとしてェ、『魂繋ぎの儀』はこの大陸に人族が渡ってくる以前から、魔族の間で交わされていた儀式のことですわァ。その手順はですね……」
俺の無言の抗議などそっちのけで、二人はすでに聞き馴染みのない秘儀について盛り上がり始めている。
――これはもしかして、俺が活躍する必要すらなく、周りの問題が勝手に解決されていく……ゲーム特有の『ご都合主義』というやつだろうか?




